そうだ 乳腺外科、行こう

下の2段にある、超音波&乳腺外科。6月30日に行く予定だった。今年の1月に乳腺腺筋上皮腫の診察の際、定期的な観察をしなくてももう良いだろうが念のため、ということで、ラストの受診のはずだった。

ところが3月に婦人科のお世話になり、予約表が更新されるたび、この予約がぶら下がっていたのだけれど、キャンセルした。6月30日、私は岸和田の病院にいることとなった。

念のためだったから、つい後回しにしてしまっていた。それで思い立って昨日、会社を休んで東海大学病院へ。キャンセル時に予約のし直しはできないが、いつでも来ることは可能と指示されていたのだ。

キョーレツな待ち時間を覚悟したけれど、そうでもなく自分の受付番号が表示され、診察室へ。予約日に来なかったから「どうしたの?」と先生から聞かれてしまった。

「カルテ見ていただくとわかるんですけど、腹膜偽粘液腫になっちゃいまして。」

先生はPCのカルテをクリックしながら「珍しい病気になっちゃったねえ」と仰ると、紙に万年筆で「腹膜偽粘液腫」と書き付けた。

私は根治手術をしたことを話した。悪性か、低悪性かとの先生の問いに、「低悪性」と答えると、

「それなら良し。」

と仰った。そして、超音波をしてまた戻って来るようにと指示された。

超音波の場所に行き、女性技師に「上半身脱いで横たわってください」と言われ、やや躊躇した。で、「手術痕がまだ生々しいんで驚かないでくださいネ」と言うと、「どちらか切除されたんですね」と返って来た。挨拶代わりのトークなのに切除部位が多すぎなので「はい」とだけ答えた。

終わって、診察室前の待合室に戻った。しばらくして、次に呼ばれる番号に私のが表示されて待ち構えるものの、なかなか前の人が診察室から出て来ない。難しい話になっているのだろうか。ずいぶん経ってからドアが開き、私より少し若いくらいの、カッコいい格好をした女性が出てきた。横顔の、目の周りと鼻が赤かった。彼女が待合室を出た途端、大きく鼻をすするのが聞こえた。その日、彼女はどんな思いで眠るのだろう。私も鼻のあたりが熱くなった。

「コンコン、失礼します。」

診察室に入ると、先生は「さあ、結果を見てみよう!」と 、どこか気を取り直したようにPCに向かわれた。実は、さっきは私に微妙にムッとしているようだった。この先生はいつも穏やかなので、逆にちょっとした変化がわかりやすく、腹膜偽粘液腫についてよくご存知だったのを感心してしまったのがかえって失礼だったか(スミマセン)、この病院でないところで治療して元気になったというのが気に障ったかな、と思った。

先生は前の患者さんのことも、私のことも、とりあえずリセットした感じだった。

「ええと、、、もう1個増えてるよー。」

「うにゃ? 念のためってことで来たんですけど。」

「ざんねーん。また半年後!」

そして、先生は腹膜偽粘液腫についてどの病院で手術したのか、術後の経過観察はどうするのかなどを質問された。私は先生が病気の治療について興味をもってくださったことが嬉しく、今日の先生のカフスは水晶?なんてチェックしながら質問に答えた。

その日は、先生にエストロゲンのパッチ剤を使うのはどうかというのも伺った。長期でなければ問題ないだろうとのことだった。

(そうそう、次はマンモグラフィと言われ、「胸がぺっちゃんこになっちゃって、挟めないかもしれないんですけど~!」と訴えたら、力強く「挟みます!」とのお答えが。「挟めます」でなかったのがキビシーながら、とりあえずペチャパイでも大丈夫らしい。。。)

「難病認定嘆願書」署名ありがとうございます(3)

11月20日、計131名分の署名を腹膜偽粘液腫患者支援の会に持って行きました。

銀座多嘉山さんのご関係の方、義妹のお友達の皆さん、そのほかにも署名してくださった皆さん、ありがとうございました。

このほか、電子署名をしてくださいましたEC88の皆さんにもお礼申し上げます。

20日のシンポジウムで米村先生が話されていましたが、難病認定嘆願書の署名が当時50万人に迫る勢いで集まっていたのが後押しとなり、厚生労働省の難治性疾患克服研究事業として、先生方の研究「腹膜偽粘液腫の本邦における発生頻度・病態の解明・治療法の開発」 が採択されたということでした。ふつう、民間レベルではなかなか採択されないことなのだそうです。これも署名がたくさん集まったからだそうです。

でも、不思議なのは研究期間はたった1年。1年で結果を出せっていうのは、普通に考えてもやたら厳しい気がします。引き続き必要と判断されれば3年に延びるらしいですが。3年間になってほしいものです。

腹腔内温熱化学療法の保険診療の署名お願い

「第2回 腹膜偽粘液腫シンポジウム」の米村先生のお話のなかでもあったように、腹腔内温熱化学療法が保険診療となるよう、署名のご協力をお願いいたします。

詳細については署名ご協力のお願いをご覧ください。署名用紙は最後の破線囲み内の宛先(腹膜偽粘液腫患者支援の会の会長宛になります)にお送りください。

署名用紙こちらになります。

なお、上記のお願いと署名用紙は、シンポジウムで配布されたものを私がPDFにしたものです。しかるべきところからアップされたら、そちらにリンクし直すつもりです。

腹膜播種治療支援機構のHP(署名活動の項)にアップされましたので、そちらをご覧ください。(2012年8月25日追記)
http://www.npo-pdt.org/署名活動/

腹膜偽粘液腫の難病認定の署名とは、また別のものになります。腹腔内温熱化学療法の保険診療の件は、早急に決まらなければならないものだと思います。

ちなみに、米村先生の手術を受けるにあたり、現在、腹腔内温熱化学療法が保険診療でないからと言って、手術を含めて自由診療(保険を使えず、全額負担)になってしまうのではありません。そんなだったら、私はきっと受けられなかったと思います。どうなっているかというと、腹腔内温熱化学療法はカウントされていないのです。患者は保険診療としての金額の支払いとなります。

でも、いつまでもこんなわけにはいかないと思います。先生方がすごく頑張っていらっしゃるのを目の当たりにして、自分はすでに手術してもらっちゃったから、もう知ーらない、とはとても思えないのです。

「たけしの〜家庭の医学」でも、「DOCTORS」でも、腹腔内温熱化学療法のことには触れられていませんでした。手術とセットなはずのこの療法が触れられなかったのは、このへんの事情があったからではと私は推測しています。

第2回「腹膜偽粘液腫シンポジウム」

11月20日、腹膜偽粘液腫患者支援の会主催による「第2回 腹膜偽粘液腫シンポジウム」に参加した。100名近くの参加があった。

内容のメインは、米村豊先生による「腹膜偽粘液腫の最近の知見」と、腹膜播種治療支援機構 副理事長の勝谷禎介さんによる「腹膜偽粘液腫の患者支援と最近の動向」。米村先生から新しい治療法の話などもあって、もうびっくり、行った人は最新の話が聞けて良かったと思う。

いろいろな話のなかで、私が興味をもったことや、自分自身の今後に関係があることのみ書き留めてみる。私の思い違いが大いにあるだろうから、先生がこう言っていたみたいに転載するのはやめてほしいっす。そして、内容が気になった人は、いずれ出てくるであろう信頼できる資料をあたってほしい。

まず、米村先生の新しい手術法のお話。がんの治療で、生体内に含まれる天然アミノ酸の一種を体に入れると、がん細胞だけに入っていき、とある光を当てるとがん細胞が死滅する(光治療:PDT)というのがあるのだが、これを応用し、そのアミノ酸の一種を手術前に服用してから開腹すれば、特殊なレンズで見るとがんの部分が光って見える。その光っているところを切除する、とのこと。もうすぐやる、みたいな話だった。なんか、スゴイ。完全切除が基本なだけに、かなりの武器になりそうだな〜〜。

また、腹膜偽粘液腫で特異的に発現している遺伝子の解明と新しい分子標的薬による治療の話も。遺伝子の同定はかなりイイ線いってるらしい。現在までに見いだされた候補マーカー遺伝子が、、、なんて。そして、抗体になるたんぱく質が薬となるらしいのだが、でも、この薬ができるまでにはあと20年くらいかかるらしいので、今の最善の治療法となると、完全切除と術中温熱化学療法をセットにした、米村先生がいつもやっている方法となる。

ヨーロッパでは腹膜切除と腹腔内温熱化学療法(HIPEC)の併用が標準的治療になっているにもかかわらず、日本では腔内温熱化学療法が保険診療にも認められていない。腹膜切除と温熱化学療法をやらなければ、飛行機からパラシュートを着けないで落ちるようなものなのだそうだ。そこで! 腔内温熱化学療法について診療報酬制(保険診療)になるように署名活動に協力してほしいということだった。

次は勝谷さんのお話。

腹膜播種治療支援機構が行っている抗がん剤感受性試験は、ほぼ100%の患者さんが受けているとのこと。10種類の抗がん剤で見るのだが、奏功率50%以下ということが多いという。0%ばかりの人もいるらしい。私も受けたのだが、私の場合、2種類が70%を超えていた。ラッキーである。

また、厚生労働科学研究費補助金による難治性疾患克服研究事業の一環で、全国1086施設にアンケートを実施したことや、草津での先生の外来人数などのお話があったが、面白いと思ったのが、統計を取っているわけではないが、腹膜偽粘液腫の患者さんはイメージ的に小柄な人が多い気がする、という話。

この話は余談ではあったが、私も身長が低いし、その日お会いした人で患者だというに人も大柄な人はいなかったように思ったので、妙に納得してしまった。米村先生のお話のなかで、ヨーロッパでは100万人に一人と言われているが、日本での発生頻度を調査すると、65万人に一人みたいなことだったから、小柄な東洋人のほうが発生頻度が高いかもと、私は思った。

ちょっとびっくりした話としては、腹腔内温熱化学療法が保険適用外のため病院負担となっている事実は承知していたが、この療法のための機械は、草津の病院では腹膜播種治療支援機構が負担していて、すなわちそれは米村先生の負担であるとのことだった。

米村先生もおっしゃっていたが、腹膜播種を治療するために頑張っている世界の先生方は、私財を投じたり、逆境にめげず立ち向かっているらしい。ボールチップメスだって、先生は自分でお金出して開発したわけだし。そういう先生方のおかげで、今、私はこうやって元気で生きていられるんだ。。。

さて、先生と勝谷さんのお話のあと、先生への質疑応答があった。質疑応答のときの話だったか、先生のお話の中でだったか定かではないが、こんなことをおっしゃっていた気がする。。。(気がする、だから間違っているかも。)

「抗がん剤は効かないと言っているのに、抗がん剤感受性試験をする必要があるか?」

他のがんに比べて効かないという意味で、5人に1人くらいは効く。抗がん剤感受性試験をしておけば、再発して手術のとき腹腔内温熱化学療法でも効く抗がん剤を使える。なるほど〜〜。

「再発したら?」

再発しても、すぐ手術すれば大丈夫。低悪性の場合、44か月間は半年に1回は検査すること。定期的にCT、MRTをやって、見つかったら取る。悪性の場合は抗がん剤治療もある。腫瘍マーカーには見方があり、上がったからすなわち再発と思うのは早計。

「卵巣摘出で更年期障害があるが」

エストロゲンの、それもパッチを使えば飲み薬のように肝臓に負担もなく良い。がんのリスクが言われるが、腹膜偽粘液腫については問題ない。ふむふむ〜〜。

そんなこんなで、収穫多しのシンポジウム、最後に患者の体験談があった。男性一人と女性一人。で、女性のほうがワタクシだったりして。くだらない話をお聞かせしてしまい失礼しました。

「DOCTORS 最強の名医」

「DOCTORS」の第3話に腹膜偽粘液腫の患者さんが出てくると聞き、第1話から録画して見ている。TVドラマはあまり見ないが結構面白い。相良先生みたいな先生が実際にいたら良いな〜。

第3話は「腹膜偽粘液腫」がキーワードのように何度も出て来た。見ていた人にはこの病名がなんとなく頭に残っただろう。義妹から、「お姉さんが今年手術した珍しい病気が、同じ年にドラマでとりあげられるなんて、なんだか不思議な気がしました。」とメールが来たが、実のところ、私もそう思った。本当は、病気が取り上げられるのは米村先生の信念ある手術の認知度が高まった結果で、うまい時期?に私が発症した、というのが正しい気がするが。

さて、ドラマで堂上総合病院が行った手術は、森山先生が言ったように腹膜偽粘液腫の「根治手術」だ。根治手術は一般的にはしない腹膜切除まで行い、腫瘍を完全切除する、というのが根治手術を受けた私の認識で、そのとおりにドラマでも腹膜を切除していた。

今、そのような手術をする先生は、米村豊先生のほか、名前を存じ上げている先生では奈良社会保険病院の鍛利幸先生とか。たぶんあまりいないと思う。だから森山先生はスゴイのである。

手術後の病室で、蘭ちゃんの皆川先生が患者夫婦に「あとで森山先生が術後のケアについて説明にいらっしゃいます」と言うシーンがあるのにも納得した。術後がまた一苦労なもので。

また、心配する患者に術前、看護師が「絶対に大丈夫」と笑顔で応えるシーンがあった。患者はその笑顔に安心する。それを見て、私はいつもの米村先生のことを思い出した。初めて診察を受けたときからずっと、米村先生はちょっと笑えるようなことを仰るので、私なぞ、合併症の多さなど調べたものの、気楽に手術に臨んでしまった。だって先生は、「ケロイドになっているところ、(切り直して)きれいにしたる〜」とか言うんだから。手術をするしないは慎重に決めるべきだろうが、するとなったら余計な不安は持たないほうがラクだ。

そんなこんなな思いを抱きつつ、夫と録画したドラマを見終えて、夫曰く。

「腹膜偽粘液腫の患者が、あの写真もどっちも美人だ。」

そこですか。だからさー、この患者の女性はみんな美人なんだってば。

長生き宣言

今月20日は、東京で腹膜偽粘液腫患者支援の会主催によるシンポジウムがある。はるばる関西から米村先生をお迎えしてのシンポジウムだ。そこに、「ダメもとで」地元の主治医をご招待しようという話があり、私も、こちらでお世話になった、また現在お世話になっている先生を招待していただこうと、会にお願いした。とはいえ、招待状をお出ししたところで、思いっきりスルーされるだろうな。。。

招待状が着いたかなと思った頃、会から連絡があった。銀座の先生から、興味があり行きたいが仕事が入ってしまった、次回はいつですかと聞かれたとのこと。亀山先生のことだ。来ていただけなくても、無視しないで会にご連絡くださったことがとても嬉しかった。

早速、先生宛にメモまがいのお礼の手紙を書き、お渡しいただくよう病院に持って行った。

帰り道、病院から電話が。亀山先生からだった。電話一本もらうだけで、患者は安心感がわくんだよなあ。

電話を頂戴したついでに、ちゃっかり、今後受けようとしている大腸の内視鏡検査のことを聞いた。百万人に一人の病気から助かっても、ありふれた大腸がんで命を落としたりしたら、これまで私を助けてくださった皆さんの苦労が台無しだし。

「私、長生きできそうです。」

「長生きしてください。」

思い出すと、ヘンな会話なんだけど。

私、長生きします!

そう思うことにした。

ここ数日、気持ちが晴れなかった。私の病気の心配をしてくれた人が、元気だったその人が、突然亡くなって、自分はのうのうと生きている。申し訳なさすら覚えた。

今、私がのうのうと生きていられるのは、治療してくれた先生や周囲の人たちのおかげ。それと、運、なんだと思う。

のうのうと生きられることを楽しまなくては。勝手な言い分だけど、そう思うことにした。

「くれぐれも気をつけるように」

先輩の通夜には同期の数人で待ち合わせ、I君に最寄り駅でピックアップしてもらった。早めに着いたので、私たちは先輩のお顔を拝見できた。奥さんからその後の電話で聞いていたとおりの安らかなその顔は、今にも目を開けて「あれ? みんな、どうしたの?」とでも言いそうだった。

隣の部屋に奥さんが「喪主」と書いたグレーの花を付けて立っていた。近寄ると私の顔を見て彼女が言った。「ウチの人、死んじゃったのよ。」

「うん。」

私は彼女の肩を抱いた。いかにもなオーバーアクションだったけれど、それしかできなかったのだ。

弔問客はどんどんやって来た。お経が読まれ、焼香が始まるともう、流れ作業のお別れだった。中学生たちも先生に引率されてお別れにやって来た。先輩は中学の教員なのだ。主幹教諭でもあり、たぶんハードワークではなかったかと思う。

ゼミの仲間で姿を見かけたのは22、3名。この日は人が多かったので、ゆっくり話すことはせず「また」ということで散会した。

後で、来られなかったH君の伝言を聞く。同期のH君は遠方だから来られないだろうとは思っていたが、「みんなによろしく」というありきたりな伝言ではなかった。

「このところ落ち着いて、みんなに喪中葉書を出そうかと思っていたところ今回の知らせで本当に驚いた。しばらくは上京できないので申し訳ないが、こんな事が続くので、みんなにくれぐれも気をつけるようにと伝えてほしい。」

私にこれを伝言してくれたUさんによれば、H君の奥さんが6月、くも膜下出血で亡くなったのだそうである。

朝の電話

3日の朝、携帯が鳴った。大学時代のゼミの先輩の名前が表示されている。

「もしもし。」

声の主は先輩ではなく、先輩の奥さんからだった。奥さんとは女二人で温泉旅行に行くほどの仲なので、彼女が電話してくれるのは不思議ではないけれど、なぜ先輩の携帯から?

「あのね、、、うちの人、今朝、亡くなったの。」

え? どういうこと? 頭が一瞬ヘンになってしまった気がした。

彼女の話では、昨晩、就寝後に具合が悪くなり、ゆっくり話すこともできず亡くなったというのだ。52歳で死ぬなんて、若すぎやしないか?

彼女は気丈に、通夜の日取りと場所を伝えた。「うちの人が携帯に登録している人に連絡すればいいかなと思って、かけてるの。告別式の時間は、焼き場の時間がわからなくてまだ決まってないんだけど。」

彼女は「何か、悪い夢を見ているみたい」と言って、アハハと小さく笑った。私はゼミのみんなに伝えるからと言うのが精一杯だった。

こんなことになるなんて。私は春の時分には、先のこととして自分の葬式の様子を想像したりしていた。夫はちゃんと私の知人に連絡してくれるだろうか、とりあえず先輩夫婦のことは夫も知っているからゼミの皆には連絡つくかな。。。リーダーシップがあり、面倒見が良くて、お酒好きな先輩が「あいつは面白いヤツだったよなあ」ときっと言ってくれるに違いない。。。

なのに。

こんなことなら、無理をしてでも9月のゼミOB会に行けば良かった。今年は会えずじまいで、いや、もうずっと会えないのだ。しかし、こんなことが9月に想像できるはず、ないじゃないの!

今年は想定外のことが多過ぎだよ!!

「難病認定嘆願書」署名ありがとうございます(2)

本日、計294名分の署名を腹膜偽粘液腫患者支援の会に郵送しました。

小学館辞典編集部の皆さん、

伊勢原中学校第29回卒業生同窓会に出席の皆さん、

伊勢原ひかり幼稚園の先生方、

教育委員会の皆さん、

大学時代の同級生Mさんがお勤めの会社の皆さん、

そのほかにも署名してくださった皆さん、

ありがとうございました。とりまとめてくださった方々にもお礼申し上げます。

署名の数がついに50万人を超えたそうですが、何人集まれば難病に認定される、という決まりはないのだそうです。しかし、おひとりおひとりのお気持ちが署名という形でこのように集まって大きな力になっていると思います。

引き続き、よろしくご協力をお願いいたします。

オンライン署名もできます。