ブログを始めてから1年以上経った。いつ病院に行って、どんなふうで、そのときの気持ちは、といったことを書き留めておかなければ、忘れっぽい私はあっという間に記憶が曖昧になるだろう。それではもったいないではないか。なぜかそう思って始めたのだった。
始めるにあたり、どんなところでどのようにするかを考えた。
以前にも書いては打ち捨ててきたブログが、実はいくつかある。オール非公開でやると続かない、というのは経験済みだ。だから人の目を気にすることで続けられるよう、公開することにした。
よくある大手無料ブログサービスのように、広告が出るのは自分の好みではない。とくにその頃は、通販サイトと連動している他人のブログに、私へのおすすめ商品が出てくるのが耐えられなかった。もしかして、に備えて、医療用ウィッグやタオルでできた帽子などをチェックしていたから、それが唐突におすすめされるのが辛かったのだ。
まあそんなことより、もっと重要なこととして。万一、自分が死んだらその後ブログをどうするか。誰かが閉じようにも、パスワードがわからなければ放置せざるを得ない。とりあえずきちんと考えておかなければと思った。
ほかにもいくつか要望があり、それらを満たすブログを立ち上げるべく、大学病院を退院してきたその日、学生時代から親しくWEBに明るい友人に電話で相談した。
これこれこういうわけでブログやりたくて、それで、、、なんて話しているうちになぜだか涙声になってしまった。すると気の優しいこの友人は、そういうことであれば自分のサイトの一部を貸してあげると言ってくれた。そこまでお言葉に甘えるつもりはなかったのだけれど、万一のときにはこうしてくれとお願いできる人である。こういうことに疎かったり面倒くさがりだったりな身内より、よーっぽど信頼できるのである。そのうえ、こちらの要望を満たすものを用意してくれるという。渡りに船とはこのことだ。そんなわけで、ありがたく間借りさせていただくことにした。
最近、この友人から「よく続いているねー」と言われた。私の飽きっぽい性格を知ってるからである。
この調子だと、庇を借りて母屋を乗っ取る勢いだ。ごめんね〜、もはや長生きする予定なんで、ぼやぼやしてると乗っ取っちゃうわよー!?
klois
2012年05月26日(土)19:25
PONちゃんにとっても周りの人間にとっても大きな出来事だったと思います(もちろん当人の心身にかかった負荷はどれほどだったことか)。生き死にのことどころか自分の年齢すら頭に無かった僕もガツンと一発食らったような気持ちでした。共通の友達のことなんかもあり、ものの考え方の一部が明確に変わったと自覚しています。
「大家サイト」で一番活発に動いているのはここなので、すでに母屋も明け渡した気持ちっす。でもそれが何だかとても嬉しいです。
こちらも漸くリスタート。母屋の隅でゴソゴソやりはじめましたよ。
pom
2012年05月26日(土)20:46
kloちゃん、コメントありがとう。
それから、いつもお世話になっておりやす〜〜。居心地よく居座らせてもらってますゼ。当分出て行かないからな、オレは。
そうなんだよね、kikuちゃんが亡くなって3か月と経たずしてワタシ癌かも!?だったから、あの時は、もし死んでもkikuちゃんが待っているから怖くないんだ、コーヒー談義とか、kloちゃんのドジ話とか、ずっと楽しく話せばいいんだ、なんて、そんなふうに思ったよ。
彼の一周忌とかすごく気になっていたんだけどそのままだったので、今度、kikuちゃんちかkikuちゃんの墓参り、行こうよ。あそこのおばさんにも会いに。
うちらはまだこの世にいるんだから、kikuちゃんの分までいろいろガンバローゼ!