9月の恒例

毎年9月に大学のゼミのOB会があり、出席した。去年は無理せず欠席した行事だ。OB会といっても指導教授が亡くなって久しく現役ゼミもないわけで、後輩たちも皆、いい歳。よく続いているものだ。

今年は、私たちを引っ張ってくれていた先輩の奥さんをゲストに呼んだ。先輩自身は、もう一人の先輩が撮った写真の中に収まってテーブルの上座に載っていた。

先輩の奥さんと私は仲良しなので、会に行く前にちょっとおしゃべりしてから行くことにした。

思い出話ばかりでもなく、今の彼女の仕事の奮闘ぶりが聞けたのは良かった。でも、「いないってわかってるのに、家にいるとつい話しかけちゃっているのよね。で、あ、一人なんだって思うの。」という言葉がせつなかった。

この日は久しぶりに遠方からも先輩が見えた。面白い先輩なんだけれど、校長先生になっていた。。。(こんな校長先生がいっぱいいたら、すごくイイと思う。)また、この会で出会って結婚した先輩と後輩が今年もこどもたちを連れてやって来たのだが、お姉ちゃんのほうは中学生というのだから、オバサンも歳取るわけだわ〜。

同期の女子組とも会えて楽しかった。もう少し話せる時間があったら良かったかなあ。

ちなみに中華料理で、スキップするものはして控えめにいただいたつもりだったが、その夜と翌日は下痢だった。。。

(おしゃべりした店で、付いていたプチフールはお持ち帰りしつつも、つい頼んでしまった柔らかプリンが生クリーム含有量高し!で、これが最大の敗因だったもよう。)

さて、そしてもう一つの9月恒例。一昨年から出品させていただいている小さな展覧会に、ただいま出品中である。

ゼミのOB会でもお願いしたのだが、ここでもオープニングパーティで、IP、HIPECの保険適用のための署名にご協力いただいた。皆さん、快く書いてくださった。

パーティの中に、2か月前に奥様をがんで亡くされた方がいらっしゃった。その方は画家で、奥様の話をされながら署名してくださった。今も落ち込んで、仏壇の前で泣いてばかりいるらしいのだが、周囲が「泣いてばかりいないで無理にでも街に出て来なさい、アーティストなら絵を描きなさい。」と励ましているらしい。

病気になったことを言うと、相手は私に対して敷居を低くしてくれて、初対面でも心のうちを話してくれることがある。皆それぞれに、いろいろあったりするのだ。

HCUって?

ICUよりユルい部屋がHCU。High Care Unit の略らしい。手術後、一般病棟に戻る前に1泊した。

この1泊はどうだったか? 正直なところ、あまり覚えていない。覚えているのは、ICUからこの部屋に入ったとき、かなり自由度が高くなった気がして嬉しかったのに、1〜2時間もすると、窓がなく機械が規則正しく音を立てるだけで、、、すぐにまた一般病棟に移りたいと思ったことだ。

そこはナースステーションにつながる、ベッドが一列に並ぶ部屋だった。確か私はもうトイレには行けるようになっていて、周りを見回すこともできた(それに比べてICUにいたときは寝たきりで、唯一リハビリタイムは立ち上がっていたけれど、イッパイイッパイだった模様で見回す余裕なく、部屋の見取り図が今もって謎である)。だけど私のように起き上がる人はいなかった。

看護師さんにいつ一般病棟に移れるか聞くと、「ベッドが空き次第」とのこと。ということは、本来はトイレに勝手に行けるくらいの人間が入る空間ではないのだろう。

【これから手術の人必見!】最新手術情報だよ

ごく最近、米村先生の手術を受けた腹膜偽粘液腫患者さんのご家族(M.Hさん)から、最新手術事情をいただいた。すごく参考になると思うので、ここに載せておきたい。なんと、昨年の患者支援の会のシンポジウムで米村先生がお話しされていた、がんが光るのを利用した手法をされたらしい。
(以下、M.Hさんのメール転載)

***
光る癌の仕組みは専門にお任せするとして、
患者サイドからの情報としては、手術2時間前にカプセルをハサミで切り
中の粉をコップへ入れて、ジュースと共に飲むよう指示され、
手術に臨みました。本人いわく凄くまずい薬のようです。
(なのでジュースで飲めとの事みたいです)
カプセルをそのまま飲まないのは、カプセルが溶けない?
そんな都合もあり、粉だけ飲むようにとの指示でした。

私は、粉がカプセルに詰まる(落ちない)ので、つまようじで
より多くの粉を取りだし、飲ませました。
(半分ぐらい詰まるので、つまようじの準備は必須と思われます)

内容物は安全なもののようですが、承諾書を書かされた事から、
試験的な運用なのかもしれませんが、小さながんでも光るという事で、
完全切除へ向けて、1つレベルが上がるのではないかと思われます。

また、術後はICUには入っていないのです。
入るものと思っていたので、軽いから入らないのか?
聞いたところ、混んでる。最近はHCU直行で対応し、
病室が空けば入れると言う流れだそうです。
***

だそう!! 光るっての、やったんですね〜! すごい。

また、HCU直行というのが良い。(これは岸和田徳洲会病院での情報なので、草津総合病院はわかりません。どなたかそちらの情報、ぷりーず!)
患者の精神的負担を思いっきり軽減できる。ICU、本当に嫌で嫌でたまらなかったし。

M.Hさんはこんなことも仰っていた。

***
今困っている人や、これから困る人たち(あまりいないでほしいですが)の役に立つように、情報を伝えていただければと思っています。

腹膜偽粘液腫だけの検索だと10年前の情報とかで、
治らない、余命2年とか、古い絶望的な情報しかないので、
1日でも早く新しい情報を見ていただける事に協力出来れば
何よりです。

手術の怖い話ばかりでもと思い、でも余計なことかな?なんて考えましたが、
つまようじは、まじめな話なんですよ。本当によく詰まる。
飲みが少なくて、光らなかったら・・・・・なんて、
事を思い、病室で真剣にかき出してました。

***

情報提供してくださったM.Hさん、ありがとお〜(←関西弁のイントネーションで)。皆で情報をシェアしていこ〜〜!

追記:りなこさんからコメントいただき、ここに載せたもの以前にM.Hさんからいただいたメールを載せないとわかりにくいと反省。。。

それ以前のメール内容とは、手術で横隔膜や胆嚢、粘液(前回手術で取っていたのでさほどなかった)等を取り、そして、

事前に、薬を飲み、開腹→腫瘍摘出後、特殊ライトを当てると
癌が光る→取り残しなし。
となるような事も行いました。
手術で、最新の技術を盛り込んでいただいたようなので、
これから手術する方はこれがスタンダードとなると思われます。

ということだった。失礼しました!

手術とICUの数日(その3)

【ICUにいる間】
体が動かせない、予想していた腰の痛みより背中がもーっと痛い、そしてまるで時間が止まっているのではと錯覚しそうなくらい、ゆっくりとしか進んでくれない時間に辟易した。

4泊もしているうちには、隣のベッドに面会者がどやどやとやって来たかと思うと、しばらくしてから死亡宣告が出され、「お婆ちゃん。。。」と言いながらすすり泣く若い女性の声が聞こえたりもした。

以前の病院のICUは広くて静かすぎるのが逆に耐えられなかったけれど、ここはやや雑然とした感じだった。それでも、じーっと寝ているのはツラい。それで、持ち込んだラジオを(もちろんイヤフォンも持ち込んで)ずーっと聴いたりして気を紛らわせた。

手が自由にならず寝たままだから、チューニングは難しいと思ったので、事前に甥に面白そうなAMに合わせてもらい、間違って触っても変わらないようテープでがっちり固定しておいた。本当はFMが良かったのだけれど、電波が入らないかもしれないからAMにした。

甥が合わせてくれたのはMBSで、「こんちわコンちゃん」を聴いて「ノムラでノムラだ」って何だよ?と思いながら聴いて、それから阪神戦を聴いて、、、あっという間に家に帰りたくなった。TBSでいいから、いや、この際、ニッポン放送でもいい! 関東のラジオが聴きたい! 戸惑いと少々の飽きを感じながらも、時間の経過がわかりにくいICUでは、それでもないより遥かにマシだった。

そんな私にとって最も優れていると思われたコーナー、それはCMの「スジャータが○時をお知らせします」である。スジャータ、ありがとう!

とにかく、どうやって出られるまでの時間を消化していくか。当然、絶飲食ながら、氷水でうがいをするのはOKなので、何度となく氷水をお願いして両手でベッドサイドを握り、反動を付けて上半身をちょっとだけもたげつつ、ブクブクペッを繰り返した。

歩く練習をするのもベッドにいる時間から解放されて良かった。なんとICUにいても歩く練習をするのである。ただ、とにかく体にはいろいろなものがつながっているので、立つまでにそれを整理整頓するのが大変。やってもらっていてイライラするくらい。まず最初に車椅子に移動し、それから立つのだけれど、リハビリの先生はそれは大変なご苦労なのだった。

そんなご苦労をかけている割には、私は「1時半という話だったのに、遅かったですね。すごーい待っちゃった」とか言っていた。1日に1回のそれが、とにかく待ち遠しかった。

「遅くなってすみません。」

「早く来ないかなーって思ってました。」

「珍しい人ですね。皆、痛くてやりたがらないのに。」

私は痛さに疎いのか???

「はい、今日はこのくらいにしましょう。」

「もう終わり? えーーー?」

「そんなこと言う人、初めてだなあ。普通、早く終わりにしてって言いますよ。」

「もっと歩きたいなあ。」

痛みよりも、ベッドに戻ってまた時間が流れなくなるのが、たまらなく嫌だったのだ。

まあそんなだから、何か違うことがあるのは嬉しかった。先生の回診も。その割には、米村先生が私の名前を呼びながらいらっしゃっても、すぐに気付かなかったりした。

米村先生は私をすごくぼーっとしている人間だと判断されたようだった。以来、「おいっ」とか「よおっ」とか言いながら私を突っついた。先生、呼ばれるという構えがないときに、いきなり関西弁のイントネーションで名前を呼ばれても〜。なかなか自分が呼ばれているとは思わないんだってば、関東人には。

2013年11月4日追記:
時々コメントしてくださる、ぺぺろみあさんのブログを拝見して、ハッと気づいた。私はたぶん、うつろな目をしていてICUシンドロームになりかかっていたのではないだろうか。だから先生は私を突っついて現実世界に引き戻そうとされたのだろう。
現在は術後ICUでなく、すぐHCUに入るとか。そのほうが絶対に精神的に良いと思う。

手術とICUの数日(その2)

【2011年6月27日(月)手術】
朝、夫と甥が病室に来てくれた。ベッドを明け渡すために荷物はすっかりまとめ、さらにICUに持ち込みたいものを別にして、甥に託す。自分の考えを優先するかもしれない夫より、言った事を確実にしてくれる甥に、「ICUですぐに私に眼鏡をかけさせてね」とお願いしておく。

担当看護師さんもやって来て、いよいよ手術室へ。2か月前の婦人科での手術より、気持ちに余裕があった。手術慣れ?したのと、術着が前開きだったこと(婦人科手術では硬膜外麻酔をしたせいか、後ろ開きだった)&弾性ストッキングがハイソックス型だったこと(太ももまでのタイプは履き口がめくれると痛く、丸1日履いたら痕がついて、2か月たったその時もミミズのような赤い痕があったのだ)、自分の足で歩いて行くことも前回より気持ちを楽にさせてくれた。そして最大の理由は、前回は病名を確定できずに挑む手術だったが、今回はわかってるということだろう。

手術室の前室の扉のところで夫たちを残し、看護師さんと私は扉の向こうへ入った。振り返り、扉の窓越しに夫たちに手を振った。

同じ時間に手術する、私より年上の女性がすでにいた。私はその人の左横に並んで立った。それぞれ一緒に来た看護師さんの鞄(それはまるで、アニメの「アルプスの少女ハイジ」に出てくるペーターが持っているような肩掛け袋で、およそ看護師さんのウエアとマッチしないのだが、看護師さんの両手も空くし機能的。大学病院では資料のファイルは車椅子に載せて運んだけれど。病院によっていろいろだ。)から、資料が出て来て、それぞれ本人確認がなされ、私たち患者は手術室に引き継がれた。

手術室にも自分の足で行った。台に乗ったら、よくTVの手術風景で出てくる、照明の目がいっぱい付いてるヤツが目に入り、緊張してきた。

麻酔科のくだんの先生が、私にマスクを付ける。上唇の右側がちょっとめくれて気持ち悪かったけど、ま、いっか、と思って、数を数えただろうか、覚えていない。

***

気付いたらICUだった。私の体は、前回を上回る重装備な様相を呈している感。夫と甥がやって来た。甥にすぐさま眼鏡をつけてもらう。眼鏡はICUを出るまでほとんど外すことなく、眠っているときもつけたままで!過ごした。だって、知らぬ間に寝ちゃうしすぐ目が覚めるし、目が覚めた時、外した眼鏡を探せるか、またかけられるか不安だったから。体があまり動かせず、手も右手しか動かせないわけだから。

ICUにはほかにもいくつか持ち込んだ。ティッシュなど当たり前なもののほか、時計、ラジオ、腰枕を持ち込んだ。ラジオはダメと言われるかと思ったけれど、機械があるから電波が入らない可能性もあるけどそれで良いならとOKが出た。

手術はどうだったのか、夫に聞いた。思い返すと、かなりとんちんかんな事を言っていた。夫は、先生の術後説明時、目の前に出された摘出臓器を見て、すでにあんなに臓器を取ったのに、またこんなに取ってしまってと驚き、頭が真っ白になってしまったのだそうだ。

ま、いっか。。。重要なことは、人づてに聞くより、先生に直接聞く方が良い。ICUを出たら先生に伺おう。それに前回の手術時は弟に頼んだことを、今回は甥に頼んでおいた。先生の説明をビデオに撮ることだ。退院してビデオを見れば、その場でどんなことが話されたのかわかるというわけ。

退院後にビデオを見たけれど、パニックになっている夫の受け答えには笑えたわー。

そんな夫であるが、手術中はどうしていたか。甥が一旦仕事に戻り、一人で家族が待つところで待っていたそうだ。昼食は、病院1階の売店でサンドイッチを買って食べたらしい。思った以上に手術が長いので、帰りの飛行機便を変更したとのこと(それも気持ちが焦ってるから自分でせず、姪に電話で頼んだらしい〜〜)。その日に帰るのはいいけど、最初からもっと遅い時間を予約してほしーわ。もっと手術時間が短いと思ったとか、手術を簡単に捉え過ぎるからパニクるんだわ。

夫と甥はICUに30分もいなかったと思う。話すこともなかったしなあ。その後だったか翌日だったか、夫の妹家族が見舞ってくれた。私のICU感あふれるビジュアルに、かなりの衝撃を受けたらしい。何しろ重装備だもんね。機械もあるし、いろんなのが上からも下にもぶら下がってるし、酸素マスクとかしてるし。今思うと、なかなかなれないそんな姿を写真に撮っておかなかったことが悔やまれる。

時間の流れが止まっているかのようなICUなので訪問者大歓迎だったが、でもその時は、ひと言ふた言話すのもやっとな体調でもあった。

手術とICUの数日(その2の前に)

入院した日曜日のことはリアルタイムで書いたから飛ばす。手術当日の話に行くその前に、「入院診療計画書」という紙に書いてあった内容(全部ではありません)を転記しておく。

【入院診療計画書】
病棟(病室) 5やま
主治医以外の担当者 看護師 ○○○○  薬剤師 ××
病名(他に考え得る病名) PMP
症状 腹満
治療計画 切除
手術内容及び日程 腹膜切除、温熱化学療法
推定される入院期間 3weeks
その他 ・術前の検査から、手術を安心してスムーズに受けられるように援助し、術前後の異常の早期発見につとめます。
・術後の痛みを軽減する薬などについて説明を行い、服用方法、副作用の確認をします。

注1)病名等は、現時点で考えられるものであり、今後検査等を進めて行くにしたがって変わり得るものである。
注2)入院期間については、現時点で予想されるものである。

*****
すごい早さで書く米村先生の、崩し字を超えてもはや謎解きの域に達した文字と、看護師さんの小さめな文字で記入されており、最後に先生のサイン、私のサインで完成される、プロジェクトの計画書だった。(お医者さんの字って、なんかそーゆーの多いよね?)

「5やま」は5階山側病棟のこと。
「PMP」は腹膜偽粘液腫のこと。
入院期間は実際にはさらに1週間延びた。

手術とICUの数日(その1)

岸和田徳洲会病院で米村先生に手術していただいた日など、どんな流れだったか。手術を受ける方のご家族からお問い合わせいただいたので、このブログでも記しておこうと思う。今後、どなたかの参考になれば幸いだが、自分の備忘録でもあり、無駄な描写が多いのはお許しを。

【手術前から術後、一般病棟に移るまで。私の場合】
2011年6月24日(金)16:00 麻酔科受診
6月26日(日)14:00  入院
6月27日(月)8:30 看護師さんが準備に病室へ
   同日 9:00 病室を出て手術室へ向かう → 手術!
   同日 16:30頃らしい 手術終了。先生から家族に手術の説明
   同日 17:00前らしい ICUに家族が面会
7月1日(金)11:30過ぎ ナースステーション横のHCUに移動
7月2日(土)昼頃 一般病棟に移動

ICUに4泊か。よく我慢した!なんちゃって。それより手術時間が思った以上に長いことに、今さら気づいたわ。。。先生方、さぞお疲れでしたでしょう。さんきゅ〜!

【麻酔科受診】
月曜手術だと、前日に受診する麻酔科が金曜になる。しかし入院は日曜だから、遠方の者は大阪に留まるなら宿を取らなくてはならない。手術日決定時、米村先生が「木曜でもいいよ」と仰ってくださったが、親戚の家に泊まれるし、仕事の都合もあるからとその日にした。そうして私の「大阪夏の陣」(あるいは「関西弁短期語学留学」とも言ってたな〜)の幕は切って落とされたのだった。切って落とされたのは幕じゃなく腹膜だったけど。

さて、そんなわけで準備万端乗り込んだ大阪。関空から親戚の家に行き、甥の車で病院へ。麻酔科には同じく月曜手術と思われる親子らしき男性2人組が先客におり、甥と二人で順番を待つ間、きょろきょろと周囲を見渡した。場所が、確か手術室の近くだったからだ。月曜はドアを隔てた向こうに行くのだと思うと、さすがに緊張が走る。だものでわざとおどけて、馬鹿話などした。

ようやく私の番。麻酔科の先生の診察だ。麻酔の説明だけかと思ったら、聴診器で肺の音を聞いたり、いろいろ問診もあった。

「普段お酒は飲みますか?」

「飲みます。」

「週に何回、どれくらい?」

「ほぼ毎日。ビール1杯とほかにも。」

「飲んでますね。」

「そうですね。」

「入院すれば飲めません。」

「ハーイ。」(甥と私、ちょっと笑う)

「入院中はずっと飲めません。」

「アハハ。」(甥と私、さらに笑う)

「退院するまでずーっと飲めない。」

(私、作り笑いするも、甥、「おっさんこれ以上言うたらあかんで」な顔で無言)

そのあと、麻酔についての説明があった。術中術後の痛みを取るために、手首から点滴麻酔をするとのこと。それから、

「手術台で顔にマスクを当てますー。マスクから酸素が出てきますー。それから眠り薬が出てきますー。」

眠り薬! 手術の麻酔でも眠り薬と言うんだなあ。麻酔には痛みと眠りの両方があるから、それを説明するとそうなるか。

他にもいろいろ説明を受けたと思うが、忘れた。

こんな、ビミョーに「いちびり」かつ、あんまりウケない麻酔科の先生で大丈夫か?と思ったけれど、米村先生によれば優秀な先生とのこと。実際、手術台で見たこの先生は打って変わって?頼もしく見えたから不思議だ。

つい長くなってしまった。To be continued……

靴を買う

手術してずいぶん痩せたら、足もビミョーに小さくなったようだ。履いていた靴が脱げやすくなってしまった。それに気付いてから何足か靴を買っているけれど、合うのを見つけるのは容易でない。

ちょっと小さく、踵も小さくて、どうやら幅はCらしいという可愛らしいワタクシの足。しかし外反母趾なうえ扁平足ぎみという超カッコ悪〜い足で、靴を買うのは疲れる用事である。

以前、靴のフィッティングとオーダーメイドインソールをウリにした店で靴を買った事があるが、その靴はしばらく歩くと親指の付け根を圧迫し、しびれて痛かった。専門家と名乗る人が私の足を計測し、合う靴を選んで、インソールを足に合わせて作ったにもかかわらず。お値段は4万円代で、私にとっては高額商品。直してもらいに行ったが、改善しなかった。損した。。。

そういうところで買うのはそれっきり。他にもそんな店があるけれど、靴のデザインがダサすぎて買う気になれない。

そんなところ、その場で足に合わせてインソールを入れてくれる靴屋さんがオープンしてたので入ってみた。で、これを買った。インソールの色が選べるので、見えないところだから逆に派手めに〜! これは日本の美意識である、なんちゃってね。

履くのが楽しみ。履き心地が良いといいなー。

腹膜偽粘液腫に対する腹膜切除術の術後合併症

2012年7月19日「第67回 日本消化器外科学会総会」の演題詳細に「一般演題93:虫垂3」として「腹膜偽粘液腫に対する腹膜切除術の術後合併症の検討」の抄録内容が掲載されている。

http://www.myschedule.jp/jsgs-toyama67/detail.php?kouen_id=272&sess_id=2340&strong=1

発表者は草津総合病院外科の先生方と米村先生。

これによれば、205症例236回の手術の施行で「Grade 3以上の術後合併症を46例(19%)に認めた」とある。Grade 3 は、私の知識だと合併症の手術をした方がいいでしょうなレベルで「ちょっとマズい」状況、Grade 2 以下なら何もしなくてもそのうち治るか内科的処置で「平気平気」な状況、だと思う。だから問題となるのがGrade 3 以上である。

合併症の内訳は、「腹腔内膿瘍8例,縫合不全8例,胃・小腸穿孔9例,消化管瘻4例,膀胱瘻1例,イレウス4例,術後出血6例,DIC2例,敗血症2例,呼吸不全1例,医原性横隔膜ヘルニア1例」。

先般発売された「腹膜播種に対する腹膜切除アトラス」の本の151ページにある腹膜偽粘液腫術後合併症に掲げられたものよりも、合併症のパーセントが若干低くなっている。腹膜偽粘液腫とわかってすぐに米村先生のところにたどり着く患者が増え、重篤な患者が減ったことから、だんだん合併症数も減ってくるのだろう。また、先生方の日々の手術方法の改善もあるのだろう。

それにしても、19%という数字は高いか低いか。5人に1人が合併症というのは。

腹膜切除術はやはり、大変な手術なんだろう。だが、受けた本人としてはその実感はない。術後、胸水がたまったり、十二指腸だったか吻合部狭窄で食べた物が落ちて行かなかったりしたけれど、取り立てて何もせず治ったし。5人のうちの4人のほうだったから。

合併症を引き起こしやすい人というのもあると思う。たとえば高齢になれば自然治癒力も劣るから引き起こしやすいはずだ。他にも糖尿病の人とか? どこに書いてあったか見つけられず、勘違いしてるかも。曖昧な記憶なのでこれ以上書くのはやめておく。

話は違うが、「第67回 日本消化器外科学会総会」には、他にも腹膜偽粘液腫についての演題が7つもあった。ついでに読んで面白い(いろいろな意味で)と思ったのは私だけ?

メガネ(元)女子

月曜日に思いもかけず下痢。その前日前々日に出ていたから、いつもの調子なら数日は出ないはずなのに、ピーナッツの食べ過ぎ? まるで「下痢ラ豪ウ」と一人ウケ。いやこの言葉、既出ありそうと検索すると、やっぱりあった。皆、考えることは同じだ。。。

と、毎度のお腹の調子に気を取られていたところ、気付けば左の白目に赤いポチが。ちょ、ちょっと、これって何よ、って結膜下出血である。

だんだん調子が良くなってくると、些細なことでも気になってくるものだ。格段にQOLが上がった証拠でもある。結膜下出血は放っておけば治るらしい。病院ばかり行くのもなんだし、と思ったが、コンタクトをし続けても大丈夫か? そこが心配で、退勤後に会社の近くの眼科に行くことにした。

「結膜下出血は初めてですか?」

「いや、確か二度めです。」(随分前に一度あった。)

「血圧は高くないですか?」

「高くないです。」(最近は測ってないけど。)

血圧が高かったりして他の病気があると失明するおそれがあるから、内科で見てもらった方が良いが、そういう病気でなければ1、2週間で治るとのこと。ネットでもそう書いてあったわ。

目を見る機械におでこをくっつけ、

「はい、上見て〜、下見て〜、左見て〜、右見て〜、、、」

とそこで、先生は器用に左手で針のようなものを取り出して掲げ持ち、右手でその針先に液体を垂らした。

「せ、先生。。。それ、なんだか痛そうな雰囲気を醸し出していますけど!」

「皆さんそう言いますが、痛くは、、、ありません。」

先生がムヒヒとほくそ笑んでいる気が。こ、怖い。。。

おでこを離して先生の左手を凝視したら、なんのことはない、糸状のものだった。ったく、この先生、わざとこうやって患者をビビらせて、ひっかかってしまったではないの!

糸から液体を目に垂らし、もう一度、機械におでこをくっつけて、カシャカシャと画像撮影すると、黒目部分に細かい傷がたくさん付いているのが分かった。

「先生、コンタクトはしても大丈夫でしょうか?」

「2週間はしないほうが良いでしょう。角膜が傷つくと、今後、白内障の手術も受けられなくなります。最近は手術も向上しているけど。」

「そうなんですか。」

歳を取ったら白内障にだってなりそうだし、そのときに手術できないのは困る。。。

「目が乾きませんか?」

「乾いているかもしれません。っていうか、、、あの、寝ちゃったんです、つけたままで。」

「昨日ですか?」

「えっと、一昨日とその前、疲れた日にうっかりそのままで。。。」

「心配する割には大胆なことしますねえ。」

……どうやらキャラの立った先生なのだった。

一応、血液を早く吸収させる薬とヒアルロン酸の入った目薬が処方された。とりあえず2週間は「メガネ(元)女子」。萌え〜じゃなくて、ひょえ〜だ。そんな訳なので今、あんまり人に会いたくないです。