箍
動けない、というか動かないことについて考えていました。
自分のこと。この1年、もちろん仕事でむりやり動かす
ことはあっても、本当の意味で動いてなかった。
発端は、過労だったのかも。半年間週3時間程度の睡眠で
ぶっ通したら、さすがに壊れて、そこからは1cmも動いていない。
可能性っていうことをいつも考えていました。自分に与えられた
全ての可能性をONにしておきたいと思っていた。
誰も書いたことのないデザインをつくること、ディランの歌を
生で目の前で聞くこと、プロ野球の4番になること、
誰かと結婚して子供を作ること、誰かを殺すこと、
自分を殺すこと、月へ行くこと
したいか、したくないかに拘らず全部残しておきたかったんです。
「たが」を全部はずしていたら、平らなテーブルにこぼした
ミルクのようにだらだらと方向を定めず、とりとめなく。
集中するってことが嫌だったのは、せっかくONになっている
(と思っていた)可能性を畳んでしまうような気がして。
でもそれはベクトルを分散させて逆に「ここ」は止まってしまう
ことになるのかもと、ようやく気がついた気もして。
でも集中するなんてやっぱり嫌だ。何かありきたりじゃない?
集中力とかさ。こぼれたミルクも、向こうとこちらをせき止める
岸をつくれば流れはできる。流れる方向に集中するのではなく
向こうとこちらの岸も忘れないでいたいし、流れて来た方位も
知って、そのうえで流れるなら流れればいいと思う。
四方穏便に済ますなんてことはできっこないんだぜ。
って言ったのは誰だったか。
全ての可能性をオンにしておきたい。これがいかに甘く生半可な
ことかに気付くべきだ。いくつかをしっかりオフにしてこそひとつの
可能性はようやく生まれるんじゃないのか。
走ること。生半可への怒り
食うな、デブ
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