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モノという集合体は ヒトという立体は
このガラスのような厚みも距離ももたないワタシのような
ソノモノに解かれた線たちが抽象のように
その中で増殖しながら
「あるひとつ(その中)」の連続に澄み通るとき
おもては澄んで一斉に幽かに光りつづける
それは流星群が鏡の海に沈んでゆく時の仄かな水面の光でもあり
左肺のユーモアや右頬の悲しみ
目に感じた風も 線と言えるとすれば
この白っぽい集合体 ある確かにある断層
澄むものと透過してしまうもの

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太陽の仕業 生る日の子
お日様に負けないように
光の呼ぶ声は
朝の雑草や土や石ころを照らす辺からも聞こえる
土に風 色をつくり
線と面は調和 絵は面の具象
たとえば線は自然なら 面はそれがつくる
線としてあるなら 面をともなう
面があるといえるのなら 線もともなっている
線は絵の中では物語 向こうの日の具象(シンボル)としての絵
I am blowing in the wind, everywhere, if that wind goes on over there.

ここから

二十歳前くらいのときかなあ 対人恐怖みたいな状態が続いたことがあった
人が生きてそこにいて歩いていたり喋っていたりすることの刺激を
感じるだけで痛くてたまらない
世界に重くて黒い雲が低くかかったかと思うと丸くぽっかり青空が見える
システム入替え時に起こるありがちな十代後半?
急に錆び付いたように重くなったペダル
さてベクトルはどちらに向いているか
どうやら世間で言うところの「逃げる」方向へ 逃げろと言っている!
ジブンの螺旋をそれまでとは逆向きに走ろう
必死で逃げてやろうと決めた
逃げ仰せれば天体を一周して自分の背中が見えてくるだろう
早い段階でそう確信していた
逃げはじめるととても面白い世界があった。
折角だから書いておこうと思う そう思うと書く事自体に熱中した
熱中してフルスピードで逃げている内に外面的にはいろいろな
ことが起こった
家族構成が変わったり 毎日通う場所が変わったり
絵を描いたり 描かなかったり
そのうち螺旋はほんとうにひと回りしたのかどうか
何冊にもなったノートがぷつりと増えなくなった
あたらしいシステムが稼働しはじめ 天気すらさほど気にならなくなった
今でも(何十年もたった今でも!)ときどき思い出すように
ノートを開く 読む為ではなく書く為に
もしその季節にMacがあってネット環境があったなら そいつは
“blog”にリアルタイムで書きなぐっていたのかもしれない
そうすることで取り留めの無いコトバたちも もう少し
違う意味を持ったのかもしれない それは時を超えて
今ここにあってもいいんじゃないか
ここにふとその時代が出現したとしても面白い
一回りしたはずの螺旋は もう一度旋回を始め
気がつくといまに立っているような歪み(今、居間、忌ま?)
それはきっと当時表現したかったことの一つでもあるから