へそ事変(すぐ再手術を決めたわけ編)

2年前に手術して退院したとき、二度とこんなのイヤだから絶対に再発なんかしないぞ!と誓った。誓ったのに、またやることになってしまった。

「腫瘍が取りきれて腹腔内温熱化学療法もしたのに、またなるのなら、再手術しても無駄では?」

「おへそは痛くもない。元気だし、食欲はありすぎだし。様子見ってのもアリでは?」

「また術後のへろへろ状態に戻るのは、今の元気さを考えるともったいないのでは?」

これらの疑問が浮かび、でもすぐに、ぼんやりとではあるが、これらを否定する答えが頭の中を占めた。

米村先生は先の手術後の説明で、4人に1人が再発する、と仰っていた。先日伺った20年無病率70%と同じことだろうか。そして、再発してもまた手術すれば20年生存率90%は変わらない、とも。そんなら手術しよーじゃないの。無駄に寿命を縮めたくはないもん。

だいたい、悪い細胞は外科的に取っちゃうのがてっとり早いと、素人の私は思う。問題は、見えないほど小さい、悪い細胞の存在。コイツがあるからこそ、肉眼的にはなんともない臓器でも潜伏(?)している可能性があり「え?そこも取るんすか?」的に拡大手術をするのだろう。

考えてみれば1つの細胞が目に見えるほど大きいものなんてあるわけない。ドバーっとそこに増殖してるからこそ目に見えるほどの大きさになるし、そうでなければ見えるはずもない。見えないヤツがあちこちにいる可能性は高い。

その見えないヤツを駆逐するのが腹腔内温熱化学療法なのだろうが、私の場合、駆逐しきれなかったというわけだ。その理由は何だろう? 全滅させるほどのチカラはないとか? 弱らせて長い期間(理想は老衰になるまで)黙らせておくくらい? 健康な人も毎日がん細胞はできるのだから(免疫細胞が攻撃して問題ない)、黙らせておく、くらいのチカラで大丈夫なのかも。でも黙っていてもくれなかった。

私の場合、腹腔内温熱化学療法を30分行ったと伺っている。米村先生はこれまでに2回くらい仰った、30分と。それ以上やったら危険だからそうなったのだと思う。でも残念ながら、ヤツらを駆逐するには時間足らずだったかもしれない。

また、もうひとつ。池田病院の帰り道のコンビニで偶然買った「文藝春秋 8月号」で、がん幹細胞の話が出ていた。九州大学の中山敬一先生を立花隆さんがインタビューしたもの。がんの親玉であるがん幹細胞はふだんは眠っているけれども、抗がん剤は活動している細胞しか狙えないので、ボスがお縄にならないってことらしい。

ちょろちょろしている悪い町奉行くらいはやっつけられても、悪代官までは無理ってことか。桜吹雪の刺青程度の抗がん剤でなく、早いところ、オールマイティな印籠が開発されてほしいものである。

もとい。

医学の話はまるでチンプンカンプンであるからして、他人が見たら「なにこのバカぶり」に違いないが、私なりに考えたことである。もはや目に見えちゃうほど増えちゃっているヤツらはこれ以上増えないためにもご退場いただかねばならない。(増えないとわかっているなら、そのままでも良いのだろうが。)

これまで、私の免疫細胞たちの防御すらかいくぐってきたワルたちである。今後、私がいかに免疫力を高めたって、そのままにしておいては負ける公算が強い。でも、外科的切除でヤツらの総勢を減らし、さらなる腹腔内温熱化学療法で残ったチンピラを黙られば、戦いを有利に持っていける。それからなら免疫力、すなわち私自身のチカラでなんとかいける気がする!

悪い細胞は死なずにどんどん増えていく。2倍、4倍、8倍、16倍、、、ゴキブリなんかよりすごいんだろう。早くしなくちゃ、早くしなくちゃ〜〜。

と、そんなわけで、とっとと再手術しようと思ったのだった。

さて、池田病院での診察で、米村先生は仰った。

「2度めは最初よりラクらしいよ。」

らしいよ、って、「患者談」ですかい。ったくもー、人を食ったような先生の言葉。が、もう二度とやりたくないと思っていた手術をまたやるのだから、これも良い情報である。

書き忘れたので追加:「腹膜偽粘液腫はお腹の中しか転移しない。それ以外は行かない」ということも、米村先生から何度も伺っている。だから再発・転移、といっても、そんなにビビる必要はないかと思っている。

「2児の父」さんから、情報交換のお願いっす

(8月いっぱい、この記事はage進行っす。その間の更新は、この記事の後ろに出てくる予定なのでよろしく〜。)

先週、草津で腹膜偽粘液腫と診断された「2児の父」さん(コメント欄で私に「だいじょーぶ返し」してくれた方)は、今月末に腹腔鏡、9月末に手術となったそうです。〈へそ事変(先生の診断編)でのコメント〉

今はなんともないのに、あと一ヶ月後は今より自由がきかないと思うと…
こんなに急にってことは悪性?
ただ負けてられません!!
守るものがあります。
よかったら皆さん情報交換お願いします。
Ponさんのブログを使ってしまい申し訳ありません。

使っていただき、むしろウレシイっすよ。

【2児の父さんへ】
先ほどもコメントしたけど、手術が急なのと悪性なのとは別問題な気がする。。。悪性度の診断は腹腔鏡のときに細胞診をするのでは? それから、今、どんなことが知りたいか、聞きたいか、具体的にコメント入れてくれたら、皆もいろいろ話しやすいと思われ。 あ、そーだ、腹腔鏡のときにウロウロしてれば、りなこさんちのご主人に会えるかも?

【お仲間の皆様、お仲間のご家族の皆様へ】
と、そーゆーわけですので、皆で情報共有してまいりましょう。
みんなで「だいじょーぶ!」に!
とくに男性患者さんやそのご家族(男性は少ないもんね)、あ、もちろん女性でも、「ご経験者さま」のコメントをお待ちしております。
よろしくね〜。

八重桜さんのときもそーだったけれど、なんだかんだいって私もすごーく参考にさせていただいており、ありがたいことでございマス。

へそ事変(池田病院受診の日・番外編)

【その日のとある患者さんのご家族の年配男性】
書くべきかどうかと思ったのだけれど。

私の前に診察室に入った人たちはかなり年配の方たちで、漏れ聞こえてくる声はなごやかなムードに感じた。

その方々が出てこられ、廊下の奥のほうへ向かうや、男性が「泣くんじゃない!」と叱責した。怒られて余計に泣く子のように、患者であろう女性が声を上げて泣いた。

「泣いたって、病気は治らないんだよっ!」

追い打ちをかけるように廊下に男性の声が響き、女性はさらに泣いた。

私は、いくつかのことを思う。少なく見ても私より20歳以上は人生経験を重ねている人である、それでも病気は辛いんだなってこと。それからーー

何も怒ることないじゃん。それより優しくしてあげてよ!

それからーー

辛いのは患者だけでないのだ。家族も悲しいのだ。患者の夫なのか兄なのか、昔ながらの感覚で、どうしようもない悲しみが怒りに変換されちゃって、ついあんなふうに怒っちゃったのだろう。。。

【その日の夫への報告】
弟に促され、帰りの海老名S.Aで夫に電話で結果を報告した。

「ああ、、、そう。。。」

スマホから聞こえる夫の声はそれだけだった。

その夜、夫が仕事から帰ってきて私に言った。

「行かなくて、ごめんね。」

そんなこちらこそ、みたいなことを言えばいいのに、私は「べつに?」と言っていた。

へそ事変(池田病院受診の日編)

古い話になってしまったが、忘れないうちに。

【その日のお仲間】
「早く終わらせたいから朝5時に来た」というNさん。Nさんの活躍ぶりを先日拝見したばかりだったので、余裕綽々ぶりに納得。診察番号2番で、ばっちり元気に診察を終えて早々と帰っていった。

その日、一番長くお話ししたのは、年配の男性患者Kさん。これまで挨拶を交わす程度だったが、二人とも待ち時間が長かったので、いろいろお話しした。

私が先に受診してKさんに結果を伝えると、Kさんは私の前に手を差し出した。「帰るときにはKさんと握手して帰る。」まるで決まり事のように、Kさんを知ってる人たちはそうしている。Kさんが手を差し出しながら私に何と言ってくださったか、正直覚えていない。ただ、温かい手の感覚だけは今も思い出す。

Kさんの診断結果は聞かずに病院を後にしたのでわからないが、Kさん、きっと問題なし!だったことだろう。

さて、いつも私よりは絶対早く来ているHappyさんが、その日はなかなかやって来なかった。胃がん→腹膜播種で来ているTさんとも、ウロウロするたび「会った?」「まだ来てないみたい」の会話を繰り返した。

と、そんななか、Happyさんが「今来たわ〜!」と元気な声で登場。声は元気だったけれど、実のところ、その日は調子が良くなかったらしい。そして彼女は慌ただしく検査やら化学療法の点滴の部屋に呼ばれて行った。

私が帰るとき、彼女はまだ点滴中だった。水臭い仲でもなし、私の結果を彼女に伝えなくちゃ。そう思って、看護師さんに申し訳ないと思いながらも伝言をお願いした。看護師さんは伝言内容にびくっとした。なんかイイ人だなあ、と思った。

イイ人の看護師さんはすぐに伝えてくれたようで、点滴が終わったばかりであろうHappyさんが会計を待つ私のところに飛んで来た。彼女がどんな言葉をかけてくれたか、これまた覚えていない。でも、彼女はすごく優しかった。彼女だって大変なのに、ありがたいな〜と思った。

その日は、他にもwhiteさんに会った。以前、このブログにコメントしてくれて、お会いするのは初めて。フワっとした優雅さのある人だった(なので、その後のあるとき、イメージとは違うメールが来て、失礼なことに思わず吹き出してしまった〜)。whiteさんとの話は、彼女自身からまた話が聞けたら、改めて書きたい。

【その日の付き添いファミリー】
弟夫婦に「現地集合」してもらった。最近のパターンだけれど。

「姉貴、今どこ?」(←電話)

「ごめん、寝坊しちゃった。今まだ足柄S.A。とっとと病院に行くから。」

「どういうこと? 僕、家で待ってるんだよ?」

「じぇじぇ!」

弟を置いて来てしまった。。。

私は弟夫婦と病院で落ち合うつもりだったのだが、約束は弟をピックアップしてから、前日から実家に帰っている義妹と病院で落ち合う、ということだったらしい。

「アイツが病院に行くからさ、僕は今日は家にいるよ。」

「だめっ! 来なさい。」

「だって、アイツが車乗って行っちゃっているし。」

「自力で来るんだ! 電車乗れるでしょ? 電車賃あげるから〜、ねっ?」

「面倒臭いなあ。」

そう言いつつも、来てくれた。「ロマンスカーと新幹線とタクシー乗って来ちゃおうかと思ったぜ」と言いながら、普通電車&バスでやって来た。

今回ばかりは診断結果が問題なしではすまされないと覚悟していたから、帰り道が一人だとやさぐれ運転になっちゃうかもなーと思っていた。だから、私の車の運転手が必要だった。

そう、ちょっと話が逸れるが。今回、夫も数日前に「付いて行こうか?」と言ってくれていた。だがちょっとした口論になって「行かない!」ことになった。

それは私のデリカシーのなさでもあり、夫のデリカシーのなさでもある。私は、再発となっても帰りの食事では彼がビールを飲むとわかっていたから不愉快だった。こっちが落ち込むような状況で、よくビールとか飲めるよね、だいたい運転もしないしね、私が運転するんだもんね。。。

夫にとっては私が落ち込むことと、食事でビールを飲むことは別次元の話らしく、なぜそれがいけないのか? そんなふうに感じるほうがおかしい。ってことらしい。

夫が心配しているのは重々知っている。でも、それを態度にも口にも出さない。人は言葉を交わさなくてもわかり合えると思っているフシがある。その割には、人の機微に鈍感っぽい気がする。。。夫は「時間さえあれば車の免許を取り直したい」とも言っており、私に申し訳ないと感じているのも知っている。結局、痛いところを突かれてイライラしたというわけ。

で、弟夫婦と先生の診断を仰ぐことになった。

【その日のうなぎ】
「とりあえずアタシゃー、うなぎが食べたいわけよ。」

行く前から弟たちに、「昼は私は食べない。そちらは昼食をすませてから来て。帰りに一緒に食べよう」と言ってあった。

今回、彼らが連れて行ってくれたところはココ。

2013-07-27 16.18.02

入口は鰻屋さんっぽいけれど、雰囲気も重視したい場合はお呼びでない、カジュアルなお店(値段はさすがにカジュアルとまでは言えないけれど)。ふわっとして美味しかった。タレはやや甘め? で、並でも量が多く、またまた完食できずに持ち帰った。

2013-07-27 16.34.07

2013-07-27 16.41.40

【その日の帰り道】
弟夫婦には悪かったが、義妹には彼らの車を運転して家まで一人で帰ってもらい、弟には私の車をうちの近くの駅まで運転してもらい、そのあと電車で帰ってもらうことになった。

海老名でトイレに行きたくなり、弟を30分くらい待たせて、行った。いつもの、何度も行かないとダメです系。30分間、トイレを出たり入ったりしてから出発するも、一般道に出てからまた猛烈に行きたくなってしまった。

「どこかでトイレ借りたい。。。」

「コンビニでいい?」

「コンビニ行ったら、やっぱりトイレ借りるだけってのはナンだよね。」

「何か、買えば?」

トイレを借り、やっと落ち着いて、雑誌でも買うことにした。久しぶりに「Oggi」でも読むか〜と思ったけれど、結構重たいので、隣にある「文藝春秋 8月号」を何気なく買って帰った。(たまたまそれに面白い記事が出ていたのだった。。。)

へそ事変(先生の診断編)

暑い。会社ではいつもと違う仕事もあったりで要領を得ず、どーも夏バテ気分。

池田病院の受診から2週間も経ってしまったよ。。。あの日、いつもより若干早めかな?と思う待ち時間を経て、米村先生が診察される部屋へと呼ばれ、弟夫婦と三人で入ったんだよなあ。

このところの私は半年ごとの診察で、検査は腫瘍マーカーのみ。低悪性だし、見える腫瘍は手術で取りきれていたので、米村先生としてはノーマークだったと思う。先生は机から振り向きざまに私を見て、あ〜アンタね的な顔をしつついつもの言葉。

「あ〜元気そうやねえ。」

「元気は元気なんですけど、へそ問題が勃発中です。」

米村先生はまたいつもの言葉を仰る。「お腹見せて。」

ベッドに仰向けになりお腹を出すや、先生はちょっと押してすぐ仰った。

「これは切らないとダメです。」

先生は横に立つ看護師さんに聞いた。「MRIは?」

「ありません」と看護師さんが答える。予約入ってなかったもん、ないよ。代わりに、先に受付に出しておいたレントゲン像が映し出されていた。

銀座医院からは紹介状と一緒にレントゲンデータや超音波画像をもらって来ていた。この日の血液検査の結果は出ていない。いつも後日なのだ。だから腫瘍マーカーの値もわからないが、先生は「これでわかる」と仰った(と思う、確か)。

「これって再発ってことですかねー。がるるるるぅ。」

微妙におどけて聞いた私に、先生はえへえへ笑っているような顔で、うん、と仰っていて、さらに私は妙なテンションになっていて(後から弟に「姉貴、診察室ではへんにハイだったよ」と言われたが、「再発かもしんまい〜」と覚悟しつつは行っても「そうだ」となったら、冷静でいられないっすヨ)、それを弟夫婦は呆然と見ている、の図だったと思う。

先生はこういう場合(お臍のしこり)は腫瘍マーカーは上がらず、他に腫瘍があると仰った。ちなみに今日届いた池田病院での腫瘍マーカー結果は、CEAが0.7、CA19-9が6.3。問題なさすぎな数値である。

紹介状にむくみを訴えている件も書かれていたので、先生は「むくみは他の病気か、神経が切れたからだ。右側だけじゃないか?」と仰った。うーん、、、両方だと思うんだけれど、右側だけかな、、、なんだか自信がなくなってもごもごしてしまった。(今はむくみは消えたもよう。が、右側の脇腹ならぬ脇尻と脚の付け根から太ももにかけてが四六時中なんかビリビリするのである。やはり神経のことかも。)

むくみはともあれ、だ。もっとも気にかかることを確認せねばならない。

「再発しても、20年生存率90%は変わらないんですよね?」

「うん。でも、20年無病率70%には入らないよ。残りの%ね。もう無病じゃなくなったからな。」

無病でなかろーと、ぜんぜんおk。オラ、断然ヘーキだ、がんばっぺ!

そして「手術ね」となり、看護師さんが「じゃ草津ですね」と「草津」の文字を書いた。私はちょっと考えてから言った。

「先生、あのう、岸和田がいいんですけど。」

「そーか。岸和田が好きなんや。」

「好きじゃないですけどねっ、夫の実家が近いので何かと良いのです。」

「あーそーだったなー(←どこまで覚えてるかナゾ)。岸和田のほうが早くできるよ。」

キタ。「岸和田のほうが早くできる」。デジャブだ。あのときと同じだ。先生は「2か月後くらい。ちょっと待って」と鞄から大きな手帳を出して、9月のページを開いた。
(2013年11月4日追記:まだ私は手術日が決まっていない。只今は岸和田は3か月以上待ちということか。今現在は草津のほうが早い!?)

木曜の先生の岸和田外来の日にMRIをして診ていただき、そのまま術前検査、麻酔科受診も一気にやっちゃって、次はもう手術前日入院という、アバウトなんだか無駄が一切ないんだかな話。私はどちらかというと米村先生にはナツいていないタイプだろうが、「よっしゃまかせろ」「お願いするっす」的コンセンサスはこの2年間のうちに取れていたと思う。

先生に必ず連絡のつく電話番号を伝える。ベッドの空き状況が問題らしく、直近まで決まらないとのこと。そして決まったら先生自ら電話をかけてくるという、一般的には「じぇじぇじぇ」なやり方である。(これは岸和田で米村先生に手術してもらう場合。)

「じぇじぇじぇ方式」、ある意味スゴい。リスキーな手術に果敢に挑みながらも、どこかの傘下に組せず、組織で動く面倒くささをも飛び越えちゃってるという。。。

と、そーゆー具合で、あっと言う間に「再発→再手術」が決定して部屋を出たのだった。

***

翌々日、銀座医院の亀山先生からお電話をいただく。

「どうだった?」

「あー、先生の言うとおり再発でした。」

亀山先生は、再発の可能性6割、そーでないほうでも外科的処置が必要と、先日の診断時に仰っていたのだった。

「でも先生、すると思うって言ってたMRIも細胞採るのもしなかったけど。」

驚いた様子を感じとったが、先生は「多くの症例を診ておられるからわかるんだろう」と、とりあえず納得されていた。お腹を触っただけでゼリー状の腹水があると言い当てた先生だからかも。機械頼りのお医者さんだったら、違う言葉が出たと思う。

「ちゃんと体重を計ってね。他の心配はいいから、自分のことを心配しなさい。」

あれこれツベコベ言っている私に、先生は結構マトモなことを言い、電話は切れた。

***

そんなこんなな診断なのだが。

私は実のところを言うと数%くらいの確率で、シロってのもありかもと思っている(願望ではない)。卵巣がんかも、、、なんて時は、大学病院でMRIやら何やら、いろいろやったのに腹膜偽粘液腫とは分からなかった。で、開腹して初めて分かったのである。大学病院で、だ。米村先生のところにたどり着いたときも、事前の検査で「胃にちょっとあるな〜」と米村先生が独り言を言っていたが、切除部位に胃は入っていなかった。開腹して初めて、半分切除しなければならない、と判明したのだと思う。結局のところ、お腹を開けて初めて本当のことが分かるのだろう。

へそ事変(どこから書いて良いやら編)

再発がわかったこの一連を「へそ事変」と命名したっす。

池田病院での診察からこの1週間、当然、仕事や用事もそれなりにあるわけで、気分的に疲れてしまっていた。再発と聞いて凹みはしなかったけれど、しばらくぼーっとしたいな〜〜と思っていた。

そうこうしている中で、お仲間たちが手術のため入院していった。術後は何かとキツいだろうけれど、彼女たちは乗り越えるに違いない。私もまた頑張るし。

さて、頭の中を整理しよう。書きたいことを列記してみる。

・先生の診断
・池田病院受診の日
・すぐ再手術を決めたわけ(がん治療について)
・91歳の伯母を見舞えず思ったこと
・私のヘンな家族たち

そして最後に、前回予告しながら書かなかった(診断を待ってから書こうと思った)

・転機、あるいはGIFT

マイへそ問題結果発表

昨日の池田病院での米村先生の診断結果。

再 発 でした。

不思議なのだけれど、凹んでいない。銀座医院の亀山先生の見立てが、実のところ「たぶん再発」だったので心の準備ができていたからかもしれないが、米村先生から言われている「再発、再手術しても20年生存率90%は変わらない」ということを再度確認し、「こんなこと、人生のスパイスだぜ〜」と思えたからかもしれない。

というわけで、早々に手術の予約をしてきた。

詳細は後日アップ!
(なお、これについてコメントくださる奇特な方は、その詳細を読んでいただいてからコメントいただけるととてもうれしいっす! よろしくネ

(2014年3月27日追記:術後の診察時に、再発ではなかったと聞きました~~! 前回手術の残党?か、手術時に腫瘍がくっついちゃったらしいです。)

第1回 大腸がん腹膜播種 国際シンポジウム

明日、7月27日は「第1回 大腸がん腹膜播種 国際シンポジウム」が開催されるらしい。

東大病院のHP、後援会・シンポジウムのお知らせより
第1回 大腸がん腹膜播種 国際シンポジウム 開催のお知らせ
http://www.h.u-tokyo.ac.jp/symposium/sympo_archives/20130416.html

独立行政法人 国立国際医療研究センター  下部消化管(大腸肛門)外科のHP、後援会・シンポジウムのお知らせより
第1回 大腸がん腹膜播種 国際シンポジウム 開催のお知らせ
http://www.colorectal.info/research/symposium.html

世話人が東京医科歯科大学腫瘍外科教授の杉原健一先生、東京大学腫瘍外科教授の渡邉聡明先生。事務局が国立国際医療研究センター下部消化管外科の矢野秀朗先生。その先生方が司会を務めながら、Paul H Sugarbaker先生 、Brendan J Moran先生とのディスカッション等あるもよう。

腹膜播種、腹膜偽粘液腫というと、医者から「もう何もできません」と言われるのが当たり前だったけれど、これからはだんだんお医者さんたちの意識が変わってくるのではないだろうか。そう期待したい!!

第1回ということは、第2回も第3回も、、、あるのだろう、きっと。今後、米村先生とのつながりとかも出てくるのだろうか? それともまったくつながらずに進むのだろうか???

明日と言えば池田病院で米村外来だわ。

マイへそ問題勃発中

手術後、いつからか忘れてしまったけれど、気づけばおへその形が縦長から丸くなっていた。正中切開して引きつってるからかなと思った。

あるとき、おへその中心の皺が減っていた。ちょっと色も赤黒い。

どうも最近、おへそが硬くなってきて、でべそまではいかないけれど盛り上がって来た。。。

それで、このところ朝起きると脚のむくみで痛いということもあり、久々に先週、銀座医院に行ったのだった。

「おへそがどーしたって? 脚のむくみも?」

お久しぶりの亀山先生である。お腹を見せてと言われて見せるのは恥ずかしくないのに、おへそのピンポイントだと恥ずかしいのは何故か。

「うーん、おへそについては二見先生に診てもらおう。もしかしたら超音波もするかも。」

そのときまで、私はおへそは大した問題と思わず、脚のむくみで痛いほうが気になっていて受診したのだが、外科系得意な二見先生の名前が出て、おへそ、まずいかも、と思ったのだった。少なくとも薬飲んで治るものではない可能性が出てきた。切らねばならぬ?

その後、超久々に二見先生にも診ていただく。で、二見先生御自ら超音波をやっていただき、私のへそ具合はこんなであった。

2013-07-09 12.03.15

上部がお腹の中。直径2cm、厚さ1.5cmくらいの「何か」がおへその中にあったのだった。。。

「臍下皮下腫瘤、これは病名ではありません。」と二見先生は仰って説明してくださった。

おへそはいじって菌が入って化膿したりするし、手術時の糸が溶け残ったことが原因で膿むこともあるという。

「二見先生、手術したのは2年も前なんですけど?」

「ずっと後になって膿むんです。」

そんなこともあるんだ。と感心して終われば何よりだが、膿と断定できたわけではなく、膿かはたまた、、、なのだった。

二見先生からまた亀山先生にバトンタッチで、血液検査やレントゲンなども加えて診ていただく。そちらの検査のほうは、なんら問題ないという。

「腫瘍マーカー、やっとく?」

血液検査のオーダー時に、亀山先生から尋ねられたのだけれど、「今月末に池田病院に行ってやるから、いいです」と私は言った。だから腫瘍マーカーのデータなしの検査結果だ。今にしてみればやっておいても良かったと思わないでもない。

二見先生からの抗生物質の薬の処方箋をいただく。亀山先生は、血液検査から見たら効かない気がするとは仰った。効いたら心配ごとがとっとと消えると思ったから「飲みます」と私は言った。(それは結局効かなかったのだけれど。。。)

亀山先生は「米村先生に診てもらおう」と仰って、紹介状やら検査結果やらをまとめはじめた。

「先生、どっちだと思う?」

先生は「医者は常に最悪のほうを想定しながら診るんだ。でないと、見つかる病気も見つからないだろ?」と仰った。でも、私の性格もよく分かっている先生だから、現状から先生方が推測する予想割合(笑)も教えてくれた。

というわけで、

「臍転移かも。転移、または浸潤。」すなわち

再発

かもしれない可能性が出て来てしまった。

「米村先生は注射器で取って調べるか、MRIをすると思うよ。」

だそうである。私が「私は今はMRIをやっていない。『何でもない』って言われたらどうしたら良いですか」などとずーっと言っていたからである。

そういえば、以前おへそ問題について調べたとき、米村先生の「腹膜切除アトラス」を見たら「腹膜偽粘液腫は傍臍転移がしばしば見られる」とあった。しかし、膿の可能性も大きい。だっておへその下は横行結腸なんだそうで、横行結腸切ったから糸が、ってのもすごくアリな気がする。

いずれにしても今度の池田病院行きは、へらへらしてる場合ではないのだった。

コメントありがとう!

備忘録的に始めたこのブログも、2年以上続けばそれなりの量が。而してその質は?

質を高めてくれるのが、寄せられるコメントではないかと感じる。

コメントには、自分の体験や思いを綴ってくださることも多く、腹膜偽粘液腫への対処の仕方とかその他諸々、参考になると思う。

コメントをいただけるのはありがたい。人によって症状、状態、生活が違うわけだし、考え方も違う。いろいろな人のそれぞれの対処方法がわかるのは、とても良いことだと思う。なにしろ珍しい病気、そうそう身近に同病の人もいないわけだし。

そんなワケで、たまたま病気のことで調べてこのサイトにたどり着いた人は、コメント欄も読んでいただきたい。

ちなみに、コメント欄を仲良しグループのサロンみたいにしたくはない。そーゆーの、正直、性に合わんのよ。誰ちゃんと誰ちゃんは仲が良いとか悪いとか、そーゆーの考えるのめんどくさいんだも〜ん。

さて、腹膜偽粘液腫に関してコメントなどできるところは腹膜偽粘液腫患者支援の会の「ご意見・ご感想」や会員用「ひとこと」がある。また、腹膜偽粘液腫の患者さんやご家族のブログなど、参考になるブログもあるので、あれこれ見てちょーだいよ、と思うのである。このブログだけでは、偏った情報しか得られないかもしれないしね。

ま、そんなこんなだけど、今後ともよろしく〜〜! 皆様のコメントでより厚みのある「ぽんぽこ日記」にしていこうと(自分のブログ自体は独りよがりだしさ〜)。ほとんど他力本願なpomでした!