Archive for 2012年03月26日(月)

「わたしドラえもん」からの脱却

手術後、カロリー補給に甘いものを食べていたら、すっかり甘いもの好きになってしまった。

最近のマイ・フェイバリットは以前から好きだったチョコレートのほか、ランク外からいきなり躍り出てきたどら焼きである。バターたっぷりのお菓子がおいしく感じなくなってしまったので、和菓子系、それも「食べた」と実感があるのが良いのだ。

どら焼きはこのところ、毎日のように食べているかも。でも1個ずつコンビニで買う。何個入りとかだと、1日にいくつも食べてしまいそうだから。

毎日買っていると「今日もドラえもんが来たよ」とコンビニの人に言われそうなので、それはジャン・レノに任せて、時々は、誰かについでに買って来てもらったりもする。

とそんな苦労もしつつの先週、神保町に用事があったので、ああそうだと、甘味屋でどら焼きの親戚っぽいものを買った。

会社に戻ってから机の上に取り出したるは名物「大丸やき」。

超久しぶりのご対面。前はそんなに魅力を感じなかったけど。今はとってもす・て・き。

1日置くと味がなじむんだそうだが、待たずに1個食べてしまう。どら焼きと人形焼きの中間みたいな感じ。残りは皆にあげて、と言いながら、味をなじませたのも食べるため、ちゃっかりプラス1で買っていた。

あまりに甘いものばかり食べるので、さすがにこれはいけないかもと思い始め、昨日あたりからおやつに生アーモンドやクルミも登場させることにした。生アーモンドはがん予防に良いとか。魅惑の甘いお菓子の摂取が少し減らせた気もする。消化は悪そうだけれど。

死ぬなら突然が良いかどうか?

いきなりまたこんな話で。

いつお迎えが来ても良いと思えるまで生きられたら、突然が良いなあ。でも、それよりずっと前だったら?

たとえば、災害で突然死ぬのと、病気になって余命宣告されたのち死ぬのを選ぶなら(そんなこと言うのは不届き者と言われるかもしれないけれど)どちらを選ぶか。

自分の死を現実として見つめる時間がないほうが良いか、あったほうが良いか、または、死を予告してほしいかほしくないか、という質問にも置き換えられる。とりあえず、どちらも肉体的な痛みなどは伴わないものとして。

弟は「俺は突然のほうがいいよ」と、姉のこんな質問にそう答えた。姉の私はといえば、その反対かなと思う。

死ぬのは怖いし、存在しなくなる事実を見つめる時間があるのはとてもつらい(だから宗教ってあるんだなあと、この歳になってやっと分かった。死後の世界もあるなら、安心?だし)。しかし、何もわからず突然は、死への怖さやつらさがない反面、あまりに無情な気がする。

生きて、死ぬ。当たり前のことなのにいざ自分のこととして考えると、なかなかに難しい。

余談:死ぬのが怖いくせに、大学病院のICUにいるときと、岸和田の病院で激痛に耐えているとき、恥ずかしながら、もしこれがずっと続くなら死にたいと思ってしまった。そんなことごときでと今は笑ってしまうが。バカな私が分かったこと、それは、耐えられない苦しみから逃れられないとき、死んで楽になりたくなる。苦しみは今だけだと思えれば、死のうと思わず耐えられるということも。