うわ〜〜〜、お久しぶりっす、ぽんぽこ日記。今年もよろしく、ぽんぽこ日記!
と、新年改まっての初投稿は、「会食はツラいなー」が主題である。
ずーーっとこのところ、なんとなく膨満感なのである。で、なんとなく太ってもきている気がする。これは良くない感じがするのである。イケナイ気がするのである。
なのに、人と食事する機会の多い季節である。
自分一人だと、自分のペースで食べられるので問題ないが、人と一緒だとそうもいかない。食べたくない時間に食べないといけなかったり、そんなに食べたいものではないものを食べたり。それから、食べるペースが私は遅いので速度を上げないといけなかったり。
それが特に、気楽でない会合だと、ホントもー困るしツラいのである。
なんでこの世は、たっぷり食事しながら懇談しないといけないのか? そんなに食べなくても話はできるじゃん! いっそお茶でいいじゃーん!!
でも数年前の私だったら、今の私の気持ちは100%理解できなかった。これはそういう胃袋の持ち主になってみないとわからないと思う。
新年会でフルコースとかいらないから。中華はテーブル回らないほうがいいから。。。
手術して随分の間そんな会はパスしていて、だんだん食べられるようになって会に出られるようになったときの「シャバへの復帰感」といったらそれはもう本当に嬉しかったものだが、今はもう十分シャバシャバなので、どちらかというと、団体の会食みたいなのはもういいやって気分。(でもオシャレしてどこかに出かけたい気分はある。)
なんか、お腹空いた〜と思ったそのタイミングで、大好きなカレーとかをご飯少なめルーは減らすな!で、のーんびり食べるのがいいデス。(でもそれではオシャレして出かける機会はないなー。)
あめでぃお
2016年01月08日(金)08:36
はじめまして。
愛知県のあめでぃおと申します。
腹膜播種で検索してこちらにたどりつきました。
11月末に腹痛を訴え、開腹手術した主人が虫垂ガンからの腹膜播種といわれました。主人は入院中に五年生存率をみてショックをいうけて、向き合えないまま年を越し。
ただ言われるまま抗ガン剤をスタートして、
なるべくガンの事は忘れて過ごしたい、
しないといけない抗ガン剤と体力作りはしていこうと思うが余りきづかせないでほしいと言う状態です。
年明け早々にガンセンターのセカンドオピニオンを
私が働きかけて受けてもらいましたが、
目新しいアドバイスもなく。
四国の主人の叔父が胃がんステージⅣでリンパ転移あっても、術後10年経過していて、主人、主人の親は深刻にとらえてもらえず。
主人に米村医師のセカンドオピニオンを受けるようにお願いしたら、私の心の安定の為に話を聞くだけはとやっとオーケーしてもらうとこまできました。
主人はまだ46歳で、娘たちも小1と2歳。
私の中で色々な思いがめぐっていて、
でも、術後早々から出勤し、抗ガン剤のボトルをぶら下げながら出勤してがんばっている主人にどうやって話をすればよいのか日々とまどっています。
みなさん色々な葛藤があったと思いますが、
主人に向き合ってもらってもらう為に、
私はどうアドバイスをしたらよいのでしょうか?
とても初歩的で恥ずかしい質問ですみません。
感情としては急いでセカンドオピニオンを受けさせたいと思っているものの、抗ガン剤の副作用による主人の体調、仕事や小1の娘の学校などのために
主人の親への協力依頼の説得も全て私がしないといけない状態で、私がかなり煮つまりながら生活しています。
岸和田のボランティアの方に連絡をとって
予約出来そうな話でしたが。
体調、距離、預ける段取りを考えて草津の方にも
問い合わせしてみようと思っているところです。
長々とすみません。
セカンドオピニオンに連れて行っても、
主人がなんて言ってくれるかわからないけれど、
移動と診察待ちだけで疲れて、
話を聞くことが出来なければ考える事すら
してもらえない気がして。
すみません、ほとんどグチですね。
書き込みさせていただきありがとうございました。
pom
2016年01月08日(金)19:31
あめでぃおさん、はじめまして。
ご主人が虫垂がんからの腹膜播種とのこと、あめでぃおさんもご主人もさぞショックだったことだろうと思います。
虫垂がんからの腹膜播種は、腹膜偽粘液腫になる場合もあると思いますが、そのへんはともあれ、やはり私も米村先生のいらっしゃる病院に行ってセカンドオピニオンを受けることをお勧めします。
ご主人はあめでぃおさんの心の安定のために、で納得していただけてるようなので、まずは良かったです!!
ご主人のお気持ちもお察しします。突然、そんな状況になって茫然としてしまい、病気であるという事実をまだ受け入れきれてないのではないでしょうか。まだ信じられないなかで怖いし、病院でも「治る」って言われないし、、、でも家族のためにも元気を取り戻さないといけないし、とりあえず今を、毎日を頑張って過ごしていこう、と抗がん剤の点滴も何食わぬ顔で頑張ってるんだと思います。でも、抗がん剤はやはり副作用もあるわけで、本当は、すごく泣きたい気分でしょう。
米村先生は手術することを前提に話されると思います。手術で腫瘍を取りきって、免疫力を上げて、前向きに生活すれば、必ず良い方向に向かうはずです。
若いし、希望を持てる治療方法を探すために、ぜひ米村先生のセカンドオピニオンを受けてください~~。ってご主人に言って!!
愛知なら、いろいろなことを考えて草津のほうがいいかも。多少大変でも手術を早めにと思うなら岸和田かなあ。どちらにしても、米村先生あるいは米村チームが診てくれます。
あめでぃおさんも今は気持ちがいっぱいいっぱいで大変だと思うけれど、方針を決めればあとは進むだけだから。いろいろうまくいきますように!!!
あめでぃお
2016年01月09日(土)11:55
お返事ありがとうございます。
昨日草津のアドバイザーさんに電話をかけたら、
一月の池田病院?の診察でも予約出来る様に言われたため、今朝主人に伝えました。
本人は副作用でしんどいのか、
眠いと言って布団かぶって過ごしています。
主人の母に話をしたら、
は子守はするが
夫婦で話を聞きに行きなさい。
着いて行きたくはない。
連れて行くなら、
自分で覚悟して連れて行きなさいと言われました。
私がしている事は主人を苦しめてるだけなんでしょうか?
本当に日々葛藤の連続です。
夜体調がツラそうな主人をリビングに残しながら、
子どもたちの寝かしつけをして、
私もそのまま寝てしまいます。
私もそうしないといられない。
負のループを抜け出せなくてもどかしいです。
またセカンドオピニオンに行く事が出来たら報告します。
聞いてもらいありがとうございました。
pom
2016年01月09日(土)22:22
あめでぃおさん、いろいろお伺いしてみて、まだ、ご主人とお義母様は病気と向き合えていないのかもと思いました。
少し、時間が必要なのかも。。。
あめでぃおさんも辛いと思います。
ふと、私事ですが、思い出したことがあります。
自分が病気だとわかってまだ米村先生の存在を知らなかったとき、夫が、自分を残して死なないでくれ、みたいなことを言ったことがあるのです。
それを聞いて、私は夫の愛情を感じたと思いますか?
答えはノーです。
こう思ったのです。「なんて身勝手な人だろう、辛いのは私なのに、自分の心配をして」と。
なんかおかしいでしょ?その考え。
自分のことでいっぱいいっぱいになると、他人のことまで配慮できなくなるし、狭い考えの人間になってしまいます。それは仕方ないんです、だって、もういっぱいいっぱいなんだもん。
たぶん、ご主人もお義母様も気持ちがいっぱいいっぱいで、自分のことしか考えられないし、それどころかどうすべきかを対処するまでの気持ちになれてないのかなと。
きっと、ご主人はあめでぃおさんに辛く当たることもあると思いますが、それはそういうことなので、怒らないでくださいね。今だけだから。辛いから当たっちゃうんです。きっと、誰よりもご主人のことを考えていると、そのうちわかってくれますから!
ことを急がないほうが良いかもしれないですね。
あまり、うまいことが言えなくてすみません。
何かあったら、どんどん書き込んでください。辛いこととかは、ためこまず、吐き出したほうがいいからね!
ほかにも誰か経験者とかの意見も聞きたかったら、皆さんに聞いてみますから、そんなときは遠慮なく、質問してください!
SN
2016年01月10日(日)01:34
Pomさん
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
あめでぃおさん
始めまして。
SNと申します。
私も母親が腹膜播種てもう何年も米村先生に診てもらってます!
セカンドオピニオン、私は一番始めは一人で行きましたよ。データ持って。
母親は愛知のお隣の県に住んでますが、私が関東に住んでる関係で始め東京の癌専門病院で治療してましたが、その治療始める前に。
もう6年以上前でしたので、その当時は腹膜播種でいろいろ調べても「米村豊」先生のもろもろしかほとんど出てこなくて、母親は当時末期の癌性腹膜炎でしたので 米村先生のところへいかずに私の患者家族人生
終われないくらいに思って、一人池田病院に、セカンドオピニオンにいったのか大泣きしにいったのかよくわからない状態でしたが、でも、その時、私が患者本人ならこの先生のところにかかりたいなあと思いました。
それで東京の病院で抗がん剤やって、私の一人池田セカンドから2ヶ月後に今度は患者である母親と弟と三人でまた米村先生ところいって、弟は、ガイドラインでない治療に始め慎重でしたので、その場でどうなるかと思いましたが、米村先生がなぜか弟に「ここで治療する?」と聞いたら、弟が「お願いします。」と言って治療決定で、池田病院で抗がん剤やって、病院を岸和田にかわって手術してもらって今も岸和田に通ってます。
母親も当初、東京の癌病院でダメなら諦めると言っていましたが、途中から米村先生のところに連れてってと言うようになって今に至ってます。
やっぱり、県内の病院通うよりは大変ですし、患者さんご本人がそこで治療したいと決断しなければ、いろんな治療は難しいと思いますが、セカンドオピニオンで米村先生の見解を聞くだけでも全然いいと思いますし、実際治療までふんぎりつかず、セカンドオピニオン何回かいって治療なさるかたもいるみたいですし、そのまま地元の病院で治療続ける選択も当然あると思いますので
選択肢は多い方がいいと思いますので、セカンドオピニオンは、米村先生のご意見ききにいくみたいな
感じでいらしてみては?
私は関東から大阪に通ってますが電車なので楽です。北海道や沖縄からの患者さんは今まで見たことありましたが、最近外国から患者さんいらしてますよ。
さすがにびっくりしました。
これは私の完全な体験談です(汗)
突然すいませんでした。
Pomさん失礼しました。
またご連絡しまーす!
あめでぃお
2016年01月10日(日)17:57
pomさん、SNさん
ありがとうございました。
pomさんの思いを聞いてなんかハッとしました。
11月頭に腹痛を訴えはじめてからずっと一人で子育てに追われながら自分の時間を削り必死で調べ、
食事やら病状について検索し続けている私の姿が、
主人を追い詰めていたのかなと反省しました。
けれど私の、反省する気持ちを伝えられるのもしんどいと言う状態の主人。
必死な私と対象的に今まで通りパソコンでポイントサイト?等であそんでいたり姿を見ると。
虚しい気持ちが溢れてきて。
何をするのも大変だとは思わないけど、
正直疲れがたまってきています。
お叱りはうけないけど、
主人の両親に私の心配する様子は異常に
うつっている様です。
でも、セカンドオピニオンに行ってくれると言ってくれた事に感謝し、主人のペースで向き合ってもらえるよう、少しずつ話せるようがんばっていきたいと思います。
SNさんが言われた様に、セカンドオピニオンして考えると言う形でのぞもうと思います。
とりあえず、前泊?用の宿や診察が長時間の可能性を見て子どもを2泊預ける段取りの打ち合わせはしなくてはならないから、
そのためにも少しは話せる状態に持っていかなければと思っています。
がんばります。
リーナ
2016年02月01日(月)11:29
pomさん♪
遅ればせながら
今年もよろしくお願い致しますっm(_ _)m
そして
お久しぶりですぅぅうd(^o^)b
近況ですが
一進二退
一進一退
二進一退
繰り返しながら去年の12月で岸和田、米村先生のHIPECから1年が経ちました。
術後の排便障害に散々泣かされてきましたが
すこーーーしづつ
ほんまに
すこーーしづつではありますが
良くなってきてるようです(´▽`*)
お仲間さんが言いました。
薄紙を剥がすような感じやけど確実に良くなってゆくから焦らず頑張って!
上手いことゆーなぁ(・o・)!!と思いました。
ほんまそうですよね
昨日と今日比べても良くなってる気なんてしません。
むしろ昨日のほうがマシ!って日も多々あります。
が
こうやって1年振り返ると
めちゃめちゃいいやん!ってなります
確実に薄紙365枚剥がれたんやと実感できます
また違うお仲間さん、言いました
年単位で自分の身体視て。決して焦らず悲観せず
って。
ほんまに先輩お仲間さんには開眼させられたり
救われたり、時にはドクター超えたリアル経験からの
アドバイスで心強くなれたりします( ∩ˇωˇ∩)♡
さて、アタシ。
反面患者な人なのでなんの役にも立たないあくまでも
リーナ論??を話しますと。
あめでぃおさんやこれからHIPECを。と考えてる方にとっていっこも説得力はありません。
病歴、ざっくりと…
2014年4月、ドッグ入り
右骨盤内に何かあるぞ、右卵巣が怪しい。要再検査
右卵巣はギリギリアウトの大きさで手術の対象
嚢胞やろうと診断。
CT、MRI検査の結核右卵巣摘出したらオケとゆわれていたのに数日後、呼び出し。上の人の見立てで嚢胞ではなさそう。子宮、両卵巣摘出となりかなり動揺したけど承諾。
同年8月いざ開腹したら
「なんぢゃ!ごりぁ〜!!」
でした
虫垂がパンチクリンに腫れて先は破裂してそれが腹膜にあちこちに飛び散っていた!
外科の先生も急遽手術室に呼ばれ原発の虫垂、大網と
子宮、卵巣を切除したが飛び散ってるモノ、全て取れていませんと術後目覚めて即聞かされてちんぷんかんぷんでした。
その時の気持ちはやこの病院の非情さは割愛して、
妹、、娘、友達、アタシ、満場一致で米村先生とこにゆかねばっっ!!と9月に紹介状にデータを持って岸和田に。
「安心して下さい。取れますよ(⌒_⌒)」ぐらい簡単に
おっしゃる米村先生に神を見ました(*°○°*)♡!
アタシにはその言葉だけで充分!
この病気がどんなものなのかなんて知らなくていい!
だって治るんやもん
米村先生の手術がHIPECとゆう名前だって術後に知ったし
その手術のリスクさえも知らず、pomさんのこのブログさえちゃんと読めなかった。
怖い話しなんて一文も入れたくなかったから
ちありんちゃんってご存知でしょうか?
彼女のブログだけは何度も何度も読み返しました。
あんな風に治るんや、趣味のダンスだって3ヶ月で復帰したるでぇ、と思ってた。
リーナのリーナは怖がリーナ。
全部全部知ってしまうとヒビリーナ。
きっと手術するかしないかアホほど悩む。
知らないアタシは
早く要らんもん綺麗に取って欲しい!
出来たら今年中(2014年)に手術してもらいたいと思ってました。
そしたら、米村先生から直で電話あり12月26日できるでーやろか〜?と神の声!年末年始なんてどーでもいい!
お願いしますっ!!と言ったら1週間も無かった(汗)
抜けてるけど
同年9月には岸和田で腹腔鏡による手術をしてます。
抗癌剤で洗い流す、病巣確認、腹部ポート設置ですね
米村先生も患者の性格を見抜いてらっしゃいますよね
アタシには小難しい説明はしません
ただ綺麗に取れたよ(^_-)-☆と。
そんな脳天気なアタシを見兼ねて石橋先生(岸和田のこの病気のナンバー2の先生)は丁寧にわかりやすく絵を書きながら 頭に花を咲かせまくってたらアカンでと現実的な話しをして下さいます。
初対面では大嫌いな石橋先生だったのに今はアタシのナンバー1です(○´艸`)♡
話しは脱線してしまってますが
敵に勝つには敵を知れ!
なんですが
アタシは敵はもぉおらんし後は米村先生のゆう通り
後一年抗癌剤頑張るだけ。
そんな感覚でしかないんです。
全く役立たずでごめんなさい。
現実逃避なら毎日思うけど
この一年もまた地味地に薄紙剥がして
去年よりアクティブにやってゆくよっ°.*\( ˆoˆ )/*.°
役にも立たないのに長文、誤字脱字失礼します。
pom
2016年02月02日(火)03:54
リーナさん、コメントありがとうでござる〜〜!
後ほど、改めまして返信させてくださいませ。
リーナさんの経験、これから手術、とかの人にすごく参考になると思います。
pom
2016年02月03日(水)20:09
リーナさん、改めまして、コメントあざっす!
勝手にで申し訳ありませんが、最新記事にコピペさせていただきやした〜〜。
少しずつ、良くなっていっていて、私もなんだか嬉しいです。
手術って、悪いところを取るんだけれど、取るという行為は体を傷つけるわけじゃん?
それを元のとおり修復するのは、結局のところ自分自身になるわけで、どこまで自分自身の修復力、自己再生能力があるかってことだと思うんだけど、私の勝手な想像は、自己再生能力って「こうなりたい」と思うとそうなれるのかなって。
リーナさんみたいに薄紙はがして去年よりアクティブに、って思うと、そうなるんだろうって思うのです。
もうダメだ、と思い続けたら、やっぱりビミョーになっちゃうよね。
ってことで、リーナさんの感じ、とても良いなと。
まだ抗がん剤もやらなきゃだけれど、薄紙剥がれているイメージで、より美しく元気なリーナ様へ、いつの間にか脱皮?しているという感じでしょうか。
リーナさん、近況報告、本当にありがとうございます。これからもよろしくたのみまっす!
追伸:ちありんさんのブログ、知ってますよ! 「生ちありん」さんに会ったことあるし〜。あと、密かにリーナさんもブログやっているというのも知っていのだけれど、アメンバーでないから読めないんだよね。
リーナ
2016年02月04日(木)02:04
もし、アメーバに登録だけでもあればアメンバーになって下さい(*´∀`)
わけあって公表できなくて残念な環境でブログってるんです3?(;_;)
この調子でアホなことばっかしですがpom:さんに読んでもらえたら嬉しいです(^-^)