【ICUにいる間】
体が動かせない、予想していた腰の痛みより背中がもーっと痛い、そしてまるで時間が止まっているのではと錯覚しそうなくらい、ゆっくりとしか進んでくれない時間に辟易した。
4泊もしているうちには、隣のベッドに面会者がどやどやとやって来たかと思うと、しばらくしてから死亡宣告が出され、「お婆ちゃん。。。」と言いながらすすり泣く若い女性の声が聞こえたりもした。
以前の病院のICUは広くて静かすぎるのが逆に耐えられなかったけれど、ここはやや雑然とした感じだった。それでも、じーっと寝ているのはツラい。それで、持ち込んだラジオを(もちろんイヤフォンも持ち込んで)ずーっと聴いたりして気を紛らわせた。
手が自由にならず寝たままだから、チューニングは難しいと思ったので、事前に甥に面白そうなAMに合わせてもらい、間違って触っても変わらないようテープでがっちり固定しておいた。本当はFMが良かったのだけれど、電波が入らないかもしれないからAMにした。
甥が合わせてくれたのはMBSで、「こんちわコンちゃん」を聴いて「ノムラでノムラだ」って何だよ?と思いながら聴いて、それから阪神戦を聴いて、、、あっという間に家に帰りたくなった。TBSでいいから、いや、この際、ニッポン放送でもいい! 関東のラジオが聴きたい! 戸惑いと少々の飽きを感じながらも、時間の経過がわかりにくいICUでは、それでもないより遥かにマシだった。
そんな私にとって最も優れていると思われたコーナー、それはCMの「スジャータが○時をお知らせします」である。スジャータ、ありがとう!
とにかく、どうやって出られるまでの時間を消化していくか。当然、絶飲食ながら、氷水でうがいをするのはOKなので、何度となく氷水をお願いして両手でベッドサイドを握り、反動を付けて上半身をちょっとだけもたげつつ、ブクブクペッを繰り返した。
歩く練習をするのもベッドにいる時間から解放されて良かった。なんとICUにいても歩く練習をするのである。ただ、とにかく体にはいろいろなものがつながっているので、立つまでにそれを整理整頓するのが大変。やってもらっていてイライラするくらい。まず最初に車椅子に移動し、それから立つのだけれど、リハビリの先生はそれは大変なご苦労なのだった。
そんなご苦労をかけている割には、私は「1時半という話だったのに、遅かったですね。すごーい待っちゃった」とか言っていた。1日に1回のそれが、とにかく待ち遠しかった。
「遅くなってすみません。」
「早く来ないかなーって思ってました。」
「珍しい人ですね。皆、痛くてやりたがらないのに。」
私は痛さに疎いのか???
「はい、今日はこのくらいにしましょう。」
「もう終わり? えーーー?」
「そんなこと言う人、初めてだなあ。普通、早く終わりにしてって言いますよ。」
「もっと歩きたいなあ。」
痛みよりも、ベッドに戻ってまた時間が流れなくなるのが、たまらなく嫌だったのだ。
まあそんなだから、何か違うことがあるのは嬉しかった。先生の回診も。その割には、米村先生が私の名前を呼びながらいらっしゃっても、すぐに気付かなかったりした。
米村先生は私をすごくぼーっとしている人間だと判断されたようだった。以来、「おいっ」とか「よおっ」とか言いながら私を突っついた。先生、呼ばれるという構えがないときに、いきなり関西弁のイントネーションで名前を呼ばれても〜。なかなか自分が呼ばれているとは思わないんだってば、関東人には。
2013年11月4日追記:
時々コメントしてくださる、ぺぺろみあさんのブログを拝見して、ハッと気づいた。私はたぶん、うつろな目をしていてICUシンドロームになりかかっていたのではないだろうか。だから先生は私を突っついて現実世界に引き戻そうとされたのだろう。
現在は術後ICUでなく、すぐHCUに入るとか。そのほうが絶対に精神的に良いと思う。
HIME
2012年09月11日(火)13:05
確かにICU4泊は厳しいですね。よくがんばりました。
それにしてもいつもゆかいな文章なので読んで笑ってしまい、また想像も……。旦那さんを知っているだけに…….ムフムフプッ(笑) ゴメンナサイ!
来週、岸和田で手術する人がいるのでその方にこのブログをご紹介しようかな~って思っています。
そうそう、術後説明のビデオ見てみたいわ~。
pom
2012年09月11日(火)15:27
ウイ、マダ〜ム! よろしくー。
ビデオ、今度ウチ来たらご鑑賞くださいませ。
米村編は2〜3分で終わっちゃうんだけどね。
東海大編のほうがもうちょっと説明が長い。こっちは主治医が取り出した粘液をビョイ〜〜ンと伸ばすところと、父のボケ発言が見どころかと思われます。
リーナ
2014年12月19日(金)14:00
始めまして。
私、大阪在住のリーナと言います。
今年の4月に家の近く(八尾市)の徳洲会病院でドックを受け右卵巣の腫れが手術対象の大きさと言うことで市民病院への紹介状を書いてもらい(八尾徳洲会では婦人科手術はしていないのです)そちらに移りMRIを撮ったところ境界悪性腫瘍の疑いってことで8月初旬に(小5の娘が夏休み中にと思い8月になりました)子宮、左右卵巣の摘出手術をしたところ…
虫垂が異常に腫れて腹膜播種を起していることが開腹してわかりました。
外科の先生を急遽呼んで大網、虫垂(原発)の切除もしたのです。
『腹膜播種』そしてガン細胞の種類はいんかん細胞と(後に石橋先生が言うところの『顔つきが悪い細胞』)
ゆう言葉を聞いたのは退院後数週間経ってからです。
その間に胃カメ、腸カメなどの検査を受け異常なしでした。
そしてネットで調べた私や周りは『米村先生』に!!と満場一致でした。
市民病院から紹介状を書いてもらう際、
『米村先生は通常の治療をしないんですよ?』とあまりいい顔してなかったという印象です。
どんな治療が通常でないのかも全くわからないけど
ここで治療しても化学治療だけで完治はないよね?と思い
気持ちはもぅ絶対米村先生に会いに行きたい
そして私の事診てもらいたいってだけでした。
それから9月11日。
岸和田徳洲会で初めて米村先生にお会いし市立病院の経過資料とその後慌てて受けたPETの資料(PETでは何も写らなかった)
米村先生は
綺麗にとれますと言ってくれて
ここに来て良かった!流石名医なんやわって喜び束の間。
話してるうちに『僕の今までの治療なら4分の1しか治せないねん…』(いんかん細胞の事ですね…)
血の気一気に引き、頭かかえ付き添いの父や妹たちも
変なため息ような声を出してた。
『でも』と先生。
『新しい治療方が効きますそれでやってゆけばいい』
とおっしゃいました。
新しい治療…
どんな治療なんだろ?
手術のやり方?
全くわからないけど
腹腔内温熱療法を同月末に受け同時にお腹のポートが埋められました。
新しい治療とは
抗癌剤ローテーションや二種類ミックスのかなり辛いものでした。
3クール受けたら相当辛くなり4クール目の先週はお休みしてしまいました。
罪悪感と焦りで次の診察が怖いなぁー
見放されてしまわないかなって思ってたら今週の月曜の朝8時過ぎに米村先生から電話あって
『元気になった?』って一声に鼻の奥ツンときました。
そしてもぅ3クールしたし腹水も細胞診も毎回正常やし
手術しようか?って
26日手術に決まったのです。
年末年始みんなをバタバタさせてしまうけど
今年中に手術ならいいなって思ってのが急に叶ってしまってドキドキと不安で気持ちは逃避してるけど…
だからこそponさんやちありんさんのブログ見ると
とても励みになるのです。
ほんとは病気ブログなんてよー書かんわって思ってたけど自分の記録、そして繋がりを持ちたい!
それが一気に沸いてきたのです。
長い文章、誤字脱字、話の前後を許して下さいね、
偽粘液腫…とは違いますが米村先生にお世話になってる仲間としてよろしくお願いします。
リーナ
2014年12月19日(金)14:01
まだ、よくわかってなくてコメント
重複させてしまいました。m(_ _)m
pom
2014年12月20日(土)12:38
リーナさん、はじめまして。
コメントの編集機能がなくてごめんなさい。重複部分をただいまこちらで消しました〜〜。
リーナさんは行動派だね! すばらしい!! きっとうまく事が運びますよ。抗がん剤治療は辛かっただろうけれど、気持ちが前向きだから良い方向にいきそう。
米村先生は名医の中の名医だと思います。腫瘍だけでなく患者の心もわしづかみですっ。
石橋先生も良い先生で面白いyo。石橋先生作、秋の俳句「ステテコを干して一息 月眺む」に続く冬の一句、聞いといてください〜。もちろん患者として心配なことなど、米村先生がいなくても気軽に聞けます。
お仲間同士でもいろいろ情報交換してますので、なんかあったらコメント入れてくださいね。
これからよろしくお願いします! ともに前進ですよ〜〜〜。