「書く書く詐欺」にもなっていたので、予告通りに「私のヘンな家族たち」として夫のことを。
このブログからイメージされる夫は、M.Hさんによれば「勝新太郎(破天荒キャラ)」とか。ぷ〜〜。
(話は違うけど、M.Hさんから頂戴するメールは面白い。初対面での待ち合わせに「赤いバラとか週刊誌的なものはいらないですよね?」とか。東京人らしい笑いのセンスかな。)
さて、実際の夫はというと、押しは全然強くなく、というか押すという感覚すら知らない、読書好きの、ほぼ浮世離れした人である。以下にいくつかのエピソードを挙げるので推して知るべし。
【徳洲会の事件から】
私が「岸和田の病院も影響あるかなあ」とつぶやくと、夫は「不正が正されれば、今まで被っていたはずの患者の不利益もなくなるのだから、(影響あるなしにかかわらず)良いことだ」という。
正しい。
が、病院にそろそろお世話になろうという私には、現場の混乱が多少なりともあるのでは、とか、今後、これまでと同じ医療を受けられないことだってあるかも、とか、考えてしまう。ニュースを見ると、一部の職員・医師に退職する動きも、とか出てるし。
これをきっかけに理想の病院となれば、スタッフにとっても患者にとっても喜ばしい。しかしそこまで到達するにはどれだけ時間がかかるのか。そこまで待てるのか?
マクロ的視点の夫にとっては、そんなこと、気にならないらしい。というか、まるで他人事なもよう。。。
【確率問題】
私の再発を知った夫は、4人に1人が再発するという話から、こう言った。
「100万人に1人だかなんだかっていうのに、そのうちのまた4人に1人に入ってしまうなんて!」
確率論からいえば、そうだが。
その後、開腹手術は7回はできるらしいなんて話になった時(ネットで見つけたものには、腸閉塞で15回切った人がいるとか)、
「今度切るのは3回目だ。2年ごとに手術してあと8年で終わってしまう。。。ああ!」
ちょっとちょっと〜。そんな単純計算しないでよ。
「そういうシミュレーションもあるかもしれないけどね、2年ごとに再発するって仮定はどーなのよ? これでもう再発しないってこともあるわけだから。再発するとしても5年後とか、せめてもうちょっと希望的観測と心配度を織り交ぜつつ、いい塩梅で仮定してくれない?」
「だって、2年で再発してるんだから、計算したらそうなる。」
そう計算したとしても、だ。本人を前にしてそれを言う夫は、私になんと言ってほしいのだろう?
【あの時じゃなくて良かったよね】
そういうワケで「なんなのさ?」な夫だが、分かってもらえているなあと思うことも。
母は、展覧会やら仕事やらで忙しくしているから病気になるのだと、私を責めんばかりである。「無理しないでね」と弟たちも声をかけてくる。
個展をした4月は本当に忙しく、正直なことを言うと、再発しやすい状況だったかもとは思う。けれど、それで後悔しているかと言えば違う。やって良かった、心の底から。
私は寿命を延ばすために生きているのではない。寿命を延ばすのが趣味なら話は違うけれど。満足のいく人生は、長さだけでは決まらない。
再び手術をすることになって、夫がぼそっと言った。
「あの時じゃなくて良かったよね。」
個展の前や会期中に再発とならなくて良かったと。うん。あの時じゃなくて良かった!
【ブラジル?】
最近、夫がとある絵本を買ってと頼んで来た。近くの書店で見て面白かったが買わずに帰ってきて、やはり気になり戻ったけれどもうなかったという。
人は、ないと余計にほしくなるもの。
「ふーん。で、どこで買えばいいの?」
「いつもの、、、ブラジルで!」
ブラジルで? 時々、夫は意味不明な人になる。
「ほら、ネットの。。。」
「もしかしてそれ、アマゾン?」
「ああ、それ! アマゾン!」
なんだか、夫に、生きてる化石・ピラルクーがオーバーラップしてしまう。
「なんでブラジルになっちゃうわけ?」
「ミシシッピ川と言えばアメリカ、揚子江といえば中国、アマゾン川といえばブラジルじゃないか!」
・・・ちなみに、彼が欲しかった絵本のタイトルは「ちくわのわーさん」である。