台風

30年くらい東京に住んでいて、台風の直接的な被害の記憶がない。

子供の頃大きな台風が数回あった。神奈川の真ん中あたり、それでも普段体験できない雨や風にどちらかといえばはしゃぎ、表に出てすごいなあと見ていたのを憶えている。南国に時折降りかかる雨風による大災害とは全く別物だ。

今回の台風21号も東京上陸としては「未曾有の」とか「史上初の」とか言われていたけれど、その子供の頃の台風に比べても静かなものだったな。確かにいつもに比べて警報の類はたくさん出たし、別エリアながらわりあい近くには避難の案内などもでていた。これは初めての経験。

ただ、個人的には思いの外静かだった。台風一過の今日昼飯を食べに出た時に工事現場のブルーシートが強風に煽られて絡みついてきて土埃まみれになったのが最大の被害。穏やかな土地柄というのは、有難いといえば、もちろん有難いんだけれど。

ドアを叩く音

深夜にドアを強く叩く音が長い間続いた。ベッドの中にいたから無視していたのだけれどそれは止まず寝返りを打って右耳を枕に埋めた。左側はほとんど聞こえないので便利なことにこれで耳を塞いだのと同じになる。

音を聞きながら不思議に思うことがあった。普通にドアを拳でノックする音とは違う。もっと低くて響く音。また通常の訪問者なら最初にベルを鳴らすだろうということ。

心当たりはあった。昼頃変な営業電話があり一旦は訪問を許可したものの面倒くさくなってやはり断っていた。それでも深夜に来るかな?また、ちょっと関係を悪くしている知り合いもあったがやはり深夜に漠然としか知らないであろうエリアに来るだろうか。

等々考えているうちに音は止んだようで、そこでふと目を開けると暗がりの中で僕は寝返りを打っていなかった。左を下にしたままだった。これは夢だったのかな。それにしては音も何もかもほとんど現実的だった。うつつとかではなく現実そのもの。半分眠りに落ちていたのは間違いない。音で気がついて出て行って文句を言おうか、それも面倒くさいかと迷ったのが悔やまれる。そこで起き出してふざけるなと、そこまでやっておけばそれが夢だったのか現実だったのかは完全にはっきりしていたのに。

静かな夜

実家に来ている。

今回は外仕事が朝終了した後直接足をのばしてみた。駅前の新しいスーパーは朝6時からやっているそうでとても便利。去年のうちにポイントカード作っておいてよかった。夜も深夜過ぎまで開いているらしく、もし将来こっちに住むことになったらさらに活用できそうだ。

正月の片付けと年末に整理しきれなかった部分の仕上げのために来たのだが、その年末の大掃除によって長年物置と化していた部屋もその面積通りの畳が現れ壁もすっぴんに近い状態になった実家は、改めて見回してみると遠い昔この家が建った子供の頃を思い出させる。元々の風土の印象も重なり清々しい良い家だと思う。

この先数年後ここに住むことにするのか、今まで通り時々帰ってくるだけなのか、気軽には帰ってこれない遠くの地に引越しているかもしれないし、様々想像している。もう一度だけ引越しはしたい気持ちはある。引越しは旅みたいなものだった。長い休暇をとって旅行する代わりに引越しをしていた。旅先で長逗留し、そこで洗濯も自炊もして仕事までしていたようなもの。1、2年滞在すると尻がむずむずし始めて、次の旅に出たくなる。

一生ここに居ることになってもいいと思えるような場所には遂に行き着かなかった。この実家の存在を忘れてしまうような物件はそうそう無いのだろう。それぞれが安モーテルの一部屋みたいなものだったのだから当たり前といえば当たり前なのだが。それでもこうして実家に来てしばらく過ごすと早く家(今のアパート)に帰りたいと思い始める。家っていうのは不思議なものだ。

あ、新年

今年は元日から外仕事が入っていて、個人的には碌に正月らしいこともせず1週間が過ぎてしまった。餅さえ食えなかったことが何だかものすごく心に引っかかり、7日にスーパーで七草粥の素材を買ってきて他に手持ちを少々とこの日のために取り寄せた餅で雑煮をこしらえた。

寄せ集めの材料

個人的にはと書いたのは年末は実家で(自分なりに)ちゃんと正月支度をしたし、いくつかの手はずも整えて戻ってきたのだから年末感、年始感が全くなかったわけではない。ただ去年まではそれに加えて父のために年越しそばと雑煮を頑張って作っていたわけで、父が施設での年越しとなったことで幾らか楽にはなったのだが何やら味気なく、そんな気持ちも雑煮ロスの残念感に拍車をかけていたのだ。

七草雑煮はかなり高得点の出来だったと思う(自分比)。

七草用の素材七草雑煮

ところで久しぶりにここに書いてみたら、去年は夏に一度アップしただけだったんだな。今年はすでに去年越え。幸先良いではないか。

鍋を買う

ここに越してきてすぐに買ったはずだから5年と少し。フッ素コーティング(だと思う)がかなりハゲてきてしまった鍋を新調しようとAmazonでポチった。

なぜ鍋なのにコーティングしてあるかというと炒め物から何からこれ一つで済ませようという目的で探したから。今度買ったのも同じ系統だけれどコーティングにマーブル加工というナニが施されているらしく、金属ヘラを使ってもハゲにくいのだとか。

自炊は日常的に行えるようにいかに楽にできるかが大事なので効率第一。次に楽しさ。失敗を恐れずに(食うのは自分だから)果敢に実験的なブッコミをする。味は、案外悪くないと思っているがレパートリーは圧倒的に少ない。

今まで使っていた鍋のコーティングの幾らかは微量とはいえ5年かけて食ってしまったわけだけれど、まあいいか。今更そんなことを気にしても仕方がない。そういえば食品添加物やらタバコの煙やらやたら毛嫌いする人がいるが、もっと他に気にした方が良いことはたくさんあると思うんだ。