難病対策 or がん対策(カテゴリーの考え方編)

もし「腹膜偽粘液腫は難病なのか、がんなのか」という質問があったとしたら、それはナンセンスすぎる問いだろう。腹膜偽粘液腫は今現在、難病だし。がんでもあるし。どっちも、なのだから。

先日の陳情では、厚生労働省疾病対策課長から、腹膜偽粘液腫については難病対策でなくがん対策のほうへという話だったが、これは国の「対策」面の話であって重複するわけにもいかないので、便宜的にどちらか一方で対策を立て実行していただくということかと思う。

単純に考えてまずいのかもしれないけれど、疾病対策課長が「がん対策」へというなら、腹膜偽粘液腫は「がん対策」の中で要望していけば良いのではないだろうか。がん対策健康増進課も腹膜偽粘液腫をはじいて、どちらからも扱ってもらえない、とは私には思えない。ただ、腹膜偽粘液腫というのは病態だから、どういう方向からがん治療を捉えていくかを問題にしてもらわないと、なんて思うんだけど。

これまで難病認定を訴えてきたから、難病でなくなるのか、みたいに見えるけれど、そういうことじゃ~ない!

難病対策 or がん対策(陳情報告編)

5月27日の午前、私たちは衆議院第二議員会館に集合した。

その日の私たちのメンバーは、腹膜偽粘液腫患者支援の会の代表・藤井さんと藤井さんのご主人、それからHIMEさん、M.H夫人(ちゅっこさん)、2児の父さん、そして私。このブログでも名前が出てくる人ばかりだが、私以外の3人は会の総会に出席していて、藤井さんの呼びかけに「行かずばなるまい!」と男気&女気を出したのだと思う。

患者4人は、いま闘病している仲間や無念にも天国に旅立った仲間の代弁をしなければと、自分の実体験や今後の不安とともに、治療法の研究援助と医療の充実、必要な人への医療費助成を訴えていこうと、言いたい事をまとめて臨むことにした。

議員会館を入ってすぐのところで4人が待っていると、藤井さん夫妻がやってきた。ご主人が段ボールを括り付けたカートを引いて来た。「途中でカートが壊れちゃって。。。」

3万名ほどの署名の紙が入っている段ボールは、いかにも重そう。藤井さん夫妻はこれを毎回陳情のたびにこうやって持って行ってくださってたんだ。。。実際にその姿を見ると、うぉおおお〜アリガトゴザイマス!と思う。

セキュリティチェックを通り入館証をもらって、私たちは約束の時間より少し前、民主党の衆議院議員である津村啓介さん(議員って「先生」と呼ぶべき?)の部屋へ向かった。
(余談ながら、私はかなり昔、衆議院議員会館にただのお使いで行った事があるのであ〜る。昔の建物とすっかり変わって、どこもかしこも広々していた。以前の議員の部屋は立ち話くらいしかできないような感じだったと記憶している。)

***

この日は、厚生労働省の疾病対策課から課長と補佐の方、津村議員と秘書の方、そして私たち6名がその席に着いた。こちらの陳情は確か8年前からしていて、10回目なわけだけれど、疾病対策課の課長は前回とは違う方との事。津村議員は前回も一緒に陳情してくださっている。患者のうちHIMEさんだけが前回も同行していて、あとの3人は初めて。

想定していた進行は、藤井さんが陳情内容を述べた後に患者が順番に訴えて、議員からもプッシュしていただいて、課長から質問やコメントを頂戴しつつ、署名ド〜ンで今度こそよ・ろ・し・く、みたいな。ところが。。。

藤井さんの話の後、課長から腹膜偽粘液腫についてどのように理解しているか(それは私たちが理解していることと同じに思えた)、そして先だって成立した難病法の話となったと思ったら、腹膜偽粘液腫は指定難病にはならず、難病対策ではなくてがん対策の方へ行ってくれというようなことを話されたのである。

そのときの状況を「プロジェクトX」的に伝えるならば、

課長の言葉に、皆、凍り付いた。

少し経った今でこそこんなふうに言えるけれど、あの時は青天の霹靂な寝耳に水で茫然自失だったyo。

各自準備して来た「訴え」なぞ無意味になり、患者4人は目を丸くして、課長、議員、藤井夫妻の話の行方を見守っていた。話を聞いているうち、私はどうしても課長に質問したくなって伺った。難病法が成立する前の参議院厚生労働委員会において、政府参考人が、個別の指定難病の選定に関する患者の方見、要望等については、厚生労働省において聞き、適宜、対象疾患を決める第三者委員会に伝える場面もあろうと思う、と言っている、だから私たちが難病に指定してほしいという要望も伝えてくれるかと。

答えは、それはムリってことらしかった。藤井夫妻、HIMEさんが現状の困難を訴えても、そもそもお宅らカテゴリー違うし〜、みたいな(実際の課長は大人力あふれるきちんとした話し方をされていまシタ)。

昨年まで、難治性疾患克服研究事業として米村先生たちの研究に補助金が出ており、それはすなわち難病対策としてだと理解するのだが、難病法が決まったからなのか、閉め出し食らいました感がハンパなく、津村議員も、患者の利益にもなり、新たななんちゃらをしなくても良くて無駄を省けるならば、パキーンと切り分ける必要もないのでは、みたいな(実際の議員は若い力あふれる頭脳明晰な話し方をされていまシタ)。で、課長に対して、第三者委員会の対象疾患選定前に再度、話す機会を得たいと仰ってくださったのである。

そんな流れの後に、署名は厚生労働省疾病対策課へと渡され、陳情(だったのか?)は終了した。

***

お世話になった津村議員の部屋を出てから、地下のコーヒーショップに移動した私たちは、先ほどまでのことを話し合った。ゴール目前のつもりが、いきなり「あなたの行く道はあっちですよ」と遥か遠くを指差された感じで、皆、その時は冷静さがやや欠けていたけれど、とりあえず「あっち」である「がん対策」について勉強しよう、その上で、今後、どうしていくのが最善なのか考えていこう、となった。

いろいろ考えると、もはや難病対策に腹膜偽粘液腫が入る余地はないと感じる。課長は結構はっきりと言っていたもん。それよりも、がん対策で掬い取ってもらうほうが筋を通しやすい。

その後、藤井さんも同様な意見を持ったようである。

難病対策 or がん対策(「はじめに」編)

火曜日の朝、陳情に「行ってきます」と言ってから、数日経ってしまった。月末やら何やらあってブログ投稿がやたら遅いのはいつものことだけれど、今回は少し考える時間も必要だった。

腹膜偽粘液腫患者支援の会の、「ご意見・ご感想」の1580番(5月27日書き込み)、1581番(5月29日書き込み)に、どういうことだったか載っているので、そちらもご覧いただきつつ、その日の話やら今後のことなど、内容をいくつかに分けて勝手に思うまま綴りたい。

てなわけで、投稿タイトルは「難病対策 or がん対策」とし、投稿予定内容は以下のとおり(自分のための備忘録だけど。あ、変更の可能性あり)。

1.「はじめに」編 ←今ここ
2. 陳情報告編
3. カテゴリーの考え方編
4. ちなみに指定難病の決まり方編
5. 今後に向けて編

患者本人、家族は他人事じゃない、まさに自分たちの問題。「今、自分の目の前のことでイッパイイッパイ」な人以外は、自分のために仲間のために、関心を持つべきではと思う。

難病指定して〜!の陳情

もう今日になってしまった。

本日、腹膜偽粘液腫患者支援の会は難病指定してもらうべく、厚生労働省疾病対策課にたくさんの署名をもって陳情する。代表の藤井さんによれば、陳情は今回で10回目とのことである。

この陳情に、不肖すぎるワタクシも同行させていただくことになり、一緒に行くお仲間とともに私も、一言、患者の思いを述べる予定。

人前で話す経験が乏しい私にとって、こーゆーのは本当に緊張する。実のところ、めちゃくちゃ本番に弱いタイプだし。。。とりあえず、昨日は腸閉塞にならないよう細心の注意を払い、何をどう話すか考えた。

でも、そもそも私が行くので良いのだろうか。私がどれだけ仲間の気持ちを分かっているというのか、分かってなんかいないんじゃないだろうか、分かってないこともいっぱいある。。。

私より、今、とても困難な状況にあり、一刻も早く難病に指定してほしいと切実に願う人のほうが説得力があるはずだ。ただ実際には、困難な状況の人がその場に行くのはとても難しい。今、東京で元気に働いている私だからこそ、簡単に行けるのだ。。。

言い訳なのか、なんなのか、頭の中でグルグルしながら、でも行くからには私の状況だけでなく、知る限り精一杯の、お仲間の思いを伝えなくてはと思う。

先週の難病医療法成立からの〜、本日でもある。指定難病を選定する委員会ができたら、しっかり今日のことを伝えていただけるように。

行ってきます。

難病法成立

ついに、難病法(難病医療法)は賛成235、反対1で可決し、成立したね~~。

(未確認速報)成立先送り、らしい

本日、難病法が成立するのかと思いきや!

参院本会議での審議が流れた、ってホントでつか???

難病法案

昨日、参院厚生労働委員会で難病法案が可決した。今日の本会議で成立するのだろう。

これまで難病の法律がなくて、難病「対策」として難治性疾患克服研究事業があったわけだけれど、これからはちゃんと法律で守られる(のか?)わけだ。

腹膜偽粘液腫も今までずっと難病指定してくれ〜と署名活動を繰り広げていた。これまでの狭き門が300くらいにまで(?)広がることや、難病の要件を満たしていることから、成就の日が来るかもしれない。

私自身は最近は難病指定を求める署名活動のほうはあまりしていなかった。なぜなら、法案に向けた中で何がなんだかよくわからなくて、署名してもらう人に対して、難病指定されたらどうなるのかをきっちりと説明できないのと、どこか難病同士の椅子取りゲームみたいな感じもして、他人を蹴落としてまではね〜みたいな、、、その辺が自分としてはしっくりいかなかったのである。

が、署名がとても意味あるものだと感じたのは、署名の数が後押ししたとかで、病態の解明や治療法の開発の研究費が下りたと聞いたからだ(去年、一昨年の話)。スバラシイと思った。

さてさて、成立したら、難病指定する第三者委員会が7月に立ち上がるらしいけれど、どうなるのだろう。。。

まけないぞう

2014-05-17 18.08.55

「まけないぞう」という名前の、壁掛けタオル。作り手は地震などで被災された方々だ。

たまたまご近所の方が、この「まけないぞう」さんの販売ボランティアをされていた。聞けばいろいろなボランティアをされているのだが、定年後の時間を生かして東北の被災地にもたびたび足を運び、仕事の種類をいとわず継続して活動されている。だから当地の今の状況などにも詳しい。

今も仮設住宅に住む被災者がたくさんいる。元々、親戚一同集まっても余裕なスペースの家に住んでいた人も多いなか、生活の不安を抱えながら、かつ、狭い仮設で暮らすのだから、精神的なストレスもかなりなものだという。そして、

「(被災してない人たち、あるいは世間から)忘れ去られるというのが、『絶望』につながるんです。」

ご近所さんの「絶望」という言葉に、私は自分のことを思い出して戦慄してしまった。

絶望ーー。3年前の、治す方法はなく余命を云々、なんて話になったときに初めて感じたどうしようもない気持ち。あの時に私は「絶望」という言葉の重みを初めて知ったのである。

辛い状況にあっても前に進めるのは、そこに望みがあるからだ。望みがあってこそ、辛い状況を打開する第一歩が踏み出せる。

「まけないぞう」の話に戻るが、これは神戸の震災から始まったもので、被災地NGO協働センターの事業である。で、現在の「まけないぞう」は東日本版だ。

最初「まけないぞう」を知ったときはピンと来なかった。ところがご近所さんから話を聞いているうち、だんだんイメージが掴めて来た。

狭い家に閉じこもり悶々とするよりも、皆で集まって話したりすれば気持ちも和らぐ(病気の仲間なんかでも、そんなことあるもんね)。そんななかで「まけないぞう」作りを皆でしたら、作るのに熱中できたりもするし、ちょっぴりだけど報酬も得られる。買った人から「可愛い」と言われたらやっぱり嬉しかったりする。まけないぞう、まけないぞう、まけないぞう!

なんかいいじゃん?と思って、5頭、ご近所さんから買ったのが3月のこと。おお、そ〜だ、池田病院に行くとき、いつも一緒に来てくれる弟夫婦に1頭あげよう。それから、その日たまたま会ったお仲間にも。

ってことで、池田で真っ先に私に話しかけてくれたCさんこと、おはぎちゃんに

「これ、『まけないぞう』って言うんだよ。」

「・・・まけない、ぞう。。。」

「ここから好きなの選んで〜〜。」

「いいの? んじゃー、運気が上がりそうな色のを! あれっ、黄色って金運だっけ?」

なーんて言いながら、おはぎちゃんの元に1頭が渡ったのである。

おはぎちゃんはビニール袋に入ったぞうのタオルを上から撫でながら、じっと見つめていた。「まけないぞう。。。」

私が帰る時、おはぎちゃんは抗がん剤の点滴を受けていて、おはぎちゃんに寄り添うようにベッドの枕元にあの「まけないぞう」がちょこんといた。おはぎちゃんによると、まけないぞうは「今の私に刺さった〜〜!」だ、そうだ。

「まけないぞう」の価値は「可愛い」だけではない。作り手を応援するだけでもないってことだ。私たちに、忘れていた強さを蘇らせてくれた。お金じゃ買えない大きな価値があった。これはこちらも応援されちゃう。前に進む気持ちを後押ししてくれる。みんな、まけないぞう!

「まけないぞう」の価値が身をもってわかったことだし、売るボランティアなら気軽にできる。。。そう感じたので、まずはご近所さんから分けてもらって小規模に売り子になることにしたYO。

おはぎちゃんもその後、「まけないぞう」のPRにも励んでいるとのこと。ウレシ〜っす。

地震予知できないんで

311のときと同じパターンとかで、いよいよ大きいのが来るのでは?なんてなか、Xデーの噂も聞いたけれど、とりあえず来なくて良かったわー。

3年前の地震のときに知り合いのアーティストが、「今、体調を崩しているアーティストは多いんですよ」と、いかにも芸術家はそーゆーのに敏感、みたいなニュアンスで、病気発覚の私を慰めてくれた。だが、私は鈍感なタイプ。病気は偶然重なっただけだ。(ちなみに、「あの人とあの人、付き合っているんだよ」「ええ!? 知らなかった〜〜!」と、こーゆーことにも鈍感だったりする。)

でも、もしかしたら人間誰もが、というか動物は、地球の動きの微妙な何かをキャッチする能力があるのかも。

な〜んて思ったら、あの時のことだって、そしてもしや最近の手のひらの湿疹やまぶたの腫れ(だいたい治ってきた)もその予兆か? って、まぶたの腫れは数か月前もなってるからカンケーないか。

いずれにしても私に予知は無理そう。せめて、いつ来ても慌てないように準備しなければ。。。

一番不安なのは外出時だ。(ここから本題。前フリ長過ぎっ。)で、こんなものを持ち歩くことにした。

「大人用紙オムツ」である。一番困るのは排泄で、女性は特に困るから紙オムツがあると良いという話を最近聞いたので。

パンツ型紙オムツなら手術後にずいぶんとお世話になっていたものの、そこにした経験はなく、一瞬どうかとは思った。が、トイレがない非常事態においては履くことさえできれば「すまし顔」でできるわけで〜〜。

バッグが膨むけれど軽いし、ないよりはずっと安心だと思う。

「自分を信じる」

先日、4月に池田病院受診をした人たちから、数人集まって撮った写真を見せていただいた。たぶん病院の受付近くにある点滴室(?)で撮ったものだ。Cさんがベッドの上に正座し、あとの人はベッドに腰掛けて、横一列に並んでピース(いやVサインかな)をしていた。

Cさんがさわやかな笑顔だったので、とても嬉しかった。そして、前の月の3月にお会いしたときに彼女が言った「自分を信じる」、これを早くブログで紹介しなくちゃ!と思った。

***

3月、池田に行って、あれ〜今日は知り合いはいないかなと思っていたところに、私を見つけてくださったのがCさんだった。

「Cさんのこと、すぐにわからなかった〜〜。」

「シンポジウムのときとは、ヘアスタイルが違ってるからね〜。」

ウィッグが違うらしかったんだけれど、そっちより、この日、彼女は眼鏡をかけていたうえ、ちょっと雰囲気が違ったのである。

彼女は腹膜播種の患者さん。その日の話では、再発したようだということだった。

3月のその日、彼女は不安な面持ちだった。淡々とではあるが「手術してそんなに経っていないのに再発なんて」と言っていた。でも彼女は大人な態度で落ち込む姿は見せず、私に接してくれた。

彼女の診察が先に済んで、米村先生が彼女に仰ったことを、彼女は話してくれた。「『(再発して)怖いやろう? 気持ち、わかるよ』って」と、先生が患者の気持ちを理解してくれていることを、そして、治療していけば大丈夫なことを。

でもそう言われたって、、、確率論からいったらどうなのよ、と思うのが人の常である。彼女もその時、そう思ったのではないだろうか。先生の言葉に励まされながらも、助かる確率のことを頭の中で考えたのではないか。。。

「抗がん剤の点滴しに受付のそばの部屋にいるから、帰りに声かけてね。」

「うん。」

彼女は待合室から出て行った。

ちょっと話が横道に入るが、いつだったかのNHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」は、胃がん治療で有名な笹子三津留先生という外科医のお話だった。その先生によれば、がんという病気は、絶対に治るとか絶対に治らないとかは言えないのだという。治る、治らないに、0%の確率と100%の確率はないというのだ。手術でがんが取りきれなかった人が治ってしまうこともあるという。

これって、治る保証もない代わりに、絶対治らないものではないってことではないか。ということは、医学の力を借りて治ると思う治療をし、あとは自分の治癒力を上げる、すなわち生命力を鍛えるというか。だって、治らなくはないんだから。信頼できる治療を受けられているなら、あとは自らの生命力を鍛えられるかどうかが、当落(?)の決め手かも!

さて、私の診察も終わり、帰る前にくだんの部屋をのぞいた。彼女は私に気づくと、笑顔で招き入れてくれた。笑いながらも涙が流れていて、でもそれは悲しいからではなく、うれし涙でもなく、なんと言ったら良いか、、、ある一点に向けた決意の涙のようだった。

差し出したシワくちゃのティッシュで涙を拭き拭き彼女は、先ほどまで気弱になっていたことを告白してくれた。そしてきりっとしたスマイルで、言った。

「先生も大丈夫って言っているんだしね。(治る力のある)自分を信じる!」

うんうん!

「効かないかも」と思って治療を受ければ、ダメなことを想定しているのだから、自分自身の「何か」が効かないように仕向けてしまうかもしれない。「効くぞ〜」と思ったらその反対で、自分自身の「何か」が効くスイッチを入れるのだ。効くスイッチを入れられるかどうかは、自分を信じるかどうかにかかっている。あ、信じるのは自分の力ね、いわしの頭や壷じゃないYO。

自分を信じる。すごく良い言葉。