この記述は岸和田の病院で当時を思い出しながら、実際には7月12日に記しました。
ICUには術後24時間入ると聞かされていたが、こんなに長く辛く発狂しそうな24時間は過去に経験がない。
自分自身は背中に硬膜外麻酔、首や左手首から各種点滴の針が固定され、お腹3か所からは排出物のドレーンが出ているし、尿も導尿。胸には心電図、指先は酸素を測る計器、鼻の奥にはチューブが入っているし、酸素マスクもつけていた。そして脚には弾性ストッキングの上からご丁寧にフットポンプが巻き付けられ、身動きなぞままならない状態である。
・・・腰が痛い。看護師さんにやや体を横向きにしてもらったりするのだが、傷の痛みなんかより、腰が痛くてたまらない。
絶飲食で口の中も気持ち悪く、うがいを1度させてもらった。
部屋はだだっ広いことだけがわかる。自分は一番端のベッドだというのもわかった。しかし眼鏡を持ち込ませてもらえなかったため、何も見えず、恐怖が募る。隣の60代の男性はICUシンドロームになっており、時々、看護師に悪態をついた。私は、なぜかその男性が「◯◯さん、起き上がっちゃダメでしょ」と言われるたびに、私の顔を覗いているのではないかという錯覚にとらわれた。
なぜ男性が60代と知っているかというと、看護師さんが何度となく名前や年齢、ここはどこかを確認するから。
でも、あの環境ではおかしくなって当たり前だと思う。時間もわからず、何時かと聞くと、さっき聞いた時からほんの数分しか経っていなかったりする。単調で、時間の流れも感じない空間は、1秒がとても長い。もっと音楽をかけたり、いろいろなくふうをしてほしい。
とにかく辛く、でも24時間は出ることができないなか、私は、腹膜偽粘液腫について知っていることを何度も何度も反芻しつつ、出られるのを待った。