一人が好きだとかきらいだとか無理に思ってみたり、ジブンの内面に向かっているようなふりはもうやめよう。また、誰かとワタシの間のうえ(どこか)で「仕事」をしたいと思った。わかりやすい誰かはいないけれど、一人思い出した人がいるよ。会っていたのは僕の始めの記憶の辺りだけだけれど、幼い頃はいつもいっしょにいて、いっしょに何かをつくっている(捧げている)ような気がしていた。いつかまた遊べると思っていた。今思い出せるのは、そのヒトが「いた」ということと、ワタシとの間の色合いの断片。僕の中の静かな辺りや、想像のもとはその時にもらった時間と空間だと思う。ほんとに久しぶりに思い出した、いい正月を迎えた。
霧の中、飲み込んだつもりのカプセル錠がのどに閊えている。白くて、滑らかだったのに。大きなカプセルが、車両置き場の新幹線のように。
それは、身体運動と深い関わりがあるような気がする。なにかと体も頭も動かしていたただ若い頃は起動している方が普通だった。それでもときにはこんがらがってエラーしてしまったことも覚えている。今は停止しているのが普通になってしまった。ただ、このディスクは死んではいない。果てしなく足で体で歩いてみればいい。
いつものように、一つの完成図を、「起動していた感覚」を想像すれば、体の-血の-細胞の-興奮をつれてくる。落とし錠がすとんとはずれて全ての風が波が、助走を始め止まらなくなる。
臆病なのかな。ヒトのことをこんなに心配してしまうのはどうしてだろう。するとそれと同じくらい縛られたように動けなくなってしまう。その人の所へ行って会うことの怖さを解ってくれるヒトなんていないだろう。だめな人間だと言われるのが落ちだ。いいや。