いきなりまたこんな話で。
いつお迎えが来ても良いと思えるまで生きられたら、突然が良いなあ。でも、それよりずっと前だったら?
たとえば、災害で突然死ぬのと、病気になって余命宣告されたのち死ぬのを選ぶなら(そんなこと言うのは不届き者と言われるかもしれないけれど)どちらを選ぶか。
自分の死を現実として見つめる時間がないほうが良いか、あったほうが良いか、または、死を予告してほしいかほしくないか、という質問にも置き換えられる。とりあえず、どちらも肉体的な痛みなどは伴わないものとして。
弟は「俺は突然のほうがいいよ」と、姉のこんな質問にそう答えた。姉の私はといえば、その反対かなと思う。
死ぬのは怖いし、存在しなくなる事実を見つめる時間があるのはとてもつらい(だから宗教ってあるんだなあと、この歳になってやっと分かった。死後の世界もあるなら、安心?だし)。しかし、何もわからず突然は、死への怖さやつらさがない反面、あまりに無情な気がする。
生きて、死ぬ。当たり前のことなのにいざ自分のこととして考えると、なかなかに難しい。
余談:死ぬのが怖いくせに、大学病院のICUにいるときと、岸和田の病院で激痛に耐えているとき、恥ずかしながら、もしこれがずっと続くなら死にたいと思ってしまった。そんなことごときでと今は笑ってしまうが。バカな私が分かったこと、それは、耐えられない苦しみから逃れられないとき、死んで楽になりたくなる。苦しみは今だけだと思えれば、死のうと思わず耐えられるということも。