病気と原発がワンセットでやってきた

地震、原発、、、たまたま時期を同じくして体調を崩し、手術の結果、腹膜偽粘液腫とわかった私。病気について「予後不良」「5年生存率20〜50%」または「余命については普通は十数年以上のことが多い」といった情報をネットで見つけるにつけ、「死」を身近に感じつつ、これからの何気ない一日一日をいとおしく思いながら過ごそうと思ったものだった。

しかし、私はこれから、死の恐怖から逃れるために、健康になるために、米村先生の診断を仰ぎにいくのである。治るかもしれない。それは自分に希望を与えてくれた。

ところが原発といったら。ただちに健康被害はなくても、これから先、がんになったりするわけでしょう? 「余命については普通は十数年以上のことが多い」と同じじゃないか!と思ってしまう。

茶道で使われる茶杓に「無事」という銘がついたものがある。禅語で、「外に向かって求める心が消えた状態」をいうのだそうだが、日本人は結構、こういう感覚に支配されているのかなと思う。原発の放射能について、どうにかしようとか逃げようという気持ちよりも、この状態のなかで、日々の穏やかな暮らしを全うしようとする気持ち。やがてやってくる恐怖の時から逃れようとせず、受け入れてしまう気持ち。

私も当初、ただちにどうこうというわけではない病気だから、なんとか付き合いながら来るべき時には静かにこの世を去るか、、、なんて考えたけれど、やっぱり「来るべき時」を本気で想像したら怖くて怖くて、絶対にそのときに後悔すると思った。なぜあの時に対処しなかったのだろうと。だから今、私はこの病気について対処することにしたのだ。

原発だって同じである。来るべき時に後悔したくない。赤信号みんなで渡れば怖くない、だけど、ヤバいものはヤバい。ああ、どうしたら良いのだろう?どうするべきなのだろう?

Leave a Comment

* are Required fields