28日の土曜日は、池田病院で米村先生の診察だった。術後2度目の検診だ。結果は問題なし! 次回検診は6か月後となった。
今回も弟夫婦が行ってくれることになったので(ワタクシとしては、彼らのレクリエーションとしてムリヤリ定着させたい魂胆)、朝、弟夫婦の家に行き、そこからの運転を弟にしてもらった。
弟の家に着くや、携帯に母から電話が。「震源地はどこなの? 昨日テレビが壊れちゃって、情報がわからないのよ。」
何を言っているのやら。と、カーラジオから地震情報が流れているのに気づき、そのまま母に伝えた。高速道路を走っていて全然気づいていなかった。
弟たちが車に乗り込み、再び東名へ。地震のため50キロ規制。だんだん富士山が大きくなってきて、 地震は大丈夫かな、などと思ったりする。そういえば4月、入院するため、義妹が私を乗せて運転してくれた日も結構揺れたっけ。。。
9時過ぎに池田病院に到着。
米村先生の患者さんは受付を済ませると、病院の奥というか右側にある健康管理センターの待合室で待つことになる。腹膜偽粘液腫以外の腹膜播種の患者さんもいる。待っているうち、患者支援の会でお知り合いになった方々のお顔も見つけ、いろいろお話しした。
会で声をかけてくれ、便秘問題で意気投合したHさんが、入院時に同室だったという二人の患者さんのことを心配していた。その方たちは関東在住の腹膜播種の患者さんで、お一人は前回の検診時に「もうここまで来られないと思う」と話されていたという。Hさんは彼女たちの姿が見えないのが気がかりのようだった。
おしゃべりの合間に血液検査とMRI。弟夫婦も私もHさんたちからキャンディを頂戴し、空腹をなだめる。次は私もお菓子を持ってこよう。
お昼をとうに過ぎ、3か月ぶりの診察。待ち時間は長くても、先生がここまで来てくださるのだからありがたい。義妹と一緒に診察室(というか、本来は応接室らしい)に入った。
「どうですか、調子は。」
先生はパソコンに向かって「どうですか」と、そして椅子をくるりと回しながら「調子は」と仰り私をご覧になる。デジャブかと思うくらい3か月前と変わらない動作だ。
今回は私の顔を見るなり「あ、アンタね、ぶひっ」みたいな顔をされたので、ちょっと嬉しかったりして。先生が診るたくさんの患者さんの中で、たぶん私は軽いほう。サクッと退院したから(と言っても1か月いたけど)、印象も薄いことだろう、顔など覚えてないだろーなーと思っていたのだ。
「おかげさまで元気です。けど、便秘気味で、腸が腫れている気がします。」
MRI画像から左側が腫れているとのことだが、
「どれ、お腹見せて。太った?」
「少し。」
良し、という感じで先生はニヤリとすると、触診し、
「だいじょーぶ。」
出ました、だいじょーぶが。
血液検査の結果も、先生がチェックするだけで、今回も数値を聞くことはしなかった。同じ病気で友達になったMさんが言ってたな、「米村先生がだいじょーぶって言うならだいじょーぶなんだよ」って。
先生はきっと、細かいことに一喜一憂せず、おおらかでいるほうが体に良く、患者に無駄な情報を伝える必要はないという考え方なのだと思う。
「ありがとうございました〜。」私たちは部屋を出た。
時計を見ると2時。Hさんたちに挨拶し、会計をすませて病院を出発。食いしん坊の弟が持って来たグルメ本で、この時間でも開いている近くのお店を探し、遅いランチをとった。ランチタイムが3時閉店で、ゆっくりできなかったのが残念。
帰り道、東名に乗ってしばらくするとお腹が張って来た。
「うぐぐ。。。足柄あたりで休憩してくれない? ガスが出そうなんですけどぉ。」
「ガスなら窓開けてしてください。このままもう少し走ったほうが良くないですか?」
いつも天気が悪い御殿場あたりはそのとき、雪になっていた。義妹の言う通り、雪がひどくならないうちにこの近辺を脱出したほうが良さそう。しかしガスだけじゃないかも?だったので強制トイレ休憩。なのにガスのみで終わったので、仕方ない?から富士山の形をしたメロンパンやら何やら買ってしまった。
東名は途中で降り、私たちは実家に寄った。壊れたというテレビの調子を見なければいけない。弟が見てみると、なんのことはない、リモコンのボタンを間違って押していただけだった。年寄りに今時の家電は難しい。
帰りも弟夫婦の家まで運転してもらった。弟が運転中、米村先生のことを「すごい先生だよなあ」と感心しながら先生の真似をするので、げらげら笑ってしまった。
弟たちと別れ、帰宅すると、特に何をしたというわけでもないのに疲れてしまい、夕食のしたくをする気力なし。仕事から帰って来た夫が近くのスペイン料理店に行こうというので、昼がイタリアンだったんだけどなあと思いつつ、夫に私の分も食べてもらえばいいやと出かけることにした。
店に入ると、貸し切りパーティの模様。と思ったら、案内された。いくつか料理を頼み、私はちょぼちょぼ料理をつついた。
20数人のパーティには、中学生たちもいた。聞けば彼らは同級生で、そのお父さんお母さんとともに、ずっと前から親交を深めているとのこと。その日は、一組のお父さんお母さんの結婚20周年をお祝いする会だった。
彼らの持ち込みのケーキを、なんと私たちもご相伴にあずかってしまった。
お祝いされたお父さんが、とくにこどもたちに向けてスピーチをした。
「20年と一言で言うけれど、お前たちが生まれてないときからのことです。そしてこうして今日、お前たちみんなとすばらしい時間が共有できたことに感謝します。」
最後に皆立って、「スペイン料理なのに?」なんて言いながら一本締めで彼らのパーティはお開きとなった。私たちも横で素敵な時間を共有させてもらい、ケーキともどもオイシかった。袖振り合うも他生の縁だ。
締めも良い、長い1日は終わった。
追記:翌日、Hさんから丁寧なメールを頂戴した。その中にこうあった。
「昨日お話しした方が亡くなり、改めて、生かされている事に感謝しています。」