Archive for the ‘05.術後生活(術後〜半年)’ Category

福島の桃

夏から秋にかけて、本当によく果物ばかり食べていた。

手術したことを知った友人、知人が、お見舞いにと送ってくれたりもした。病後でも食いしん坊の私なら食べられるだろうと、ご当地の巨峰やスイカ、旅先での珍しい大きな葡萄などが、あたかも示し合わせたようにうまい具合に時期をずらして届いた。ありがたく、本当に美味しく、そしてパクパクいただいた。

とある年配の方も、「毎年、知り合いの農家に手伝いに行ってもらってくるんだ」と言って、なんと桃を1箱くださった。とても立派な大きな桃がたくさん、福島の文字が入った箱に整然と並んでいた。

「福島産ですね」と私は言った。その時の正直な気持ちを言えば、頂戴するのはお気持ちだけにしたかった。

困った私の顔を見たその方はこう仰った。

「俺はそんなの全然、気にしないんだよ。」

気にしないのはそっちの話で、、、そう思いながらも、辞退するのは角が立つと、とりあえず頂戴することになった。

大きな桃で見た目もすばらしく、上等品だ。たくさんありすぎるので、実家に半分持って行ってみた。

「福島の桃をいただいたんだけど、食べる?」

「え? 大丈夫なの?」

「どうかな。わかんない。」

母は少しばかり考えていた。そしておそるおそる1つ手に取り、顔に近づけた。

「いい香りね。」

「うん、見た目も立派だよね。」

「一つ食べてみようかな。」

「うん、食べてみよう。」

私たちは「丸々一つは食べきれないかも」などと言いながら、各々、桃を剥き始めた。部屋中に桃の香りが広がる。一口食べると、甘く華やかな芳香とジューシーな果汁が喉を伝い、私たちはしばらく無言で食べ続けた。

「すごく美味しいね。」

「うん、すごく美味しい。」

歳をとってもますます生産地に敏感な母と不健康な健康オタクの私であるが、この頂戴した桃だけは、放射能にあまり汚染されていないことを祈りながら食べることにした。あまりにも美味しすぎたのである。

家族で1箱、しっかり頂いた。食べるたびに本当に美味しく、なのに切なかった。桃も、農家も悪くない。なのに、こんなに美味しいものが作れる土地が汚染されるなんて。なんとひどい現実なのだろう。

今年はスゴかった

今年のワタシ的流行語大賞は、もちろん「腹膜偽粘液腫」だ。次点として、「ただちに…でない」かな? 「原発」も私にとっては「原発巣」と重なってダブルでのしかかる単語だった。

リアルなジェットコースターに乗っている気分の1年だった。震災で困っている人たちの助けになれないことにいらだったりもしたけれど、先々、私が役立つこともあるはずと、思い直したり。また、知り合いの訃報を聞き、逆に自分が生きていることに申し訳なさすら感じてしまうこともあった。

人生について、こんなに考える1年はなかった。そして、いろいろな人たちに助けてもらった1年だった。

ありがとうございました!

今年最後の病院

今年最初の病院は、確か乳腺外科の経過観察で始まり、最後は内科の便潜血検査の結果で終わった(年内、突如お世話になることがないよう気をつける!)。今年は本当に病院によく行ってしまった。通算1か月以上、滞在しちゃったし。

先週半ばに無事、検便は提出できた。無事というか、慌ただしい中とっとと片付けたくて無理矢理。1度めが少ししか出なかったし、日にちを置かず2度めを採取したかったから、初めて「コーラックII」を使ってみた。ビサコジルと、便を柔らかくするというDDSなる成分が入っているとかで、センノシド系では効かないからいいかなと。すると、翌日するり。わー簡単に出た〜、とさくっと採取。一件落着。なはずだったが、その後、水様状の下痢に。出かける前にトイレ&トイレ、銀座医院に提出した後も近くのホテルでトイレ、会社に来てもトイレ。。。かなりの水分補給が必要な日だった。

結果を聞きに昨日、銀座医院へ。亀山先生から検査結果はマイナスと知らされ、なんだか勝ち誇った気分。

「ちゃんとできた?」

こども扱いしないでくださいよ、ちゃんと表面ナデナデしたもんね。で、便秘薬を飲んだことを話した。

「顔色も良くなっているし、大丈夫かな。」

「え? 便秘で顔色が悪いとかわかるんですか?」

「わかるよ。」

便秘で顔色が悪いとは、ほっぺたに「便秘です」って書いているよう。カッコわるー。。。

大腸内視鏡検査は、そんなわけで特にオススメということではなくなった。しかし、なんとなくやっておいてもいいのではという気分ではある。先生は、検便だと進行がんの8割だか9割だかがわかり、初期は10%くらいがわかる(確かそういう数字だった)と仰った。

「便は細くない? 便柱って言って、、、」と先生は指で輪っかを作った。

「うーん、すごく細いってわけではないです。でも立派なのは出ないけど。」

自分の従前比としては、前よりは細い。でも細い、とまでは言えないと思う。単純に食べる量の違いかなと。

「膨満感は?」

「その後、1度ありました。」

先週土曜の早朝、またまた膨満感と胃の痛みで目が覚めたのだ。出かける予定だったので不安だったが、1時間くらいでおさまった。あれは前日、そこそこ食べたからだと思う。

「内視鏡検査は胃もやったほうがいいね。」

「えー、胃?」

上も。。。しかし私自身、胃のほうがまずいかもと思ったりしたので、それもアリかも。どちらにしても、年末年始の調子を見てから決めることになった。

「お餅をあんまり食べないようにね。」

「は〜い。先生、今年、本当にお世話になりました。来年もよろしくお願いします。」

「もうそんな時期だね。ここに来たのは2月だったっけ?」

「3月です。」

振り返ればあっという間だ。なんだかんだ言って、先生をはじめ、周囲のサポートでうまいこと切り抜けられた気がする。先生、良いお年を。

もういいかい?

まーだだよ。

いきなりグルっと来て、準備どころでなく駆け込みセーフだった(それも出先で)木曜日以来、土日すら出番なし。

なかなかミッションが遂行できない。すごくいっしょうけんめい、お米食べたり(ためしてガッテンでやってた)しているのに。

今週はバッグに持ち歩くとか? バッグは網棚に載せてはいけない。忘れたりしたら、取りにいくのにかーなーり勇気がいる。容器には看護師さんが親切に私の名前を書いてくれてたし〜〜。

あ、、、会社のトイレは自動洗浄。立ち上がったら即、流れちゃうんですけどぉ!

どうなる?大腸内視鏡検査(ビミョーな展開の第3話)

そういうわけで、またまた火曜日に銀座医院へ。

この日の結論は、「とりあえず検便やろう!」なのだった。で、陽性だったら当然、内視鏡検査、陰性だったらまた考える、と。

また考える、って、、、結局やろうってことになるのでは? だって、検便で早期がんはわからないって亀山先生、以前、断言されてたし。。。

「先生、2回目がずっと出なかったら?」

「2日くらい出なかったら、1回目を先に持ってきて。2回目は後でいいから。」

ちょっとホッとした。プレッシャーに弱いタイプなもので。

「便は出てるの?」

聞かれると思ったので、手帳に付けていた。ふつう、女子が手帳に付けるマークの意味は「デート」とか「月に一度の、、、」だろう。なのに今は便が出たしるし。歳月は流れた。

「先週は3回出ました。ぜんぶ下痢。」

「それくらい出てれば、内視鏡、できそうだね。」

やっぱりやる気じゃん。。。岸和田でやって来いと言うくらいだから、営業トークでないのはよーくわかったけど。

「体重はその後どう?」

「微妙に減ってます。」

先生の顔がぴくっとする。センサーが反応したもよう。

「あ、食べられないから痩せたんだと思います。」

「アレは?アレ。」←YHフローレのこと。

「アレは、、、食べられるようになったし、もういいです。」

食べられないというのは量がイマイチ少ないってことで、あれこれ食べてるし!

診察室を出ると、後から先生が出て来て係の人にカルテを渡しつつ「便潜(←そう聞こえた)お土産付きね〜♪」。

しっかり中身入れてお返ししたる〜〜。でも出るかな。というわけで、新たなミッションが課せられてしまった。

どうなる?大腸内視鏡検査(とりあえず第2話)

火曜日に岸和田の石橋先生から、大腸内視鏡検査の件でお電話を頂けた。お忙しいところ、申し訳ない。

先生からは、レントゲンも見たけれど問題ないと思う、6月にお腹の中を開けて見てもいるのだし、今はしなくても良いのではないか、というようなお話だった。(先生の会話をそのまま載せたいのに、関西イントネーションだと私の頭が勝手に言葉を整理してしまうようで、要旨しか思い出せない。)

というわけで、「大阪・大腸内視鏡の旅」企画はあっさり流れた。

一応、このお返事について亀山先生にお伝えすべきと思い、銀座医院に電話した。すると亀山先生は、

「腸の外側は見ていても、内側は見てないでしょう?」

と仰る。この違いは、外科と内科の医師の視点の違いかもしれない。外科の先生は大事に至っていなければOK、内科の先生は大事に至る前に点検、ということなのかなと。

「便は出た?」

「あー、、、一昨日、出ました。昨日は出てません。今日も。」

もう少し便の様子を見て、来週どうするか決めようということになった。

便秘なのは腸が癒着しているからかもしれない。そうだとすると、内視鏡検査自体ができないのでは。。。ま、いいや、また来週〜ってことで。

気分転換に、あんこギッフェリでも買ってくるか。と思ってコンビニに行ったら、いつの間にか彼女は(彼かも?)「プレミアム」を冠していた。わーたーしーは普通のが食べたいの! 白いんげん豆のあんこがちょっとでも入っていたら不味くなる!って意見、少数派なのだろーか。

どうなる?大腸内視鏡検査(たぶん第1話)

亀山先生に大腸内視鏡検査を勧められていたことから、他にも気になることをついでに聞いちゃえ!なノリで、数日前に検査予約がてら銀座医院に行った。しょっちゅう病院行ってるよ今年は。

診察室に呼ばれ、先生から「20日はどうだった?」と聞かれた。シンポジウムのことだ。興味を持っていただいてとても嬉しい。先生は、腹膜偽粘液腫は悪い経過をたどると大学生のときに習ったという。ところが、私が自分で米村先生を探して(ネットで患者支援の会にアクセスしただけだけど)治療してきたんだから、と褒めて?くださった。また、私を最初に診察したとき(銀座医院に行く)、余命半年と思ったとも仰っていた。そして腹膜偽粘液腫でかえって良かったと。もし余命半年の病気だったら、今ごろ私は千の風。なのに便秘がどーのとか、更年期障害かもとか元気に騒いでいる。

さて、大腸内視鏡検査について、亀山先生が「ウチ上手いよ」な検査の先生と相談して検査OKとなったのに(開腹手術をしていると癒着で難しいらしい。何しろガッツリ切ってますから〜!)何を思われたか「とりあえずレントゲン撮っておこう」。あっかんべー&お腹触診プラス、レントゲンとなった。

「うーん。。。」

先生は撮ったレントゲンを前にうなっている(これを「読影」と言うらしい。カルテに「読影あり」って札が挟まってたから)。レントゲンで何がわかるのだろう? 職人芸なのだろうが、白いのがボワーっと写っているだけじゃん。

「これ、全部、便ね。」

「便!? 昨日、5日ぶりに出たんですけど。それもいっぱい!」

こんなとき「○○○ギッフェリ」なんて連想する自分は余裕なのか何なのか。(ちなみに、あんこギッフェリ、手術してから食べてないなー。でも、そもそもギッフェリって何?)

レントゲンには黒い部分もあって、もしかすると、その黒いところの3か所が良くないかもしれないらしい。亀山先生はあれこれ私に質問されたあと、意外なことを仰った。

「岸和田の病院に紹介状を書くから。そこでやったほうが良い。」

大腸内視鏡検査をやりに? わざわざ関西ですかい?

先生曰く、万一のことを考えて救急病院で、それも私の状況をわかっているところが良いと。てっきりこの後「ハーイ私が内視鏡検査担当の○○です」と真打ち登場かと思っていたのに、新企画「マイルを貯めよう!大阪・大腸内視鏡検査の旅」に変更となるらしい。

その日は、先生に更年期障害かも?なこととエストロゲンパッチ剤のことも伺ってみた。「かも?」で診断がつかない場合は、試してみるのが良いとのこと。治ればそれだったということになる。乳腺外科の先生が良いというならOK、血栓症等のリスクもあるにはある。ちなみに更年期障害に漢方はあんまり効かないんだよね、、、だそうだ。

「婦人科行くのより、内視鏡が先ね。年末年始はお休みになるから早くしたほうがいいよ。」

ということで、まず先に紹介状とレントゲンを岸和田徳洲会病院に送ることにした。岸和田の石橋先生にお電話で事情を伝え、送らせていただいた。ただいま、お返事待ち。

郵便が2通

今日、私宛に郵便が2通届いていた。

1通は、例のゼミの同期生からの喪中葉書。もう1通は、署名活動もしてくれた友人Mさんを介して、何年か前に友達になったスイス人のRさんからの手紙。

同期の彼の奥さんが亡くなって、なんで私は生きているのか? 前にも思ったことを、また考えてしまう。

彼の心中は察するに余りある。先日亡くなったゼミの先輩の、奥さんの気持ちも。最近、「千の風になって」の歌詞の意味がなんとなく分かった気がした。説明はうまくできないのだけれど。でも、彼らがあの歌の気持ちになれるまでは、まだたくさんの時間が必要に違いない。

スイスからの手紙は、私を励ますものだった。手紙には、彼女がこれまで彼や友人、ドクターに見守られながら化学療法や放射線治療をしていたことが、美しいカリグラフィで綴られていた。何年か前に彼女が来日したとき、2日間だけ会ったきりでそのままだったけれど、少し前に、Mさんから彼女もがんの治療をしていると聞いていた。MさんはRさんにも私のことを伝えてくれたのだった。

Rさんはもう仕事にしっかり復帰するという。良かった。。。私のこと、すごく心配してくれて、申し訳ない。でも、ありがとう。私も復帰したよ。

私たちの年代は、いろいろあるよね。。。

二人に、お手紙を書こう。

 

そうだ 乳腺外科、行こう

下の2段にある、超音波&乳腺外科。6月30日に行く予定だった。今年の1月に乳腺腺筋上皮腫の診察の際、定期的な観察をしなくてももう良いだろうが念のため、ということで、ラストの受診のはずだった。

ところが3月に婦人科のお世話になり、予約表が更新されるたび、この予約がぶら下がっていたのだけれど、キャンセルした。6月30日、私は岸和田の病院にいることとなった。

念のためだったから、つい後回しにしてしまっていた。それで思い立って昨日、会社を休んで東海大学病院へ。キャンセル時に予約のし直しはできないが、いつでも来ることは可能と指示されていたのだ。

キョーレツな待ち時間を覚悟したけれど、そうでもなく自分の受付番号が表示され、診察室へ。予約日に来なかったから「どうしたの?」と先生から聞かれてしまった。

「カルテ見ていただくとわかるんですけど、腹膜偽粘液腫になっちゃいまして。」

先生はPCのカルテをクリックしながら「珍しい病気になっちゃったねえ」と仰ると、紙に万年筆で「腹膜偽粘液腫」と書き付けた。

私は根治手術をしたことを話した。悪性か、低悪性かとの先生の問いに、「低悪性」と答えると、

「それなら良し。」

と仰った。そして、超音波をしてまた戻って来るようにと指示された。

超音波の場所に行き、女性技師に「上半身脱いで横たわってください」と言われ、やや躊躇した。で、「手術痕がまだ生々しいんで驚かないでくださいネ」と言うと、「どちらか切除されたんですね」と返って来た。挨拶代わりのトークなのに切除部位が多すぎなので「はい」とだけ答えた。

終わって、診察室前の待合室に戻った。しばらくして、次に呼ばれる番号に私のが表示されて待ち構えるものの、なかなか前の人が診察室から出て来ない。難しい話になっているのだろうか。ずいぶん経ってからドアが開き、私より少し若いくらいの、カッコいい格好をした女性が出てきた。横顔の、目の周りと鼻が赤かった。彼女が待合室を出た途端、大きく鼻をすするのが聞こえた。その日、彼女はどんな思いで眠るのだろう。私も鼻のあたりが熱くなった。

「コンコン、失礼します。」

診察室に入ると、先生は「さあ、結果を見てみよう!」と 、どこか気を取り直したようにPCに向かわれた。実は、さっきは私に微妙にムッとしているようだった。この先生はいつも穏やかなので、逆にちょっとした変化がわかりやすく、腹膜偽粘液腫についてよくご存知だったのを感心してしまったのがかえって失礼だったか(スミマセン)、この病院でないところで治療して元気になったというのが気に障ったかな、と思った。

先生は前の患者さんのことも、私のことも、とりあえずリセットした感じだった。

「ええと、、、もう1個増えてるよー。」

「うにゃ? 念のためってことで来たんですけど。」

「ざんねーん。また半年後!」

そして、先生は腹膜偽粘液腫についてどの病院で手術したのか、術後の経過観察はどうするのかなどを質問された。私は先生が病気の治療について興味をもってくださったことが嬉しく、今日の先生のカフスは水晶?なんてチェックしながら質問に答えた。

その日は、先生にエストロゲンのパッチ剤を使うのはどうかというのも伺った。長期でなければ問題ないだろうとのことだった。

(そうそう、次はマンモグラフィと言われ、「胸がぺっちゃんこになっちゃって、挟めないかもしれないんですけど~!」と訴えたら、力強く「挟みます!」とのお答えが。「挟めます」でなかったのがキビシーながら、とりあえずペチャパイでも大丈夫らしい。。。)

「難病認定嘆願書」署名ありがとうございます(3)

11月20日、計131名分の署名を腹膜偽粘液腫患者支援の会に持って行きました。

銀座多嘉山さんのご関係の方、義妹のお友達の皆さん、そのほかにも署名してくださった皆さん、ありがとうございました。

このほか、電子署名をしてくださいましたEC88の皆さんにもお礼申し上げます。

20日のシンポジウムで米村先生が話されていましたが、難病認定嘆願書の署名が当時50万人に迫る勢いで集まっていたのが後押しとなり、厚生労働省の難治性疾患克服研究事業として、先生方の研究「腹膜偽粘液腫の本邦における発生頻度・病態の解明・治療法の開発」 が採択されたということでした。ふつう、民間レベルではなかなか採択されないことなのだそうです。これも署名がたくさん集まったからだそうです。

でも、不思議なのは研究期間はたった1年。1年で結果を出せっていうのは、普通に考えてもやたら厳しい気がします。引き続き必要と判断されれば3年に延びるらしいですが。3年間になってほしいものです。