ここではそれぞれの場で循環するのが理にかなうことともいえる たとえば僕なら僕の向こうの日がそれぞれの形骸(ワタシにも)に呼びかけて それぞれの朝が明けるたびに場を得れば波紋のように 一瞬明るくなり 朝がいつか途切れたときの不安は死のように 呼びかけることはワタシが感じること見ること聞くことなどでもうはじまり 起きているのなら歩きつづけ変わりつづけ呼びかけつづけている この形骸というかたまりのどこでも
Comments are Disabled
Comments are Disabled