M.Hさんの池田報告から

患者の家族として情報を送ってくださるM.Hさんから、先月末にメールを頂戴し、ブログに載せさせていただきたいと思いつつ、今日まで来てしまった。。。

 

予定どおり、23日に池田病院へ行ってきました。(略)受付では、色々な方言が飛びかっており、全国から集まっているんだと改めて感じました。

10時に来たものの、MRIを1時まで待ち、MRIが終わってからは、4時半の診察まで待ち。病院を出たのは5時でした。

私は子供を連れて10時~12時までいちご狩り。1時半~3時まで沼津漁港で食事。と待ち時間を有効に使い子供を飽きさせないように過ごしました。(略)

さて、診察結果はと言うと問題ないとの事で、待ち疲れや緊張から解放され、一安心。次回は腫瘍マーカーの結果発表とMRIの経過観察となりました。

 

待ち時間の使い方が素晴らしい! そこにフォーカスしてめちゃくちゃ弾けたムードでこのメールを紹介するつもりだった。のだけれど。

M.Hさんは、深刻な状況から脱していない患者さんやそのご家族の気持ちを考えると、弾けた感じは不快感を与えないかとご心配された。

M.Hさん自身、余裕でこどもを遊ばせていたわけではないらしい。検査結果が出るのをドキドキしすぎて「患者に寄り添い不安を共有と言うのが苦手と言うか」こどもを遊ばせることでなんとかドキドキ時間をやり過ごしたかったのだという。

ドキドキはこどもにも伝わったかもしれない。これまでの事情は小さい子だって理解している。ドキドキ父子でいちご狩りに没頭し、無理矢理「楽しいね」と言い合う姿が目に浮かぶ。

ではあるが、こどもと一緒に検診に来られた家族は、もしかしてM.Hさんたちが初めてではなかろうか。もちろん、こどもを待合室で待たせ続けるのは無理があり、何のアイデアもなく連れて来るのは良くないだろう。

しかし、このような形で連れて来られれば(車じゃないとダメだけど)、家族の思い出の一つにもなれるし、患者一人の事でなく家族皆で共有できる。

ウチなんかさ〜、忙しくて来られない夫とは「問題ないって」「あっそ」で終わりだもんね。一緒に会社をやっているから忙しさが分かっているし、私の分まで働いてくれと思うけれど、普通の家なら「仕事と私とどっちが大事なの?」くらい、心の中でつぶやきそうな気がする。

横道にそれるが、それにしても「あっそ」でなく、せめて「良かったね」くらい言ってほしいものである。家族は先生に実際にお会いしてお話を聞かない限り、気持ちが遠のくのだろう。あーあ、病気が分かったときに感じた「美しき家族愛」よ、いずこ。。。

話、戻ります。

というわけで、術後の経過観察は家族皆で来られたらステキだなと。それから、とくに付き添いの家族はあの待ち時間にうんざりだろうけれど、皆お互い様なのだから何かうまい方法で、ステキな時間に変えてはどう?

「予約時間は○時なのに」と思うけれど、もし予約時間どおりに診察するなら、時間に余裕を見なければいけないから、あれだけの人数は無理。それに、たとえば私は「何かあったら来て」と先生から言われている。もし異変を感じて地元病院では分からなかったら、半年後の予約を待たずとも診ていただけるわけで、安心だ。だいたい、多忙なのにわざわざ関西から来てくださるんですよ! それだけでもすごい。

あの待ち時間は、「安心」との引き換えなのだと思う。

泣いて笑って池田病院(Happyさん編)

Happyさんに帰りの挨拶ができなかったので、診察後ずいぶん経ってからだったがご機嫌伺いのメールをしてみた。帰りは大丈夫だったろうか。。。お返事には絵文字を散りばめながらこうあった。

 

池田病院ではお疲れ様でした

こちらは点滴が2時半から4時半までかかり、5時に病院を後にしました
帰りの新幹線では駅弁を食べ無事に家に着きましたが、その後1週間位は調子悪かったですわ

お陰様で抗がん剤が効いていて、小さくなっているようですがもう少し様子を見たいと思いますわ

 

Happyさんは今、池田病院に毎月通っている。

再発し再手術してスッキリ、のつもりだったが腫瘍が残ったため、ただいまXELOX療法(全身化学療法の一つ)を受けている。再切除しやすくするために腫瘍を小さくしているのかと思う。またはこれで消えちゃうとか?

XELOX療法は、飲み薬のゼローダのほかエルプラットを点滴する合わせ技らしい。だから点滴に病院へ行かなければいけない。

彼女は会えばいつも明るく、大きな目で相手の顔を覗き込みながら話しかける。見る限り、抗がん剤治療をしているようには見えない。

不安な気持ちや体調の不良もそれなりにあるだろうが、そういう素振りを見せないし、いわゆる「かまってちゃん」でないから、悲劇のヒロインに酔いしれようとはしない。それどころか、軽〜く治療してますが何か?的なノリ。

会ったときも人気俳優の話などで盛り上がった。気持ちを楽しいことに振り向けるほうが、免疫だってアップする。Happyさんはそれを体現していた。

さて、このブログは当初、「私のための覚え書き」だった。今も基本的にはそういうスタンスだ。そこを逸脱しては自分の興味が続かない。ただ、続けていると、このようなブログでも情報の一つになると感じるようになった。

そのようななか、お仲間のことは自分自身の話ではないのだけれど、有用な情報になるだろうし、かつ私自身のために留めておきたいことでもある。(彼女には学ぶべきことが多い。なお、この記事は彼女が了承してくれたらアップされ、そうでなかったら下書きとして保存しようと思う。)

お向かいさんが病気を克服したのと同様、Happyさんも、なんだかんだありつつも克服しちゃいました!となるだろう。焦らず養生してくださいね!

泣いて笑って池田病院(術後1年半で米村先生に質問編)

電車が遅れて診察スタート時間もずれ込み、48番だった私が診察を受けたのは午後5時半を回っていた。

米村先生は私の顔をご覧になって「あーあーあー(アンタね)、調子はどうですか」と仰った。元気だと伝えると、PCのデータを調べながら、

「再発はしていない。」

私は紙に「再 発 して いない」と書き付ける。術後1年半、ここで喜びのガッツポーズでもすべきところだが、なーぜーか私は米村先生の前でそうできない。先生の面白い一言も、後で「アレ、面白かったなあ」と思うのに、その場では私はクスりともせず流してしまう。他の人たちの話を聞くと、経過良好なら「ヨネちゃんと盛り上がった」的な診察トークが繰り広げられるらしい。。。チョットうらやましい。

無再発をあっさりと聞き、はや、紙に書いて来た質問を伺っていった。まず、下腹部右下のしくしくした痛みについて。触診していただき、やはり癒着だそう。ま、しょーがないコレは。

ってことで次の質問。なのだが、以下の質問を今ごろ聞くなんて、と自分でも呆れる。でも、患者に「なりたて」の頃は知識があまりになく、聞いても何が何だか分からなかったに違いない。

「腹腔内温熱化学療法でやったのはマイトマイシンCと仰っていましたが、タキソテールってこと、ありますか?」

答えはタキソテールではなく、マイトマイシンCとシスプラチンの両方とのこと。腹膜偽粘液腫での腹腔内温熱化学療法に用いる抗がん剤はこの2つらしい。(先生の本にもちゃんとそう書いてあったけれど。)

私の場合、抗がん剤の感受性試験ではマイトマイシンCもシスプラチンも良い結果を得られていない。ただ、腹腔内温熱化学療法は感受性試験とは条件が違うから(温度を高くしているとか)、もっと効くというようなことを前回の診察で先生が仰っていた。

新たな質問。これまで私がよく分からなかった言葉ーー良性、低悪性、low gladeの違いについて。質問の仕方があやふやで、はっきり覚えていないのが残念である。それゆえ、すっきりした答えも得ていないが、私が感じたのは「どれも同じ」ってことかなと。(違ってたらスミマセン。)

そもそも私は術前には良性と悪性の中間、と言われていた。術後すぐの家族説明では、先生はこれだけ転移があったから悪性だろうと(撮影したビデオを後で見て知った)。だが、組織診断では悪性ではなかった。最近の診察などでは「良性だから」と仰っていて、おや?と思いつつ放置していたわけだけれど。

で今回、私は低悪性、low gladeだというのを確認した。たちの悪いヤツが悪性で、私のは「たちのイイほう」。「たちのイイ」低悪性を、患者には分かりやすく「良性」と説明しているのかな。また、悪性だと5割が再発、低悪性なら3割、どちらにしても再発したとて手術すれば良く、生存率が下がるわけではない、みたいな話だった。

腹膜偽粘液腫の悪性度は低悪性、中間悪性、悪性の3種類があると、先生の本にも出ているので、んじゃー中間悪性は、、、?と思ったりするが、たぶん、このあたりまで伺うには専門知識が必要な気がする。

Mさんがよく、こんなことを言っていた。「米村先生が言うことは、私たちが考えているレベルの遥か上の話をしている。」まさしくそんな気がする。先生の一見単純な答えは実は奥深く、それを真に理解するには膨大な知識が必要なのだ。

勝谷さんが以前、腹膜偽粘液腫に特化した本を編集するとかなんとか仰っていたが、それができたらぜひ読みたい。いまは腹膜播種治療支援機構の「腹膜播種」が理解の助けになる。最初に用語解説とかあるもん、腹膜についてとか。悪性度についても出ている。「癌としての性質の強弱。“悪性度が低い”というのは、転移・浸潤の力が弱く、予後が良い。“悪性度が高い”とは逆に転移・浸潤しやすいものをいいます。」だそう。

さて、話題は変わり、今度は腹腔内温熱化学療法の署名活動について。先生ご自身もいろいろお声がけされているらしい。今年陳情できるとタイミングとしても良いとのお話ではあったが、当初目標の40万人にはまだまだ、ということだけは判明した。私も思いっきり微力ながら継続して集めたいと思った。

そんな感じで術後(たしか)4回目の診察は終了。私の後にはまだ10人以上の患者さんが待っていたと思う。その方たちが、それから先生と勝谷さんが、いつ帰途に着かれたか私は知らない。半年後の診察には、先生に一発芸でもお見せして、お疲れを癒して(かえって疲れさせる?)差し上げたい。

泣いて笑って池田病院(新しい知り合い編)

仕事が今もって忙しく、あっという間に3週間経ってしまったが、池田病院の話はなお続く。(これを含めてあと3つ載せようかと。)

私は今回、知らない人に声をかけてみようと思っていた。というのは、Happyさんにいつも感心させられていたからである。彼女は何人もの患者さんと知り合いで、それゆえ情報量も多い。順番の話も彼女から教えてもらった。

Happyさんに何故知り合いがそんなにできるのか尋ねると、「たまたまお隣に座っていた人に話しかけただけ」と事も無げに言う。そう言えば彼女と知り合いになれたのも、彼女が私に話しかけてくれたからだった。この私はというと、リアル世界では自分からあまり話しかけられないのだ、意外にも。HIMEさんだって、HIMEさんから話しかけてくれて宅飲み仲間?にまでなれたのである。

よし。難しいことではないのだから、私もひとつやってみよーではないの。

てなことで、血液検査で呼ばれて待っている時に、お隣に座った女性に話しかけよう。

と思ったんだけど、やっぱりやめとくか。。。だって、隣の女性は脱いだジャケットを握りしめて下を向いている。深刻な雰囲気が漂っていた。「寒いけど良い天気ですね」なんて話しかけたら、きっと困った顔をするだろう。

いや。ここはどんな人の集まりか私は最初から知っている。そこで話しかけようというのだ、この状況は想定内である、よーし、、、「あのう、話しかけてもいいですか?」

彼女に発した第一声、なんとも間抜け。話しかけてもいいですか、なんて。

でもその女性は「あ、、、はい」と顔を上げてくれた。マスクをした彼女は30代くらい、もし元気だったらきっと活発な感じの人。

「この病院って、昭和の香りですよね。」

急に声をかけられ、さらに間抜けなことを言われて、「フフ」と彼女が小さく笑った。

「私は腹膜偽粘液腫で診ていただいているのだけど、あなたは?」

「ふく、ま、く?」

腹膜偽粘液腫を知らないならば、どこかのがんから腹膜播種となったのだろう。

「私は大腸がんで。。。」

彼女はそう答えるや、先ほどまで思い詰めていた気持ちが吹き出すように顔がゆがんで、目から涙がしみ出してきた。「まだ、小さなこどもが、いるんです。」

その日に初めて米村先生の診断を受ける人だった。うん、わかるよ、こどものためにも死にたくないよね。口に出して言わなかったけれど、私の気持ちは伝わったと思う。

「大丈夫。先生に手術してもらって元気になっている人、いっぱいいるし。」

そうだ、大腸がんから結構元気になっている人を紹介しよう。そう思った。

「私は大腸がんのことはわからないから、同じ病気の人をあとで紹介します。」

血液検査が終わってから、紹介したい人を彼女の元へ連れて行った。どんな話をしたか、その場にいなかったのでわからないが、少しは気持ちが楽になったはずだ。

ちなみに彼女に紹介した人、実はその日、初めて知り合いになった方。もちろんHappyさん経由である。Happyさんとその方とは、もはや年賀状のやりとりまでするような間柄らしい。で、二人が話しているところにNさんと私が加わって、先ほどまでワイワイとやっていたのである。

2年前だかに進行性の大腸がんがわかり、以来、米村先生にお世話になっているというその方は、今も抗がん剤の服用はしているそうだが、とても元気に見えるし、話す内容からして明るく、憂いがない。私からのお願いも「いいわよ、お互い様だし」と快く引き受けてくださった。

***

私の診察が終わってからだったかその前だったか、あの彼女がいるのに気づかず通り過ぎるところを、彼女のほうから私を見つけてくれた。ご主人らしき人も一緒だった。

手術して退院して、だんだん元気になっていくのだ。彼女は次は経過観察のためにここへやって来るはずだ。そんな気持ちで、私はまだお互いに名前を知らないその人に挨拶した。

「来年、再来年も、元気でまたここで会いましょう。」

泣いて笑って池田病院(昼食編)

池田病院に行く時は昼食をどうするか、というのはちょっとした悩みであり、楽しみでもある。

待合室での飲食はOKなので、駅か病院近くのコンビニで買ったサンドイッチやお弁当を出して、静かに食事している姿がちらほら。何度か行くと顔馴染みもできるのか、グループを作って談笑しながら食事する光景も。と言っても、誰もが食事するわけではない。お腹が空くどころでない人は多い。ブランケットにうずくまっている人、じっと下を向いたままの人。。。重苦しい空気を背負った人たちもたくさんいる。

お腹が空く余裕が持てる人は、軽くお腹に入れるか我慢して、終わってからゆっくりという人が多いかも。小腹満たしにお菓子を持って来ている人もいて、これまで私はお菓子を恵んでもらってばかりいた。

いただいてばかりは申し訳ないので、今回は私もいろいろ持って来た。

2013-01-26 10.20.45

チョコ、一口たいやき、プルーン、、、ここに何しに来たんだって? さー?

食べられる人たちは、新幹線組だと「○年経過問題なし良かったネ記念」で三島駅近くの桜屋でうな重を食べたとか、海鮮丼を食べたとか、またはお弁当を買って新幹線の中で食べたとか、そんな話を聞いている。

車組はどんな感じかわからないけれど、私はこれまで近くのカフェに寄ったり、イタリアンに行ったり(弟によれば、沼津・三島はイタリアンが結構イケルらしい)、沼津港に寄って食べたりした。

先日、M.Hさんが待ち時間に沼津港に行って昼食をとったと教えてくださったが、受診前の検査が終わればあとは受診を待つだけなので、自分の番までまだまだならばうまい時間の使い方だ。受診後だとランチタイムもすっかり終わってお店が閉まっていることも多いし。で、私も真似して今回は待ち時間に昼食に行ったのだった。

このたびのお昼のお供は、義妹の実家に用事で来ていた弟・義妹。またまた現地(病院)集合で私と落ち合い、義妹の指南により、病院から近くてジモティにも人気のお手軽な鰻屋さんに行った。

病院から2kmくらいだろうか、やや混んだ狭い道を行くとありました「うな繁」。

2013-01-26 13.50.45

「すごく美味しいというわけではないんだけど、広くて待たないし、そんなに高くないですよ。家族連れも多いです。」

彼女が言うその通りのお店だった。鰻専門だとジモティにはしょっちゅうは来てもらえないからだろう、カツ丼などのメニューもあり、鰻以外の料理を頼んでいる人も結構いた。気軽なところが良いと思う。

「なにしよーかな〜。」

考えているうちに、うな重や海鮮丼の向こうを張りたくなりまして。

「上駿河丼!」「オレも!」「私も!」

鰻も他も欲張りに〜〜。食べ進んだら、ひつまぶしみたいにお茶をかけて食べるのだそう。で、ドーン。

2013-01-26 14.04.25

鰻はもちろん、桜えびもしらすも天ぷらもわさび漬けも乗ってるので、迷ったらコレって感じ。しかし、す、すごい迫力。3人とも、食べる前からお店の人にお持ち帰り用パックをもらい、ぎゅーぎゅー詰めまくってから食べた。私はそれでも残してしまったが、でも、旅行気分で楽しかったしおいしかった。

ついつい楽しく食べてしまい、病院に戻ってからが大変だったんだけど。

 

泣いて笑って池田病院(設備やらなんやら編)

そこに一歩踏み入れたとき、あなたは少々戸惑いを覚えるでしょう。
やがて、ゆるゆると、忘れかけていた記憶がよみがえる。
幼いときに父がおぶって連れて行ってくれた、あのときのお医者さんのこと。
そう、あなたを、ノスタルジックな世界にいざないますーー。

すっかり大病院慣れしちゃっている我々腹膜偽粘液腫患者からすると、池田病院は「おや?」と思う。

池田病院は個人病院である。と、院長先生自らが出て来て、待っている私たちに仰った。個人病院ではあるが、スタッフは300人くらいに及ぶんだそうである。個人病院だからこそ、こうやって米村外来が開設可能なのかなとも思う。ありがたいことだ。

とまあそんなわけなので、血液検査をしても腫瘍マーカーは外注で、その日のうちに結果がわからない。米村先生は前回の数値と、触診、MRIなどで診察されていると思う。なお、次回診察までかなり間がある人や数値が気になる人は、看護師さんに言えばマーカーの結果を郵送してくれる。

しかしMRIは当然ある。それが従来のトンネル型でなく開放型。オープンMRIってやつだ。気張ったね〜。

売店はなし。お昼時だけ軽食ができる喫茶室がある、と思った(利用したことないのでよくわからない)。徒歩数分のところにコンビニあり。米村外来の患者さん待合室(いつもは人間ドック用の待合室を、その日は米村外来がほぼ占拠)には、ご自由にどーぞなお茶やご自由にどーぞな足揉み機とかが置いてある(足揉み機は行くと必ずやってるなーワタシ)。

問題はトイレの数だ。と私は思う。男性用はわからないけれど、女性用は待合室の前に1つしかない(あと、診察室前に1つあったと思う)。だいたいいつも、誰かが待っている。トイレに行きたいときにすぐに入れないのは苦痛というか、、、もう大変なのである。今回、ホントーにキツかった。

このところ「出るときゃ土砂降り」なお腹だったので、恒例の前々日下剤服用はせず、前日に土砂降りを期待したものの空振りで、しょーがないから当日家を出る前に浣腸をした。ちゃんと出たので今日は大丈夫!と思って、待ち時間の間に、またまた現地合流した弟夫婦と一緒にお昼を食べに行ったのである。それがイケなかった。お腹を刺激してしまい、病院に戻ってから「トイレ行きたい〜〜〜!」。

しかし、やはりすぐには入れなかった。誰かが入っている。それもなかなか出てこない。ガサガサする音すら聞こえず、シーンとしたままだ。

もしかしたら、入っている人は気分がすぐれないのかもしれない。抗がん剤治療をしている人たちもいるわけだし。また、私のように胃腸を切除して、調子が悪いのかもしれない。で、でも、いま、わたしは、いっぷんでもいい、ちょっと、かわって、ほしい、の、で、すぅぅぅ。

申し訳ないとは思いつつ、ドア1枚隔て、洗面台の前で待ってるんですけどオーラを出しつつ、コツコツと足音を立てながらぐるぐる回転した。狭いからぐるぐる回るしかないのである。ぐるぐる回って動いてないと、もー出そうなのである!

と、ゆっくりとドアが開き、中からニットの帽子をかぶった若い女性が出て来た。具合はあまり良くないようだった。

「急がせちゃってすみません!」

「い・・・い・・・え」

「え」の声を聞く前にトイレに飛び込み、すごい勢いで座った。・・・間に合った。

ほっとしたが、まだお腹が渋っていて、しばらく座っていたかった。でも。外から待ってるんですけどオーラが伝わって来たのである。郵便局だったか信用金庫だったかのATMに貼ってあった紙が思い出される。

「お振込が○件以上の場合、再度お並びください」。

お振込なら並ばずともネットバンキングでできるが。。。私のお腹はあと数分は持つだろう。そう思ってトイレを出、再度並んだのだった、3回も。

お腹がやっと落ち着いてから、「そういえば、トイレが前より良くなってるかも」と気づいた。診察の順番機の設置といい、少しずつ、待つ身に優しくなってはいる。

「雪の影響で新幹線が遅れていて、米村先生の到着がまだです」と説明に出て来られた院長先生が、「たくさんの方が遠いところからみえてお待ちなのだから、職員はもっと、、、」と病院スタッフにハッパをかけておられたが、院長先生、できることなら、トイレ増設もよろしくご検討くださいませ。切実なのです!

泣いて笑って池田病院(何時に着けば1番になれるか編)

そんなわけでかこんなわけでか、池田病院での診察に行ってから早2週間。いまさらなあ、という思いもなくはないが、、、いろいろあったから、項目を分けて書こうと思う。

まずは池田病院・米村外来の順番取りについて。

その日、私が病院の受付をしたのはジャスト9時30分。さあ、米村外来の順番は何番でしょーか?
(答えは後ほど。なんちって。)

受付をすませて米村先生外来用?待合室に行くと、ああ、いました、HappyさんやNさんが。彼女たちはいつも私より早く来ている。それで順番の話になった。

とある人は、早く診てもらおうと病院近くのホテルに前泊。診療開始時間より前に病院に行ったのに、すでに待っている人がたくさんいた。。。

ここはそんな感じなのだ。その日、8時前に受付した人が24番、7時40分受付の人が17番だって。

んじゃー、いったい何時に着けば1番になれるのか?

6時半に着いた人がいる。1番を奪取できた? 答えはノー。その人は4番だったそうな。うげ〜っと思っただろうなあ。

1番の人はなんと、前日から病院の受付の待合室に泊まっていたのだそうである。

「そんなことできるの? だいたい、病院は開いてるの?」

「急患があるから開いてるんだって。」

「そーなんだ〜。」

患者は皆、腹膜播種、腹膜偽粘液腫の患者である。私のようにやたら元気なのもいるけれど、状態が思わしくない人や先が見えない人も多く、一刻も早く診てもらいたいことだろう。が、ここまで来ると、もはや体調不良の患者本人が受付するのは無理。患者をホテルに置いて、一緒に来た家族が先に来るしかない。また、来てみて誰もが気づくのは、一刻も早く診てもらいたいのは自分だけでなく、他の人もまた切実である、ということだ。

さて、それで私の順番は。

2013-01-26 09.55.23

48番でした〜。
(話には聞いていたけれど、これまでなかった診察番号の表示の機械が設置されていた。なかったときはどこまで行ったかわからず、不便だったもんなあ。)

シャバに潜伏してました

あー、忙しかった。「お腹ぐるじ〜」とか「ぐるぐるだ〜」とかっていうのさえなければ、大手術した人間とは思えない活動ぶり。「アタシ、死ぬかも〜〜」と言っていたのが嘘みたい。たぶん周囲も「ったくこんなに元気でお騒がせな」くらいに思っていることだろう。私をオオカミおばさんにしてくれた医療に乾杯だ〜〜!

仕事と展覧会出品のダブルでシャバがフル活動になり、ブログ更新できないと、もやもやした気分になってくる。いつの間にかこのブログで、私はのびのび言いたいことを言っているのかもしれない。

さて、昨日は明け方未明に胃から逆流してまたまた吐いて、早朝下痢。忙しくなるとお腹に来る体質になってしまったらしく、便通も降れば土砂降りと言うか、数日出ないで出る時は下痢、に戻っている。右脚付け根のビリビリもやたら来ていて、なんだかもーだが、それでもだんぜん忙しくできているわけで、ありがたいことである。

腹膜偽粘液腫手術の「へそ問題」の件

昨日の池田病院での定期受診では、私自身の経過は良好、また、病院での出来事や先生から伺ったお話など、ブログに書いておこうと思うことがたくさんあった。

それは後ほどに譲り、急遽?「へそ問題」の件をクローズアップ!

私の腹膜偽粘液腫の手術痕では、それ以前に大学病院で受けた開腹手術の痕をほぼ、なぞるように切られている。「ケロイド治したる〜」と米村先生は仰っていたが、同じところを切ることでケロイド部分を切除するだけでなく、新たな傷を作らないという見た目の問題が配慮されているとは思う(んな割には、結構ズレてるところも多く、二重線になってたりするんですけどぉ)。そんなわけでか、おへそは除けて切ってある。だからおへそ健在だ。

さて、数ヶ月前に手術した方が、おへそがわからなくなっているという話題をされていたので、米村先生方が執筆されている「腹膜播種に対する腹膜切除アトラス」を見てみた。すると「腹膜切除の手術手技」のうち「皮膚切開」というところに、こんな内容も載っていた。

「腹膜偽粘液腫では傍臍転移がしばしば見られる。臍を腫瘍・皮膚とともに合併切除する。」

そして腹膜偽粘液腫の傍臍転移の側面写真とか出ていた。

私におへそがあるということは、腹膜偽粘液腫手術ではもれなくおへそを切除するのでなく、腫瘍がそこにあった場合のみ、だろう。

さて、くだんの話題をされていた方は、おへそを切除したというわけでもないらしい。私と同じく、腹膜偽粘液腫手術前に受けた手術をなぞって切った結果、おへそが埋没?したもよう。前の手術がおへその孔からの腹腔鏡予定だったのが結局普通に切ることになったため、おへそを除けることなく切っているのである。

昔はおへそはばい菌が入るからと切るのに除けていたわけだけれど、今はそんなことはないようだ。だから、私が受けた正中切開という方法でも、欧米では美容上の観点からも、おへそを回避せずに「おへそ縦断方式」(本当の名前は「臍切開法」らしい)がなされているらしい。

蛇足ながら、へそなしのスーパーモデルっているよね。昔、した手術でおへそがなくなったとか。堂々と「へそなしへそ出しルック」を披露している。おへそなんて簡単に形成手術で作れそうだが、そうしない理由は、なくても良い、いや、ないほうがむしろカッコいいのか?

たいしたことない痛み(虫垂跡編)

不思議なことに、手や膝のこわばりが気づいてみればかなり減って来て、気にならないほどに。よかった。あのこわばりはちょっと怖かったもん。

右脚の付け根周辺の痺れは依然としてやって来る。しばらくない日が続くと、ビリッとやってくるのを待っている自分がいる。「キタ〜〜っ!」となるとなぜかちょっと嬉しいという、もはや「お楽しみ」でもあり、特に問題ないが、他の人の手術のブログを読んでも脚の麻痺や痺れについて書いている人を見かけないのなぜか。珍しい例だろうか。

さて、恥骨部のケロイドが当たってちょっと痛いのは前のブログで書いたけれど、まあそれも大したことはない。

そしてこれまた大したことない、最近のアイタタ系は、右下腹部の痛みだ。虫垂があったあたりだろうか?

押しても痛くないけれど、突如、しくしくと痛みだす。私の推測は、腸が癒着して変に曲がって交通渋滞を起こし、痛むのではないかと。時々、仰向けになって触ってみると、明らかにそこのあたりがぷっくり膨らんでいたりするのも、そういうことでかと思う。

一応「だいじょーぶ」の声を聞いて安心したいことだし、ちょうど今週末は受診日だから、米村先生に伺ってみようと思う。