先週末、術後初めての池田病院に行ってきた。で、
あのへそは再発じゃなかった! ふっふっふ~。
なので、カテゴリー名を「12.術後2年の転移・再発~」としていたのを、「12.術後2年のへそ事変~」に変更してみたっス。
池田では先生の貴重なお話もあの短い時間に聞けたり、シンポジウムで会ったお仲間に会えたりもして、そんな話もいずれ。
先週末、術後初めての池田病院に行ってきた。で、
あのへそは再発じゃなかった! ふっふっふ~。
なので、カテゴリー名を「12.術後2年の転移・再発~」としていたのを、「12.術後2年のへそ事変~」に変更してみたっス。
池田では先生の貴重なお話もあの短い時間に聞けたり、シンポジウムで会ったお仲間に会えたりもして、そんな話もいずれ。
辛い話が多い中、我が家にいきなり春が届いた。いかなごの到来である。
最初、何がなんだかわからず。10日ほど前、ひさみさんから「いかなご便」と印刷された段ボールが届いたのである。
開けるとタッパーとお手紙が入っていた。
瀬戸内の“いかなご”のつくだ煮です。自作です。
毎年この辺りでは各家庭で作るんですよ。今年も作る事ができて嬉しいかぎりです。
(中略)
悲しい事が続いたけど……世の中は何もなかった様に動いていくのよね……あたりまえだけど……
毎日、楽しく過ごしていきたいね。
元気でいようね。
なにこのじーんと来るお手紙は。に比べて、なにこのつくだ煮は??? よく分からないのだが、とりあえず冷凍庫にあったご飯をチンしてのっけていただいた。
うっひゃ〜! オイスィ〜〜!!!
生まれて初めて「いかなごのくぎ煮」なるものを食した瞬間であった。これは多くの日本人の味覚に合致するであろう味わい。白いご飯が進む進む。最初はこんなにたっぷり、と思ったけれど、あっという間になくなっちゃいそう。。。
と思っていたところ。なんと! 今度はお向かいさんから「いかなごのくぎ煮」と印刷されたシール付きの、郵便局のエクスパックが届いたのだ。
で、開けると、ひさみさんとまったく同じタッパーではないか! なにこの偶然は??? しかしこれは偶然ではなかったのである。
ご当地ではこの時期、「いかなご」という魚の漁が解禁になり、稚魚を「くぎ煮」にするのが風物詩となっているそう。ネットで調べるうちに、どうもこれはハンパでない、春の超一大イベントらしいということが判った。
元気な時は30キロ位炊いて、親戚や知人に送っていました。
一昨年は病院で解禁日をTVで見て悔しい思いをしました。
(中略)
孫たちも大好きなので、来年も元気で、炊けたら良いなと思っています。
(中略)
それぞれ、我が家が一番と思って作っています。
お口に合えば嬉しいですが。
お口にすごく合いますyo、お向かいさん!!と、これはお向かいさんからのメールである。
お二人とも、いかなごを炊ける喜びを綴られている。そういうものなんだな、生きるって、きっと。
それにしても、お向かいさんから届いたとき、ひさみさんからも頂戴しているのを言うべきかどうか、悩んでしまった。でも、近々二人でランチする、なんて話も聞いたから(ちなみに、二人を引き合わせたのはワタシなのyo!)、くぎ煮の話題も出るだろうし、言わないのもナンだな〜と思って、どちらにも伝えた。すると、互いのくぎ煮づくりを讃え合うがごとき反応を二人ともするので、なんだか面食らった。どうやらご当地では、いくつもあげるだけでなく、いくつももらうのも当たり前らしい。
そんなわけで、私は初めてのいかなごのくぎ煮を贅沢にも味くらべできることになったのであ〜る。
「ひさみ家(ここは「や」と読んでちょ)」製は、ふっくら柔らか浅炊きで甘さ抑えめ、白いご飯にタップリのせてワシワシと食べたい味わい。卵かけご飯にもすっごく良く合う。
対する「お向かい家」製は、滋味豊かな王道的仕上がりで、箸休めに最適。また、3年間しなかったお茶漬けへの誘惑断ちがたくついに解禁、お茶漬けはこっちがいい。
較べると味も食感もまったく異なる。でも、どっちも我が家のが一番と思うだろう出来具合。お酒にも合うし、お弁当やおにぎりにも良さそう。甲乙つけるものじゃないワ〜。って、なんだかこんなこと言ってるの、不思議。もし私が病気にならなかったら出会わなかった人たちの、手作り、郷土の味、家庭の味なんだもん。面白い出会いってあるものだ。
さてさてこのところ、ついご飯食べ過ぎてるので、気をつけないと。。。
(↑ かなり減ってしまった。二人とも、冷凍庫に入れれば長期保存できるって言うけど、その必要ありませんから〜。)
3月も半ば。だんだん春になっていく感じ。
寒い間、実は悲しい知らせが続いていた。奥谷さんの奥さん(I子さん)が天に旅立った。その前には若葉さんも。
「奥谷」という姓は「がんサポート」での仮名で(「がんサポート」の話はこちら)、池田組に「I子さん」と言えばピンと来る人も多いだろう。
I子さんは米村先生の患者さんとしては古参のほうらしい。米村先生にたどり着いたときには、2度の姑息手術を受けてから随分経ってのことで、粘液がガチガチに固まっていたという。それでも米村先生の手術を受け、ご夫婦で前向きに、過ごされていた。
私は確か、腹膜偽粘液腫患者支援の会でのお集い会で初めてご夫婦にお会いし、I子さんがコーラスやら何やらたくさん趣味があって、ご主人が「それに付き合わされているんですよ〜」と迷惑なのか嬉しいのかわからない表情なものだから、仲の良いご夫婦だなと思った。
I子さんは明るくて、活動的だった。「気の置けない友達と温泉も行くのよ」と話してくれた(I子さんはその時、ストマ着用だった)。
そんなI子さんに池田病院での受診で会ったりすると、やっぱりニコニコしているものだから、こっちもなんだか元気百倍になっちゃうのだった。そしてHappyさんも私も、I子さんのことを尊敬していた。
夏に「がんサポート」の取材のことから、I子さんが地元の病院に入院されていると知った。少しばかり厳しい状況なのだろうと推測できた。
周囲への気遣いを忘れないI子さんは、いつも皆から好かれ、ある意味、幸せなまま天へ旅立った人なんだと思う(上手く言えないけど)。。。
***
若葉さんは一度お会いした事があり、Facebookでも友達になっていた。
今、彼女のFacebookの投稿を見返し、、、あまり自分の顔を出すタイプじゃなかったなあと気づく。プロフィール写真でさえ顔出ししていない。彼女の顔見たさに過去にさかのぼったら、米村先生とのツーショット写真が出てきた。あの頃、お仲間の間で受診時にツーショット写真を撮って内輪に投稿するのがちょっとしたブーム(?)だったんだよね。その写真の彼女は痩せているもののそこそこ元気だった。
彼女の投稿はその後、辛いのをオブラートに包んで飲み込んでいる感じがした。また、息子さんの成長を見守る母の姿を感じる投稿も多かった。深読みしすぎかもしれないけれど、どこか、万一のことも頭によぎっているふうに見えた。
いずれ彼女のFacebookは、息子さんの手によって追悼アカウントになるのではと思う。友達の私は、これからも彼女の投稿を見て偲ぶことができるだろう。
ただ、一度しか会ったことがない彼女の、趣味や家族のことや、闘病生活を私が垣間見てしまったこと、またこれからも見られることは、いけないことのような気もしてしまう。私は彼女の辛い期間の友達なわけで、いったいそれってどういうことなのだろう。彼女が残したかった彼女像は、もっともっと元気な姿だろうに、でも私はその姿を知らない。
腹膜播種で草津での手術が決定したNEWさんから、質問が来たyo!
草津でのインターネット環境(←コレは結構急ぎで回答お願い)と、退院後に病院近くで滞在&療養した方は?、な2点。
NEWさんの病歴は、上記の前のコメントやNEWさんのブログにあります。
なお、回答コメントは、NEWさんの質問コメントの「返信」をポチッと押してそちらにお願いしまっス。2つの質問のうち、1つだけの回答でも構いません。
皆でちょっとした不安も大きな不安も、減らせるよう、情報共有していきたいです。よろしくお願いしまっス!
今年は15日が土曜だから締め切りが17日に延びてて、今からワタシは頑張って領収書整理からやるのだが(って、還付の場合は遅れても良いってのも知ってるけど)、いっつも早くからやろうと思ってやったためしがない。
今回も医療費控除、あるしな〜。
ブログも嬉しい話、そうでない話、いろいろと書きたいことがいっぱいあるのだけれど、まずは申告してから、だ。
先日のほのかさんの質問について、まるちゃんさんが答えてくださった件は、とても嬉しかった。
そこで。このブログの大家さんのご好意&頑張りにより、コメントを検索しやすくしてもらった。大家さんありがとう〜 by 店子。1週間前からそーなっているのだけれど、気づいてくださった方はいるかしら。
具体的には、このようになりました。(以下、大家さんのメールをおおよそ転載。)
1. コメント一覧ページ(ブログ画面上部の「about」の隣の「コメント一覧」)が完成しました。
投稿順表示です。
なお、署名ページ等ページに付いたコメントはこの一覧には入って来ないと思います(未検証)。
2. 検索機能を強化しました。
コメントなどほとんどの項目に渡って検索出来るようにしました。例えば「八重桜」さんで検索すると八重桜さんが書いたコメントも含め、コメント内の「八重桜」のワードも全部拾います。また、補助ツールを使って記事内検索ワードをハイライトするようにしました。
3. 右袖下の方の月別アーカイブも。
コメントがついているものはコメントも開いて表示するように変更しました。
コメント検索機能が強化された「ぽんぽこ日記」。お仲間の皆様が治療後、体調良く毎日を過ごしていらっしゃるご報告などもどんどこ入れていただけると、とても嬉しいですデス!! よろしくねっ。
Happyさんに、1月の末頃メールした。メールはずっと控えていたけれど案じていて、頃合いを見計らってしてみたのだった。
しかし、お返事メールが来ない。
どんなときでも思いやりを忘れないHappyさんである。返事が来ないのは、できない状態なんだと察しがつく。だから、祈る思いで「実は大変だったのよ〜」なんてメールが来るのを待っていた。
土曜日に知らない携帯番号から電話があった。Happyさんのご主人だった。病室からだ。
正月の1日に大出血し、敗血症になったこと。今、かなり厳しいこと———。彼女の状態は今は手足も動かせないが、ご主人が耳元で大きな声で話しかけると目を動かして反応するという。「よかったらpomさんも、この電話から話しかけてやってくれませんか。。。」
気が動転するなか、私は電話口で叫んだ。「Happyさん! Happyさん!!! 聞こえる? pomだよ。頑張って! Happyさんが頑張ってくれなくて誰が頑張れるのよ!! 頑張って!」
「今、目が動きました。口もパクパクしています。何か言いたいのでしょう。」
Happyさんの綺麗な声が聞こえてくる気がした、「ぽんぽこさん、私、かなり頑張ってるんだけどね。結構辛いわー」。
Happyさんは声が綺麗で、クリっとした目が印象的な人。「Happy」と名乗るのは、そうありたいと願う気持ちとポジティブな心持ちからだろう。会えばいつも明るく、人をなごませる性格。そんな彼女も、不安な気持ちをちらりと漏らしたこともあった。また、できるうちに、楽しいことをたくさんしておくのだ、とも言っていた。
翌々日のご主人からの電話は、訃報となった。
思えば私が退院する2日前の金曜日、お母様とともに大阪入りした彼女は術前の受診を終えて、病室に寄ってくれたのだった。私が思いのほか早く退院してしまうことに「あらー、入院中に一緒に女子会するはずだったのにねえ。いやいや、早く退院できて良かったわ」と喜んでくれた。私も「いやー、ごめんごめん、お先にね〜」なんて軽口を交わした。
挨拶代わりに、彼女の分と思って余分に求め、岸和田まで持ってきた「うさポン」バッジをあげた。彼女が退院後、電車に乗るときにあれば役に立つだろうと思って。彼女のほうは、キャンディと東方神起のフェイスパックを私にくれた。私が入院中、寝たままでもキャンディは食べられるしパックして女子力UPできるだろうと思って。お互いのささやかなプレゼントは、結局、思ったようにならなかった。
あのときが、彼女との最後になった。日曜午前に私は退院し、入れ替わるかのように、その日の午後に彼女が入院した。
彼女は手術を待ち望んでいた。度重なる手術、抗がん剤治療、、、治療の苦しみも大きいけれど、それより治療しない苦しみのほうがずっと大きかったから。以前、「先生から、次に手術するときは人工肛門だって」と話していたから、そういうこともわかったうえでの選択だった。でも、まさかこうなるとは考えもしなかったと思う。私だって、逆転ホームランを信じていたし。
今、私の気持ちを表すぴったりした言葉が見つからない。ショックだし、悲しいし、寂しいし、何か頭がぼんやりするし、どこか心が落ち着かない。
このことをブログに書いたら、頑張っているお仲間も落ち込むかもしれないし、どうしようかと思った。でも、私には彼女の「今の気持ち」が分かる気がした。勘違いだとしたら申し訳ないのだけど、皆に伝えておいてよ、と思っているのではと。
彼女の結果は辛いものだけれど、多くの症例によってより良い治療法は見出されていく。彼女の例から、先生も看護師さんも他のスタッフの皆さんも、今より良い治療法を見つけてくれるのだ。だから決して無駄な結果などありはしない。
彼女からは教わることも多かった。くよくよしているより、ポジティブでいるほうが充実した時間を過ごせること。明るい性格は、他人にむやみな不安を与えずにすみ、それは結果的に思いやりにもつながること。自分から気軽に話しかければ、友達は増えること。。。
Happyさん、ありがとう。今も私の声が聞けるでしょ? 私は明日の夜に、会いにいくよ。お別れのつもりじゃない、だって、Happyさんはずっと私の心の中にいるから。
1月に入ってから何かと気ぜわしかったが、やっと一息つけた感じ。そんなことを言えるのも元気でいる証拠だ。
それにしても、先週末の雪といったら。その前の週だって降ったな〜と思ったのに。
先週の金曜は、会社でビミョーなトラブルも発生していたりして、夫とともに会社を出たのは8時過ぎ。予想はしていたが、自宅沿線の電車が動いていない。動かぬなら動くのを待とうホトトギスな夫を制し、動かぬなら遠回りでも動いている電車+バスで帰ろうホトトギス!で帰ることに。早々に帰宅した人が多かったのだろう、普通なら振替輸送でおしくらまんじゅうなはずの電車はガラガラで、雪積もる窓の景色を眺めながら、徐行運転の電車に揺られてバスの出る駅まで行った。
駅に着き、バス乗り場へ一目散。かなり並んでいて最初に来たバスには乗り切れず。雪がバサバサと降っていて寒いなか、次のバスが来るのを待つ。
「そうそう、HIMEさんち、この路線なんだよね。確か○○が最寄りのバス停だって。」
そして、やっと次のバスが来た。終点まで乗るので座れてホッとしていると、、、おや!? HIMEさん夫婦が、乗り込んで、来た〜〜〜!
こういうとき、いつも思うのだけれど、偶然って必然だよね。大げさだけど。
そんなわけで、ちょっと面白かった。
HIMEさんたちが降りていき、外の風景を眺めれば、民家の外灯がぼんやり幻想的で雪国に旅行しているような気分になった。
自宅の最寄り駅まで着くと、電車が動いたらしく大勢の人たちが吐き出されるように駅から出てきていた。その人たちに混ざって自宅まで行軍した。
で、ここからがメインハプニングなんですけど。
マンションの入り口までやっと着いた〜っと思ったら、一緒のはずの夫がいなかった。。。
マンション内のエレベータを待つ数人の中にもおらず、後ろを振り向いてもおらず。風はビュービューしていて、雪はどんどん降り積もっている。夫がどこかで遭難してしまったもよう。
私は元来た道を戻った。と、ヨタヨタしながらも夫らしい黒い陰がこちらへ向かっているのを見つけたのだった。
「どうしたの?」
「そこの階段が、、、上れなかった。」
降り積もった雪で、もはや階段がただの上り坂になっていたため、革底の革靴を履いていた夫は何度も滑り落ちていたという。天気悪くなるって分かっている日にそんなの履いてるってのもどーかと思ったが、ここでそれを言っても仕方ない。
「そう、大変だったね」とねぎらうや、夫は雪の吹き溜まりに足を引っかけてバタっと倒れた。
「ウケ、狙って、もー。」
倒れ方があんまり面白くなかったのでそう言ったら、夫は
「違う。。。」
ウケでもなんでもなく、本当に足を引っかけて倒れていたのである。。。
やれやれ自宅に着いて、晩酌しながらオリンピック観戦しようとTVをつけると、電車の運行状況のテロップが流れていた。電車はまた止まっていた。
・・・そんなこんなな翌日、夫は健気に出勤していった。
マンションの前の雪がすごく、時間のある人は雪かきに出るよう館内放送があった。道具が足りないから、雪かきできる道具も持ってということである。なーぜーか大きなスコップがある我が家も出なくてはなるまい。と思って、私もちょっと遅れて出て行った。
「pomさん、大丈夫ですか。」
手術したのを知っている管理人の方が声をかけてくれた。今回の手術は楽勝だったので、ぜ〜んぜん大丈夫なんだが。
というわけで、人生初の雪かき体験。ちょっとしかやってないけど、腰に来るね〜。
と暢気な雪の日を過ごしていたわけだけれど、山梨に住む農家の知り合いは、ハウスの半分以上が全壊したとのこと。ニュースでは、各地での大変な被害を伝えている。私には今、いろいろ頭を悩ませていることがあるけれど、そんなこと、たいしたことではないなと思った。
かなり調子良い、と思う。手術以前より良い気がする。きっと手術で癒着をはがしたから、お腹の交通が良くなったのではと思っている。
とは言え、依然、食事後しばらくしてからのトイレ滞在は続いている。ただ、なんだか前よりもひどさが軽減しているような? 一時よりも、滞在時間がやや短くなった気がする(それでも人よりず〜っと長いけれど)。
本当に今回の手術はたいしたことがなかったようで、今やスポーツクラブでジョギングなんかもできちゃう。そういうことはできるが、しばらくお腹の筋肉を動かさなすぎたせいか、ストレッチをするとお腹がつるという。「イダダダダ」とお腹をさすりつつ、しばし休憩となるのが結構恥ずかしくて、ピラティスなどのプログラムに出たくてもビミョーにためらっている。
お腹のことはトイレのほうもつるほうも、いずれは少し改善するだろう。でも、もし改善しなくても「これがワタシ」って感じもしてきていて、ま、いっか、と思う。
さて、体調と関連して「あれはどうなったか?」ないくつかのことを。
【右足付け根のしびれ】
前ほど感じることなし。あれ〜もう完全に治ったかな?と思っていたら、ごく最近、ピンポイントでちょっと感じた。そのしびれ感を例えると、Gパンの内側にセロテープの切れ端がぺろんとしながらくっついていたのを知らずに履いちゃってガサガサと痛かった、みたいな?
【捲土重来なVケロ対策】
手術痕の、その後なるであろう恥骨部のケロイド対策だが、今のところケロイドになる様相を呈していないため、まだ初期投資はせずに例のマイクロポアテープを思いっきり長めに真一文字に貼っていた(はがすときに毛が抜けないように、毛の流れをよーく下へなでつけてから♪)。
ところがあるとき、かゆくなってきて皮膚が一部かぶれているのを発見。ただいま何もしていない。が、そろそろ本格始動しないとな〜。
【みかんが入ってるようなお腹】
退院後からしばらく、お腹がぷっくりしているうえにみかんが入っているかのようにヘンにポコっと出ていた部分が、知らぬ間におさまっていた。よかった〜〜。あのまんまだったらどうしようと思った。
お正月の頃はお腹のサイズがまだ大きくてズボンが履けず、ひたすらワンピースか作業用ズボンの二者択一だったのだけれど、今は大丈夫。でも、お腹のぷっくり感がそのままなのはなぜ?
【耳鼻科】
その後、喉の痛みも治り、それから元々鼻は調子悪いと思ったことがないので、そのまま行ってない!
【ちょっと話は違うけど、「うさポン」缶バッジ】
電車の中などで術後・治療中を分かってもらおうという「うさポン」缶バッジを用意周到に入院前に入手した私だが、結局のところ、会社に出勤する頃には前の手術とは比べ物にならないくらい元気さを取り戻していたため、ほとんど使わなかった。
「ほとんど」と書いたのは、正確には一度だけ電車に乗るときに身につけてみたのである。だが、とても混雑していたため、バッジが付いているかどうかなんて、誰も気づける状態ではなく。
あのバッジは、ほどほどに空いている、あるいは優先席に座った、という時でないと効力を発揮できないという、ごく当たり前の事実を体験することはできた。ま、具合悪いときに混んだ電車に乗ろうとするのはやめましょう、ってことで。
先日はupaさんから、昨日はほのかさんからコメント欄に書き込みをいただいた。
んで、
どなたか(体験したことのある方限定訂正:患者さんとその家族ならどなたでも)、回答とか自分の考えとか入れてくれますよう、ご協力よろしくお願いします〜〜〜。
みんな、いろいろ頑張っているし、だれもが、それぞれの場で精一杯やってるし、でも、一人じゃ分からないこととかあるし、
実はこーだった!なんてこともあるだろうし、、、
情報を共有しながら、皆で嫌な気持ちとかなく、進んでいきましょ〜ぜ!!
一番手で返信させていただいたけれど、upaさんへはもっと違う考えもあるだろうし、
ほのかさんへは腹腔鏡でHIPECをしたときの費用とかも教えてほしいっす。