Happyさん、りんごさん

Happyさんが天国に行っちゃってから1年。私は時々、彼女の写真を取り出して見ることがある。彼女に語りかけたりはしないけれど、ただなんとなく見たくなって、彼女の顔はありありと思い浮かべられるのにそれでも見たくなって、そっと取り出す。

1年前に彼女のご主人から電話が来たとき、容態の悪化した彼女に向かって、私は電話口から励ました。もはや彼女は話せる状態ではなく、もちろん応答はない。でも、私には聞こえたのだ「ぽんぽこさん、私はもうこれ以上、頑張れないわー」って。

勝手な思い込みかもしれないけれど、彼女の心の声を、私は聞いたのだ。

きつい手術を何度となく受けて、体力ガタ落ちで身も心も疲れてしまったのだろう。もはや頑張りきれなくて、もういいや、生にしがみつかずに楽になろう、と。

もっと、しがみついても良かったのに!

彼女は元々、ご主人やお母様のことを気にかけていた。東北の被災地に赴いて仕事をするご主人に迷惑をかけてはいけないと思っていた。また、お母様は日頃、お父様の看護があるため、お母様に負担をかけることをとても心配していた。

彼女は心優しいから、これ以上頑張ると家族にも迷惑が及ぶと、どこかで考えていたのではないだろうか。だから、そろそろもういいやって思っちゃったんだよきっと。。。

りんごさんのことも思い出す。りんごさんは私のお臍手術のときのHCUでお隣だったお仲間だ。

私が退院しずいぶん経ってから、りんごさんにメールをしてみた。律儀そうな人なのに返事はなく、もう一度メールしたけれど、はやり返信はなかった。

昨年9月に池田を受診したときに、思い切って米村先生にりんごさんのことを伺ってみた。

りんごさんは亡くなっていた。退院したものの、体調が悪くなったときに地元の病院に行って点滴イッパツ〜とはしなかったらしい。サクッと行っておけば復活した可能性も大だったろうに、なぜ行かなかったのよ?りんごさん!って怒ってなんかないよ、りんごさん。りんごさんも心優しすぎるんだけどね。。。

彼女はきっと、これ以上、家族に迷惑をかけたくないと思ったに違いない。遠い病院に送り出してもらい手術を受けての長い入院生活は、経済的にもメンタル面でも幼いこどもたちにまで負担が及んでしまったと感じていただろう。だから、退院して体調が優れなくても地元病院に連れて行ってくれとは言えず、我慢してしまった気がする。

死んじゃうのと生き延びるのとどっちが良いと思う? ねえどっち? ねえ?

なんか、酒癖の悪い人みたいになってしまった。。。

「患者力」として(今、作った言葉ね)、そのときは家族に迷惑をかけちゃうだろうが、しっかり生にしがみついて、あとで「あのときはど〜も♪」って言える幸せを想像しちゃう人になったほうが良いかもしれない。

・・・今は会えない彼女たちを偲びつつ。

母のこととか

2014年にケリをつけたことにして、昨日は新年気分で着物で出かけたりした。母ががんだとわかり、そんな暢気なことをしていて良いのかとも言われそうだが、大げさに不安がる必要もなく。

ーー数日前、母の外来に付き添った。

母は下部胆管がんで、消化器内科の主治医の先生が仰るには手術できるという。「70代後半、80代でも今は積極的に手術をしているんですよ。」そう仰りながら、そのあと先生がどんな言葉をつかったか忘れてしまったが、母に生きる気力を尋ねたのだった。

母は、「ハイ、私は生きまくりたいです。」

「生きまくる」だって。ぷ〜〜〜! 先生も私も苦笑いというか、でも話の方向はすんなり決まった。私は母の顔をのぞきこんで言った。

「だったら手術だね!」

とは言っても結構大変な手術みたい。術後QOLの低下もあるというようなことも仰っていた。

しかしそれについては私は心配していない。膵頭十二指腸切除術らしいのだけれど、難しいのは先生のほう。なんとか腕の良い先生にお願いしたいが、こちらが頑張ることは特になし。同じ手術ではないけれど、お腹の手術ですんごいヤツ、ワタシ経験してますから〜〜。母に体験談を話すことができるから〜〜! 半年くらいはヨロヨロだとしてもそのうち復活できるってことを知ってるから!

母にはここに至るまで、私の体験とそこから得た知識を元にあれこれ情報を伝えていた。

私「万一『がん』って言われたらね。」(心の声:閉塞性黄疸で胆石でなかったらがんの可能性高そうだよ。)

母「がんなわけないじゃない!」(心の声:それ実は心配してるんだけど、そう思いたくないし。)

私「手術できると言われたら喜んだほうがいいよ、手遅れな人も多いらしいし。」(下部胆管狭窄でエコー、CTで腫瘍が見つからなかったことを考えると、手術できそうな予感なんで、なんとか手術受けてちょんまげ。)

母「手術!? 嫌だわっ。」(とりあえず毎度否定しとくのがお約束なんで。)

私「しっかり治すつもりだったら手術だから。」(つべこべ言わずについて来い!)

とまあ、そんな感じで主治医の話を聞く前に事前レクチャーしておいたのである。

なワケで今後の方針を即決したのだった。ちなみに我が家のキーパーソンは私であり、父は母本人が決めたことに文句言う人間ではなく、弟は私が決めたことに納得するから問題ない。一旦家に話を持ち帰って再度受診時に回答なんて言っていたら1週間は遅れてしまう。こういうのはとっとと決めるのが良いのだ。

「では」ということで、先生は早速その日のうちにできるMRIと肺活量検査のオーダーを入れ、さらに胃の内視鏡、大腸内視鏡、消化器外科の先生の受診、そしてもう一度、消化器内科受診の予約を入れた。

肺活量の検査には私も一緒について、技師さんと一緒にパフォーマンスして吸ったり吐いたりするタイミングを母に知らせた。なんでこんなことを調べるのだろうと思っている母に「手術の時に重要なの」と教えつつ、ちょっとこちらも緊張したりして。自分が手術するときの不安だった気持ちを思い出してしまって。

MRIのほうは事前予約優先だから、飛び入りの私たちはずいぶん待つこととなった。着替えた母の隣に座りながら、この分では母が終わるのはいましばらくかかりそう。ふと、母に番号表を持たせて「ちょっと出かけてくる。終わるまでには必ず戻ってるからね。」と言って、私は席を立った。NEWさんのところに顔、出そう。。。

このブログにコメントしてくれるNEWさんが、そのとき、カロリー点滴のために同じ病院に入院していたのであ〜る。まったく世の中は狭い。

んで、NEWさんがいそーな階に行って、ばっちりNEWさんを見つけました〜〜。ぐは。

お邪魔しますとカーテンをそっと開けたら、奥様は挨拶してくれたんだけど、NEWさんったら私の顔見て「誰?この人」的反応を示した後で「ああpomさん!」ってオラオラ〜〜。でもその日、私は眼鏡をかけていたのである(いつもはコンタクト)。さらに昨年末にビミョーにヘアスタイルを変えてもいたから、わからなかったもよう。

燃料切れ状態で相当ヨレヨレなのかと思いきや、その割におしゃべりも力強いこと半端なく、高カロリー点滴が効いているとのことだった。

NEWさんの状況は、彼のブログに出ているからそちらを見てね!なのだが、つまるところ大学病院やハイボリュームセンターは大きな手術等をする場所(ポイント)であり、そこを通過後の継続的なトリートメントは研究対象とならない限り、もっと身近な病院が適しているのだろう。

さて、話が母のことに戻るが、今回、私は患者の家族という立場になり、初めて気づく事も多いなと感じた。

当事者であった時は逼迫した恐怖感が大きく、家族のことを時に「のんきに構えて、ったくも〜、私のことを最優先してよ」と思うものだが、家族は患者への接し方に神経使ったりするし、突然にして降りかかった付き添いやら何やらの時間のやり繰りに追われることとなる。第一、何しろ心配である。当事者以上に心配しているかもしれない。でもそんなそぶりを示したりはしないのである。患者をもっと不安にさせちゃいけないから。

と、それにしても母の手術に至るまで、何回病院に来ているのやら。今後も続くし。ただ、母は足が弱くて一人で行けないし、第一、これまで一度たりとも入院や手術などしたことないどころか、私が知っている限り、病院にかかったのは皮膚科に行ったくらいの健康優良ママで、やることなすこと初めてで要領を得ない。何事も初めては不安なもの、だから大ベテランな家族である私に付き添ってもらいたいと、いつも電話してくるのだった。

正直なことを言えば、仕事が詰まっていると困るなと思ったりしたが、そのときに「お隣さん」からもらったメールが私の心を変えた。母からあてにされるってことがどれだけ良いことか(自分が病気だったら母親だってあてにできないもんね)、そして親孝行になるならやるだけやっといたほうがいいなと気持ちを改めたら、なんだか嫌な気分が吹っ飛んで、むしろ積極的にやってくど〜〜ってな感じになったのである。

と、「お隣さん」とはコメントで名前改めまして「お隣さん」となった草津組の彼女である。無事手術を終え草津を退院して地元に戻ったものの、例のチョー氏の襲来に遭い、ただいま流動食という情報をNEW氏より入手している。でもいつも彼女は温かいメールなんだよね〜、励まされるわー。

お互い励ましあって前進できるっていうのは、人が持つ潜在的なパワーを引き出せるもののような気がする。私が患者となって皆に励まされて前進しているように、母も励まして前進してもらわなきゃ。って、あの母だから、「あなたに言われなくても前進しますよ」って言いそうだけどね、だって生きまくるって言ってるんだから。

とりあえず、グラグラしている歯が1本あるっていうので、明日の受診時、歯科の受診もお願いできないか、先生に聞いてみよう。感染症のリスクは減らしておきたいしね。おお、なんか患者知識が役立ってるじゃん?

昨年が終わらない

明けましておめでとうございます

と世の中は2015年である。

しかし、

ワタシはただいま2014年13月と思ってあれこれやっている。

だって、、、仕事納められなかったんだもーーーーん。

1日は実家に行ってワタシ的には「仮の」元旦を過ごし(検査入院を終えた母が作ったお雑煮を食べてお腹が苦しくなってノビた)、2日の夕方に仕事に行ったら予定外の仕事に追われてしまい、3日は家の用事をし、そして本日はこれから会社だ。

一応、世を忍ぶ仮の姿として年末年始的事業?もこなしつつの対応なので、なかなかに忙しくなっている。が、今はまだ2014年13月だから良いのだっっ。

2015年は余裕をもってバタバタしない年にしたいっ!

でも今日は母に付き添います

更新が滞ってしまった。。。

その間にはコメント欄でお仲間の皆様がいろいろ書き込んでもくださり、主がどっか行っちゃっててもとりあえずブログは動いているという、こんなスバラしいブログ、他にはそうあるまい。

ホント、お仲間の皆様のおかげでなんとか続いてるんだよね〜。ありがたいことである。

草津ではおはぎちゃん、ROSEさん、それにNEWさんまで集っちゃったりと、なんとまあ仲良しすぎよアナタたちっっ、なんて話とか、まだ書いてないりんごちゃんのこととか、その他諸々書いちゃおう!と思っていることが溜まりすぎて、もう忘れちゃいそうで大変っす。

と言いつつ、今日は突如、会社を休んで母の付き添いで病院に行くことに。これまで医者知らずだった母だけに、なんか心配。歳だから仕方ないけれど。

まけないにゃ〜

なんか、毎日やること多すぎ。って予定を詰め込んでいるのは他ならぬ自分なわけで、嫌なら詰め込まなきゃいいだけのこと。好きでやってるのだから文句言うのはおかしいですよ、はいわかりましたごめんなさい。

今日は皆、どんなことする日かな。皆、まったく違う時を過ごしているんだよね。その人なりに、それぞれに。そんなこと当たり前だけど、なんだか不思議な気がする。

来たかチョーさん

チョー・ヘイソク氏の話を。

と言いつつ、いきなり脱線だけど、チョー・ヘイセイ氏ってのも来たら嫌だね。昭和のチョーさんは長嶋だけど、このところの平成のチョーさんは君死にたまうことなかれ。オラ、平和主義者だからさ、考えが違うからって暴力で押さえようってのは違うだろって。偉い政治家さんたちは、セカオワの「ドラゴンナイト」の歌でも聴いてもらいものだわ〜〜。(「ドラゴンナイト」の歌詞、すごくイイYO!)

さて、腸閉塞。遡ること10月27日夜。シクシクとした緩い腹痛が来て、これは腸閉塞になるかも、今なったらとっても困る!と思って、食事を途中で止めた。お腹をさすったりして回避しようと頑張った。だが日が変わろうかという頃、無情にも本格的なヤツが来てしまったのである。

今回だって明け方くらいには治るはず!と耐えたものの、朝になっても激痛と嘔吐はおさまらず、自分史上最高の嘔吐パフォーマンスで、すごい量を、それもだんだん色が変わってきて、、、もはや口から下痢ですってば。腹痛も波なんかなくずっと痛い感じ。

これまで以上の辛さに、病院行きを考える。だが、病院に行って入院ってことになったら、グループ展の仕事と出品をすっぽかすことになり、後々非難されそう。いや、その件は穴を開けてもどうにかなる。どうにかならないのは会社のほうだ。このとき、最重要任務が私にはあったのである。

今まで病院に行かず開通していたこと、結構頻繁に襲われることから、甘く見ていた。だから自分の体より会社を優先した。

朝が過ぎ、知らぬ間にうとうとしていた。痛みと吐き気がおさまったのだ。昼前に起きて、腹痛が消えたのを確認し、家を出た。

その日は1日なんだか熱っぽく、なんとな〜く吐き気もあり。最低限のことしかできず帰って来た。で、もちろん絶食。ってか食べたくないし。水分もOS-1を少々。

翌日もどうも調子がすっきりしなくて固形物は摂らず、OS-1やらスープやらで過ごしたのだけれど、夜にまた腹痛が。それに下腹がやたら膨れているのである。治ってないのかも。考えてみたらガス出てない気がする。

で〜木曜日にやっとガスが出たのを自覚しまして〜、その後とめどもなくガスが出まして〜ちょっと驚きまシタ。ヨカッタです。

翌金曜日、いつもの薬の処方箋をもらうついでに、事後報告状態で銀座医院に行った。

「説教するわけではないけれど、腸閉塞で死亡することもあるから病院に行くべき」と二見先生。

手術で腸が癒着しての場合は、腸がねじれたりして血流障害を起こす絞扼性腸閉塞にはなりにくいものの、絶対ならないとも限らないわけで、注意が必要とのこと。また、

「2日、2週間。ここがポイントなんだ。」

2日水分摂らなかったり、2週間食べなかったりしたら人間って死んじゃうらしい。

それから、病院での処置として腸管の減圧とやらをやるのだそうだ。お腹が膨れていたけれど、それをすれば改善されるのか。

先生は私に家の近くで入院できる病院があるか聞いた。ある、亀山先生に以前、紹介状を書いてもらって行った病院が。

「そこだったら処置できるから大丈夫。」

病院に行っていれば、体が弱って声が全く出ない風邪になることもなかったろう。次にこれはと思ったら病院に行かなくては。(そのためにも、何事も余裕が持てるようになりたいなあ。。。)

P.S. 今月は健康診断があってバリウム飲むヤツもあるのだけれど、先生に伺ってみたところ、もしバリウムが詰まっちゃうとなかなか出てこないとかで、やらないほうがいいかも、胃の検査なら内視鏡のほうが良いだろう、ということだった。

第18回先進医療技術審査部会 議事録

2014年6月12日の第18回先進医療技術審査部会の議事録には、「2. 新規申請技術の評価結果について」として「腹膜偽粘液腫の減量切除術に対する周術期腹腔内化学療法」について論じられている。

議事録を読んだところのイメージとしては、この治療は世界的に広く実施されているものだし、先進医療として治療開発を進めてみよう、、、だが現在、有効性がイマイチ計れず、使用抗がん剤などのことなどからも将来的に標準治療となるかどうかはわからないよなー、みたいな。でも、予後が良さそうな患者(悪性度の低い人)ほどがっつりコレやったほうがいいよねー、みたいな。
(間違って理解している可能性があるので、気になる方は議事録を実際に見てほしいっす。)

この裏返しとして、キッツい手術だけに予後が悪そうな患者はむしろやらないほうが、みたいな。

ここで思うのは、まず、悪性度だけで予後を予測できるのか?という疑問。もっといろいろな予測因子があるはずである、ほら、MARCOとかさ〜。

また、「あなたの場合、この手術はやらないほうが良いですよ」と言われたときの患者の気持ち、わかるかね?という疑問。生きる気力、そぐよね〜〜〜っ! 「もうお迎えが来ても良い年齢だ」と思っている人なら、やらないほうが良いと、私も思うけど。

先進医療B

先月(2014年10月)、厚生労働省の先進医療会議は、国立国際医療研究センター病院が申請した「腹膜偽粘液腫の減量切除術に対する周術期腹腔内化学療法」先進医療Bとして了承した。

なにはともあれ、国際医療研究センターの矢野先生ありがとうございますぅう、お目にかかったことないけどぉおお。

国際医療研究センターの矢野先生のことは、米村先生の診察の時に「東大の人で腹膜偽粘液腫について一所懸命取り組んでいる先生がいる」等々伺っていた。

私は、腹膜偽粘液腫の腹膜切除+腹腔内温熱化学療法という治療について、ひとっ飛びで保険適用を望んでいたが、ド素人的考えだったかも。。。いずれにしても、これで保険適用への道が開けたと思う。

了承された厚生労働省の先進医療会議の第23回は、現時点で議事録がアップされていないので詳細が分からないけれど、資料は見ることが可能(下記の、先進医療Bに係る新規技術の科学的評価等について 資料 先-2(PDF:67KB) 別紙4(PDF:1,808KB))。

別紙4を見ると、構成員の五十嵐隆先生という方が評価者で、欧米では確立した治療法であり、わが国での導入、保険適用が望まれるとして、将来的に保険収載を行うことが妥当としている。イエ〜イ!

そーゆーわけで、 先進医療B。である。先進医療Bは薬事法上未承認・適応外の医薬品・医療機器を用いた医療技術で、これでデータ収集をして今後につなげるという感じ。

で、先進医療となれば、患者として気になるのは医療費のこと。この「腹膜偽粘液腫の減量切除術に対する周術期腹腔内化学療法」においては、上記の「資料 先−2」の「先進医療技術審査部会において承認された新規技術に対する事前評価結果等について」の「保険給付されない費用※1※2(「先進医療に係る費用」)」を見ると、29万3千円とある。

先進医療ってすごく高いイメージがあるから、この金額は可愛くは見えるものの、費用捻出が難しい人もいるだろうな、な金額である。

それからぶっちゃけな話として、患者負担は米村先生のところのほうがかからない。が、例えば関東圏の人などは、先進医療30万プラスであっても関西に行くより入院・通院のための交通費や家族の宿泊費がかからないし、移動時間の短縮もできて精神的にも肉体的にも楽だとは思う。

以上。ってことなんだけど、ビミョ〜に気になることがとりあえず2点あったりする。

1点め。資料見ると、国立国際医療研究センター病院の腹膜偽粘液腫の治療数が少なすぎるのと、手術時間が長過ぎる。。。なので今後、どんどん手術していただいて腕を磨いていただきたい、と思う反面、自分や自分の大切な人が手術するならすでに名人の先生にお願いしちゃうよね〜、という。

2点め。「周術期腹腔内化学療法」とは手術したときの腹腔内温熱化学療法(HIPEC)プラス、手術後「術翌日より、腹 腔内に5-FU 15mg/kg / NS 1000 mLを腹腔内に投与し、24時間毎に薬剤の入れ替えを行う。これを4日間連続で繰り返す。」のようだけど、この術後にやるヤツのほう、キツくないの? キツくないのぉ??? HIPECだけじゃダメなんですか? ちなみにやった人いますか? 感想を教えてください!

風邪引いたみたい

先週のチョー・ヘイソク氏来訪&ハードワークですっかり体が弱ってしまったらしく、風邪を引いたようだ。

日曜日から声が出ない。電話だったらまったく何言ってるかわからないレベル。話そうとしても、息が漏れる中に時々かすれ音が混じるのみ。

いつもの風邪のパターンであれば、扁桃腺が腫れてガラガラして食べ物が飲み込みにくくなる。ところが今回は扁桃腺は腫れてないみたいで、飲み込みにくいことはない。だけれども、全然声が出ないのである。 こんなこと初めてだ。

んで、声は出ないが、先ほどから鼻水とくしゃみ(なぜかゲップも)が出るようになった。お呼びじゃないのに。

おまけに、上あごのほうの歯が右も左も痛い。副鼻腔に菌がうじゃうじゃいそう〜〜〜。熱はないので激ワルではないものの、ビミョ〜。

ゆっくり休めばすぐ治りそうな気がするんだがなあ、そうはいかないこの人生。

難病対策 or がん対策(第2次指定の要件整理?)

先週は亜腸閉塞症でなく腸閉塞でしょうコレは、な状態で、それを長々〜っと書こうと思ってるんだけど、 その前に表題の件のほうが重要なので、記しておく。

【これまでの経緯】

先般(5月27日)、腹膜偽粘液腫患者支援の会は厚労省疾病対策課に腹膜偽粘液腫の難病指定を求める署名を持って陳情へ。そこで疾病対策課長(田原課長)から腹膜偽粘液腫は検討対象とならない、がん対策へ働きかるようにと言われた。

あの時はホント、目が点になった。第三者委員会で検討されるのではないかと質問したら、その俎上にも上がらないってことだった。

支援の会は6月29日に臨時総会を開き、今後の会の方針(難病対策 or がん対策)を議論した。と言っても、数人の出席者だったから総意ではなかったと思うが、疾病対策課長のキッパリ感から、とりあえずがん対策課に働きかけることにした。

7月25日、厚労省がん対策・健康増進課に対策の状況確認&希少がんとして対策していただきたい旨行く。そこで、腹膜偽粘液腫のように希少がんと難病の狭間的な疾病がいくつかあるということを知った。。。

【それで】

もう難病指定の線は100%ないのだと思っていたけれど、そんなことなかった!ようである。

10月8日に開かれた平成 26 年度 第2回 厚生科学審議会疾病対策部会において、これから「難治性疾患克服研究事業等の研究班、関係学会に研究対象疾病の患者数や診断基準等について、事務局より照会し、第2次実施分として指定難病の要件との関係を整理」なスケジュールが示されたらしい。

現時点で議事録がアップされていないので詳細はわからないが、「平成26年度 第2回 厚生科学審議会 疾病対策部会 資料」の中の「資料2-1 指定難病に係る今後のスケジュール(案)(PDF:42KB)」に上記太字内容が記載されている。

日本難病・疾病団体協議会の「JPA事務局ニュース <No.171>」にも「第 2 次指定の検討は、年内に関係学会への照会等で事務局が要件を整理、年明け以降に指定難病検討委員会で要件の整理、個別疾病の検討を実施」というサブタイトルが付いている。

なお、「JPA事務局ニュース 」の本文内には「悪性腫瘍とそうでない疾患の境界は必ずしも明確ではないので、境界領域の疾病については慎重な議論が必要との発言もありました。」といった一文もあったりするのだけど、それはとりあえず置いて。。。

指定難病はすでに第1次指定が決まって、第2次指定がこれから。この第2次指定への俎上にまずは上りたいわけだが、でも5月の話では無理って言われた。しかし、腹膜偽粘液腫は難治性疾患克服研究事業として研究されているので、当然、研究班の先生は事務局から照会されるはずなのである。

で、で〜〜、そんなわけで、米村先生のところにも事務局が照会していると!

腹膜偽粘液腫の世界的権威であるドクター・ヨネムラの回答から、事務局はこれからなされるであろう関係整理の結果だけでなく、理由(判断の拠り所)を我々にもお示しいただきたい。