2度目の岸和田入院(病院食編)

入院している人がついブログでUPしてしまう画像がある。

点滴棒に点滴がぶら下がっているところ
窓の外の風景
病院食

この3つ。

点滴は非日常感あふれるビジュアルだから、つい撮ってしまいたくなる気持ちはわかる。窓の外の風景は私も以前にUPした。ヒマで何か写すものがないかな〜というときに窓の外に目がいくのだ。しかし、病院食ってのはなんなのか? レストランでの「こんな素敵なディナーしました〜」な写真でリア充アピールするのとは違うと思う。はっきり言って意味がわからない。

病院食をUPする人は、自分アーカイブスとして何でも記録しておきたいのかもしれない。

と、どーでもいい分析をしたところで、今回、最初の3食以外のすべての病院食を撮ってみたずら。最初の3回はすべて流動食で、重湯、実なし汁、牛乳、プリンまたはゼリー(HCUだったため、スマホが使えず写真なし)。それ以降はこちら。一般食にたどり着けずに退院してしまったのだが、こちらは申し訳程度にツナがまぶしてあるキュウリの酢の物が、一般食ではタコとキュウリの酢の物だったりして(デイコーナーに一般食の献立一覧が貼ってあった)、チッと思った。

2013-12-02 12.08.52
12/2 昼食。五分粥になった。毎回、のりの佃煮を出してもらうことにした。

2013-12-02 18.01.59
12/2 夕食。ジョア美味すぃ〜。

2013-12-03 07.56.42
12/3 朝食。ミカンから先に食べるのさ〜。

2013-12-03 12.09.26
12/3 昼食。実は結構量が多い。

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12/3 夕食。白あん嫌いなのに甘く煮た豆を結構食べた。

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12/4 朝食。五分粥脱出し、朝をパンにしたら焼きたてパンの日だった。

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12/4 昼食。前回入院のときも麺類が出たけど、目先が変わって食べる気になる。

2013-12-04 18.24.43
12/4 夕食。チンジャオロースだけど味がすき焼きっぽい。この病院はすき焼き系牛肉メニューが得意な感じ。(前回は、胃を切ったためこういうメニューには辟易していた。今回はご飯が進みます、って感じ。)

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12/5 朝食。冷たい牛乳が嫌だったからジュースにしてもらったけど、こーゆーやつは病人っぽくてテンション下がる。(病人だった。。。)

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12/5 昼食。以下、めんどくさいからノーコメント。

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という感じですた〜〜。最後まで軟菜食だったっす。。。

岸和田に入院される方、箸とスプーンは付いてくるから必要なし。肉系メニューは味付けがしっかりしている。 豚肉はお目にかかったことがなく、牛か鶏。パン食OKなら、朝はパンを頼んだほうが目先が変わると思う。

話は変わるが、病院食のトレイってストレス。保冷、保温のためにトレイに出っ張りがついているんだろうけど、仕方ないとはいえ、これがどーも嫌なんだよなあ。。。

2度目の岸和田入院(HCU編)

2年半前、もう来ないぞ!と思っていた岸和田徳州会病院に再び入院したら、ほんの2年半の間でもちょっとしたことが変わっていた。売店がローソンに変わっただけではなかった。

今回は術後、そのままHCUに運ばれ、夫と甥が側にやってきた。以前のようにICUではなく、HCU。物々しさがなくていい。

「たいしたことなかったって。お腹の中を調べたけど、お臍以外なかったって。」

嬉しそうな顔で夫が私に伝えた。私も、前回に比べると体の自由度が高い気がした。そのときすぐには気づかなかったが、しばらくしてからドレーンがないことと、首からの栄養点滴もないことに気づいた。緑色の胃液を時々吐いていたけれど、米村先生は、「鼻の管がちゃんと入っていないんじゃないか?」と仰っていた。要するになんてことはないらしかった。

なんてことないなら余計に、仰向けにじっとしていられない。起き上がっても良いか看護師さんに聞くと、

「左右に寝返りを打つのはいいですけど、起き上がるのはダメです。」

とのこと。あ〜、早く1日過ぎないかな、と思った。HCUは1泊と聞いていたからだ。ところが。

「あのー、ここから出られるのは明日の何時頃になりますか?」

「明日は無理ですね。土日は病室がほとんど空かないし。月曜になれば手術があるから、空くかもしれません。」

なんだとぉおお〜〜? その後、何度か「月曜になったら出られますか」「たぶん」「月曜になったら出られますか」「月曜にならないとわかりません」「月曜になったら、、、」としつこく看護師さんに言っていた。金曜手術の場合はそういうパターンが多いとのことだ。HCUを出てから米村先生の患者さんは何人くらいいるのか看護師さんに伺ったところ、十数人とのことだったのだけれど、いずれにしても土日は退院があっても月曜手術の人が日曜に入院してくるから、空かないのだろう。(ということは、月曜手術の人だって、金曜までHCUってことなのかな?)

持ち込んだラジオを聴いたり(FMも聴けた)、時計をにらんだり、決められた面会時間の合間に散髪してきたという夫に文句を言ったりしながら(術後は心がオレサマ状態なので、時間をなんとかつぶそうとして夫は散髪したにもかかわらず、それを「いい身分だね」とかって思っちゃうという)、時間を過ごした。私についていたいろいろなものがどんどん外され(元々少なかったけど)、手首からの点滴と尿道カテーテルくらいになり、私は体をもたげてはきょろきょろしたりした。

自分が体をもたげると、すぐ前にはPCがあり、先生方がデータのチェックなどをされていた。あまりに暇なので、先生の横顔をじ〜〜っと眺めたりしていた。先生もやりにくかったに違いない。あるとき目が覚めると、見覚えある白衣姿をそこに発見し、ベッドから「石橋先生!」とお声をかけさせていただいたりもした。

あまりにやることがないから、来た甥に「頭使わなくて読める女性週刊誌、買ってきて」と頼んだ。読んでいたら、米村先生が「週刊誌が読めるくらいなら、もうここ(たぶん病院のことだと思う)を出られる」と呆れていたわー。

そんなのんきなHCU生活を送っていた私のすぐ横では、カーテンを隔ててりんごさんが大変な状況だった。

腹腔内温熱化学療法はフツーに保険適用で!

先日のTBSのTV番組で、胃がんの治療法として腹腔内温熱化学療法が取り上げられていたと、義妹が教えてくれた。腹腔内温熱化学療法(HIPEC)がたびたびTVで取り上げられ、多くの人に関心を寄せてもらえるのはとても嬉しい。

TVでは滋賀医科大学の腹腔内温熱化学療法が紹介されていたようだ。私が岸和田徳州会病院で受けた米村豊先生の腹腔内温熱化学療法の写真を見ると、滋賀医科大学の画像で写っている筒みたいなのは使わないような気がする。で、その代わりにお腹の皮膚をビヨ〜ンと引っ張ってやるのではないかと思う。でも何しろ麻酔で寝ちゃってるので、実のところはわからないけれど。

どちらにしても腹腔内温熱化学療法に変わりなく、すばらしい療法だと思う。

ただいま、滋賀医科大学は臨床試験として、胃がん、腹膜偽粘液腫、膵臓がん、大腸がんの適応患者さんに腹腔内温熱化学療法を行っているという。なかでも、胃がんのHIPECは先進医療申請中である。
http://www.shiga-med.ac.jp/~hqsurge1/hqsurge1/shinryounaiyou/pg105.html

さて、このぽんぽこ日記でも細々と署名活動展開中なんだけれど、こちらがお願いしているのは、福井大学の片山寛次先生と腹膜播種支援治療機構の我が米村先生が展開しているもので、抗がん剤の腹腔内投与の認可と腹腔内温熱化学療法を手術治療として認可し、保険適用にしてください、っていう署名活動である。

胃がんに限らず、それも先進医療でなくて、フツーに保険適用にしてほすぃ〜〜!って言っているんである。

保険適用でなくても先進医療になればいいじゃないかという人もいるだろう。そのほうが財政を圧迫しないだろうからと。でも、よくよく考えるとかえって損なんじゃないかって思う。先進医療を受けられない人もいるだろう。そして保険は効くけど、がんには効かず、だけど体にはきつい全身化学療法をやり続ける。。。そっちのほうが、社会的損失が大きくはないだろうか?

また、ただいま難病認定もしてもらいたい腹膜偽粘液腫において、標準的治療の確立が待たれているわけだが(もう腹膜切除&腹腔内温熱化学療法のセットが標準的治療だとは思うけど、それを日本のお医者さんみんなが認めてくれること)、それはやっぱり保険適用の範囲じゃないと駄目らしい。。。腹膜切除&腹腔内温熱化学療法のセットこそ、今、私たちを救ってくれるのに、腹腔内温熱化学療法が保険適用にならないのは困るよ〜〜〜。

今回、私はまれにみるお臍切除のみに終わったけれど、それは前回の腹腔内温熱化学療法が奏功したからだとも思う。本当にありがたいことである。

さて、先だっての腹膜偽粘液腫患者支援の会主催のシンポジウムで、米村先生は腹膜偽粘液腫の難病認定の署名活動について触れられたが、こっちの署名活動がその後どーなったのか、私はずっと気になっていた。

それで入院中、米村先生にこちらの署名について伺ったのだった。

今ももちろん署名活動中で、現在4万名ほどが集まっているとのこと。以前、先生が「100万人くらい集めたい」と軽〜い調子で仰っていたけれど、こちらは結構内容が難しいから、集まりにくいのだろう。先生は最新だという「署名活動ご協力のお願い」の紙をくださった(内容は、腹膜播種治療支援機構の署名活動に今、掲載されているものと同じものだったyo)。

このところ、集めてくださった方々からこれまで署名数を聞かれて答えられなかったりして、消極的だったけれど、また改めて署名活動をしていこうと思っている。ご協力、お願いいたします!

退院

昨日、退院した。

その日の朝、りんごさんに旦那さんのことを少しでも早く伝えたくて、でも、HCUは面会時間があるから手紙を書いて看護師さんに託した。それから病院最後の朝食を食べ、少し荷物を整理した。

日曜日で、回診はあるのかな? よくわからないからパジャマのままでいながら久しぶりの化粧をしているところに、米村先生が研修医の劉先生を伴って登場!

「あ、お化粧中。。。後で来る。」

「ス、スミマセン!」

ビックリして手元が狂い、右まぶたに稲妻を描いてしまった。

もう一度、お化粧をやり直してしげしげ自分の顔を見ると、痩せていた。10日でこんなに痩せるんだな〜。今回の手術入院は、断食道場みたいでもあり(手術がたいしたことなかったから)、いろいろなことを考えた精神修養の場であったような気がしてならない。

回診はもうないだろうというのは何となくわかったので、しばらくしてからナースステーションのほうへ出向いていった。米村先生は、たぶん患者さんの家族だろう若い男性に、何かを説明されていた。それをデイコーナーの椅子に座りながら、ぼんやり見ていた。男性は先生の短い説明に一応うなずいていたけれど、どうもすっきりしてないようだった。きっとこの場面を、先生は何百回も繰り返しておられるだろう。男性がすっきりできるのはたぶん、患者さんの手術が終わって術後の経過も良くなってからだ。先生を信頼し、心から感謝するのは、かなり後になってからなのだ。

看護師さんが私が待っているのを伝えてくれて、先生は私に「次は池田でね」と仰った。私は「はい」と言った。先生へお礼の言葉を言うべきだったし、また、「センセイ、りんごさんとHappyさん(いよいよ手術!)も絶対ぜ〜〜〜ったい治しちゃってね!」なんて言える女子っぷりなら良いのに、元親父ギャルの私にはそういう芸当ができず、言わなくったって先生は絶対治してくれるし、と、なんだかんだと思っているうちに先生はいずこかに消えていた。

病室に戻って服に着替え、会計をしに行き、再びナースステーションに行って手首のネームを切ってもらう。前回はこれが儀式のように感じたけれど、今回は特に感慨もなく。その後、劉先生に挨拶した。

荷物をすっかりまとめ、病室で待っていると甥夫婦たちが迎えにやってきた。11時だ。彼らにちょっとだけ待ってもらって、りんごさんに挨拶しに行った。りんごさんは化粧をして洋服を着た私を見て、「うわ〜っ」という顔をした。私もちょっと照れくさかった。2〜3分、お話しして、バイバイと手を振りながらHCUのドアを閉めた。

「お待たせ。んじゃ、よろしく。」

甥の車で病院を後にし、私のたっての希望で星乃珈琲なるチェーン店に立ち寄り。早いランチをした。珈琲と、あれこれ頼んでシェアした食事は、シャバの味がしたyo!

その日は夫の実家泊。義妹夫婦や甥の弟夫婦も私を見舞ってくれたりと、にぎやかだった。ワインも飲んだわ〜〜(控えめにしてマス)。

で、今、まだ大阪の夫の家にいながら、これを書いている。

夕方の便で帰る。

沖縄の、りんごさんの旦那さんへ

沖縄の、可愛いこどもたちがいるりんごさん(ここにコメントしてくださるときのHNです)の旦那さん、
もし、これを見ていたら、、、と思って、りんごさんの了解を得て投稿します。

りんごさんはずっと、HCUにいます。
だから、メールチェックできません。そちらに連絡することもできないのです。
今日の3時に会いに行ったとき、彼女は輸血を受けていました。胃潰瘍になってしまったようです。
でも、気分が悪いといったことはないようで、笑顔で会話してくれました。

私が入院した日(11月28日)は、彼女は一般病棟にいました。
会いに行くと、リハビリの先生と歩行訓練をしていたので、「後でね」と私が言うと、
彼女は「今、一人で歩けないから、こちらからそちらに訪ねられないのだけれど」と言いました。
ちょっと具合が悪そうでした。

翌日、私が手術を終えてHCUにいると、後から私の隣のベッドにやってきたのがりんごさんでした。
彼女は合併症で突然に再手術となったのです。
その後いつもいつも、先生方がりんごさんのベッドのところへやってきていたから、
とても大変な状況だったと思います。

来週の月曜日、りんごさんはまた手術をする予定です。
早く治らなくてもいいから、完全に治ってほしい、と彼女は言っていました。
短い期間だけれど、彼女の様子を見ていた私も同感です。

りんごさんはもうしばらくはHCUから出られないでしょう。
ですから、おうちに連絡できませんが、そういう事情です。

彼女はとても前向きに頑張っています。
どうぞ、お子さんたちにも、
お母さんが遠い地で勇気をもって頑張っていることを伝えてください。
そして月曜日の手術がうまくいって、ゆっくり回復に向かうことを祈っていてくださいね。

抜鈎、終了〜

一昨日、抜糸して、
昨日、ところどころ抜鈎して、
今日、残り全部を抜鈎した。

シャワーを浴びて頭と体を一気に洗い、立った状態でお腹を見てみると、元おへそのあたりがボコっと、まるで、手術のときにミカンを1個、お腹の中に仕込んでおきましたゼ、みたいな感じに不自然に盛り上がっている。いずれ平坦になっていくのだろうけれど、なんだかとてもヘン。

ただいまの体調はとても良い。数日前から平熱だし。お腹の張りは下剤を使うようになってから、だんだん改善されてきている。下剤を飲まなくても出るようになれば、いいのだけれど。

歩くときはさすがに背筋を伸ばせず、お年寄りのようになってしまう。咳をするときも痛くてたまらないし、ベッドを起き上がるにも肘をつけてグイッと起きないと痛い。そうやって起き上がるので、肘に擦り傷ができてしまった。

食欲はかなり復活。なのに全粥で軟菜食。一般食にお目にかかることなく退院か。

剃毛は、致しません

今回の創(ざっくり切られた皮膚の傷をそう言うらしい)は、剣状突起近くは前の創より4cmほど下からスタートし、恥骨のなんと割れ目1cm手前にまで迫る勢いでゴールしていた。ゴール地点(スタート地点なのかも?)が前回より伸びている。

それを確認したとき、「わ〜い♪」と思った。なぜなら、恥骨部分に小さなケロイドがあったから。

ケロイドについては以前に書いたことがあるが、剣状突起と恥骨にできやすいらしい。お腹部分より日常的に皮膚が伸縮する箇所なのだろうか? それともスタート&ゴール地点で余計に負荷がかかるとか? できてしまってから、もこもこさんと話していてこの件について認識し、慌てて対策として、マイクロポアテープを貼って長らく過ごした。ひっかかり防止にもなるし、何しろ毎日貼り替える必要もなく安価にできて良かったけれど、問題点として、毛が生えている部分は毛にテープが押し上げられて機能しにくいのである。

結果、剣状突起部分のケロイドは見事になくなった。そして恥骨部分は消えなかった。。。

今回、憎いアンチクショウがおへそとともに私を去っていったわけで、捲土重来である! 今度こそ、恥骨部分対策を初期時点から、資金投入(数千円だけど)もしてやっていこうと考える所存である! 具体的には、恥骨部分にはケロイド用シリコンを貼り、その他の部分はマイクロポアでいこうと。これについては、随時リポートしちゃったりしたい。

・・・と、ここまでが前段。本題はこれから。

創を確認したとき、「わ〜い♪」の後で「おや?」と思った。剃毛してなかったのである。ステープラーなんか、毛も一緒に留めちゃっているではないか。

過去2回の開腹手術を振り返ると、1回めの大学病院では、手術前日に自分で剃毛するよう電気シェーバーを渡された。2回めの岸和田では、手術後に見たら剃毛されていた(ってことは、手術台でジョリジョリされてたか〜)。

で、看護師さんに聞いた。

「剃毛ってしないんですか?」

「しないんですよ。しなくても問題ないという研究結果があるんです。むしろ、剃毛で皮膚を傷付けたりしたら感染の原因になりますから。」

へえ〜。小さいことのようにも思うが、これは患者の術後の精神的負担だって軽くするし、とてもすばらしい。手術やいろいろなことが、たった2年半の間にも確実に進歩しているのを、自分の恥骨を眺めつつ思うのであった。

そういうわけで、「剃毛は致しません。失敗しますから。」ってことで、よろしっすか〜〜?

ストマ考

あっと言う間に退院することになり、短い入院ライフを綴る前に、今回は必要なかったストマについて、万一私が再再発となったときこれを読み返せるように、記しておく。

正直な気持ちを告白すれば、ストマになるのが不安だった。一時的なら経験値アップ!と思えるから構わないけれど、永久の場合、頭では理解しても気持ちが付いていけるかどうか。。。

ベリーダンスをやっているでもなし、忘年会の出し物は腹芸と決めているわけでもなく、お腹を人に見せることはまずない。今後「アタシ、脱いだらスゴイのよ」なんてことになることも、まず、ない。にも関わらず、受け入れられるだろうかと。温泉にも入れるというが、見て見ぬふりをするだろう他人の思いやりに、かえって気持ちが押しつぶされないだろうかと。

また、工夫次第で着物も着られるらしいが、おはしょりをビシっと決めるとか、帯をやや低めで締めるとか、着こなしまで考えるとなかなかに難しそう。きちんと着物を着なければならないのはお茶会やら親戚の結婚式やらで年に何度もないのに、楽しみが奪われるようで悲しい。

でも、こんなことを言っているところが、甘っちょろいのである。腫瘍の完全切除のためにたまたま永久ストマなわけで。生きるためにそれなわけで。「生」より大事にしたい美学があるならそれも良かろうが、それでもイマドキの美学は「まずは生きろ」だ。

お仲間の中には、ストマ造設された方もいる。皆さんだって乗り越えているのだから、きっと私だって。。。それに、まずはなってから考えれば良いことだ、それまでは回避できますようにと祈っても許されるだろうと思った。

とかなんとか、あれこれ考えつつ、それでも不安が拭えなかったのである。

「アンタはそんなタイプやないでー。なったらなったで、すーぐ受け入れて、これまでと変わらずあっちこっち駆け回るがな。」

昨日、見舞いに来てくれた義弟が、私がこんなことを心配していたと話すや、真面目な顔つきで私に言ったのだった。

「あ? そ?」

「そうや。」

一緒に来てくれた義妹も、「pomさんはそうやねー」と笑っていた。

あはは、そっか。能天気っていいことじゃん? ってか、夫の親戚にも私の能天気がバレテ〜ラ。

目から鱗が落ちたみたいだった。心がめちゃくちゃ軽くなった瞬間だった。

退院日決定。なんと!

今度の日曜、12月8日に退院が決まったっす! たぶん?最速、10泊11日。(ドヤ顔)

ベッド、次の人に明け渡すよ〜〜〜!

再発手術内容の備忘録

先生からいただいた入院診療録概要にあった手術内容を転記しておく。

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11月29日開腹臍に1cmの腫瘤あり。臍を含めて腫瘍切除する。
腹腔内の癒着を剥離し、腹腔内を観察したがそれ以外の再発なし、生食水1L×10で洗浄・セプラフィルム2枚。NoDrain

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