Happyさんに、1月の末頃メールした。メールはずっと控えていたけれど案じていて、頃合いを見計らってしてみたのだった。
しかし、お返事メールが来ない。
どんなときでも思いやりを忘れないHappyさんである。返事が来ないのは、できない状態なんだと察しがつく。だから、祈る思いで「実は大変だったのよ〜」なんてメールが来るのを待っていた。
土曜日に知らない携帯番号から電話があった。Happyさんのご主人だった。病室からだ。
正月の1日に大出血し、敗血症になったこと。今、かなり厳しいこと———。彼女の状態は今は手足も動かせないが、ご主人が耳元で大きな声で話しかけると目を動かして反応するという。「よかったらpomさんも、この電話から話しかけてやってくれませんか。。。」
気が動転するなか、私は電話口で叫んだ。「Happyさん! Happyさん!!! 聞こえる? pomだよ。頑張って! Happyさんが頑張ってくれなくて誰が頑張れるのよ!! 頑張って!」
「今、目が動きました。口もパクパクしています。何か言いたいのでしょう。」
Happyさんの綺麗な声が聞こえてくる気がした、「ぽんぽこさん、私、かなり頑張ってるんだけどね。結構辛いわー」。
Happyさんは声が綺麗で、クリっとした目が印象的な人。「Happy」と名乗るのは、そうありたいと願う気持ちとポジティブな心持ちからだろう。会えばいつも明るく、人をなごませる性格。そんな彼女も、不安な気持ちをちらりと漏らしたこともあった。また、できるうちに、楽しいことをたくさんしておくのだ、とも言っていた。
翌々日のご主人からの電話は、訃報となった。
思えば私が退院する2日前の金曜日、お母様とともに大阪入りした彼女は術前の受診を終えて、病室に寄ってくれたのだった。私が思いのほか早く退院してしまうことに「あらー、入院中に一緒に女子会するはずだったのにねえ。いやいや、早く退院できて良かったわ」と喜んでくれた。私も「いやー、ごめんごめん、お先にね〜」なんて軽口を交わした。
挨拶代わりに、彼女の分と思って余分に求め、岸和田まで持ってきた「うさポン」バッジをあげた。彼女が退院後、電車に乗るときにあれば役に立つだろうと思って。彼女のほうは、キャンディと東方神起のフェイスパックを私にくれた。私が入院中、寝たままでもキャンディは食べられるしパックして女子力UPできるだろうと思って。お互いのささやかなプレゼントは、結局、思ったようにならなかった。
あのときが、彼女との最後になった。日曜午前に私は退院し、入れ替わるかのように、その日の午後に彼女が入院した。
彼女は手術を待ち望んでいた。度重なる手術、抗がん剤治療、、、治療の苦しみも大きいけれど、それより治療しない苦しみのほうがずっと大きかったから。以前、「先生から、次に手術するときは人工肛門だって」と話していたから、そういうこともわかったうえでの選択だった。でも、まさかこうなるとは考えもしなかったと思う。私だって、逆転ホームランを信じていたし。
今、私の気持ちを表すぴったりした言葉が見つからない。ショックだし、悲しいし、寂しいし、何か頭がぼんやりするし、どこか心が落ち着かない。
このことをブログに書いたら、頑張っているお仲間も落ち込むかもしれないし、どうしようかと思った。でも、私には彼女の「今の気持ち」が分かる気がした。勘違いだとしたら申し訳ないのだけど、皆に伝えておいてよ、と思っているのではと。
彼女の結果は辛いものだけれど、多くの症例によってより良い治療法は見出されていく。彼女の例から、先生も看護師さんも他のスタッフの皆さんも、今より良い治療法を見つけてくれるのだ。だから決して無駄な結果などありはしない。
彼女からは教わることも多かった。くよくよしているより、ポジティブでいるほうが充実した時間を過ごせること。明るい性格は、他人にむやみな不安を与えずにすみ、それは結果的に思いやりにもつながること。自分から気軽に話しかければ、友達は増えること。。。
Happyさん、ありがとう。今も私の声が聞けるでしょ? 私は明日の夜に、会いにいくよ。お別れのつもりじゃない、だって、Happyさんはずっと私の心の中にいるから。
ちありん
2014年02月26日(水)13:28
Happyさん、pomさんブログによく登場してらしたね。
きっと彼女も最後まで逆転ホームラン狙っていたと思います。
Happyさん、頑張りましたね。
ゆっくりおやすみなさい。
pom
2014年02月27日(木)03:35
ちありんさん、どもありがと。
Happyさんはさんざん頑張ってるのに、頑張って、なんて言っちゃったよ、私。
彼女はさ、優しい人だからさ、貧乏くじをわざと引いちゃったんじゃないかって、なんかうまく言えないんだけれど、そう思えてならないんだよね。
もう今日になっちゃったけど、お通夜、行ってくるわ。
ぺぺろみあ
2014年02月27日(木)04:58
本当に心からの「 頑張って 」という言葉は、ちゃんと相手に伝わっていると思います。
神様は優しい人を連れて行っちゃうのかな…
お会いしたかったです。
ゆっくり休んでくださいね。
八重桜(ちびまるぱんだ)
2014年02月28日(金)10:31
Happyさんへ
pomさんのブログに登場するあなたは、治療しながらもハツラツと元気に明るく前向きに過ごされていました。
そんな あなたとpomさんが、私はとても眩しく 羨ましく感じていました。
どうして?…どうしたらそんな前向きになれるの?…そう思った時期もありました。
でも、時々登場するあなたをブログを通して拝見すると、私も元気が出ました。そして、私も負けじと前向きに!そういう自分になっていました。
直接お会いは出来ませんでしたが、pomさんのブログを通して、確かに私は あなたからパワーを貰いました。
ありがとうございました。
ありがとうございました。
私の想像するあなたは、きっと ゆっくりなんてしてないんだろうな。
天国に行って、あれもこれも めちゃくちゃ楽しんでアクティブに動きまわっているんだろうな。そして、みんなを 優しく見守っているんだろうな。
勝手な想像だけど。
Happyさんの益々のhappyを願って☆☆☆
ちびまるぱんだより
pom
2014年03月02日(日)06:02
ぺぺろみあさん、ちびまるぱんださん、どもありがと。
ほんと、あの人はいい人だったね。きっと、天からもお仲間の皆を見守ってくれてると思う。んで、「やることやったほうがいいわよ」って絶対言ってるね。
なんかでも不思議なんだけど、病気仲間っつーのはさ、どーゆー関係なんだろね。考えてみると、Happyさんと私はお互いの経歴も知らないわけ。だけど旦那さんも池田で会ってるし、お母様にも岸和田で会った。彼女とは、普通の友人には話さないことを話し合ったりもしていたし。
なんでこんなこと言うかというと、飾ってあった写真が、私が知ってる顔じゃなかったんだよね。でも、あの写真の顔こそ多くの人の心に残る彼女なんだと思う。また、お棺に入った彼女の顔も彼女っぽくなかった。どっちも私が知ってる顔じゃなかったのよ。写真は病気になる前に撮ったものか、善良で美しい奥様風だったし、眠る彼女のほうは、見覚えのあるピンクのシュシュが一緒に入っていて、それ見て「Happyさんだ!」ってやっと思ったんだよね。
私が知ってる彼女は、決して奥様風ではなくて、コンサートにガンガン行っちゃう、目がくりっとした人だったよ。
私が彼女と関わった一時期は、彼女の人生のほんの短い期間で、たぶん、彼女の家族にとっては忘れたい期間であるかもしれず、、、なんと言ったらよいのか、うーん、そんな期間限定の不思議なつながりの友達だったんだなっていうか。。。すみません、うまく言えなくて。