もう2か月も前の話になってしまう。
老紳士さんから突如電話があってお会いした。その頃私は展覧会でバタバタしていたのだけれど、その日はちょうど休廊日で、老紳士さんが会社近くまで来てくださっていたこともあり、近くの喫茶店でお会いしたのだった。
老紳士さんは、もやもやとした不安な気持ちを紛らわしたかったのだった。米村先生の受診日を控え、もし結果が悪かったらどうしようという思い。そもそも奥様との二人にとって病院まで行くのを考えるだけで大変という思い。。。
お会いしてみたら、以前のような思い詰めた雰囲気は取れていて安堵した。痛いと仰っていた腰も、痛みのブロック注射でなんとかやれているという。
受診結果と先生の診断はたぶん前回と変わらないだろう。80代の小さな小さな体に、手術やら何やらはかえって酷である。
きっと大丈夫ですよ、と話しながら、老紳士さんの日頃の生活などもお伺いした。実は老紳士さんは定年後に料理を勉強してお上手だと判明。感心してしまった。また他にもいろいろ話してしばし時間を過ごしたのだった。
「そういえば、Kさんのことなのですがね。」
「お家がお近くというあの方ですね?」
「以前はよくお庭に出ていらっしゃるところをお見かけしたのですよ。ところがこのところずっと見えなかったのですが、最近お会いしましてね。それでお話ししたのです。。。」
「どうかされましたか?」
なんでもぽんぽん話される女性のKさんは、娘さんが腹膜偽粘液腫である。「患者の家族」という共通項で、老紳士さんは会えば立ち話をされるようだった。
Kさんの娘さんと私は、岸和田で手術・入院した時期がちょっと重なっている。しかし入院しているときにお会いする事はなかった。娘さんはその後も思わしくなかったようだ。彼女に実際に会ったのは、去年の池田病院の待合室で。お母さんと違ってシャイで本当に痩せっぽちの、とっても若い女性だった。
「娘さん、数か月前に亡くなったのだそうです。」
「え?」
しばらくは何も手につかなかったKさんも、今は気持ちを切り替えて趣味の集まりなどで忙しくしていると仰っていた、と老紳士さんは続けた。
「そうでしたか。Kさんが早く立ち直れたのはよかったです。」
そう言ったけれど、自分が実際に会ったことのあるお仲間で、そのような結果となった人がいて、改めて、この病気は一筋縄ではいなかないのだと思った。
「お年寄りは進行が遅いらしいですからね、ズバリ、ぜ〜んぜんダイジョーブです、奥様は。」
そんなことを言ってみたが、老紳士さんはというと、Kさんの件で動揺したわけでもなかったらしく、たいした返答もなく流されてしまった。なので、逆に老紳士さんが動揺してないんだから、いっか〜と思った。というか聞いて動揺したのは、私のほうである。
彼女が最初に手術したときには、すでにかなり進行していたのだろう。もっと早く対処できていればもっと違ったかもしれない、いや、それもわからないことだが、ただ私たちがその気になればできることは、「早期発見、早期対処」である。これは運命に抗うことではない。運命を自分で切り開くのだ。