手術とICUの数日(その3)

【ICUにいる間】
体が動かせない、予想していた腰の痛みより背中がもーっと痛い、そしてまるで時間が止まっているのではと錯覚しそうなくらい、ゆっくりとしか進んでくれない時間に辟易した。

4泊もしているうちには、隣のベッドに面会者がどやどやとやって来たかと思うと、しばらくしてから死亡宣告が出され、「お婆ちゃん。。。」と言いながらすすり泣く若い女性の声が聞こえたりもした。

以前の病院のICUは広くて静かすぎるのが逆に耐えられなかったけれど、ここはやや雑然とした感じだった。それでも、じーっと寝ているのはツラい。それで、持ち込んだラジオを(もちろんイヤフォンも持ち込んで)ずーっと聴いたりして気を紛らわせた。

手が自由にならず寝たままだから、チューニングは難しいと思ったので、事前に甥に面白そうなAMに合わせてもらい、間違って触っても変わらないようテープでがっちり固定しておいた。本当はFMが良かったのだけれど、電波が入らないかもしれないからAMにした。

甥が合わせてくれたのはMBSで、「こんちわコンちゃん」を聴いて「ノムラでノムラだ」って何だよ?と思いながら聴いて、それから阪神戦を聴いて、、、あっという間に家に帰りたくなった。TBSでいいから、いや、この際、ニッポン放送でもいい! 関東のラジオが聴きたい! 戸惑いと少々の飽きを感じながらも、時間の経過がわかりにくいICUでは、それでもないより遥かにマシだった。

そんな私にとって最も優れていると思われたコーナー、それはCMの「スジャータが○時をお知らせします」である。スジャータ、ありがとう!

とにかく、どうやって出られるまでの時間を消化していくか。当然、絶飲食ながら、氷水でうがいをするのはOKなので、何度となく氷水をお願いして両手でベッドサイドを握り、反動を付けて上半身をちょっとだけもたげつつ、ブクブクペッを繰り返した。

歩く練習をするのもベッドにいる時間から解放されて良かった。なんとICUにいても歩く練習をするのである。ただ、とにかく体にはいろいろなものがつながっているので、立つまでにそれを整理整頓するのが大変。やってもらっていてイライラするくらい。まず最初に車椅子に移動し、それから立つのだけれど、リハビリの先生はそれは大変なご苦労なのだった。

そんなご苦労をかけている割には、私は「1時半という話だったのに、遅かったですね。すごーい待っちゃった」とか言っていた。1日に1回のそれが、とにかく待ち遠しかった。

「遅くなってすみません。」

「早く来ないかなーって思ってました。」

「珍しい人ですね。皆、痛くてやりたがらないのに。」

私は痛さに疎いのか???

「はい、今日はこのくらいにしましょう。」

「もう終わり? えーーー?」

「そんなこと言う人、初めてだなあ。普通、早く終わりにしてって言いますよ。」

「もっと歩きたいなあ。」

痛みよりも、ベッドに戻ってまた時間が流れなくなるのが、たまらなく嫌だったのだ。

まあそんなだから、何か違うことがあるのは嬉しかった。先生の回診も。その割には、米村先生が私の名前を呼びながらいらっしゃっても、すぐに気付かなかったりした。

米村先生は私をすごくぼーっとしている人間だと判断されたようだった。以来、「おいっ」とか「よおっ」とか言いながら私を突っついた。先生、呼ばれるという構えがないときに、いきなり関西弁のイントネーションで名前を呼ばれても〜。なかなか自分が呼ばれているとは思わないんだってば、関東人には。

2013年11月4日追記:
時々コメントしてくださる、ぺぺろみあさんのブログを拝見して、ハッと気づいた。私はたぶん、うつろな目をしていてICUシンドロームになりかかっていたのではないだろうか。だから先生は私を突っついて現実世界に引き戻そうとされたのだろう。
現在は術後ICUでなく、すぐHCUに入るとか。そのほうが絶対に精神的に良いと思う。

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