婦人科外来3回め

この記事は、実際には2011年6月14日に記しました。

どうせ貯血に来院するなら、もう一度、その日に予約を入れましょうということで、外来診療。手術内容について、主治医と入院前の最後の確認をした。この日があって良かったと思う。これまで、気が早い私は何度も「現時点でわかる状況は?」と伺ってばかりいた。その度に先生は不機嫌に「お腹を開けてみなければわからないです」と繰り返した。頭では理解しても、手術するまで自分の病気の内容がわからないという事実がもどかしく、不安感を増幅させた。

先生が「悪いようにはしないから」とおっしゃる。ちょっとおかしかった。そしてお願いをした。

「今後のQOLとか考えるんです、リンパ浮腫にならないためのケアが自分にとって難しいと思うから、もし、リンパ節を取るかどうか悩むことが起きたら、取らないでほしいんです。」

リンパ浮腫にならないためにはマッサージが欠かせないらしいし、正座もしないほうが良いなど、私はネット上で知識を得ていた。毎日疲れてすぐ寝てしまうし、正座ができないなら趣味の茶道も無理。なるべくなら取りたくない。

先生は「う、ん」と返事をされ、紙に何かを書き留めた。その「う、ん」になぜか私は安堵し、手術への不安が和らぐのを感じた。

(2011年11月24日追記:このときの外来診療予約表を見ると、この話は、どうやら4月8日のことのようだ。4月1日は胃の内視鏡の結果をもとに、再度、手術内容を確認したのだと思う。ということは、婦人科外来は手術前に4回行ったことになる。)

20数年ぶりの胃カメラ

この記事は、実際には2011年6月14日に記しました。

28日に消化器内科初診があり(いちいち大学病院って面倒だ)、この日、胃カメラを受ける。受けるのは20数年ぶりだ。「んがんが」してしまって苦しかったのを覚えている。でもそんなことは今はどうでもよくて、悪い結果でないのを祈るのみ。

「あー、潰瘍の痕がありますね。」

20年以上前のものでも、痕が残っているのだろうか。

「あとはきれいですよ。」

問題なしとのお言葉。よだれをだらだら流しながら、検査は終わった。起き上がって、うまく履けない靴にあたふたしながら、先生たちに何度も「ありがとうございます」とぺこぺこお辞儀しながら、部屋を出た。

婦人科外来2回め

この記事は、実際には2011年6月14日に記しました。記憶が少しあやふやです。

夫と一緒に受診。これまでの検査から、リンパに転移がない、スキルスでもないと先生から伝えられる。それは良い知らせなのだが、この時はまだ知識が浅く、ああそんなものかと思う。しかし、腹水の検査結果はクラスIV。

「悪性ってことですか?」

「悪性の可能性があるということです。」

そして手術の日にちを相談する。最初の診療では、混んでいるから2か月くらい先との話だったが、来月4月14日に決まった。先生によれば、震災の影響で学会の予定が変更になったのだそうだ。私の前に呼ばれた人は、空いたこの時に手術日を繰り上げた患者さんだと先生はおっしゃっていた。その女性は、夫らしき人に車椅子を押してもらっていた。。。

私はよほど悪いのだろうか。いずれにしてもお腹が張って苦しく、手術を早くしてもらえるのは嬉しかった。

先生は手術内容等をプリントして私たちに説明した。子宮単純摘出、両側付属器切除、悪性だったら骨盤から傍大動脈リンパ節郭清、大網切除が加わる(今、プリントを見ずに記憶を頼りに記しているので間違いがあるかも)。リンパ節を記した人体図のカードが白衣の胸ポケットから取り出され、郭清するという部分が指し示される。境界悪性の場合は悪性に準じた術式になる。良性であれば手術の時間は3時間ほど、そうでなければ6時間くらい。

どのくらい切るのかという私の問いには「恥骨から上へお臍の上まで。この絵よりももっと上まで切ることになるでしょう」と、プリントの臍の上まで点線が入ったイラストに、先生は赤ペンで破線を追加した。

先生は、念のため胃の内視鏡検査をしておきましょうとおっしゃった。輸血用に自己血を貯血する予約も入れることになった。

(その後、夫の話では、先生が「一緒に頑張りましょう!」とおっしゃったのだそう。全然覚えていないのはたぶん、手術の内容がネットで調べてわかっていたにも関わらず、実際に示されてショックで、呆然としてしまったからだと思う。)

計画停電

この記事は、実際には2011年5月29日に記しました。

ずっとずっと、ネットで病気のことを調べていた。卵巣がんだったら腹水もあることだし、かなり悪いのだろうか? いや、腹水があっても、良性の可能性だって。。。

3月になってから憂鬱が私を支配していた。今まで考えたこともなかったことが世の中にも私の体にも起きている。呆然としながらも、それを事実として淡々と受け入れざるを得なかった。

17日はMRIの予約日で病院に行った。検査着に着替えたところで、検査は延期と伝えられる。これまで回避されていた計画停電がこれからあるというのだ。病院に来るには1日仕事、家からも車で1時間かかるので、なんとか停電が終わってから検査できないものか頼み、その日の夜に検査してもらうことになった。技師の方たちが快くOKしてくれて感謝。

時間になるまで、実家で待機することにした。外は信号機が消えていて、運転するのが怖かった。

なんでこんなことが起こるのだろう?

この記事は、実際には2011年5月12日に記しました。

この日、仕事の用事で外出していた。あともう少しで会社に戻るというとき、あの地震が起きた。立っていられなくて、大きな街路樹につかまって揺れがおさまるのを待った。思わず、そこにいた知らない人と見つめ合ってしまった。

その日は会社に泊まった。夜は床にダンボールを敷き、横たわった。膨らんだお腹が苦しい。横向きになると、今度は骨盤が痛い。すごいことが起きてしまった。私の体にも起きてしまった。なんでこんなことが起こるのだろう? なんでこんなことが起こるのだろう? なんで。。。 答えのない問いを、繰り返し繰り返し心のなかでつぶやいていた。

大学病院の婦人科に行く

この記事は、実際には2011年5月29日に記しました。

前日、夫に話し、紹介状を持って朝から二人で大学病院の婦人科に行く。内診、子宮の超音波、腹水検査、血液検査、CTを受けた。

わかったことは、両卵巣とも腫れていること、腹水は粘液細胞に似ておりがんの可能性があること。マーカーなるものはCEAが9.8、CA125が63.5、CA19-9が38.7ですべて数値の横に「H」が付いていた。またCA72-4は44.8。手術が必要であるとのこと。(医師がどのように話したか、今はあまり覚えていない。自分自身は落ち込むというより観念した気分だったように思う。)

次はMRIをして、その後受診することになった。

銀座医院に行く

この記事は、実際には2011年5月16日に記しました。

2月から「これは病院で診てもらわないと」と思うようになっていた。中年太りだと思っていたお腹ぽっこりがじわじわと張ってきて、ついにはおへそがめくれそうなくらいになってしまったのだ。

お腹ぽっこりとの関連があるのかわからないが、1年前の1月に、突発的に39度もの熱が出て3日間寝込んだ。家の近くの病院に行くとインフルエンザではないので、様子をみましょうとのこと。その後、くしゃみや笑うことができないほどの腹筋痛になり、また病院に行ったがわからなかった。筋肉痛は夏まで続いた。とにかく体に変なことが続いている。

また「様子をみましょう」で終わるのでは? そうは思いつつ、昨日は会社の近くの銀座医院を受診した。

担当は亀山先生。血液検査のほか、お腹を触ると腹水があるとおっしゃる。どうもそれがゼリー状だと(触っただけでわかるとは!)。

そして今日、超音波検査を受けた結果、卵巣がかなり腫れている、脾臓も大きいけれどこれは元々かもしれない。腹水はいろいろな病気が考えられるが、女性の場合、まず婦人科を受診したほうが良いとのことだった。

「紹介状書きますから。どこ行く? がん研とか、このあたりなら聖路加とか。」

「え? がん研? あ、あのう、今の診察状況から判断して、軽症だった場合、外科的処置ってありますか? 手術とか。」

「うん、開腹手術。卵巣がそのくらい大きいと、腹腔鏡は無理だと思う。」

え?え?「先生、意味がわかりませんでした。もう一度言ってください。」

「開腹手術。」

ショックを受ける暇もなく、行きたい病院があればそこに紹介状を書くと先生がおっしゃるので、乳腺の腺筋上皮腫で経過観察を受けている東海大学病院をお願いした。

亀山先生はすぐにインターネットで東海大の診療時間を調べてくださり、「明日、土曜日だけどやってる。明日必ず行くように」とおっしゃった。そして私の左手にちらりと目をやりながら付け加えた。「結婚してる? なら、ご主人も行くようにね。」