天国からのサプライズ(本編)

あーもー、5月のイントロから2か月が経ってしまったではないの。「capiさんからイタダキ会」だって、すでに第二弾もやっちゃったし。ここのカテゴリーだって、「術後生活(5年〜)」を立てないと。

おかげさまで、オラも米村オペから5年が過ぎた。術後2年であろーことかお臍に腫瘍ができてしまい、また手術したけれど、これは再発じゃないかも!ということにして、その後はそれなりに元気にやっている。

ではあるが、1か月くらい前から腸の調子がイマイチで、なんか痛い。そして腫れている。軽いサブイレウスもあったし。

そしてここ数日は下痢だったり。食中毒かな〜。ならイイけど。ってイイのか。例のヤツでなければ、イイや。腸が腫れていると思ったら腹水だった、なんてことだけはカンベンしてね! 一応、今週中には銀座医院に行くつもり。

先日、胃カメラをしたので、ピロリ菌とか細かいことは今度行くときに話を聞くことになっている。そのついでに、お腹の腫れや下痢のことを先生に相談しようと思っている。(ちなみに、胃カメラ時の所見は、2〜3個、5mmくらいの腺腫があるとのことだったが、小さいからまだ取らなくても良いらしい。)

さて〜〜。本題でス。5月の話だyo。

いろいろな仕事を抱えながらも、ちょっと一息つけるかなと思ったときに、父が入院した。主治医から「覚悟してください」なんて言われた割には父本人が至って普通っぽい模様で、こちらは覚悟感も0%。むしろスケジュール帳の空欄部分にすっぽり収まって「こりゃ予定調和かな〜」なんて思ったりした。

その数日前、capiさんから連絡があった。

「こんにちは〜 連休楽しんでますか? こちらは実家の片付けなんかやってます。
そこで、おふくろが着ている和服を処分しようとしていますが、もったいなくて。
良かったらいかがでしょう。
帯も普段のとお出かけ用で10着以上あるそう。
大島紬、染め大島、小紋、おめし、ローズ系が多いそうです。」

capiさんのお母様はただいま終活中とのこと。ご家族も親戚もサイズが合わないのだそうで、小柄な私にお声がかかったのだ。なんたって昔の人の着物がピッタリサイズ。で、高価な大島紬をはじめとするたくさんのお着物を、頂戴することになったのである。

ちなみに。capiさんのお母様とは面識ナシ。考えてみれば、そもそもcapiさん自身とリアルで知り合ったのがたかだか1年前ではないか。それもなんとNEWさんのお葬式で。NEWさんの同僚のcapiさんに、悲しみの場で、初めて会ったのである。

なのになんで気楽におふくろさんの着物もらっるのよコラっ。だってさー、もうずっと前からの友達みたいな気がするんだもーん。

ということで、受け渡しについて

「明日、実家に行くことになりました。父が突如、入院しまして(^^;
もしよかったら、夜とかどうですか。」

「大丈夫だと思います。お父様大丈夫ですか?」

「今、パジャマとウェットティッシュを買ってきて、と母から買い物頼まれてるみたいなユルさ。
明日夜、よろしく。K田さんも呼んどいた。時間詳細後ほど。」

「了解しました〜(^^)」

突如、K田さんも呼んじゃって「イタダキ会」を挙行することに。私の実家の近くで夜、ということだけ決め、あとは会う段になってスマホで連絡し合って、と超アバウトにセッティングした。

翌日、父用のパジャマとウェットティッシュを買った私は母を車に乗せ、父の入院する病院に行った。この病院は、5年前の春に私が腹膜偽粘液腫と分からず手術した病院であり、NEWさんとK田さんが同室だったという病院でもあり、母も入院しNEWさんもまた同じく入院していて顔を見に行ったりもし、そして去年の夏にはNEWさんのご家族とK田さん夫妻と病院主催の花火大会を見に行ったところなのである。なにかと縁のあるところだ、私自身はもう受診しないけれど。

・・・そんな病院で、ベッドに横たわりながら文句を言う父の相手をし(ベッドに拘束具みたいなのが付いているのはさすがに可哀想だと思った)、帰りに母の買い物に付き合うと、もう夕方になっていた。実家に母を送り届けたら、二人に連絡しないと。いや、その前に、二人に気持ちばかりのプレゼントを買いたいな。capiさんからは着物を頂戴するのだし、遠いところからK田さんを呼びつけてるんだし。。。

で、そーだプレゼントはこれ!と思ったのが日本酒である。彼らの好物だし、実家の帰り道に良い酒屋があるのである。高校時代の友人がやってる店で、以前、一度だけ入ったことがあるが、県内の酒蔵のものなども置いている。それで店の前で車を停め、母に車の中でちょっと待っててと言い残し、私はお店に入った。

中では女性が店番をしていた。

「ええっと、、、気軽なプレゼントを探しているんですが。」

「それでしたら、こちらはいかがですか? 県外には出ない珍しいもので、人気がありますよ。」

「んじゃ、これを2本、別々に包んでください。」

「ありがとうございます。」

彼女は冷ケースからその2本を取り出し、簡単なプレゼント用の袋に入れてくれた。で、会計しながら、友人の奥さんなのか聞いてみた。

「いえ、妹です。」

「そうなんですか〜。失礼しました。」

「いえいえ〜〜。」

なんて話していると、店の自動ドアが開いたので振り向けば、

「うぎゃ〜〜〜!!!」

「どひゃ〜〜〜!!!」

「ひえ〜〜〜〜!!!」(←これら、三人同時発声。)

なんと!入ってきたのが、capiさんとK田さん。

とんでもない声を出しまくってる三人に、妹さんが目を丸くして驚いているのに気付き、

「あ、あの、この二人へのプレゼントだったんです、これ。ハイ、プレゼントっっ!」

いきなり、二人に袋を押し付けながら、「それにしても、二人はなんでここへ?」と聞く前に、なんでここにpomがいるのか?と顔にしっかり書いてあるcapiさんとK田さんであった。

二人は彼らで待ち合わせて、K田さんの車にcapiさんが同乗してやってきた。そろそろの時間だろうに私からの連絡がなく、まだ私の用事が済んでいないのだろうと、時間潰し的に、capiさんの先輩が「こだわりの酒屋」として語っていた店に来てみたとのことだった。

店を出ると、車の窓ごしに母が私たち三人を訝しげに見ているものだから、母に彼らを紹介した。

「今日会うと話していた二人。場所も時間も決めてなかったのに、なぜか会えちゃった!」

母は軽く会釈しながら、「なにがなんだか???」といった顔だった。

でー、2台連ねて母を送って、その後、花火大会後にK田さん夫妻と行った蕎麦屋に行き、改めまして「イタダキ会」となった。

なんといってもその日、いちばん面白かったのが酒屋で偶然会ったことで、どうもこれはアヤシイ。絶対に天国からNEWさんが仕掛けてるよね、となって、皆、納得した次第。そろそろ彼の1周忌でもあった。

これまで話題にしなかったけど

またまた「と、その前に」になってしまうのだが。

昨年から私は「腹膜偽粘液腫患者支援の会」のお役をさせていただいているのである。いつだったか、ちらっと「手伝っている」みたいな表現をしたけれど、実は手伝っているというより、結構ガッツリなんだよなあ。

この話を、これまでは思いっきり避けてきていた。というのも、3つの理由があったから。

一番大きな理由。
オフィシャルな会(任意の団体だけど)は、当然のことながらキチンとした情報を伝えるべきで、それがゆえ、情報不足になることもある。例を挙げると、以前の会のウェブサイトは、治療が受けられる病院名に岸和田徳洲会病院が載っていなかった。当時代表の藤井さんが病院に掲載して良いか尋ねたところ、その当時、回答をもらえなかったという話である。確実かつトラブルのない情報提供をと思えば、掲載できないわけだ。

「んなの、周知の事実じゃん」みたいなノリで、これまで私はブログにそんなことあんなことを投稿していた。

しかしここへ来て、だ。なんかさー、あっちではこう言い、こっちでは「実はね〜」みたいな状況になっちゃうのは、まずいと思わない? ってか良くないYO! 自己嫌悪に陥るわっ。

そんなワケで悩んでいたのだけれど、とりあえず今のところ、二枚舌になるような情報はないというか、スカっと基本情報を会のほうに出せているから、ま、大丈夫かな、と。

二番目の理由は、最初の理由の変化型だけれど、pomすなわち、会でお役やってる人、というイメージを持たれたら嫌という。

ワタシ ハ 自由人 デ アリタイ 

ここでは今までどおり好き勝手なことを書き散らしたいのである!

そして三番目の理由。まあそういうことで自由人として書いちゃうけれど、昨年度からちょっと前まで、会の運営がうまくいっているとは決して言えなかった。でもその割には、すっごく時間を割いていた。昨年度から最近までブログの投稿数が激減していたのは、会社の仕事やアーティスト(自称)の活動や両親の病気のことのほか、会のことも関係していたのである。で、ブログ投稿する時間がマジなかったYO〜(泣)

昨年はお仲間に「入会して〜」と声をかける気にもなれなかったけれど、やっと基本的なところが踏み固まってきて、今は思いっきり「入会して〜」と言えるっス! 会のお集い会も、今年度は先週土曜の草津総合病院に続き、来月早々、中部地区でも予定している。名古屋近辺にお住まいの腹膜偽粘液腫のアナタ、仲間といろいろお話ししませんか〜〜?

おおよその基盤もでき、以前のようにむやみに時間を奪われることは少なくなるだろう。また、少しずつブログを更新していこうっと。

腹膜播種治療トレーニング プログラム

2016年9月1日に「Japanese School of Peritoneal Surface Oncology(JSPSO)」が開校するとのこと。なんとなんと!それは、腹膜偽粘液腫を含む腹膜播種をばっちり治す包括的な治療について研修する学校なのである。

研修資格はもちろん医師免許のある方。外科医・産婦人科医・麻酔医・画像診断医など。

従来は腹膜偽粘液腫を含む腹膜播種は手術はムリってことだったけれど、米村先生たちによって手術対象となった。私も恩恵を受けた一人。でも、はるばる大阪や滋賀の病院に入院せねばならなかったし、退院しても術後のケアが居住する県内の病院で対応してくれないとか(最近は減ってきたようだが)いろいろあったわけで。

ゆくゆくはもっと身近な場所で治療を受けられるようになるかも!

意欲のあるお医者さん、これからの医療を考えるお医者さんに、このプログラムが目に留まるよう、少しでも何かの検索で引っかかってくれたらと祈って。。。

日本腹膜播種治療トレーニング プログラム

Asian SCHOOL OF PERITONEAL SURFACE ONCOLOGY And Asian PERITONEAL SURFACE ONCOLOGY TRAINING PROGRAM

想像だけれど、英文のほうは海外の医師向け。英語で研修可能なのだと思う。日本語のほうは、これは私の推測にすぎないが、研修施設が太字とそうでないのがあって、そうでないほうは基本的に英語での研修ってことで、棲み分けてるとか?

と、その前に

あー、また月末だ。31日だ。ビジネス以外で忙しがっているから、こんなひどい月末になるのだとわかっているけれど、、、どうするのが私の正しい道なのか、わからないっっ。

予告通りの「天国からのサプライズ(本編)」とさらに、もう二つ(仮タイトルは「よく頑張りました」と「番茉莉」)をしたためようとしているのだけれど、たぶん、少し後になりそう。

と、その前に、これだけは先に出しとこ〜な情報をまず投稿することにした。お医者さんが一人でも、目に留めてくれればという願いを込めて。

天国からのサプライズ(イントロ編)

父が入院したのは6日の金曜で、それは私にとってなんだかんだの忙しさがちょっと越えて、ビミョーなインターバルのときだった。父を病院に連れて行った義妹の報告からは、それなりに心配なものの命に別状はないように思えた。

そこで思いついちゃったのが、「capiさんからイタダキ会」である。

以下、登場人物は「絵馬(あらすじ編)」と絵馬の話に出てくるんだけど。

なんかもー、絶対、仕組まれたね、天国から。

父は長寿遺伝子にスイッチ入れてます

「これまで生きてこれたことがもう、凄いことなんですよ。」

父の主治医が、心臓カテーテル検査(&ステント留置)後の説明時、私たちに言った。そしてこう続けた。「今日、突然死しても、全然おかしくないんです。」

父があとどれくらい生きられそうなのか、聞きたいと思っていたのだけれど、どうもそういうところを超えた状況に、もはや父はいたようだ。

「(循環器外来に経過観察で)pom父さんが来るとき、いつも一人で来るじゃないですか。89歳で付き添いもなく来られる人なんて滅多にいませんよ。7年前に心筋梗塞やって高血圧でもともと片肺機能してなくて、心臓も肥大してて不整脈で、薬でコントロールしているとは言え、凄いですよ。それで今回、心不全に肺炎併発ですからね、もう、神様に選ばれた人としか言えないですよっっ。」

状況把握していない家族にややキレそうになりながら説明する主治医に、義妹も私も「はあ。。。」みたいな感じだった。だって、父は目をぱっちり開けて、普通に話してるし。ベッドが低反発で柔らかすぎだと文句を言って、家から座布団持って来させてるし〜〜。

父はこれまで老人なりに普通に生活できていて、お金のこともきちんとやっている(私よりマトモ)。足の悪い母に代わって日常の買い物もするし、問題があるといえば、認知症が始まったのか勘違いが時々あり、ガンとして引かないので、母や私たちと口論になってしまうことがあることくらいだった。

「pom父さんを一日も早く退院させてあげたいと思っています。自宅介護ですよね? 就寝時は酸素吸入したほうが良いでしょう。入院しちゃうとだいたい、高齢の方は元の生活レベルまでは戻らないんです。もう歩けないかもしれないし。認知症も進むでしょう。」

これまでの勘違いも、血管が詰まることから起こる認知症によるものらしい。

認知症が進むのも困るが、歩けないのも困る。トイレはどうするのだ? これまで介護認定すら受けたことがない人なのに。介護がそもそも必要だった人だったのか。

いろいろ考えてしまうが、しかし。

昨年1月に胆管癌で手術した母は84歳だけれど、今、主治医が驚くほどのハツラツぶり。「1年以上経って、勝ち組ですね。pom母さんは60代とまでは言わないけれど、70代に見えますよ!」と主治医から言われて、まんざらでもない母を見ると、全然ダイジョーブだわ〜、と思う。

母の主治医も、高齢者は退院後、元の生活には戻れないと仰っていた。だけれど、母はがんで手術したのがウソのようだと自分でも言っている。まったく前と変わらない。私以上に強靭な生命力である。

そんな母を見ているので、父も、主治医の予想を覆してくれそうな気がするのである。

私の両親は、私に「へその一つや二つ、なくてもどうってことない!」と私を励ます人たちである。「へそがなくなったら、ほぞも噛めないし〜」みたいな、なんでそんなジョークが、再発したと落ち込む娘に言えるんだ?な人たちである。そしていつも私に「くよくよするんじゃない!」と言うのある。

なんであんなに能天気でいられるのか。自分の親ながら不思議だ。しかし、そういう性分が長寿遺伝子のスイッチを押しているのだと、私は思う。

来週あたり退院できるかな、pom父さんは。

I’m home

旅に出ていたわけでもないのだが、自分のうちを留守にして、人のうちを作ってた感じかも?
まだ少し、バタバタが続くのかな。

A comprehensive treatment for peritoneal metastases from gastric cancer with curative intent

ワタシ、エイゴ、ホトンドワカリマセンガ、、、

ヨーロッパの「EJSO」(European Journal of Surgical Oncology)という権威ある雑誌に、米村豊先生の「胃癌及び腹膜播種の最新治療の総説」が掲載されたとのことで、早速、ちぇ〜〜っく!

A comprehensive treatment for peritoneal metastases from gastric cancer with curative intent
http://www.ejso.com/article/S0748-7983(16)30025-7/abstract

これまで手術は諦められていた播種治療が、世界的にも治療できる方向へと進んでいるなあという、うれしいニュースとして。

やれるもんならやってみそ

毎日が忙しくて疲れていると、軽い病気にでもなってのんびり入院してみたい、と思ったりしない? 正直に告白すれば、私もそう思うことがある。あんな大変な、ヒーヒーした経験をしておきながら、そう思ったりするんだから、人間って(というか私がだけど)バカだな〜と思う。

でも。

我慢の限界に挑戦しているかのような入院は、、、




いやだ、いやだぁああ!!!

めちゃくちゃ痛い。あれはツラい。
熱が全然下がらない。これもツラい。
そして、
絶対安静、ベッドから起きちゃいけない。コイツがまた非常にツラいのである。

ICUとかさー、私には気が狂いそうだったのを思い出すと、ベッドから起きてウロウロもできないなんて、ああ、やっぱり忙しくても頑張ります、ごめんなさい、もうそんなこと考えませんっ、と思うのである。

その絶対安静を2週間やって、もういいかと思ったら、また2週間と先生に言われて、都合4週目に突入している、というのが、あつママさんという。。。

今、治るために頑張っている。

滝に打たれるとか険しい山に登るとかっていう修行よりも、何もできず、動かず、一か所にずーっと寝続けるっていうほうが、とんでもなくすごい苦行だと思う。

あつママさんはきっと、精神力も鍛えられちゃうだろう。あと1週間か。。。はぁ。。。

ヨネ・スイッチ

思い出したのだけれど、先月の池田病院での診察で、ベッドに仰向けになって米村先生にお腹をペロッと見せたときのこと。

「!! どーしたんだっ!?」

先生がいつもの穏やか系から一変、厳しい顔をされたのである。

「は?」

自分のお腹を覗き込むと、先生が指差しているのは、手術痕と平行に赤く細長く付いた、パンストの縫い目の跡だった。恥ずかしげにヘラヘラ笑いながら説明すると、先生も恥ずかしげに「あはは」と笑った。

以前のお腹診察でも、先生が「!! どーしたんだっ!?」となったことがある。その時は私は、恥骨だったか剣状突起部分だったか忘れたけれど、ケロイド直し&ひっかかり防止のために、手術痕の切り始め(切り終わり?)にテープを貼っていたのである。

先生としては、一瞬、自分の与り知らぬところで、患者がなんらかの外科的処置を受ける理由があったのか、と驚かれたのだろう。要らぬところでスイッチを押してしまってスミマセン。ってか、こっちも恥ずかしかったっス。