緊急企画!「アナタの偽粘液腫、見せてちょーだい」

かねてより温めていた、緊急でない緊急企画!

半分ジョーダン、半分マジメ、手術でお腹から取り出されたアナタの粘液の写真を大・大・大募集! 他人のふんどしならぬ他人の偽粘液腫でブログをやっちゃう、良く言えば、腹膜偽粘液腫経験者さん参加型の企画、です。

これを思いついちゃったのは、お腹のなかに粘液が、、、ってどんなやつ?と思う人は多いのではないかと。たとえばGoogleで画像検索すると顕微鏡写真やアップの写真はあっても、患者の家族が執刀医から術後説明を受けるときに見せてもらう、「こんなん出てきました〜」なアイツの写真は、今のところ、私のコイツしか見当たらないっぽいからです。

コイツね、コイツ。↓

自分自身は撮れないから、術後説明を聞いた誰かが撮ってくれていないと、なので、レアな画像だと思います。そんなレア画像をお持ちの腹膜偽粘液腫経験者のアナタ、広く世の中に公開してみませんか? きっと、この病気の症状を知りたいと思うすべての人の参考になるでしょう。

【応募条件】

・ 腹膜偽粘液腫患者、経験者

ユーモアを解する人(この企画に目くじら立てるユーモアのない方はご遠慮ください)

・ 謝礼はありません。ごめんなさい。もしかしたら社会の反応を楽しむチャンスは差し上げられるかも!?

・ 画像の権利は投稿したアナタにあります

【掲載する内容】

・手術時の腹膜偽粘液腫、粘液、その他、摘出臓器などの画像1点(2点まで可)

・ちょっとしたコメント

・男女の別

・掲載するときのお名前(仮名、ハンドルネームなど)

【応募方法】

・まず、このブログに応募表明のコメントを入れてください。折り返し、応募先メールアドレスをメールいたします

 

ということで

ぶっとび爆弾企画、よろしく〜〜!

 

 

桜がたくさん咲いていた

♪ こーとーしーのー 桜は 遅めに〜 さあいた〜

でも去年はどうだったか、覚えていないというより知らない。「この桜吹雪が目に入らぬか。」はい、入りませんでした、自分のことで頭がいっぱいで。

そんな去年の4月14日に卵巣腫瘍の手術をし、腹膜偽粘液腫とわかって、ちょうど1年か。去年の今、ICUにいたんだなあ。あのときは辛かった。

今年はとくに花見をしてないけれど、気づけばあちこちに咲いていた。たとえば、築地警察署とヤマト運輸のビルの間にある公園。

 

きれいすな〜(しょこたん口調でお願いしマス)。4日前に写したものだけど。みんな、きれいな桜をupしていて桜だけだと負けるので、白バイ写真も入れておいた。きれいすな〜って言ってくんなきゃキップ切っちゃうぞ。あ、ちなみに昭和通を飛ばすと本当にキップ切られます(目撃談)。

公園そば、中央区役所前には花桃も咲いていた。

紅白、こちらもきれいすな〜。

さてと。

そろそろ、長らく温めていた「緊急企画」、このブログでやるかな。って全然、緊急じゃないじゃん。(と、不思議な予告をして本日はお開きといたします。)

 

『腹膜偽粘液腫の本邦における発生頻度・病態の解明・治療法の開発』のWebサイト

表題は

厚生労働科学研究費補助金 難治性疾患克服研究事業 腹膜偽粘液腫の本邦における発生頻度・病態の解明・治療法の開発研究班 

クリックして中を見てね!

今年1月のブログにあげた「難病情報センターのサイト紹介(No.192 腹膜偽粘液腫)」のことである。

***

腹膜偽粘液腫というなんだそりゃ?なものになると、「余命は?」とか「不治の病か?」という疑問がわく人が多いのだが(実際、私もなったとわかったとき、調べて、そのときは愕然とすることしか見つからず気落ちした)、ここにその答えに代わるものが出ている。

稀な疾患で、原因も不明であり、治療法も確立されていません。この疾患は、不適切な治療が行われると死にも至る深刻な病気です。

(↑「概要」3段落目)

治療は外科的に可及的切除することがもっとも有効な治療法です。(中略)手術中は腹水を吸引し、腹膜や剥離面にこびりついている粘液を洗い落とす必要があります。このとき温熱化学療法が非常に有効です。

腹膜切除は偽粘液腫に侵されている腹膜を完全に切除する唯一の手術方法です。

(↑どちらも「情報」治療方法)

組織学的に境界悪性とされる播種性腹膜粘液腺腫症(DPAM)の術後5年生存率は我々の成績では90%であるが、悪性である腹膜粘液性癌腫症(PMCA)は48%と不良である。 原因は腹膜での再発、切除が不完全で腫瘍が遺残するためである。

(↑「目的」5番)

不完全切除の原因はPCI28以上・65歳以上の高齢者・小腸間膜高度転移・緊急手術例・従前の手術回数が多い例であった。このような例でも完全切除できるように、2期的手術・化学療法後の再切除を取り入れたいと考えている。

(↑「目的」研究計画・方法 4)安全で根治性の高い手術療法・有効な化学療法の確立)

ということである。

引用の、それも私の勝手な抜粋なので、実際のサイトに当たって確認していただきたい。

悪性の場合の成績がふるわないが、完全切除を目指して研究されていることがわかるので先生方の頑張りをひたすら応援だわ!なんだけど、これって1年じゃ終わんないでしょ。

自分の顔に慣れないので

一昨日、数日ぶりに便秘解除で(下痢気味だったけれど)体重計に乗ったら、39kgを切っていた。正月にちょっと増えたと思ったのに、また減ってしまった。

プチ腸閉塞後、展覧会やら会社のキャッシュフローやら、休んでいられない状況だったので、腸閉塞にならないようにと腹六分目、消化の良いものだけ食べる、ってことで過ごしたせいか、正月の貯金を取り崩してしまったらしい。

展覧会で撮った自分の写真を見て、なんか自分の顔っぽくないというか。どうも写真の顔に違和感あり。もうちょっとお肉があっても良い気分。

アブなくない程度にもう少し食べることにして(加減が難しいけれど)、おやつもしっかり食べようと。

で、こんなのを。

デーツ(なつめやし)。ねっとり激甘、高カロリー。小さいから、一気に2個はいける。砂糖不使用とはいえ、こんなに果糖たっぷりで大丈夫?な感じだけど、体重維持にはやはり便利かも。災害時の非常食にも良さそうってことで、また買ってこよう。

お向かいさんのその後(4)

先週、ついにお向かいさんが退院された。「おめでとうございます」だけれど、どちらかというと「お疲れ様でした」とねぎらいの言葉を贈りたい。

私の手術の1週間後に手術してから、、、丸9か月。いったんの退院、転院を経て、やっと。手放しで喜べないのは、自宅で栄養点滴をしばらく続けなければならないことなどや、合併症の根本的な治療がまだ残っているから。

これまで娘さんを通じて、折に触れて様子などを伺っていた。一時は生きる希望をなくす事態にまで陥っていたようだった。

私が入院しているとき、お向かいさんに東京に遊びに来てくださいと私は言った。お向かいさんも東京に知り合いができて嬉しいと仰った。私は秋冬の間、お向かいさんと娘さんと私が東京でお花見しながら散策する姿をずっと想像した。

今年の桜は遅かったけど、お向かいさんの退院を桜は待っていたのかな。残念ながら今すぐは無理だろうけれど、しばらくしたら二人は遊びに来てくれるだろう。豪遊するんだってさ〜。

退院が決まったときには、お向かいさんが長く入院している草津の病院に、「美人会」仲間のHIMEさんがちょうど検診で行き、お向かいさんに会って来たという。

「非常階段を上り下りする練習してましたよ。自宅に階段あるからって。目が輝いていました。」

お向かいさんも美人会入会ですよ!

病気の友は元気の友

4日前の日曜日、私が出品している某展覧会に「美人の会」のみんなが来てくれた。

美人の会。ふふふ〜〜ん♪ いつの間にやら結成されたこの会は、ポジティブかつエレガントに生きる腹膜偽粘液腫経験者(患者とは言わない)の女性たちの集まりだ。どんなことをしている人か一人一人紹介したくなるような人たちで、数人集まるとそれはもう華やか。私も会員になっているので、朱に交わって赤くなろうと思っている。

彼女たちのフットワークは軽い。気軽に展覧会に来てくれるくらいだし。このグループを見て、いったい誰が病気仲間だと想像できるだろう。

そんな「美人」ばかりが、なぜ珍しい病気に?

会長格のMさん曰く、「美人だと嫉妬されることも多いしね〜。羨望を一身に浴びちゃうのが原因なのよ」。

ということで、腹膜偽粘液腫の発生原因は医学的には解明されていないものの、彼女たちに限って言えばこのようなことが推測されるのである。(なんて書くと、「原因」を検索してこのブログがヒットしちゃうのかなあ。それで来ちゃったアナタ、スミマセン、原因は「他人の羨望」ですから〜。)

スーパーウーマンたちなので、病気になってもへこたれない。運も良いのか名医にも出会える。そして術前と変わらぬかのように過ごしている。

Mさんは以前、私にこんなことを言った。

「手術したからと身体が以前に戻ったと思うのはダメなのよ、以前が100だとしたら、今は50とか60とかかもしれないけれど、手術しなかったらマイナスになってたかもしれないじゃない。生きてないってことね。そんなのより遥かにマシなんだから、前と同じじゃないと悲観するのはおかしい。」

手術して5年経過し無再発、ストーマ装着の時期もあったというMさんの言葉は、食べられなかったり便秘と下痢を繰り返してひーひー言っている私にビビッと来たのであった。

その彼女が、またこんなことも言っていた。

「臓器をいろいろ取っても、意外に身体は気付いてないないものよ。エコーとか撮れば『ないですね?』って言われちゃうけど。身体に黙ってたら、身体もこんなもんだって騙せちゃう。結構普通に動いてくれちゃうんだから。」

自分の身体に黙ってれば、という感覚が面白い。「思ったら行動」を実践できるMさんらしい。実際には身体が慣れてきて、ない臓器をどこかでカバーするようになるのだろうが、要するに、「気にするな。生活に問題なし!」ということだ。

そんなふうに考えられる人たちだからこそ、今も輝いている。

とはいえ、再発がないとも限らない。再発したらまた手術すれば大丈夫と先生からは言われているが手術後しばらくは、かなりキツいわけで。Mさんも、手術して今まさに入院している他の仲間を心配していた。

さて、そんな彼女たち、疲れ気味だった私にパワーをチャージしてくれ、ランチ会合へと会場を後にした。私はお客様の予定などもあって失礼してしまったが、聞けばステーキ丼を食べたとか。美人は肉食系でもある。

『週刊新潮』2012年4月5日号

表題の週刊誌の29ページに「無認可でも画期的な最先端『がん治療』」という特集があり、腹腔内温熱化学療法も載っていると、日頃より署名活動にご協力いただいている美術家の先生から教えていただいた。

まさしく、私が署名を集めている温熱化学療法のことが書いてある。ただ、記事は滋賀医科大学が先進医療の承認を目指しているということで、そこが私がお願いしている署名活動と違う。

私がお願いしているのは、保健適用が認められること。先進医療だと全額患者負担、滋賀医大のみということになってしまうので。

というわけで、署名よろしくお願いいたします(署名用紙こちら。詳細については署名ご協力のお願いをご覧ください)。

きのこを封印できるか?

できる。今は断じてできる! だって昨日、またプチ腸閉塞になっちゃったんだもん。

昨日の早朝、出社前に用事があって車で出かけた。どうも変だと思っていたけれど、あの膨満感の痛みが襲ってきて、用事半ばで家に戻った。

その後は夕方まで七転八倒。本当に痛くて苦しかった。オレンジ色の苦い液体も吐きまくり。足はつらなかった。年度末だというのに、また会社を休んでしまう。時間を拘束されてする仕事だったら、こんなのなかなか許されないわ。

イメージ悪い近くの病院に行くとしても歩けそうになく、救急車はなあ、、、行ってそのまま帰されたら苦しさを増長させただけになるし、入院している暇もない!と葛藤後、その日のうちに治ると信じて、お腹にホカロンを貼ってトイレとベッドを往復した。

夕方、上腹部がぐるっと動きしばらくするとガスが。わかりやすいサインだ。また吐いて、痛みもだんだん消えてきて、プチ腸閉塞は解除された。は〜。

今回の犯人は、生アーモンドか? 10粒以上食べちゃったもんなあ。または、ゆっくり食べなかったからか、はたまた食べ過ぎだったからか。

前におでんのこんにゃくが原因ではと思えることもあったりして、やはり食べ方のほかに食べるものも気をつけたほうがいいのかなと思っている。最初はそんなにナーバスになることないと思っていたけれど、こんなことしょっちゅう起こるのはたまらんよ。

で、こんにゃくはもちろん、どうも危険らしいきのこも封印。生アーモンドは1日10粒以内、それも分けてよーく噛んで、ってことにしようかと(要するに、大好物は結局やめない)。

そういえば先週、取引先の担当者さんとの会話で、私がきのこは腸閉塞になりそうだから食べないことにすると話したら、

「そーなんですか? 秋になったらpomさんも誘って松茸狩りに行こうと思ったのになあ。」

「ま、松茸!」

そうだった、、、きのこはしめじや椎茸だけではなかった。うっかりしていた。

「これから春のトリュフも出てきますよ。」

そ、そうだった、、、で、でもトリュフ、そんなに食べる機会ないし。ポルチーニ茸とかはよくお目にかかるけど。ポルチーニ茸のパスタとかおいしいよなあ。。。

「あ、あ、ちょっとは食べるってことにします。」

とそんな具合で、からかわれてしまった次第だが、苦しさが忘れられない今なら言える。

きのこ、封印します。

「わたしドラえもん」からの脱却

手術後、カロリー補給に甘いものを食べていたら、すっかり甘いもの好きになってしまった。

最近のマイ・フェイバリットは以前から好きだったチョコレートのほか、ランク外からいきなり躍り出てきたどら焼きである。バターたっぷりのお菓子がおいしく感じなくなってしまったので、和菓子系、それも「食べた」と実感があるのが良いのだ。

どら焼きはこのところ、毎日のように食べているかも。でも1個ずつコンビニで買う。何個入りとかだと、1日にいくつも食べてしまいそうだから。

毎日買っていると「今日もドラえもんが来たよ」とコンビニの人に言われそうなので、それはジャン・レノに任せて、時々は、誰かについでに買って来てもらったりもする。

とそんな苦労もしつつの先週、神保町に用事があったので、ああそうだと、甘味屋でどら焼きの親戚っぽいものを買った。

会社に戻ってから机の上に取り出したるは名物「大丸やき」。

超久しぶりのご対面。前はそんなに魅力を感じなかったけど。今はとってもす・て・き。

1日置くと味がなじむんだそうだが、待たずに1個食べてしまう。どら焼きと人形焼きの中間みたいな感じ。残りは皆にあげて、と言いながら、味をなじませたのも食べるため、ちゃっかりプラス1で買っていた。

あまりに甘いものばかり食べるので、さすがにこれはいけないかもと思い始め、昨日あたりからおやつに生アーモンドやクルミも登場させることにした。生アーモンドはがん予防に良いとか。魅惑の甘いお菓子の摂取が少し減らせた気もする。消化は悪そうだけれど。

死ぬなら突然が良いかどうか?

いきなりまたこんな話で。

いつお迎えが来ても良いと思えるまで生きられたら、突然が良いなあ。でも、それよりずっと前だったら?

たとえば、災害で突然死ぬのと、病気になって余命宣告されたのち死ぬのを選ぶなら(そんなこと言うのは不届き者と言われるかもしれないけれど)どちらを選ぶか。

自分の死を現実として見つめる時間がないほうが良いか、あったほうが良いか、または、死を予告してほしいかほしくないか、という質問にも置き換えられる。とりあえず、どちらも肉体的な痛みなどは伴わないものとして。

弟は「俺は突然のほうがいいよ」と、姉のこんな質問にそう答えた。姉の私はといえば、その反対かなと思う。

死ぬのは怖いし、存在しなくなる事実を見つめる時間があるのはとてもつらい(だから宗教ってあるんだなあと、この歳になってやっと分かった。死後の世界もあるなら、安心?だし)。しかし、何もわからず突然は、死への怖さやつらさがない反面、あまりに無情な気がする。

生きて、死ぬ。当たり前のことなのにいざ自分のこととして考えると、なかなかに難しい。

余談:死ぬのが怖いくせに、大学病院のICUにいるときと、岸和田の病院で激痛に耐えているとき、恥ずかしながら、もしこれがずっと続くなら死にたいと思ってしまった。そんなことごときでと今は笑ってしまうが。バカな私が分かったこと、それは、耐えられない苦しみから逃れられないとき、死んで楽になりたくなる。苦しみは今だけだと思えれば、死のうと思わず耐えられるということも。