ice cream castles in the sky

立ち止まって見渡すということ

自分がいまどこに立つのかというようなことを書いておこうと思った。
韓国・中国と聞くだけで口汚く語り始める人、一方自民・安倍というだけでキリキリし始めちゃう人どちらも苦手。これだけ情報を手に入れられて、それなりに時間もあるのだろう(少なくともSNSに何かを書き込んだり、デモに出かけたりする人たち)中で、刺激的な情報やフォローしている人がこう言ったからというような理由だけで脊髄反射してしまう人たち、レッテルを貼って安易な振り分けをしてしまう方々のことを申し訳ないけれどもほんとうに理解できない。ただ、自分についても元々極端な部分があるから、自らを疑う姿勢は持っていたいとは思う。
今時物事を平らかに見ようとすれば、一昔前の右とか左とかとは関係ないスタンスになる。そういう話ができる人に出会うとほっとする。ただ下手をすると全方位敵に回すことになるのはご愛嬌。
個人的にはかつては今の“SEALDs”が言うことに毛が生えたくらいの考え方だったかもしれない。でもある時期気づいたのはどちらも(いや全体的に我々は)欺瞞に満ち思考停止してしまっているのではないか。よく見ていると所謂左寄りの人達の方が頭でこねくり回す傾向があるのか、手口が汚いと感じるのだがどうだろう。いやまあ、どっちもどっちか。
それはどの辺に原因があるのかといえば、ひとつには憲法のような大きな取り決めに辿り着くのではないか。たとえば憲法ってさ、みんながより良い方向へ向かうための大きな指針のようなものであるべきなんじゃないの?今の憲法にももちろんそういう部分はあるけれど、何らかの制限を設けて可能性を縛っている部分もある(9、14など)。変にタブー視せずに修正・削除等していったらいいんじゃないか。
このくにの風土に根ざした固有の何ものかは古からいつまでも続くけれど、どこかの時点で制定されたものである限り、はじめに憲法ありき、ではない。
ビジョンを掲げて覚悟をもち行動する人が好もしい。民主党が政権を取った頃からはそれまでの事なかれに見えた政治から「どんなビジョンを持って何をするのか」が比較的重視され表に出るようになってきたのは良かったと思う。鳩山さんにはそういう面でとても期待したし、今でも気になる人物だ。韓国での「お詫び」は今の立場なら別に悪くはないと思う。風向きを見て俄かに流れに乗る人や、最近のSEALDsとか以前のネトウヨが湧いてくる様子には何やら胡散臭さや気持ち悪さでゾワゾワするわけだけれども、鳩山さんの行動にはそういうモノを感じない。まあ彼ならそうするだろうな、というような清々しさすらある。総理就任当初の国連での演説も(その後のグダグダは兎も角)良かったな。
安倍さんは、人間は(多分)嫌いだけれど仕事は言うほど悪くない。仕事に関しては党や内閣の組織力に懸かる部分も大きいけれど、ともあれよくやっていると思う。今回の談話や先日の米議会での演説はとても良かった。何とは無しに誇らしくもあった。
同じ理由で橋下市長やホリエモンらにも良い意味での興味がある。
基本的に科学・医療の側に立っていたい。原発事故のこと、癌治療や精神医学、ワクチンや食料のあれこれなど危機を煽って一儲けを企む輩を憎む。ワクチンをはじめ薬品は完璧万能ではないから僅かの確率ながら身体に合わない人が出るしそれは心から気の毒に思うけれど、改善すべきは薬品業界を悪く言うよりは適合の可不可を事前に正確に確認する手立てを充実させることだと思う。医療も同様。特に精神科方面なんて診断・処方に適合しない人の出る割合はまだまだ多いのではと想像すると、逆にそこにつけ込む隙ができる。(PCソフトのバグなんかもそうだけれど)問題を修復できた大多数の人、順調な人は目立たない。少数ながらうまくいかない人の声が大きくなり注目される。
「医者には懸かるな」なんて言い切っちゃって(それをシェアして広める人も含め)責任取れるの?って思う。もちろん通院を止めて民間療法等の実践で快癒するタイプの人間もいるのかもしれない。それでイコールあなたもそうしなさいとはならないだろう。
トンデモや陰謀論を拒絶する反面、明確なビジョンのもとに独自の研究を地道(獣道?)に続けている方は尊敬する。時にそういう人が凡人には理解できない夢の未来を語ることがあるけれどもそれはトンデモ違いでウェルカムだ。
原発は安全性が確認できたものから粛々と再稼働するべきだと思う。将来のエネルギーは次世代原発を中心に自然エネも含むいくつかのオプションで構成するのが良い。究極的に安全な超小型次世代原発を一棟に一台標準装備して家も乗り物もロボットも稼働させる、ようなミライを夢想する。
模倣と着想は明確に違う。そりゃあ仕事でパクりは駄目。
今は検索で何でも探し出せちゃうし何処の誰でも何でも言える。この状態でアラ探しを始めたら表現者(絵画・音楽・文学他のアートや、デザイン・伝統技能の職人、芸能、スポーツ等々)は全員即死する。文化全般はもとより、科学や数学などの学問や宗教・哲学分野なども紙一重の世界と言えるのではないか。STAP細胞騒動なども記憶に新しい。広く模倣と着想の違いを理解してもらうのは難しいかもしれないけれど、命がけで切った張ったしている分野について覚悟もなしに軽々しくパクった盗んだなどと言って欲しくはない。とどのつまりそれは作者本人にしか分からないことなのだ。(オリンピックロゴの件は結果が出たようなので一般論として=9/3追記)
剥がれかけたかさぶたのような人の心の隙につけ込む連中、特にそれで私腹を肥やそうとするようなチンピラは卑しい。「獲物」を見つけたら寄ってたかって石を投げ、徐々に弱っていく様子を楽しむ。ルールを破ったなら正当な非難や批判はあって当然だし、何か制裁を受けるのは仕方ないとしてもそれは野蛮な方法でなされるべきではない。
インターネットは便利で様々調べられるし特段の覚悟もなしに(それが問題だと思う)誰でも何でも同じレベルでものが言える。
携帯端末の普及で“新しいツール(おもちゃ)”をさらに多くの人が手に入れたのだと思う。前のめりになるのは仕方ないと思うけれど、しばし立ち止まって見渡してみたらどうだろう。普段はバランス感覚もあり冷静で理知的な人がWall上では一次情報に興奮したり乱暴な言葉を使ったりする様は見ていて悲しくなります。

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