ただいまの体調&傷の具合

ただいま、胃腸の具合わろし。

金曜の夜、仕事帰りに有楽町で夫と食事をしたところ、猛烈な膨満感に見舞われた。ゲップを控えたのがいけなかった? 店でしばらくじっとして収まるのを待った。でも全然ダメ。吐き気もないし、トイレも行きたくない。ただただお腹が苦しく痛い。単なる食べ過ぎ??

店を出ても、普通に立って歩けない。腰の曲がったおばあさんのように小さく丸まって、ヨロヨロとゆっくり歩くしかない。ぐーるーじー。

「しょうがない、タクシーで帰ろう。」

夫が言った。そんな、も、もったいない。と思ったけれど、

「ど、どうせなら、、、セ、セルシオで。いや、センチュリーでも。」

夫がすぐに見つけ、乗った。高級車の個人タクシーはタバコ臭くないし丁寧で(料金同じならこっちがイイわ)、苦労せず帰れましたとさ。

で、翌日。やたら遅く起きてからカフェオレとバナナを食べたら、お腹がぐるぐる鳴り出して大きなゲップが一つ。腸の中のものが、右から左にぐるんと移動していくのもわかる。しばらくしてトイレにレッツゴー。ちょっと頑張って、数日ぶりに出た。ややあって、今度は下痢が始まる。最近のお決まりのパターンだ。

晩ご飯は控えめにしたつもりにもかかわらず、また、やや膨満感。適量が自分でもわからないなんて。。。

お腹の調子はこんなだけれど、右足の付け根の感覚の麻痺はかなり治ってきた。触って感じないところはなくなった。足の付け根でも体側部分やお尻にかけてはまだ感覚が鈍いが、治ってきたところがそうだったように、じんじん痛み出したので、すっかり治るのも近そうだ。

そして、気づいてみたら、手術の痕は切ったところはまだスゴいけれど、縫い痕がかなり目立たなくなっていた! ドレーンの痕も少しだけ薄くなっている。背筋を伸ばすと傷が引きつって痛いのはいまだアリ。引きつりって結構治らないものなんだなあ。

新春放ゲップ

慌ただしい昨年末で疲れてしまい、正月休みは実家に行ったくらい。ほとんど眠り続けている日もあった。

食欲が出てきたので、飲食の機会が多い年末年始は腸閉塞にならないように気をつけたが、その他にも、今はよほど親しい人の集まりでない限り、外で食べることは注意している。なぜならば、帰りに腹痛に見舞われる不安のほか、やや気を緩めると、そこらのオッサンもひれ伏しそうなゲップが出てしまうという、女子にあるまじき状況だからである。

外では食べる楽しみを解放できないので、勢い、家や実家で大解放。「えげつないゲップだねー」と言われながらおせちやら何やらつまみ、ワインや日本酒を頂戴するのであった。お餅はちょっとだけにしといたわ。

人並みに、私もちょっと体重が増えたと思う。

そうそう、昨年のプレミアムあんこギッフェリはその後、普通のあんこギッフェリに戻っていました。良かった〜〜。あんこギッフェリとはコレ。下に敷かれているのは、年末に再び「お土産〜」ともらってきた検便結果票だったり。

今年はスゴかった

今年のワタシ的流行語大賞は、もちろん「腹膜偽粘液腫」だ。次点として、「ただちに…でない」かな? 「原発」も私にとっては「原発巣」と重なってダブルでのしかかる単語だった。

リアルなジェットコースターに乗っている気分の1年だった。震災で困っている人たちの助けになれないことにいらだったりもしたけれど、先々、私が役立つこともあるはずと、思い直したり。また、知り合いの訃報を聞き、逆に自分が生きていることに申し訳なさすら感じてしまうこともあった。

人生について、こんなに考える1年はなかった。そして、いろいろな人たちに助けてもらった1年だった。

ありがとうございました!

今年最後の病院

今年最初の病院は、確か乳腺外科の経過観察で始まり、最後は内科の便潜血検査の結果で終わった(年内、突如お世話になることがないよう気をつける!)。今年は本当に病院によく行ってしまった。通算1か月以上、滞在しちゃったし。

先週半ばに無事、検便は提出できた。無事というか、慌ただしい中とっとと片付けたくて無理矢理。1度めが少ししか出なかったし、日にちを置かず2度めを採取したかったから、初めて「コーラックII」を使ってみた。ビサコジルと、便を柔らかくするというDDSなる成分が入っているとかで、センノシド系では効かないからいいかなと。すると、翌日するり。わー簡単に出た〜、とさくっと採取。一件落着。なはずだったが、その後、水様状の下痢に。出かける前にトイレ&トイレ、銀座医院に提出した後も近くのホテルでトイレ、会社に来てもトイレ。。。かなりの水分補給が必要な日だった。

結果を聞きに昨日、銀座医院へ。亀山先生から検査結果はマイナスと知らされ、なんだか勝ち誇った気分。

「ちゃんとできた?」

こども扱いしないでくださいよ、ちゃんと表面ナデナデしたもんね。で、便秘薬を飲んだことを話した。

「顔色も良くなっているし、大丈夫かな。」

「え? 便秘で顔色が悪いとかわかるんですか?」

「わかるよ。」

便秘で顔色が悪いとは、ほっぺたに「便秘です」って書いているよう。カッコわるー。。。

大腸内視鏡検査は、そんなわけで特にオススメということではなくなった。しかし、なんとなくやっておいてもいいのではという気分ではある。先生は、検便だと進行がんの8割だか9割だかがわかり、初期は10%くらいがわかる(確かそういう数字だった)と仰った。

「便は細くない? 便柱って言って、、、」と先生は指で輪っかを作った。

「うーん、すごく細いってわけではないです。でも立派なのは出ないけど。」

自分の従前比としては、前よりは細い。でも細い、とまでは言えないと思う。単純に食べる量の違いかなと。

「膨満感は?」

「その後、1度ありました。」

先週土曜の早朝、またまた膨満感と胃の痛みで目が覚めたのだ。出かける予定だったので不安だったが、1時間くらいでおさまった。あれは前日、そこそこ食べたからだと思う。

「内視鏡検査は胃もやったほうがいいね。」

「えー、胃?」

上も。。。しかし私自身、胃のほうがまずいかもと思ったりしたので、それもアリかも。どちらにしても、年末年始の調子を見てから決めることになった。

「お餅をあんまり食べないようにね。」

「は〜い。先生、今年、本当にお世話になりました。来年もよろしくお願いします。」

「もうそんな時期だね。ここに来たのは2月だったっけ?」

「3月です。」

振り返ればあっという間だ。なんだかんだ言って、先生をはじめ、周囲のサポートでうまいこと切り抜けられた気がする。先生、良いお年を。

もういいかい?

まーだだよ。

いきなりグルっと来て、準備どころでなく駆け込みセーフだった(それも出先で)木曜日以来、土日すら出番なし。

なかなかミッションが遂行できない。すごくいっしょうけんめい、お米食べたり(ためしてガッテンでやってた)しているのに。

今週はバッグに持ち歩くとか? バッグは網棚に載せてはいけない。忘れたりしたら、取りにいくのにかーなーり勇気がいる。容器には看護師さんが親切に私の名前を書いてくれてたし〜〜。

あ、、、会社のトイレは自動洗浄。立ち上がったら即、流れちゃうんですけどぉ!

どうなる?大腸内視鏡検査(ビミョーな展開の第3話)

そういうわけで、またまた火曜日に銀座医院へ。

この日の結論は、「とりあえず検便やろう!」なのだった。で、陽性だったら当然、内視鏡検査、陰性だったらまた考える、と。

また考える、って、、、結局やろうってことになるのでは? だって、検便で早期がんはわからないって亀山先生、以前、断言されてたし。。。

「先生、2回目がずっと出なかったら?」

「2日くらい出なかったら、1回目を先に持ってきて。2回目は後でいいから。」

ちょっとホッとした。プレッシャーに弱いタイプなもので。

「便は出てるの?」

聞かれると思ったので、手帳に付けていた。ふつう、女子が手帳に付けるマークの意味は「デート」とか「月に一度の、、、」だろう。なのに今は便が出たしるし。歳月は流れた。

「先週は3回出ました。ぜんぶ下痢。」

「それくらい出てれば、内視鏡、できそうだね。」

やっぱりやる気じゃん。。。岸和田でやって来いと言うくらいだから、営業トークでないのはよーくわかったけど。

「体重はその後どう?」

「微妙に減ってます。」

先生の顔がぴくっとする。センサーが反応したもよう。

「あ、食べられないから痩せたんだと思います。」

「アレは?アレ。」←YHフローレのこと。

「アレは、、、食べられるようになったし、もういいです。」

食べられないというのは量がイマイチ少ないってことで、あれこれ食べてるし!

診察室を出ると、後から先生が出て来て係の人にカルテを渡しつつ「便潜(←そう聞こえた)お土産付きね〜♪」。

しっかり中身入れてお返ししたる〜〜。でも出るかな。というわけで、新たなミッションが課せられてしまった。

どうなる?大腸内視鏡検査(とりあえず第2話)

火曜日に岸和田の石橋先生から、大腸内視鏡検査の件でお電話を頂けた。お忙しいところ、申し訳ない。

先生からは、レントゲンも見たけれど問題ないと思う、6月にお腹の中を開けて見てもいるのだし、今はしなくても良いのではないか、というようなお話だった。(先生の会話をそのまま載せたいのに、関西イントネーションだと私の頭が勝手に言葉を整理してしまうようで、要旨しか思い出せない。)

というわけで、「大阪・大腸内視鏡の旅」企画はあっさり流れた。

一応、このお返事について亀山先生にお伝えすべきと思い、銀座医院に電話した。すると亀山先生は、

「腸の外側は見ていても、内側は見てないでしょう?」

と仰る。この違いは、外科と内科の医師の視点の違いかもしれない。外科の先生は大事に至っていなければOK、内科の先生は大事に至る前に点検、ということなのかなと。

「便は出た?」

「あー、、、一昨日、出ました。昨日は出てません。今日も。」

もう少し便の様子を見て、来週どうするか決めようということになった。

便秘なのは腸が癒着しているからかもしれない。そうだとすると、内視鏡検査自体ができないのでは。。。ま、いいや、また来週〜ってことで。

気分転換に、あんこギッフェリでも買ってくるか。と思ってコンビニに行ったら、いつの間にか彼女は(彼かも?)「プレミアム」を冠していた。わーたーしーは普通のが食べたいの! 白いんげん豆のあんこがちょっとでも入っていたら不味くなる!って意見、少数派なのだろーか。

米村先生の手術が受けられる病院

それは、滋賀県草津の草津総合病院、または大阪府岸和田の岸和田徳洲会病院。米村先生は確か、草津で週1日(ちょっと曖昧)、岸和田で週2日、手術されていらっしゃる。1日に2例やったりするらしい。。。すごい。

外来診療は草津は第1、第3土曜日、岸和田は毎週木曜日(だと思う)。静岡県長泉町の池田病院でも第4土曜日にされている。受診するには、いずれも予約が必要(なはず)。

私の場合は、患者支援の会から腹膜播種治療支援機構の勝谷さんにメール連絡するよう教えていただき、メールをしたところ、勝谷さんから草津に来るよう指示された。草津で初めて受診し、先生から岸和田でも良いと言われて岸和田で手術を受けることにした。

もし岸和田の病院のことを知っていれば、直接、病院に電話したかもしれない。だが不思議なことに、岸和田の病院のHPにはパッと見たところ、外来診療担当表に米村先生の名前がないのである。ところがスタッフ紹介にはしっかり先生の名前が掲載されているし、先生の専門領域として「胃癌、腹膜播種、腹膜偽粘液腫」とある。

聞いたところによれば、数年前に米村先生のことがTVで取り上げられた時に病院の電話がパンクするほど鳴り続け、他の患者さんたちの迷惑になってしまったのだとか。だからなのか、岸和田ではまるで裏メニューみたいな扱いに見える。(電話して初診の予約ができるかどうかは不明。)(下の追記【その1】ご参照願います)

今またTVを見た人で、先生に手術してもらいたい患者さんが全国にいると思う。腹膜偽粘液腫の患者さんは少ないけれど、先生もまた一人なのでかなり予約が混んでいるのではないかと推測する。それに術後の経過観察の外来受診者は増えるばかりだし(私もその一人)。

関西にわざわざ行かずとも、たとえば東京で手術できないかと思う人は多いだろうけれど、この手術のエキスパートとなると、日本では米村先生しかいない。でも、そんな先生が日本に一人でもいてくれて、患者としてはラッキーである。(下の追記【その2】ご参照願います)

ちなみに、先生の手術は日本の優秀な外科の先生方も手を出そうとしないものなのだから、タイヘンっぽいらしい。受けた自分は実感がないけれど。。。だから、これから受けようと思う人は、合併症の可能性等いろいろ考えてから手術するかどうかを決めると良いと思う。でも基本、長生きしたかったら手術、だと私は思う。すごく気になる人工肛門については「皆嫌がるから、最近はあまりやっていない」と、米村先生が初診時に話されていたのを記憶している。

2013年3月23日追記:
【その1】岸和田徳洲会病院に、米村先生の「腹膜播種センター」が堂々と!載っています。それを知った私のブログ記事はこちら

【その2】東京では、国立国際医療研究センター外科が治療に当たっているようです。それについての私のブログ記事はこちら

2017年6月5日追記:「米村先生にたどり着く方法」を投稿しましたのでご覧ください。

どうなる?大腸内視鏡検査(たぶん第1話)

亀山先生に大腸内視鏡検査を勧められていたことから、他にも気になることをついでに聞いちゃえ!なノリで、数日前に検査予約がてら銀座医院に行った。しょっちゅう病院行ってるよ今年は。

診察室に呼ばれ、先生から「20日はどうだった?」と聞かれた。シンポジウムのことだ。興味を持っていただいてとても嬉しい。先生は、腹膜偽粘液腫は悪い経過をたどると大学生のときに習ったという。ところが、私が自分で米村先生を探して(ネットで患者支援の会にアクセスしただけだけど)治療してきたんだから、と褒めて?くださった。また、私を最初に診察したとき(銀座医院に行く)、余命半年と思ったとも仰っていた。そして腹膜偽粘液腫でかえって良かったと。もし余命半年の病気だったら、今ごろ私は千の風。なのに便秘がどーのとか、更年期障害かもとか元気に騒いでいる。

さて、大腸内視鏡検査について、亀山先生が「ウチ上手いよ」な検査の先生と相談して検査OKとなったのに(開腹手術をしていると癒着で難しいらしい。何しろガッツリ切ってますから〜!)何を思われたか「とりあえずレントゲン撮っておこう」。あっかんべー&お腹触診プラス、レントゲンとなった。

「うーん。。。」

先生は撮ったレントゲンを前にうなっている(これを「読影」と言うらしい。カルテに「読影あり」って札が挟まってたから)。レントゲンで何がわかるのだろう? 職人芸なのだろうが、白いのがボワーっと写っているだけじゃん。

「これ、全部、便ね。」

「便!? 昨日、5日ぶりに出たんですけど。それもいっぱい!」

こんなとき「○○○ギッフェリ」なんて連想する自分は余裕なのか何なのか。(ちなみに、あんこギッフェリ、手術してから食べてないなー。でも、そもそもギッフェリって何?)

レントゲンには黒い部分もあって、もしかすると、その黒いところの3か所が良くないかもしれないらしい。亀山先生はあれこれ私に質問されたあと、意外なことを仰った。

「岸和田の病院に紹介状を書くから。そこでやったほうが良い。」

大腸内視鏡検査をやりに? わざわざ関西ですかい?

先生曰く、万一のことを考えて救急病院で、それも私の状況をわかっているところが良いと。てっきりこの後「ハーイ私が内視鏡検査担当の○○です」と真打ち登場かと思っていたのに、新企画「マイルを貯めよう!大阪・大腸内視鏡検査の旅」に変更となるらしい。

その日は、先生に更年期障害かも?なこととエストロゲンパッチ剤のことも伺ってみた。「かも?」で診断がつかない場合は、試してみるのが良いとのこと。治ればそれだったということになる。乳腺外科の先生が良いというならOK、血栓症等のリスクもあるにはある。ちなみに更年期障害に漢方はあんまり効かないんだよね、、、だそうだ。

「婦人科行くのより、内視鏡が先ね。年末年始はお休みになるから早くしたほうがいいよ。」

ということで、まず先に紹介状とレントゲンを岸和田徳洲会病院に送ることにした。岸和田の石橋先生にお電話で事情を伝え、送らせていただいた。ただいま、お返事待ち。

郵便が2通

今日、私宛に郵便が2通届いていた。

1通は、例のゼミの同期生からの喪中葉書。もう1通は、署名活動もしてくれた友人Mさんを介して、何年か前に友達になったスイス人のRさんからの手紙。

同期の彼の奥さんが亡くなって、なんで私は生きているのか? 前にも思ったことを、また考えてしまう。

彼の心中は察するに余りある。先日亡くなったゼミの先輩の、奥さんの気持ちも。最近、「千の風になって」の歌詞の意味がなんとなく分かった気がした。説明はうまくできないのだけれど。でも、彼らがあの歌の気持ちになれるまでは、まだたくさんの時間が必要に違いない。

スイスからの手紙は、私を励ますものだった。手紙には、彼女がこれまで彼や友人、ドクターに見守られながら化学療法や放射線治療をしていたことが、美しいカリグラフィで綴られていた。何年か前に彼女が来日したとき、2日間だけ会ったきりでそのままだったけれど、少し前に、Mさんから彼女もがんの治療をしていると聞いていた。MさんはRさんにも私のことを伝えてくれたのだった。

Rさんはもう仕事にしっかり復帰するという。良かった。。。私のこと、すごく心配してくれて、申し訳ない。でも、ありがとう。私も復帰したよ。

私たちの年代は、いろいろあるよね。。。

二人に、お手紙を書こう。