仕事が今もって忙しく、あっという間に3週間経ってしまったが、池田病院の話はなお続く。(これを含めてあと3つ載せようかと。)
私は今回、知らない人に声をかけてみようと思っていた。というのは、Happyさんにいつも感心させられていたからである。彼女は何人もの患者さんと知り合いで、それゆえ情報量も多い。順番の話も彼女から教えてもらった。
Happyさんに何故知り合いがそんなにできるのか尋ねると、「たまたまお隣に座っていた人に話しかけただけ」と事も無げに言う。そう言えば彼女と知り合いになれたのも、彼女が私に話しかけてくれたからだった。この私はというと、リアル世界では自分からあまり話しかけられないのだ、意外にも。HIMEさんだって、HIMEさんから話しかけてくれて宅飲み仲間?にまでなれたのである。
よし。難しいことではないのだから、私もひとつやってみよーではないの。
てなことで、血液検査で呼ばれて待っている時に、お隣に座った女性に話しかけよう。
と思ったんだけど、やっぱりやめとくか。。。だって、隣の女性は脱いだジャケットを握りしめて下を向いている。深刻な雰囲気が漂っていた。「寒いけど良い天気ですね」なんて話しかけたら、きっと困った顔をするだろう。
いや。ここはどんな人の集まりか私は最初から知っている。そこで話しかけようというのだ、この状況は想定内である、よーし、、、「あのう、話しかけてもいいですか?」
彼女に発した第一声、なんとも間抜け。話しかけてもいいですか、なんて。
でもその女性は「あ、、、はい」と顔を上げてくれた。マスクをした彼女は30代くらい、もし元気だったらきっと活発な感じの人。
「この病院って、昭和の香りですよね。」
急に声をかけられ、さらに間抜けなことを言われて、「フフ」と彼女が小さく笑った。
「私は腹膜偽粘液腫で診ていただいているのだけど、あなたは?」
「ふく、ま、く?」
腹膜偽粘液腫を知らないならば、どこかのがんから腹膜播種となったのだろう。
「私は大腸がんで。。。」
彼女はそう答えるや、先ほどまで思い詰めていた気持ちが吹き出すように顔がゆがんで、目から涙がしみ出してきた。「まだ、小さなこどもが、いるんです。」
その日に初めて米村先生の診断を受ける人だった。うん、わかるよ、こどものためにも死にたくないよね。口に出して言わなかったけれど、私の気持ちは伝わったと思う。
「大丈夫。先生に手術してもらって元気になっている人、いっぱいいるし。」
そうだ、大腸がんから結構元気になっている人を紹介しよう。そう思った。
「私は大腸がんのことはわからないから、同じ病気の人をあとで紹介します。」
血液検査が終わってから、紹介したい人を彼女の元へ連れて行った。どんな話をしたか、その場にいなかったのでわからないが、少しは気持ちが楽になったはずだ。
ちなみに彼女に紹介した人、実はその日、初めて知り合いになった方。もちろんHappyさん経由である。Happyさんとその方とは、もはや年賀状のやりとりまでするような間柄らしい。で、二人が話しているところにNさんと私が加わって、先ほどまでワイワイとやっていたのである。
2年前だかに進行性の大腸がんがわかり、以来、米村先生にお世話になっているというその方は、今も抗がん剤の服用はしているそうだが、とても元気に見えるし、話す内容からして明るく、憂いがない。私からのお願いも「いいわよ、お互い様だし」と快く引き受けてくださった。
***
私の診察が終わってからだったかその前だったか、あの彼女がいるのに気づかず通り過ぎるところを、彼女のほうから私を見つけてくれた。ご主人らしき人も一緒だった。
手術して退院して、だんだん元気になっていくのだ。彼女は次は経過観察のためにここへやって来るはずだ。そんな気持ちで、私はまだお互いに名前を知らないその人に挨拶した。
「来年、再来年も、元気でまたここで会いましょう。」