「実は私も」

署名にご協力をお願いするとき、難病認定の署名はもちろん、温熱化学療法の保険適用の署名についても、まず自分が腹膜偽粘液腫という難病(に認められてないけど)であることを言わないわけにはいかない。

細々ながらの活動だが、周囲の温かい支援と協力で、地道に署名数は増えている。

そんななか、「実は私も難病なの」と、病名を打ち明けてくださる人がいる。

そういう人が、これまでで4人。よく会う人たちが、である。自分がこの病気にならなかったら、聞くことはなかったかもしれない。

意外と身近に「難病持ち」がいることに驚くとともに、難病でもきちんと対処しながら普通に仕事している人がけっこういるという事実を知った。

このブログと大家さん

ブログを始めてから1年以上経った。いつ病院に行って、どんなふうで、そのときの気持ちは、といったことを書き留めておかなければ、忘れっぽい私はあっという間に記憶が曖昧になるだろう。それではもったいないではないか。なぜかそう思って始めたのだった。

始めるにあたり、どんなところでどのようにするかを考えた。

以前にも書いては打ち捨ててきたブログが、実はいくつかある。オール非公開でやると続かない、というのは経験済みだ。だから人の目を気にすることで続けられるよう、公開することにした。

よくある大手無料ブログサービスのように、広告が出るのは自分の好みではない。とくにその頃は、通販サイトと連動している他人のブログに、私へのおすすめ商品が出てくるのが耐えられなかった。もしかして、に備えて、医療用ウィッグやタオルでできた帽子などをチェックしていたから、それが唐突におすすめされるのが辛かったのだ。

まあそんなことより、もっと重要なこととして。万一、自分が死んだらその後ブログをどうするか。誰かが閉じようにも、パスワードがわからなければ放置せざるを得ない。とりあえずきちんと考えておかなければと思った。

ほかにもいくつか要望があり、それらを満たすブログを立ち上げるべく、大学病院を退院してきたその日、学生時代から親しくWEBに明るい友人に電話で相談した。

これこれこういうわけでブログやりたくて、それで、、、なんて話しているうちになぜだか涙声になってしまった。すると気の優しいこの友人は、そういうことであれば自分のサイトの一部を貸してあげると言ってくれた。そこまでお言葉に甘えるつもりはなかったのだけれど、万一のときにはこうしてくれとお願いできる人である。こういうことに疎かったり面倒くさがりだったりな身内より、よーっぽど信頼できるのである。そのうえ、こちらの要望を満たすものを用意してくれるという。渡りに船とはこのことだ。そんなわけで、ありがたく間借りさせていただくことにした。

最近、この友人から「よく続いているねー」と言われた。私の飽きっぽい性格を知ってるからである。

この調子だと、庇を借りて母屋を乗っ取る勢いだ。ごめんね〜、もはや長生きする予定なんで、ぼやぼやしてると乗っ取っちゃうわよー!?

手術跡は、恥骨と剣状突起近くに注意ダ!

なんだか話がゴチャゴチャになりそうだから、最初に今日の話のポイントを書いておく。

1)恥骨付近と剣状突起付近はケロイドになりやすいようだ。

2)上記付近に「Nexcare マイクロポアメディカルテープ」を貼っているといいかも。

3)患者仲間から聞いた話で気づくこともある。

以上の3点。

GWに、もこもこさんと会ったときに、いろいろお話をした。もこもこさんが飼っているというカメの話もやたら面白かったのだが、話のおおよそはやはり病気関係のことになった。

今もいくつか記憶に残っている話がある。一つは、彼女は抗癌剤のTS−1を服用して様子を見た期間があり(結局その後手術したのだけれど)、化学療法をしている人の気持ちが少しは分かる、と言っていたこと。爪が黒くなるとかいろいろあって、大変だったと思う。

一つは、友達になった仲間が何人か亡くなったということ。そのような話を美人の会のMさんからも聞いたことがあるが、同じ病気の、よく知る人が亡くなるというのはけっこう辛い気がする。この病気を侮ってはいけない。そう感じる話だった。これらの話はまた気になったら詳しく書きたい。

それから、手術跡の話にもなった。「恥骨部分と胸のところがケロイドになっている」と。どっちが切り始めでどっちが切り終わりか知らないけれど、切った両端数センチがケロイドになっているということだった。

さて、私も胸のところがプチケロイドになっていたので、インナーの擦れ防止も兼ねてマイクロポアメディカルテープを貼っている。その後、どうなったかをブログに書いたかどうか覚えていないので書くと、

「ビミョーに改善している。少なくとも悪くはなっていない。」

元々12.5mm幅のを持っていて横に並べて貼っていたのだけれど、そんなに期待していないし面倒なので、Amazonで25mm幅を新たに買い、縦にぺたっと数センチ貼って過ごしている。かゆくなったり剥がれない限りそのままだ。

これまで胸元しか気にしてなかったのだが、もこもこさんに言われて恥骨部分も気にしてみると、な、なんとこっちのほうが問題でしょな感じ。幅7mm程度に腫れている。肥沃な土地にいるミミズみたいだ。それで早速、こちらにも25mmを数センチ縦貼り。毛は貼ったら痛いから、手前までにしておいた。

約10日間貼ってみての感想は、、、盛り上がりがかなり平坦になっていた。驚くとともに素直に嬉しい。貼らなかった手術跡先端は傷が盛り上がったまま。それでえいやっと、そこにもテープを貼ってしまった。ところが毛が両サイドにあるから(傷口には毛が生えない。。。生えたら見えないからいいのに)やや浮いている感はあるのだけど。今後どうなるかなー。

最後におまけの話題。表題にある「剣状突起」という語を、私は最近知った。理科で習ったことがあっただろうか? 私の記憶ではまったくない。胸の谷間の下にある骨らしいのだが、この辺りかなと触ってみてもなんだかよくわからない。

一番最初に受けた手術時、事前の説明で、先生が開腹部分を示すために人の写真図に点線を書き入れられた。その写真にはおへそが写っていたが、胸部までは写っておらず、先生は点線を伸ばされ、その先に「M」の文字を入れられた。そのとき、「M」が何を示すものかわからなかった。しかしどうもこの「M」が剣状突起なのではないか?

二番目の岸和田での手術後、石橋先生にじっくり手術で何を取ったのか説明していただいたとき、先生はまずボディとなる弧を2本、おへその「×」、そして胸の骨と思われる富士山を書かれた。

先生が描いた富士山は、なぜか赤塚不二夫のべしを彷佛させてしまう(他の人が描いても)。何で、ただの尖った山でなくて「M」なのか。なんとなくそのほうがカッコいいから? まあでも気にも留めていなかったのだけれど、もこもこさんからケロイドの話をされて、私も〜〜!と思ってぜひこれをブログに書こうと思った時に、さて胸のこのあたりは何が目印なんだろう、そういえば、、、とあの「M」を思い出し、調べたら剣状突起という語が出て来たのだった。

でも、「M」が剣状突起を本当に示すものかどうか私は知らないので、だれか教えてください。

2012年5月30日追記:M=剣状突起で合っているもよう。米村先生たち編集の『腹膜播種に対する腹膜切除アトラス』(腹膜播種治療支援機構の書籍販売ページに書籍紹介。問い合わせフォームから購入可)にある「腹膜切除の手術手技」内「皮膚切開」に図入りで「剣状突起から恥骨までの正中切開で切除する。」とあった!

ラス前、乳腺外科の経過観察

昨日は東海大学病院の乳腺外科へ。左側に腺筋上皮腫があり、腹膜偽粘液腫とは関係なく、遥か前から経過観察をしていただいている。もうそろそろ来なくていいでしょうというところが前回、新しいのができているということで、継続して観察となっていた。

診察前に超音波のほか、今回は久しぶりにマンモグラフィだ。担当の技師さんが女性に当たって良かった〜。

技師さんからヘアキャップと上半身を覆うケープが手渡された。以前はケープなんてあったかしらん。これはなかなかイイ。ヘアキャップは、、、卵巣がんかも?で受けた最初の手術時に渡されたのと同じだったので、あの時の、重苦しかった気持ちを突如思い出してしまう。

「それでは2枚ずつ、合計4枚撮りますね。最初は右を、、、」ぎゅーぎゅー。「はい、そのままで。」

ない胸をぎゅーぎゅー引っ張って挟んだかと思うと、万力みたいに押しつぶすのだから、いだだだだ、は、早く撮ってくださーい!×4=ふ〜。

まるで責め具なので、技師さんも淡々とやっていたら逆恨みされること必至である。そこでか、いろいろ話しかけて気持ちと痛みを和らげてくれる。

「(画像を見ながら)痩せられましたか?」

「ハイ、痩せました。わかりますか?」

「2年前と比べて、脂肪がずいぶん薄くなっているからわかります。痩せた人は特にこの検査は痛いんですよね。骨も当たるし。」

「ハイ、じゅーぶん痛いです。」

ペチャパイはつらい。でも、実は以前のほうがもっと痛い印象があった。ホルモンだか歳だかが関係しているのではないかと思う。

検査を終えて、腸閉塞だったらこんなにスタスタ歩けないなあと思いつつ、受診科の待合室へ。しばらく待って自分の番号が表示された。

「検査結果を見てみましょう。。。前回と変わりなし!」

先生の説明では、左側にある直径12mmの腺筋上皮腫は今回11mm(角度など検査の状態により微妙に違うらしい)、新たにできたという右側のものは、乳頭の上に5〜6mmのものが一つ、下に同じく5〜6mmのものが一つ(ちなみに右側は、触ってもまったくわからない)。右側は針を刺して検査していないから何かわからないが、良性のしこりと考えられるとのこと。

そんなわけで、1年後にもう一度診ていただいて問題なければ経過観察終了にすることになった。

終わって会計をしに、計算受付の長蛇の列に並ぶ。外はいつの間にか豪雨で、雷の音も聞こえた。と思うと、停電に。停電といえば、この病院にMRIを受けに来たとき計画停電になっちゃったこともあったよなあ。

すぐに復旧したのだが、自動支払機が復旧しないのか支払いは次回の来院時にお願いしますとアナウンスがあった。次回ったって、、、1年後だし。忘れちゃうよ。と思ったので、計算窓口は開いていることだしと、カード払いにして帰って来た。

GWはこんな感じでした

よんどころない用事がいくつかあったが、な、なんと前半には「美人の会」のHIMEさんがダンナさんと一緒に我が家に遊びに来てくれた。私の夫もお二人と仲良くなり、その夜、空けたのはビールのほかにワイン3本。楽しかったし美味しかったわ〜。

後半には、もこもこさんが急遽東京に来るとのことで、初めてお会いすることとなった。そのとき、もこもこさんが私にくださったのが、コレ!

もこもこさんリコメンド、腹巻合体型パンツである(ココのコメント欄にあり)。会う前にわざわざ巣鴨に寄って求めたのだそう。一瞬、これはギャグ?と思ったんだけれど、後で試着してみたら意外にも可愛いことが判明。ボトムス着用時は便利だと思う。もう少し腹巻部分が長ければ傷が全部覆えるのに〜! そこがワタクシ的には惜しい。

そしてGW最後の日はお茶会だった。私のお茶の先生が席主となる大寄せ(結構誰でも来られる大勢向き茶会)で、お点前やお運びをさせていただいた。病後初めての参加で同門の諸先輩方が気遣ってくださり、ラクさせていただいたのに、結構フラフラに。前日に便秘解消のため下剤を服用してピーピーだったことと、当日、腹痛を起こすのが怖くてお昼はほんの少ししか食べなかったから、余計にそうなったのだと思う。でも楽しかった。

家に帰ってからまた写真を撮ってみた。ほら、スッキリお腹っす。(着物の着方が下手なのはこの際見なかったことにして。)

以前の写真は(ココにその写真アリ)お腹がぽんぽこだなあ。苦しかっただろーに。

・・・とそんなGWは中間の出勤日にお騒がせ腸閉塞もあったりして、にぎにぎしく過ぎていったのだった。

最近の体調

チョー・ヘイソクが時々現れる。

降れば土砂降り的に、数日出ないくせに出るときはザーザー。

手術時に神経が切れたことによる足の付け根の麻痺は、ほとんど気にならないほどに回復。まだ付け根の一部に薄い紙がかかっているような感じはある。

手のこわばりも少しあるものの、あまり気にはならない。

そういえば、4月22日(土)に婦人科にディビゲルと当帰芍薬散を2か月分もらいに行った。漢方は飲み忘れが多くいっぱい残っているので、1か月分にしてもらった。処方されてから数ヶ月経つので、「次に来た時は血液検査をしましょう」とのこと。塗り薬は飲み薬のように肝臓に負担がないと聞いていたが、やはりそれでも検査をするんだなあ。

3月後半からいろいろなことをどんどここなしてみたら、疲れて疲れて。。。スタミナ不足か、まだ病後だからか、ただのトシか。

カンケーないけど、あごに吹き出物ができている。ナッツの食べ過ぎ?

お騒がせ腸閉塞

3月後半から何かと忙しく、そのままゴールデンウィークに突入。半ばとなる平日の2日、「ワスレナイデ」とばかりにやって来たのが腸閉塞である。チョー・ヘイソク。イケメン韓国人ならウエルカムなんだけど。

その日は会社にいた。昼食後しばらくしてから、これって腸閉塞だよね、な感じ。これまでの経験から2〜3時間後には激痛&嘔吐の予想。午後に受診できる病院ってどこよ? ああもう痛くなってきた、とりあえず銀座医院行こう。。。

ヨロヨロしながら苦しさを堪えつつ病院に到着。受付でお腹が痛い人用の問診票に記入していたので、診察室に入るなり亀山先生から「お腹痛いの?」とギロっと睨まれる。とほほ、先生、そんな顔で見ないでほしーの。

「変なもの食べた?」

ワン!ちょっと拾い食いを、って違うって。食べてないっス。

「お腹見せて。ここは痛い? ここは? 便は出てる? ちょっと張ってるなあ。」

で、血液検査&レントゲンコース。血を採って、レントゲン撮って、、、同じ階の移動でも、腹痛時はつらい。

なんとか終わり、待合室でしばらく待っているうち、あれ?痛いのが消えている。。。ぽっこり固かったお腹も、やわらかくなっている。なんだー、治っちゃいました!

先生に診察室に呼ばれたので、「センセー、治りました。お騒がせしました、帰りまーっす!」

「治ったの? だったら本当に治ったか、もう一度レントゲン行って来て。」

というわけで、ビフォーアフターの2枚を見比べて通過したのを確認。先生も嬉しそうに「良かったネー」と仰った。そりゃそうだ、ここで手に負えない場合、紹介先の病院を見つけるのも一苦労。GW中の平日午後だし。

先生もホッとされ、私も打って変わって元気になりレントゲン写真について説明してもらった。

「これがニボーって言って、、、」

それ知ってる〜。腸閉塞を調べたときに出て来たわ。

「上の黒い部分が空気で、下が水で、、、」

そうなのかー。記念にレントゲン写真の写真を撮りたいのに、携帯忘れちゃったなあ。

「血液検査のほうは特に問題ないね。」

血液検査だと、通過障害でなく血行障害で腸管が壊死する腸閉塞がわかるのだそう。

「白血球がちょっと高いけれど、これは体質だろう。こういうときに以前の検査結果が役に立つ。」

これまでいろいろなところで白血球が高いと言われてその度に気になっていたのだが、体質なのね。

「熱が7℃あるね、平熱も高い? そうでなかったら炎症を起こしているのだろうから薬出しておこう。今日はとりあえず絶食しな、ね。今夜、また熱が出たりお腹痛くなったりしたら躊躇せず病院行って。」

「はーい。」

「だいたいこういう時は、最初から外科に行って! それも大きな病院の!!」

それが正解なんだろうけど。と、つい、こちらは無言になる。

腸閉塞の場合、外科を受診→入院が基本らしい。でも、痛くて嘔吐もしたりするなか、もし平日午前だったら、なんとか大病院にタクシーで乗り付けたとしても、まず外来を一人で受診できるのか。

初診受付から始まって(紹介状がないから初診料に3000〜5000円プラスされるのはもーこの際観念する)、外科まで行くのが一苦労。どれだけ待つかもわからない。待って受診してレントゲン室や採血室へ行ってまた戻って診察を受けて、までこなすのに、大病院は時間と移動がもう大変。痛い&ゲロゲロで、途中で「♪道に倒れて 誰かの名を〜 呼び続けたことがありますか〜」になっちゃいそうだ。

まあそれでも診療時間内は診てもらえるわけだから良い。時間外はどうするか。小さい救急病院に行っても外科の先生がいるとは限らないから、必ず外科の先生がいそうな大きい病院に行ったほうが良さそう。そうしないと、翌日また来いと言われるか、朝まで放置されるからしい。

でも、大病院にタクシーや自家用車などで行って、受け入れてくれるだろうか。救急車で運び込まれる一刻を争う患者さんが優先だろうから、詰まってます痛いですゲロゲロ〜な程度では門前払いを食らったりはしないだろうか?

あれこれ考えると、いずれ通過するのを祈りながら我慢するのが賢明? それとも「救急医療情報センター」とかに電話したら受け入れてくれる病院を教えてくれる?

そもそも、腹膜切除手術をしているって言ったら、外科の先生はビビっちゃうんだろうなあ。。。

いろいろ考えると、なんだか不安なのである。次はまた近いうちにやってくるのだろう、チョー・ヘイソク君が。そのとき、どうするか、だ。

ま、あんまり考えても仕方ない。今度は実況生ブログでもするか。ってそんな余裕はないか。

で。とにかく久しぶりに来たのだから、このところの排便状況について、なんでこーなるの?を伺った。ずっと出ないのに出るとザーザー、しかも1回で出きらない。数分と経たぬうちにまた催し、何度もトイレに行くのである。

これは腸の癒着でかもしれないし、大腸がんなのかもしれないし、また、何度も出ることはこう仰っていた。

「専門用語になるけど、リキューコウジュと言って、、、」

??? 私の頭の漢字変換は「利休坑儒」だったが(意味不明じゃん)、後で調べたら「裏急後重」だった。去年から飛躍的に医学用語の語彙力が高まってるよなー。

これは炎症でなるだけでなく、先生によればりきむ力がなくてもそうなるらしい。腹筋が弱ってるかも?

そんな勉強もさせていただきつつ、「決心がついたら大腸カメラねー」とまた言われてしまった。先生、忘れてないな〜。

帰り際、そうだ!と思って、去年の3月にした腫瘍マーカーの検査結果を知りたいと先生に言った。

「いいよ。コピーをあげる。」

看護師さんがコピーしてくださり、その日もお土産(?)ができた。

昨年3月2日のCEAが13.5(ヤバいですマーク付き)、CA19-9が25.1(問題なし)、CA125が79.6(ヤバいですマーク付き)だった。

腹膜播種治療支援機構のサイト

NPO法人腹膜播種治療支援機構のサイトが新装オープンしていた。

http://www.npo-pdt.org/

何となくオモシロイ。面白がってちゃいけないのかもしれないけど。

(腹膜偽粘液腫は腹膜播種の一種ですからねー。)

老紳士さんと会った

夕方、ある方から「いま、銀座なんです」と電話があった。

ここ数日、仕事がバタバタなのだけれどちょうど1時間ほど空けることができ、その方に会った。

老紳士のその方は、奥様が腹膜偽粘液腫の患者さんだ。奥様は病気がわかる数年前まで、高齢にもかかわらずバリバリお仕事を続けていたという。その忙しく飛び回っていた奥様は手術してずいぶん経つが、今、自宅療養をされている。

老紳士さんはいくつかのことを心配されていた。奥様が体調が悪いのか外出をしたがらないこと。日頃外出しないから、明後日の池田病院の受診に体力が持つかどうか(遠いから)。受診して診断結果が良くなかったら。もし、彼女がもっと悪い状況になってしまったら自分はどうやって生きていったら良いのか。。。

献身的な老紳士さんは、いろいろ考えると眠れなくなると仰った。自宅にこもる奥様の相手を一日中していて、どこか息抜きも必要な感じだった。

「今日は必要なものがあってここまで来たのですけれど、見つかりませんでした。久しぶりにここまで来たんです。以前はしょっちゅう来てたんですけれどねえ。」

もしかしたら、探し物はあってもなくてもどっちでも良かったのかもしれない。老紳士さんにとって、街まで出てきたことと誰かに心配事をしたことが、ほんの少し心をほぐすことにつながったのではないだろうか。

私に答えを求めているわけではないだろう。だとしても私は「きっと大丈夫ですよ」などと、ありきたりなことしか言えなかった。経過観察の診断については、良性か悪性か中間なのかで予後が違うということから、そのあたりをまず伺ってみると「聞いていないんですよ、とても恐ろしくて」ということだった。

何でも全部知っておきたい私には意外だけれど、手術で腫瘍は全部は取りきれなかったとのことで、聞きたくない気持ちは察する。

そもそも米村先生の手術を受けることになったのは、まだ腹膜偽粘液腫とわからず大学病院で手術して、数ヶ月と経たないうちにまた手術が必要と言われてパニックになってしまったところ、知り合いがネットで米村先生を見つけてくれて受診し、手術してもらったとのこと。高齢の方にとってはこの病気に限ったことでなく、身近にネットを検索してくれる人がいるかいないかで、その後たどる道が違う気がする。

支援の会の親睦会などに出て情報交換するのもいいのではと話すと、元気な患者さんたちに会って、それに比べて自分のところはと思うと辛い、それに、本人自身が外に出ず、自分ばかり頑張って患者の皆さんに会っても、、、ということだった。

でも、私には会おうと思ってくださったのだ。 私は「何か良い情報がありましたら、必ずお知らせしますからね!」と言った。

「今度、家に遊びに来てください。」

「はい、ぜひ伺います。」

1時間があっと言う間に過ぎた。明後日、「だいじょーぶ」な結果でありますように。

「もこもこさんの偽粘液腫、見せてちょーだい」

ハイ、早速来ました! もこもこさん、ご協力ありがとうございます!!

見る前にご注意で〜す:画像は別ウィンドウで開きます。画像の権利はもこもこさんにあります。あくまで患者・経験者の投稿でお医者さんではないので、医学的にどうかは私たちにはわかりません。ということで、揚げ足を取るようなツッコミコメントは困るんですが、医学的に見た良心的コメントなどは大歓迎です。

それでは、【もこもこさんの偽粘液腫、見せてちょーだい】

ここをクリック(250×333 pixel)

もこもこさんより:
2009年6月末の岸和田で2度目の手術をうけました。術前の説明では、子宮・卵巣・脾臓・膵臓・大網は再発しやすいので切除します、と言われました。また麻酔の医師には、リスクがある手術なんですとも、言われました。えー!!と驚きながらも、「もうまな板の鯉」と受け止めたらいつの間にか熟睡して、手術に挑めました。今思えば、知らぬが仏状態だったのかも知れないですね〜なによりも、家族や沢山の友達 知人に励まされ支えられたことが力になりました。
結果は、画像にもある様に腹膜偽粘液腫と胆嚢(黒くて丸いもの)切除でした。先生がおっしゃるには「子宮など綺麗だった」、ということで、切除されずに済みました!!胸の真ん中から恥骨上まで31cm 開腹でしたが、術後11日目で退院出来ました。もちろん、自宅で1ケ月以上は静養できる環境だったからです。病理結果は「良性」でも、ずーと経過観察なんです。この病気は、本当に個性があって一人ひとり微妙に違いますね。サンプルのひとつとして少しでもお役に立てればと思い投稿しました。

50代婦人 もこもこ

追加で質問してみました。「最初の手術ではどんな手術を?」

もこもこさん:

一度目の手術は、婦人科の市民検診で卵巣嚢腫(影があるということ)で直ぐに手術でした。手術最中に婦人科から外科の医師へ交代して、盲腸腫瘤と判断されて盲腸切除と液体の排除だったようです。術後の病理検査で、腹膜偽粘液腫といわれました。それから、インターネットにて一番近くの岸和田へ転院しました。(2007年時点、インターネット検索で数ケ所位ヒット・・・スキルスのひろりんさん、支援の会、近大の病院など他、医師への質問コーナーなど)

 

もこもこさん、ありがとねー! たぶんこの後すぐには投稿、来ないと思うしね。だって、手術の付き添いのときに写真撮るって感覚の人、そうそういないからね〜。笑

このままこれ1回きりかもしれないんだけど、そしたらそれはそれで、すっごく貴重な第1回なのでした。

でも、諦めずに「アナタの偽粘液腫、見せてちょーだい」募集中!