夏から秋にかけて、本当によく果物ばかり食べていた。
手術したことを知った友人、知人が、お見舞いにと送ってくれたりもした。病後でも食いしん坊の私なら食べられるだろうと、ご当地の巨峰やスイカ、旅先での珍しい大きな葡萄などが、あたかも示し合わせたようにうまい具合に時期をずらして届いた。ありがたく、本当に美味しく、そしてパクパクいただいた。
とある年配の方も、「毎年、知り合いの農家に手伝いに行ってもらってくるんだ」と言って、なんと桃を1箱くださった。とても立派な大きな桃がたくさん、福島の文字が入った箱に整然と並んでいた。
「福島産ですね」と私は言った。その時の正直な気持ちを言えば、頂戴するのはお気持ちだけにしたかった。
困った私の顔を見たその方はこう仰った。
「俺はそんなの全然、気にしないんだよ。」
気にしないのはそっちの話で、、、そう思いながらも、辞退するのは角が立つと、とりあえず頂戴することになった。
大きな桃で見た目もすばらしく、上等品だ。たくさんありすぎるので、実家に半分持って行ってみた。
「福島の桃をいただいたんだけど、食べる?」
「え? 大丈夫なの?」
「どうかな。わかんない。」
母は少しばかり考えていた。そしておそるおそる1つ手に取り、顔に近づけた。
「いい香りね。」
「うん、見た目も立派だよね。」
「一つ食べてみようかな。」
「うん、食べてみよう。」
私たちは「丸々一つは食べきれないかも」などと言いながら、各々、桃を剥き始めた。部屋中に桃の香りが広がる。一口食べると、甘く華やかな芳香とジューシーな果汁が喉を伝い、私たちはしばらく無言で食べ続けた。
「すごく美味しいね。」
「うん、すごく美味しい。」
歳をとってもますます生産地に敏感な母と不健康な健康オタクの私であるが、この頂戴した桃だけは、放射能にあまり汚染されていないことを祈りながら食べることにした。あまりにも美味しすぎたのである。
家族で1箱、しっかり頂いた。食べるたびに本当に美味しく、なのに切なかった。桃も、農家も悪くない。なのに、こんなに美味しいものが作れる土地が汚染されるなんて。なんとひどい現実なのだろう。