もう2年経つ、おはぎちゃんが旅立ってから。きちんと落ち着いた気落ちで記そうと思っていたことや、その他、いろんな思いがあって、今の今まで来てしまった。でもこのままいくと、いつまでたっても書けないかもだから、ちょっとずつでも、話が前後してでも記していくことにする。
おはぎちゃんは、このブログでは個人情報的なことから、「Cさん」など、呼び名を変えて登場していただいたと思う。腹膜播種になった女性だ。
タイトルで、「回顧」でなく「追悼」とすべきか、考えたけれど、追悼なんかしない!という思いで、回顧とした。
よく、「彼女は私の心の中で生きています」とかいうけれど、なんかそれって違うな〜って思う。おはぎちゃんやNEWさんが亡くなってから、私にはわかったことがあったのだ。
生きているかどうか、って次元でないところに、彼らは「いる」ってこと。肉体はないから「生きている」ってことにはならないけれど、「いる」ことは確かなのである。彼らはそのユーモアでたま〜に仕掛けてくるし。「あ、ヤラレタ」って思うこと、あるもん。
さて、おはぎちゃんは、肉体を持つこのシャバで、本当に本当にやりきってから、次のステージに行った。あれだけやりきった人っているだろうか。
肉体があるからこそできることとは、人との交流だ。一方通行の言葉の投げかけ(意思の伝達)は、次の世界でもできそうだ(あくまでも想像だけど)。でも、密な交流や社会的生活(社会の関わりのなかで生きること)といったことは次の世界にも、もしや、あるかもしれないけれど、形は違っていそう。泣いたり笑ったりして1日1日を過ごす生活ではないだろう。そもそも「生活」じゃないな。
時々、おはぎちゃんのことを思うと、「pomちゃん、いろいろ忙しいってことは良いことなんだよ。私のことは書いてほしいけれど、無理しなくていいからね」と、聞こえてくるかのようだ。それで今の今まで来ちゃって、ごめん、おはぎちゃん。で、「その2」が本題。
ちびまるぱんだ
2017年07月31日(月)05:39
待ってました!
おはぎちゃん(o^^o)
pom
2017年08月01日(火)00:31
ちびぱんさん、あざっす。たぶん、今度の土曜か日曜に「2」を投稿すると思います。後手後手で、おはぎちゃんもあきれていると思われマス。
ちびまるぱんだ
2017年08月01日(火)21:24
「あらあら」って笑顔で見守ってますよ、きっと( *´︶`*)