Archive for the ‘04.手術・入院を振り返って’ Category

手術とICUの数日(その3)

【ICUにいる間】
体が動かせない、予想していた腰の痛みより背中がもーっと痛い、そしてまるで時間が止まっているのではと錯覚しそうなくらい、ゆっくりとしか進んでくれない時間に辟易した。

4泊もしているうちには、隣のベッドに面会者がどやどやとやって来たかと思うと、しばらくしてから死亡宣告が出され、「お婆ちゃん。。。」と言いながらすすり泣く若い女性の声が聞こえたりもした。

以前の病院のICUは広くて静かすぎるのが逆に耐えられなかったけれど、ここはやや雑然とした感じだった。それでも、じーっと寝ているのはツラい。それで、持ち込んだラジオを(もちろんイヤフォンも持ち込んで)ずーっと聴いたりして気を紛らわせた。

手が自由にならず寝たままだから、チューニングは難しいと思ったので、事前に甥に面白そうなAMに合わせてもらい、間違って触っても変わらないようテープでがっちり固定しておいた。本当はFMが良かったのだけれど、電波が入らないかもしれないからAMにした。

甥が合わせてくれたのはMBSで、「こんちわコンちゃん」を聴いて「ノムラでノムラだ」って何だよ?と思いながら聴いて、それから阪神戦を聴いて、、、あっという間に家に帰りたくなった。TBSでいいから、いや、この際、ニッポン放送でもいい! 関東のラジオが聴きたい! 戸惑いと少々の飽きを感じながらも、時間の経過がわかりにくいICUでは、それでもないより遥かにマシだった。

そんな私にとって最も優れていると思われたコーナー、それはCMの「スジャータが○時をお知らせします」である。スジャータ、ありがとう!

とにかく、どうやって出られるまでの時間を消化していくか。当然、絶飲食ながら、氷水でうがいをするのはOKなので、何度となく氷水をお願いして両手でベッドサイドを握り、反動を付けて上半身をちょっとだけもたげつつ、ブクブクペッを繰り返した。

歩く練習をするのもベッドにいる時間から解放されて良かった。なんとICUにいても歩く練習をするのである。ただ、とにかく体にはいろいろなものがつながっているので、立つまでにそれを整理整頓するのが大変。やってもらっていてイライラするくらい。まず最初に車椅子に移動し、それから立つのだけれど、リハビリの先生はそれは大変なご苦労なのだった。

そんなご苦労をかけている割には、私は「1時半という話だったのに、遅かったですね。すごーい待っちゃった」とか言っていた。1日に1回のそれが、とにかく待ち遠しかった。

「遅くなってすみません。」

「早く来ないかなーって思ってました。」

「珍しい人ですね。皆、痛くてやりたがらないのに。」

私は痛さに疎いのか???

「はい、今日はこのくらいにしましょう。」

「もう終わり? えーーー?」

「そんなこと言う人、初めてだなあ。普通、早く終わりにしてって言いますよ。」

「もっと歩きたいなあ。」

痛みよりも、ベッドに戻ってまた時間が流れなくなるのが、たまらなく嫌だったのだ。

まあそんなだから、何か違うことがあるのは嬉しかった。先生の回診も。その割には、米村先生が私の名前を呼びながらいらっしゃっても、すぐに気付かなかったりした。

米村先生は私をすごくぼーっとしている人間だと判断されたようだった。以来、「おいっ」とか「よおっ」とか言いながら私を突っついた。先生、呼ばれるという構えがないときに、いきなり関西弁のイントネーションで名前を呼ばれても〜。なかなか自分が呼ばれているとは思わないんだってば、関東人には。

2013年11月4日追記:
時々コメントしてくださる、ぺぺろみあさんのブログを拝見して、ハッと気づいた。私はたぶん、うつろな目をしていてICUシンドロームになりかかっていたのではないだろうか。だから先生は私を突っついて現実世界に引き戻そうとされたのだろう。
現在は術後ICUでなく、すぐHCUに入るとか。そのほうが絶対に精神的に良いと思う。

手術とICUの数日(その2)

【2011年6月27日(月)手術】
朝、夫と甥が病室に来てくれた。ベッドを明け渡すために荷物はすっかりまとめ、さらにICUに持ち込みたいものを別にして、甥に託す。自分の考えを優先するかもしれない夫より、言った事を確実にしてくれる甥に、「ICUですぐに私に眼鏡をかけさせてね」とお願いしておく。

担当看護師さんもやって来て、いよいよ手術室へ。2か月前の婦人科での手術より、気持ちに余裕があった。手術慣れ?したのと、術着が前開きだったこと(婦人科手術では硬膜外麻酔をしたせいか、後ろ開きだった)&弾性ストッキングがハイソックス型だったこと(太ももまでのタイプは履き口がめくれると痛く、丸1日履いたら痕がついて、2か月たったその時もミミズのような赤い痕があったのだ)、自分の足で歩いて行くことも前回より気持ちを楽にさせてくれた。そして最大の理由は、前回は病名を確定できずに挑む手術だったが、今回はわかってるということだろう。

手術室の前室の扉のところで夫たちを残し、看護師さんと私は扉の向こうへ入った。振り返り、扉の窓越しに夫たちに手を振った。

同じ時間に手術する、私より年上の女性がすでにいた。私はその人の左横に並んで立った。それぞれ一緒に来た看護師さんの鞄(それはまるで、アニメの「アルプスの少女ハイジ」に出てくるペーターが持っているような肩掛け袋で、およそ看護師さんのウエアとマッチしないのだが、看護師さんの両手も空くし機能的。大学病院では資料のファイルは車椅子に載せて運んだけれど。病院によっていろいろだ。)から、資料が出て来て、それぞれ本人確認がなされ、私たち患者は手術室に引き継がれた。

手術室にも自分の足で行った。台に乗ったら、よくTVの手術風景で出てくる、照明の目がいっぱい付いてるヤツが目に入り、緊張してきた。

麻酔科のくだんの先生が、私にマスクを付ける。上唇の右側がちょっとめくれて気持ち悪かったけど、ま、いっか、と思って、数を数えただろうか、覚えていない。

***

気付いたらICUだった。私の体は、前回を上回る重装備な様相を呈している感。夫と甥がやって来た。甥にすぐさま眼鏡をつけてもらう。眼鏡はICUを出るまでほとんど外すことなく、眠っているときもつけたままで!過ごした。だって、知らぬ間に寝ちゃうしすぐ目が覚めるし、目が覚めた時、外した眼鏡を探せるか、またかけられるか不安だったから。体があまり動かせず、手も右手しか動かせないわけだから。

ICUにはほかにもいくつか持ち込んだ。ティッシュなど当たり前なもののほか、時計、ラジオ、腰枕を持ち込んだ。ラジオはダメと言われるかと思ったけれど、機械があるから電波が入らない可能性もあるけどそれで良いならとOKが出た。

手術はどうだったのか、夫に聞いた。思い返すと、かなりとんちんかんな事を言っていた。夫は、先生の術後説明時、目の前に出された摘出臓器を見て、すでにあんなに臓器を取ったのに、またこんなに取ってしまってと驚き、頭が真っ白になってしまったのだそうだ。

ま、いっか。。。重要なことは、人づてに聞くより、先生に直接聞く方が良い。ICUを出たら先生に伺おう。それに前回の手術時は弟に頼んだことを、今回は甥に頼んでおいた。先生の説明をビデオに撮ることだ。退院してビデオを見れば、その場でどんなことが話されたのかわかるというわけ。

退院後にビデオを見たけれど、パニックになっている夫の受け答えには笑えたわー。

そんな夫であるが、手術中はどうしていたか。甥が一旦仕事に戻り、一人で家族が待つところで待っていたそうだ。昼食は、病院1階の売店でサンドイッチを買って食べたらしい。思った以上に手術が長いので、帰りの飛行機便を変更したとのこと(それも気持ちが焦ってるから自分でせず、姪に電話で頼んだらしい〜〜)。その日に帰るのはいいけど、最初からもっと遅い時間を予約してほしーわ。もっと手術時間が短いと思ったとか、手術を簡単に捉え過ぎるからパニクるんだわ。

夫と甥はICUに30分もいなかったと思う。話すこともなかったしなあ。その後だったか翌日だったか、夫の妹家族が見舞ってくれた。私のICU感あふれるビジュアルに、かなりの衝撃を受けたらしい。何しろ重装備だもんね。機械もあるし、いろんなのが上からも下にもぶら下がってるし、酸素マスクとかしてるし。今思うと、なかなかなれないそんな姿を写真に撮っておかなかったことが悔やまれる。

時間の流れが止まっているかのようなICUなので訪問者大歓迎だったが、でもその時は、ひと言ふた言話すのもやっとな体調でもあった。

  • HIME

    2012年09月11日(火)13:05

    返信

    確かにICU4泊は厳しいですね。よくがんばりました。
    それにしてもいつもゆかいな文章なので読んで笑ってしまい、また想像も……。旦那さんを知っているだけに…….ムフムフプッ(笑) ゴメンナサイ!
    来週、岸和田で手術する人がいるのでその方にこのブログをご紹介しようかな~って思っています。

    そうそう、術後説明のビデオ見てみたいわ~。

  • pom

    2012年09月11日(火)15:27

    返信

    ウイ、マダ〜ム! よろしくー。
    ビデオ、今度ウチ来たらご鑑賞くださいませ。
    米村編は2〜3分で終わっちゃうんだけどね。
    東海大編のほうがもうちょっと説明が長い。こっちは主治医が取り出した粘液をビョイ〜〜ンと伸ばすところと、父のボケ発言が見どころかと思われます。

  • リーナ

    2014年12月19日(金)14:00

    返信

    始めまして。
    私、大阪在住のリーナと言います。
    今年の4月に家の近く(八尾市)の徳洲会病院でドックを受け右卵巣の腫れが手術対象の大きさと言うことで市民病院への紹介状を書いてもらい(八尾徳洲会では婦人科手術はしていないのです)そちらに移りMRIを撮ったところ境界悪性腫瘍の疑いってことで8月初旬に(小5の娘が夏休み中にと思い8月になりました)子宮、左右卵巣の摘出手術をしたところ…
    虫垂が異常に腫れて腹膜播種を起していることが開腹してわかりました。

    外科の先生を急遽呼んで大網、虫垂(原発)の切除もしたのです。

    『腹膜播種』そしてガン細胞の種類はいんかん細胞と(後に石橋先生が言うところの『顔つきが悪い細胞』)
    ゆう言葉を聞いたのは退院後数週間経ってからです。

    その間に胃カメ、腸カメなどの検査を受け異常なしでした。

    そしてネットで調べた私や周りは『米村先生』に!!と満場一致でした。

    市民病院から紹介状を書いてもらう際、
    『米村先生は通常の治療をしないんですよ?』とあまりいい顔してなかったという印象です。

    どんな治療が通常でないのかも全くわからないけど
    ここで治療しても化学治療だけで完治はないよね?と思い
    気持ちはもぅ絶対米村先生に会いに行きたい
    そして私の事診てもらいたいってだけでした。

    それから9月11日。
    岸和田徳洲会で初めて米村先生にお会いし市立病院の経過資料とその後慌てて受けたPETの資料(PETでは何も写らなかった)

    米村先生は
    綺麗にとれますと言ってくれて
    ここに来て良かった!流石名医なんやわって喜び束の間。

    話してるうちに『僕の今までの治療なら4分の1しか治せないねん…』(いんかん細胞の事ですね…)

    血の気一気に引き、頭かかえ付き添いの父や妹たちも
    変なため息ような声を出してた。

    『でも』と先生。

    『新しい治療方が効きますそれでやってゆけばいい』
    とおっしゃいました。
    新しい治療…
    どんな治療なんだろ?
    手術のやり方?
    全くわからないけど
    腹腔内温熱療法を同月末に受け同時にお腹のポートが埋められました。

    新しい治療とは
    抗癌剤ローテーションや二種類ミックスのかなり辛いものでした。

    3クール受けたら相当辛くなり4クール目の先週はお休みしてしまいました。

    罪悪感と焦りで次の診察が怖いなぁー
    見放されてしまわないかなって思ってたら今週の月曜の朝8時過ぎに米村先生から電話あって

    『元気になった?』って一声に鼻の奥ツンときました。
    そしてもぅ3クールしたし腹水も細胞診も毎回正常やし
    手術しようか?って
    26日手術に決まったのです。

    年末年始みんなをバタバタさせてしまうけど
    今年中に手術ならいいなって思ってのが急に叶ってしまってドキドキと不安で気持ちは逃避してるけど…

    だからこそponさんやちありんさんのブログ見ると
    とても励みになるのです。

    ほんとは病気ブログなんてよー書かんわって思ってたけど自分の記録、そして繋がりを持ちたい!
    それが一気に沸いてきたのです。

    長い文章、誤字脱字、話の前後を許して下さいね、

    偽粘液腫…とは違いますが米村先生にお世話になってる仲間としてよろしくお願いします。

  • リーナ

    2014年12月19日(金)14:01

    返信

    まだ、よくわかってなくてコメント
    重複させてしまいました。m(_ _)m

    • pom

      2014年12月20日(土)12:38

      返信

      リーナさん、はじめまして。
      コメントの編集機能がなくてごめんなさい。重複部分をただいまこちらで消しました〜〜。

      リーナさんは行動派だね! すばらしい!! きっとうまく事が運びますよ。抗がん剤治療は辛かっただろうけれど、気持ちが前向きだから良い方向にいきそう。

      米村先生は名医の中の名医だと思います。腫瘍だけでなく患者の心もわしづかみですっ。

      石橋先生も良い先生で面白いyo。石橋先生作、秋の俳句「ステテコを干して一息 月眺む」に続く冬の一句、聞いといてください〜。もちろん患者として心配なことなど、米村先生がいなくても気軽に聞けます。

      お仲間同士でもいろいろ情報交換してますので、なんかあったらコメント入れてくださいね。

      これからよろしくお願いします! ともに前進ですよ〜〜〜。

  • HIME

    9月 11th, 2012

    返信

    確かにICU4泊は厳しいですね。よくがんばりました。
    それにしてもいつもゆかいな文章なので読んで笑ってしまい、また想像も……。旦那さんを知っているだけに…….ムフムフプッ(笑) ゴメンナサイ!
    来週、岸和田で手術する人がいるのでその方にこのブログをご紹介しようかな~って思っています。

    そうそう、術後説明のビデオ見てみたいわ~。

  • pom

    9月 11th, 2012

    返信

    ウイ、マダ〜ム! よろしくー。
    ビデオ、今度ウチ来たらご鑑賞くださいませ。
    米村編は2〜3分で終わっちゃうんだけどね。
    東海大編のほうがもうちょっと説明が長い。こっちは主治医が取り出した粘液をビョイ〜〜ンと伸ばすところと、父のボケ発言が見どころかと思われます。

  • リーナ

    12月 19th, 2014

    返信

    始めまして。
    私、大阪在住のリーナと言います。
    今年の4月に家の近く(八尾市)の徳洲会病院でドックを受け右卵巣の腫れが手術対象の大きさと言うことで市民病院への紹介状を書いてもらい(八尾徳洲会では婦人科手術はしていないのです)そちらに移りMRIを撮ったところ境界悪性腫瘍の疑いってことで8月初旬に(小5の娘が夏休み中にと思い8月になりました)子宮、左右卵巣の摘出手術をしたところ…
    虫垂が異常に腫れて腹膜播種を起していることが開腹してわかりました。

    外科の先生を急遽呼んで大網、虫垂(原発)の切除もしたのです。

    『腹膜播種』そしてガン細胞の種類はいんかん細胞と(後に石橋先生が言うところの『顔つきが悪い細胞』)
    ゆう言葉を聞いたのは退院後数週間経ってからです。

    その間に胃カメ、腸カメなどの検査を受け異常なしでした。

    そしてネットで調べた私や周りは『米村先生』に!!と満場一致でした。

    市民病院から紹介状を書いてもらう際、
    『米村先生は通常の治療をしないんですよ?』とあまりいい顔してなかったという印象です。

    どんな治療が通常でないのかも全くわからないけど
    ここで治療しても化学治療だけで完治はないよね?と思い
    気持ちはもぅ絶対米村先生に会いに行きたい
    そして私の事診てもらいたいってだけでした。

    それから9月11日。
    岸和田徳洲会で初めて米村先生にお会いし市立病院の経過資料とその後慌てて受けたPETの資料(PETでは何も写らなかった)

    米村先生は
    綺麗にとれますと言ってくれて
    ここに来て良かった!流石名医なんやわって喜び束の間。

    話してるうちに『僕の今までの治療なら4分の1しか治せないねん…』(いんかん細胞の事ですね…)

    血の気一気に引き、頭かかえ付き添いの父や妹たちも
    変なため息ような声を出してた。

    『でも』と先生。

    『新しい治療方が効きますそれでやってゆけばいい』
    とおっしゃいました。
    新しい治療…
    どんな治療なんだろ?
    手術のやり方?
    全くわからないけど
    腹腔内温熱療法を同月末に受け同時にお腹のポートが埋められました。

    新しい治療とは
    抗癌剤ローテーションや二種類ミックスのかなり辛いものでした。

    3クール受けたら相当辛くなり4クール目の先週はお休みしてしまいました。

    罪悪感と焦りで次の診察が怖いなぁー
    見放されてしまわないかなって思ってたら今週の月曜の朝8時過ぎに米村先生から電話あって

    『元気になった?』って一声に鼻の奥ツンときました。
    そしてもぅ3クールしたし腹水も細胞診も毎回正常やし
    手術しようか?って
    26日手術に決まったのです。

    年末年始みんなをバタバタさせてしまうけど
    今年中に手術ならいいなって思ってのが急に叶ってしまってドキドキと不安で気持ちは逃避してるけど…

    だからこそponさんやちありんさんのブログ見ると
    とても励みになるのです。

    ほんとは病気ブログなんてよー書かんわって思ってたけど自分の記録、そして繋がりを持ちたい!
    それが一気に沸いてきたのです。

    長い文章、誤字脱字、話の前後を許して下さいね、

    偽粘液腫…とは違いますが米村先生にお世話になってる仲間としてよろしくお願いします。

  • リーナ

    12月 19th, 2014

    返信

    まだ、よくわかってなくてコメント
    重複させてしまいました。m(_ _)m

    • pom

      12月 20th, 2014

      返信

      リーナさん、はじめまして。
      コメントの編集機能がなくてごめんなさい。重複部分をただいまこちらで消しました〜〜。

      リーナさんは行動派だね! すばらしい!! きっとうまく事が運びますよ。抗がん剤治療は辛かっただろうけれど、気持ちが前向きだから良い方向にいきそう。

      米村先生は名医の中の名医だと思います。腫瘍だけでなく患者の心もわしづかみですっ。

      石橋先生も良い先生で面白いyo。石橋先生作、秋の俳句「ステテコを干して一息 月眺む」に続く冬の一句、聞いといてください〜。もちろん患者として心配なことなど、米村先生がいなくても気軽に聞けます。

      お仲間同士でもいろいろ情報交換してますので、なんかあったらコメント入れてくださいね。

      これからよろしくお願いします! ともに前進ですよ〜〜〜。

手術とICUの数日(その2の前に)

入院した日曜日のことはリアルタイムで書いたから飛ばす。手術当日の話に行くその前に、「入院診療計画書」という紙に書いてあった内容(全部ではありません)を転記しておく。

【入院診療計画書】
病棟(病室) 5やま
主治医以外の担当者 看護師 ○○○○  薬剤師 ××
病名(他に考え得る病名) PMP
症状 腹満
治療計画 切除
手術内容及び日程 腹膜切除、温熱化学療法
推定される入院期間 3weeks
その他 ・術前の検査から、手術を安心してスムーズに受けられるように援助し、術前後の異常の早期発見につとめます。
・術後の痛みを軽減する薬などについて説明を行い、服用方法、副作用の確認をします。

注1)病名等は、現時点で考えられるものであり、今後検査等を進めて行くにしたがって変わり得るものである。
注2)入院期間については、現時点で予想されるものである。

*****
すごい早さで書く米村先生の、崩し字を超えてもはや謎解きの域に達した文字と、看護師さんの小さめな文字で記入されており、最後に先生のサイン、私のサインで完成される、プロジェクトの計画書だった。(お医者さんの字って、なんかそーゆーの多いよね?)

「5やま」は5階山側病棟のこと。
「PMP」は腹膜偽粘液腫のこと。
入院期間は実際にはさらに1週間延びた。

手術とICUの数日(その1)

岸和田徳洲会病院で米村先生に手術していただいた日など、どんな流れだったか。手術を受ける方のご家族からお問い合わせいただいたので、このブログでも記しておこうと思う。今後、どなたかの参考になれば幸いだが、自分の備忘録でもあり、無駄な描写が多いのはお許しを。

【手術前から術後、一般病棟に移るまで。私の場合】
2011年6月24日(金)16:00 麻酔科受診
6月26日(日)14:00  入院
6月27日(月)8:30 看護師さんが準備に病室へ
   同日 9:00 病室を出て手術室へ向かう → 手術!
   同日 16:30頃らしい 手術終了。先生から家族に手術の説明
   同日 17:00前らしい ICUに家族が面会
7月1日(金)11:30過ぎ ナースステーション横のHCUに移動
7月2日(土)昼頃 一般病棟に移動

ICUに4泊か。よく我慢した!なんちゃって。それより手術時間が思った以上に長いことに、今さら気づいたわ。。。先生方、さぞお疲れでしたでしょう。さんきゅ〜!

【麻酔科受診】
月曜手術だと、前日に受診する麻酔科が金曜になる。しかし入院は日曜だから、遠方の者は大阪に留まるなら宿を取らなくてはならない。手術日決定時、米村先生が「木曜でもいいよ」と仰ってくださったが、親戚の家に泊まれるし、仕事の都合もあるからとその日にした。そうして私の「大阪夏の陣」(あるいは「関西弁短期語学留学」とも言ってたな〜)の幕は切って落とされたのだった。切って落とされたのは幕じゃなく腹膜だったけど。

さて、そんなわけで準備万端乗り込んだ大阪。関空から親戚の家に行き、甥の車で病院へ。麻酔科には同じく月曜手術と思われる親子らしき男性2人組が先客におり、甥と二人で順番を待つ間、きょろきょろと周囲を見渡した。場所が、確か手術室の近くだったからだ。月曜はドアを隔てた向こうに行くのだと思うと、さすがに緊張が走る。だものでわざとおどけて、馬鹿話などした。

ようやく私の番。麻酔科の先生の診察だ。麻酔の説明だけかと思ったら、聴診器で肺の音を聞いたり、いろいろ問診もあった。

「普段お酒は飲みますか?」

「飲みます。」

「週に何回、どれくらい?」

「ほぼ毎日。ビール1杯とほかにも。」

「飲んでますね。」

「そうですね。」

「入院すれば飲めません。」

「ハーイ。」(甥と私、ちょっと笑う)

「入院中はずっと飲めません。」

「アハハ。」(甥と私、さらに笑う)

「退院するまでずーっと飲めない。」

(私、作り笑いするも、甥、「おっさんこれ以上言うたらあかんで」な顔で無言)

そのあと、麻酔についての説明があった。術中術後の痛みを取るために、手首から点滴麻酔をするとのこと。それから、

「手術台で顔にマスクを当てますー。マスクから酸素が出てきますー。それから眠り薬が出てきますー。」

眠り薬! 手術の麻酔でも眠り薬と言うんだなあ。麻酔には痛みと眠りの両方があるから、それを説明するとそうなるか。

他にもいろいろ説明を受けたと思うが、忘れた。

こんな、ビミョーに「いちびり」かつ、あんまりウケない麻酔科の先生で大丈夫か?と思ったけれど、米村先生によれば優秀な先生とのこと。実際、手術台で見たこの先生は打って変わって?頼もしく見えたから不思議だ。

つい長くなってしまった。To be continued……

偶然の美容師

ひたすら便通報告になっているので、たまには違う話題を。話は去年の4月後半に遡る。

腹膜偽粘液腫がわかった婦人科手術を終えて退院し、家に戻ると、すぐそばに美容院がオープンしていた。

髪については思うことがあった。退院前に婦人科の先生から、今後は外科でポートを埋め込んでの抗がん剤治療となると聞き、言われた治療方法についてネットで調べ、脱毛は免れないと思った。(後に外科の先生から実際に示された服薬による抗がん剤治療は、それほど抜けないというのがわかったが。)

私のいた病室では、抗がん剤治療をしている人もいた。長く入院しているであろう彼女はとても明るく感じの良い人で、いつもお兄さんだか彼らしき人がお見舞いに来ていた。ときどきカーテンの向こうで嘔吐しているようだった。大変だろうに病室でもそういうそぶりを見せず、看護師さんを思いやる人で、かわいいスリッパと帽子がチャーミングだった。

私もあんなふうにニコニコしていられるだろうか、いや、ニコニコしなくちゃ。帽子かぶってニコニコしよう。イケイケなカツラかぶってガッツリつけまつげするのもいいかも? 病院内に置いてある、カツラや帽子のパンフレットを集めたりした。

毎日お掃除にきてくださる係の方が、「あまり患者さんと話してはいけないのだけれど」と前置きしながら教えてくれた。「私も抗がん剤治療したことがあるんですよ。治療前にベリーショートにしておいたほうが楽よ。そうでないと、落武者みたいになっちゃうからね。大丈夫、髪はまた生えるし、きっと元気になりますよ。」

髪はまた生える。でも、治療中は生えない。自分の長髪がいとおしかった。それで、しばしの間でもきれいにしておこうと、美容院に行くことにした。いつも会社帰りに銀座の美容院に行くのだけれど、退院したばかりでそこまでは行けない。そこで、新しくできたその美容院を予約したのだった。

「いらっしゃいま、あわわ〜〜〜!」

「うわわわ〜〜〜!」

私たちの叫び声に、店内にいる人全員が何があったのかと振り向いた。な、なんと、銀座の美容院で私を担当してくれていた美容師クンが私を迎えたのである。彼も私も本当に驚いてしまった。

「マジ?」

「なんでここにいるのよ。」

「先輩が作ったこの店に変わったんだ。ちょっと待って、、、オレ、担当するから。」

銀座に行かずして、いつもの人にお願いできるとは。ワタシの運はなんだかすごい。

あまりの偶然から、自分のそのときの状況を彼に包み隠さず話した。配慮してもらえて良かった。というのも、洗髪台で仰向けになって顔にお湯がかからないよう布をかけられたとき、突如パニックを起こしてしまったのである。1秒でも早く出たかったICUを思い出し、恐怖が襲って来たのだ。あのときは自分でもそうなるなんてと驚いた。

「髪ってさ、1か月にどれくらい伸びるの?」

「1.2cm。」

「ふーん。そんなワケで、次に来たときにはベリーショート、頼む。」

「わかった。カッコ良くするよ。」

次に美容院に行ったのは、岸和田の病院に入院する前。米村先生の治療法はベリーショートにする必要がない。前の入院では髪が長過ぎて不便だったので、雰囲気は変えずに少し切ることにした。

「ベリーショートにはしなくても良くなったから。切りたかったかもしれないけど。」

「よかったー。オレ、pomさん来たら、どんな会話すればいいんだろうってずっと悩んでいたんだよ。」

彼がホッとした顔を見せた。

「一応ロングと呼べるギリギリまで切ってください。」

ロングにこだわってのへんてこオーダーをする。私はあれから、ロングヘアが似合わなくなる歳まで長いままでいようと決めたのだ。

彼とは親子ほど歳が違うのが良いのか、かえって気楽に話せる。私ばかりが話すのでなく、彼が彼女の話題をすることもあるし、話題は広い。

「髪は1か月に1.2cm伸びるって言ってたじゃん? 手術で剃毛するでしょ。それでわかったんだけど、下も同じなんだよね。」

「ぶひひ!」

「美容師さんとして知っていても悪くない知識じゃない?」

「どうかなー。接客で使うには、ソレ、お客さんを選ばないとセクハラになっちゃうなあ。」

「そーかもねー。」

そんな会話もありーので、髪をやってもらうのである。

カットだけでなくカラーもお願いしているので、1か月に1度は行くようにしている。岸和田の病院を退院してから美容院に行ったときは、彼に「小さくなっちゃったなあ」と言われた。本当に小さくなってしまった。昨年末に言われたのは、

「白髪増えたよなあ。ま、仕方ないよな、今年はいろいろあったから。」

うんうん。「でも可愛く仕上げてよね。」

「はい、あなたを素敵にするのが美容師だからね。」

四国の彼女

岸和田の病院で手術し、一般病棟に移って間もない頃、談話室で私より若い患者さんと知り合いになった。名刺交換するがごとく、手首についたネームタグを見せ合う。

「私は横浜から来たの。」

「近くていいわね。私は四国だから遠くて。」

私のほうが遠いんじゃない? そう思ったが、彼女の顔があまりにも憔悴しきっていたので、そのまま話を続けた。(その後、他の人と話したときにも神奈川県の横浜と思ってもらえないときがあった。その人が言うには、神戸に「よこはま」があるという。調べても見つからなくて、今のところナゾ。)

「私、米村先生の手術を受けたの。」

「私もよ。手術して1か月経つんだけど、熱が下がらなくて。」

それで体がだるくてたまらず、ベッドで寝ているのも辛くて談話室の椅子に座りに来たのだという。

「何の病気?」

私がそう聞くと、彼女は「たぶん、あなたと同じよ」と言った。

そのときはそれしか話さなかった。確か7月に入ったばかりの頃で、彼女は首にタオルを下げ、身の置きどころのなさそうな様子だった。術後のつらさで落ちくぼんでしまったのだろう彼女の目を、その後、私は何度も思い出し、正直、怖かった。私もあなたと同じようになるの?

再び彼女に会ったのは、それから2週間は経っていたと思う。レントゲン室から出てエレベータに乗ろうとしたところ、彼女が入れ替わりにレントゲン室に来たのだ。

「久しぶり。」

声をかけたら、彼女がいきなり言った。「私、明日、帰るの。」

「え? だって、あなた、今。。。」

彼女は車椅子に乗っていて、介助スタッフに押されて来ているというのに?

「四国の病院に転院するのよ。」

普通、別れの言葉は「元気でね」だったりするけれど、なんて言っていいかわからなかった。「そう。。。」としか言えなかった。

今、彼女は退院して元気でやっているだろうか。どうか、元気になっていますように。すっかり元気になっちゃって生活していますように。

忘れないうちに

人間というのは良くできている。すごく辛かったはずの入院生活も、良いことだけ思い出して、辛かったことは忘れつつある。その証拠に、退院時は「ぜーったい、もう手術はイヤだ! だから絶対、再発しないぞ」と心に誓っていたけれど、今は万が一再発したらまた取ればいいんだし、とずいぶん心持ちが変わっている。

忘却万歳。でも、忘れないうちにいくつかとどめておきたいものもある。他人が見たら、取るに足らないことなんだけど。

  • ちゅっこ

    2012年11月12日(月)20:30

    返信

    その気持ち、すっごくよくわかります。

    • pom

      2012年11月13日(火)18:04

      返信

      ちゅっこさん、こちらにおいでくださりとってもとってもありがとうございます!
      ちゅっこさんもきっと同じ気持ちかなと思っています。

  • ちゅっこ

    11月 12th, 2012

    返信

    その気持ち、すっごくよくわかります。

    • pom

      11月 13th, 2012

      返信

      ちゅっこさん、こちらにおいでくださりとってもとってもありがとうございます!
      ちゅっこさんもきっと同じ気持ちかなと思っています。