リンパ球が減っていた

午前中、血液検査の結果を聞きに虎の門病院に行った。

「なんでもありませんよ。リンパ球も多くないし。」

へ?

後からもらった検査結果はこの通り。リンパ球、全然多くない。好中球もいっぱいあるじゃん?

「いつもリンパ球が多かったのですけれど。」

「薬が抜けたのではないでしょうか。」

何でもなくて良かったけれど、狐につままれた気分で帰って来た。

これまで二つの病院で検査してどちらも数値が少し高く、数ヶ月後さらに高くなっていたのに。「薬が抜けたのでは」については、漢方薬など今も飲み続けているのでそれが理由ではないと思う。他の薬を指している?

もしかして、あのときはもう風邪を引いていて、それで基準値になったのかも。。。ただ今、黄色い鼻水出てますよ〜。頑張ってます白血球。

他の検査項目もあり、基準外のものも若干あるにはあったが、特に指摘されなかったから問題ないらしい。

よくわからないままにこの件は終了。診察券のコレクション?がまた増えたわ。

いっそ、えら呼吸

鼻が詰まって口呼吸しているせいか、どうも空気を飲み込んじゃっているみたい。ゲップの一歩手前みたいな感じがずーっと続いて気持ち悪い。

出るなら出ろ! とゲップに言ってるのに往生際が悪いこと。胃のずっと下の方からゴゴゴゴッと音をさせて喉元まで来てるのに。。。

元気になってくると

それなりに出歩くようになる。病院ネタばかりで具合悪いと思いきや、実は!

例えばちょっと前の某日は、仕事後に丸ビル内のレストランで某仲間とワイワイ、こんなもの食べながらお酒飲んじゃったし〜、

(パイナップル炒飯。ワタシが注文しましたスミマセン)

某休日は、またまたHIME夫妻がこんなスバラシイものを手土産に来てくれて、

(あら、いつの間に空に?)

その上、話が盛り上がって翌日はゴルフのショートコースに連れて行ってもらっちゃったり(ゴルフは何年ぶり? 練習しないと全然ダメだ)、

もっと前の休日はこんな格好で知り合いの展覧会に行ったり、

(いい加減、畳替えしないとな、と言ってまた1年が過ぎる)

いつだったかは友人に誘われて、コンサートにも行ったりした。

(オーチャードホールを出たところよ)

結構食べて飲んで動いていると思う。(一応、それなりに仕事もしてるよ。なんて偉そーに言っちゃって、毎朝遅刻出社の「座れます通勤」だという。)

去年は人混みや夜の外出はあまりしないようにしていた。だから、ヨワヨワな割に風邪を引かなかった。そんなわけでかこんなわけでか、数日前から風邪模様。

「あなたの風邪はどこから?」

私は喉から。らしい、今年は。腫れはひどくないけれど、喉が変。昨日からは鼻水の襲来も。なのに鼻がちょっと詰まって口呼吸してしまい、余計に喉が痛くなるので、鼻の下に鼻垂れ防止のティッシュを乗せてマスクをするという、ちょい足し風邪対策を決行中。

元気になってくると、風邪を引く。人間なんてラララ〜ララララ〜ラ。

でも、健康には注意しよう。それにしても、57歳は若いよなあ。。。(と、脈絡なく中村勘三郎さんの話題。ご本人だってそんなつもりはなかっただろうに。術後の肺炎って怖いんだね。)

虎の門病院に行ってしまった

リンパ球祭りの原因究明で、先週の金曜に血液内科に行った。

紹介していただいた先は近場ということで虎の門病院。NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」で出てたけど、まさか自分が受診することになろうとは思いもよらなかった。それも血液内科に。

受付を済ませて「の」の字のように廊下を進み、診察室前で待っていると、思ったより早く自分の番が来て、診察していただいた。

リンパ球が多いことについては、例えば漢方薬を飲んでそうなることもあるとのこと。それかも。

「血液検査をしましょう。ちょっとたくさん採りますよ。」

「たぶん心配ないだろうけれど」と前置きしながら、若いその先生は二次性白血病というのも考えられると仰る。抗がん剤によってまれになるのだそうだ。

「温熱化学療法をしてから1年半近くも経ってますけど?」

「しばらく経ってから出るんです。検査結果を見て、問題があったらその日のうちに骨髄穿刺をして詳しく調べましょう。」

来週の予約を入れていただき、診察室を出た。

もと来た廊下を色で導かれた線をたどって戻り、満員御礼の採血室で小さい試験管7本分採った。

帰ってから二次性白血病について少し調べてちょっぴり怖くなったが、次に行ったら「問題ありませんでした」で終わる気がする。だって、かなり元気なんだもーん。

腹膜偽粘液腫は健康診断でわからないのか?

何度かそんなことを聞かれたことがある。

答え。「わからなかったです、ワタシの場合。」

私が毎年していたのは保険組合の生活習慣病予防健診で、乳房の超音波はあってもお腹の超音波はないし、ましてやCTやMRIもない。

身体計測の体重と腹囲は、平成19年は身長から割り出す標準体重より少なかったのに、翌年はそれを超え、21年、22年とじわじわ増えて、腹囲も当然大きくなっていた。でもメタボには当たらないので問題なしだった。(ちなみに、この数値から病気の仕業で体重が増加したのはいつかを推測はできないと思う。単純に太っただけかもしれないし。)

一つ「あれ?」と思うのは胃のX線検査で、「幽門前庭部粘膜不整」とあり、「びらん性胃炎」と診断され「二次検査を要します」だったことである。それで二次検査でまたX線検査をしたのだけれど、今度は「異常ありません」だった。病気とは関係なかったかもしれないが、その部分を切除したことを考えると、もっと調べてもらえたら何らかの異常が発見されたのではとも思う。

健康診断を受けたのは10月末で、二次検査を受けたのが12月半ば。それから4か月後にお腹を切ることになろうとは(それも、また2か月後にもーっと切るとは)、想像すらできなかったし、健康診断で問題なかったから健康なのだとも思っていた。

しかし、そもそも健診は多くの人がなりやすい病気を発見するものである。腹膜偽粘液腫などわからなくて当然なのだ。

銀座医院の亀山先生がいつも「何かあったら躊躇しないですぐ来てね」と仰るのだけれども、どこかおかしいと感じたら、健康診断で安心せずに個々に診てもらわないと、と身をもって感じるのだわ〜。

なんだかリンパ球祭り

水曜日は銀座医院に行った。以前の血液検査でリンパ球のパーセンテージが高く、3か月後にまた診ていただくことになっていたので、先週採血し、結果を聞きにいった。

そうだ、病院に行くならインフルエンザの予防接種もついでにやっちゃおう(ここの検診センターが保険組合の契約医療機関になっている)ということで、日を合わせて予約しておいた。

先に予防接種を受けに4階へ。

問診票の既往症や今かかっている病気の欄に、腹膜偽粘液腫と書くのがどうも気乗りしない。眼科など、腹膜偽粘液腫とまったく関係ない病院に行ったときもそうだが、問診票を見た医師はどんなふうに思うのかと考えると、ちょっぴり憂鬱になる。でも、去年もここで予防接種をして書いたのだ。去年と同じ先生なら何とも思わないだろう。同じ先生がいいなあと思った。

名前が呼ばれて診察室に入ると、残念ながら去年の女医さんではないのがわかった。

先生は問診票を見ながらいくつか質問をされた。こちらを向かないので、勝手にイエティ先生とあだ名を付けて質問に答えていた。と思ったら、突然、先生がガバっと振り向き、こちらににじり寄って私の顔をじーっと見た。こちらも先生の顔をじーっと見てしまった。

やはり腹膜偽粘液腫が珍しかったのだろうか? 全然関係ないかもしれないけれど、つい気になってしまう。。。

イエティ先生の問診が終わり、看護師さんにサクっと注射してもらった。

1階に戻り、内科の受付をした。前段が長くなってしまったなあ。

***

「アミラーゼはまあ大丈夫だけれど、リンパ球の数値がまた上がってるなあ。」

亀山先生は検査結果にひょいひょいと丸を付け、見せてくださった。今年6月、8月に検査したときがいずれも50%代後半で、今回さらに71%と上がっている。昨年5月の草津総合病院での検査結果を見てみれば29.2%。ちなみに2007年にした検査では25.8%。手術してからなぜか能天気さが加速して、リンパ球が「祭りだ祭りだ〜ひゃっほ〜〜」と浮かれて増殖してるとか?

リンパ球の割合が多いということは、すなわち他の割合が少ないわけで、見れば好中球が以前よりも少ないし。

先生は「うーん、どうしようかな」と唸り、しばらくして、よし決めた、という顔で仰った。「専門の先生に診てもらおう。ねっ。」

こんな時、亀山先生はどうやら究明タイプなのだけれど、「わざわざ専門病院まで行かせるなんて」と思う人もいるに違いない。もっとざっくりした判断の先生なら、「様子を見ましょう、具合が悪くなったらまた来てください」とでも言って帰しそうな気がする。

どっちのタイプの先生が好みかは人それぞれだろうが、私は「究明してもらいたい」に1票。「あの時、あの数値だったのに、なぜわからなかったのだ?」などと後悔したくないから。専門の病院に行って何でもないと言われれば、それはそれで安心できるし。

ということで、今度は血液内科への紹介状をもらったのだった。

***

今、ふと気になったが、こういうときにインフルエンザの予防接種って大丈夫だったのかなあ。かゆいのとまだ少し腫れている以外は何ともないけれど。

江戸前天丼!

退院したての去年の夏、いつか江戸前天丼を食べられるようになるのが目標だった。そして最近の某日。

ダーン!

お店で食べて帰り道に具合が悪くなったら嫌だから、とりあえずお弁当で。本命だった葵丸進がお休みだったので、一度も食べたことがない、ウワサの大黒屋の天丼弁当(天ぷらが一番少ないヤツ)。

ダダーン!

ダダダーン!

なに勿体ぶってるんだか。ダダダダーン!

うぎゃ〜〜! 聞きしに勝る真っ黒さ。い、いただきます! もぐもぐもぐ。。。甘めのおつゆとごま油が予想よりはくどくなく、おいしい。

ふー、お腹いっぱいで完食ならず。でも気持ち悪さはなく、おいしく食べられた!!

その後、調子が悪くなることもなく。歌舞伎揚で音を上げていたのがまるで嘘のよう。

今、胃腸の切除をして食べられない方、悲観しないでね。私も一時は食べる楽しみをもう得られないかと思ったけれど、ゆっくりじわじわ食べられるようになってくるんだから!

そのうちお店で天丼、食べよーっと。うふふー。

第50回日本癌治療学会学術集会

M.Hさんご夫婦が池田病院にいらっしゃった日、米村外来は午後からで、先生は午前中、学会に出席されていたという。検索したら、わおっ!米村豊先生はポスター・ディスカッションなるものをされていらっしゃった。

第50回日本癌治療学会学術集会の、PD13-07「腹膜播種を有する大腸がん・虫垂癌完全切除例に対する温熱化学療法の効果」。(記載されていたのは第3日目のプログラム

午前中は横浜で学会、午後は三島に行って診察で、、、先生的には「近くてラッキ〜♪」くらいの感覚に違いないが、このバイタリティは超人的である。

頼もしい先生ではあるが、やはり生身の人間、ご無理を重ねませんようにと思う。

さて、この表題のポスター・ディスカッションには、ジャンバイ・エメル先生の「Serum CEA level in the management of peritoneal metastasis of appendiceal cancer」(PD13-12)というのもあった。この先生は、腹膜播種治療支援機構が出版する『腹膜播種に対する腹膜切除アトラス』に米村先生とともに名を連ねていらっしゃる先生方のお一人として、お名前だけは存じている。

どちらの内容も、すごーく気になる。そー言えば、前回の池田病院での腫瘍マーカーの結果、まだ聞いてないということに、今、気付いた。。。

happyさんが退院

happyさんが先日のブログにコメントくれた〜〜! 人にもよるのだろうけれど、あの入院生活、ほんとキツいもんね。それを耐えきっての退院、おめでとうございます。ゆっくり療養してね。

以下、彼女からのコメントをそのままコピペしちゃうよ。

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こんにちは

お陰様で、先週の金曜日に無事退院しました。

昨年の一回目に比べて、今回二回目の術後は、お腹の痛みや張り、熱が出たりで、かなり辛いものでした!

入院中は持っていった東方神起のうちわで、先生や看護師さんたちにファンであることが有名になったり、楽しい事もありました・・・。

退院の日は新大阪で、お好み焼きと焼きそばをいただき、新幹線では歌手の西川峰子さんに握手と激励されました♪

まだまだ療養中ですが、できる範囲での家事やウォーキングで体力をつけています。

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署名活動あれこれ

最近は人が集まるときに署名用紙を持っていき、その場の雰囲気を見てごそごそ取り出し署名をお願いしている。

今、私が集めている署名は、腹腔内化学療法・腹腔内温熱化学療法を保険適用にしてほしいというのと、腹膜偽粘液腫を難病認定してほしいという、2つがあるのだけれど、両方お願いするには説明が不十分になりそうな気がして、とくに集めたいと思っている腹腔内〜のほうだけを持って行くことが多い。

しかし、ここ二度ほどの集まりには両方とも持って行った。どちらもゆっくり説明できそうだと思ったからだ。

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一度は母の運転手として一緒に行った、伯母の七回忌。

この時は、事前に母の了解を得る必要があった。母は、私の病気が皆に知られるようなまねはやめてほしいと言った。それは私の病気を隠したいというより、単純に、親戚付き合いというか社交上の面倒な「行ったり来たり」を発生させたくない、ということのようだった。

「もう手術しちゃったんだから、私がというより仲間のためにだし。でも、万一再発したら、またお世話になるんだけどね。」

意外とすんなり、母は「わかった」と言ってくれた。

そうして、久しぶりに会った従兄弟や叔母にどちらも署名してもらった。切り出すタイミングは想定どうりだった。

「pomちゃん、たくさん食べて。ほらこのエビフライも取りなさい。煮物もおいしいよ。評判のお店の仕出しなんだから。」

親戚の家に来れば、いつまで経っても私はおチビちゃんだ。

「あのね、たくさん食べられなくて。実は。。。」

そうして、去年手術したことから話した。

私の幼い頃からよく知っている人たちだから、「それでもう治ったの?」と聞く言葉は遠慮抜きで、なおかつすごく案じているのがわかる。

「治ったよ。」

ほら、こうやって運転手で来られるくらいだし、ダンゼン元気でしょ? あ、でも、シイタケとコンニャクはやめとく、腸で詰まっちゃうといけないから。

「良かったね!」

皆、安堵したようだった。この手の病気で治ったかどうかは、もう少し時を経ないと判断できないだろうが、ここで心配させることもない。

箸を動かす合間に、署名用紙が皆の膝を回って行った。いつも感じることではあるが、一人一人の筆跡から伝わるその思いに、じーんとしてしまった。

***

もう一つは、ちょっと前にあった展覧会で。

その展覧会には私も以前から数回出品しており、常連の先輩方とも親しく話せる間柄だ。他の場でお会いする方もずいぶんいて、すでに腹腔内〜のほうは署名済みの方もいるので、それじゃあ難病認定もお願いしますとばかりに両方持って行った。

懇親会のときや会場内をぶらぶらしているときに、皆さんに書いてもらった。

「仲間に書いてもらうから用紙を頂戴。」

と署名用紙を持ち帰ってくださった方もいた。ありがたいことだ。

(これまでもその場で書いてくださるだけでなく、自ら集めてくださった方もいらっしゃった。本当に本当にありがとうございます。)

そんな感じで展覧会に参加して、出品者に署名してもらっちゃうという一粒で二度おいしいスゴ技をやっていたところ、展覧会の事務局長が

「あそこに座っている人たちにもお願いしちゃえば?」

と言ったのである。

「あそこに座っている人たち」は、この展覧会の出品者でもなければ観に来た人でもない。同じ館内での別の催し物が始まるのを待っている、全然知らない人たちなのである。

街頭署名ならぬ館内署名だこれは。

一瞬、躊躇したが、ダメでもいいじゃん、そんな病気があるってことを、そんな療法があるってことをちょっとでも分かってもらえたら。よし、突撃だ〜〜。

「あの〜すみませんワタシこの展覧会に出品しているpomと申します突然すみません!」

……署名をお願いしてわかったことがある。

1)数人に向かってじっくり説明するほうが良いらしい。1対1だと疎ましがられる。

2)若い人はナニげに話を聞いていてくれても、目は合わせず「署名しません」オーラが。たぶんそれは、内容に賛同しないからでなく、本名と住所を知らない人に教えるのは「あり得ない」からである。個人情報を預かることになってしまうので、本当に難しいと思う。私自身、街頭署名や街頭募金はその場ですることは少なく、署名や募金したいときは一応調べたりしてしまうし。

3)「その病気、TVで見た」という方が一人いらっしゃった。そうなると、比較的そのあとの説明がスムース。

そんなこんなで結果発表。1時間半で13名の方にご署名をいただけたのだった。

さらに。署名してくださった方々に深々頭を下げて引き返そうとすると、とある婦人が(女性がというより「婦人」がふさわしい方だったので)

「ちょっとあなた!」

と私を呼び戻した。「あなた、名刺持っているなら頂戴。」

「今、取って来ますのでちょっとお待ちください。」

個人情報を心配されているのだろう、せめて私の素性が知りたいのだと慌てて取りに行き、その方にお渡しした。すると、その方は私にもご自分の名刺をくださってこう仰った。

「私のところに用紙を送ってくれるかしら? 少し集められると思うわ。」

なんと! 全然知らない人なのに。

有り難い 漢字で書いて 意味を知る

***

ここまで読んだ人、すごい。ブログにしては長いもんねえ、いつものことだけれど。そこで、気分転換に?画像を入れてみました〜。そう、まだ続くのよ〜〜。

「フィナンシェです。どうぞ召し上がれ!」

お菓子にはそんなメッセージが添えられていた。一口ほおばると、しっとりしていてアーモンド粉のしっかり感とやわらかな甘さが広がった。オイすぃ〜〜!

これを手作りして私にくださった方とは、会ったことがない。不思議なことだ。

実はこんな話である。先ほどの展覧会の出品者の一人に、今年の前半、偶然お会いすることがあった。私は会った彼女に、署名をお願いした。彼女はその場で快く署名してくれたうえ、署名を集めてくれる、そして「妹にも頼んでみる」とも言った。

手作りのこのお菓子をくれた人は、彼女の妹さんである。

お姉さんと離れて暮らす妹さんも集めてくれて、姉妹で別々に私に送ってくださったのだった。それも、妹さんは1枚15名分がいっぱいになると、送ってくださる。きっとお知り合いの一人一人に説明して1枚を埋めるのだろう。ありがたすぎる。

署名とともにいつも温かいお手紙が添えられている。お姉さんの知り合いというだけの私に、こんな温かいお手紙を書いてくれるなんて。なんか最近、涙もろくなってきたなあ私も。

そしてこの展覧会に、妹さんから託されたフィナンシェをお姉さんが私に持って来てくださったのだ。

「フィナンシェです。どうぞ召し上がれ!」

いつもの、あの温かい筆跡だった。