見た目の問題

入院前に、手術するのでしばらく私は留守にする、夫はいるが毎日帰りが遅いので不在時はよろしくと、マンションのフロント業務の方に挨拶していた。そろそろ帰ってきたことを伝えなくてはと、フロントまで降りていく。
「帰ってきました。」
フロントの人が私を見る。言いたいことは分かっているからこちらが先に言う。
「痩せちゃったでしょう? 胃を少し切って食べられないんで、もっと痩せちゃうかもしれないんですよね。」
フロントの人は自分の両頬に手をやって、「ほんと、痩せちゃいましたね。」と言った。

夕方、親しくしている方が大好物のすいかを持ってきてくれた。マンション前は長く駐車ができないので、部屋まで来ていただくわけにもいかず、こちらが外に出向く。
車のそばまで近寄っても、彼女は私に気づかない。しばらくしてから気づき、車から降りてきた。
「ああ。。。わからなかった。」
彼女は顔をしわしわにして、体全体でさぞかし大変だったのでしょうという身振りをした。その仕草を見て、私は自分のビジュアルが相当変わってしまったんだなと、改めて思った。会う人ごとに説明が必要だろうなあ。。。
彼女にはいろいろ話していたのですでに病気のことは知っている。難病認定嘆願書の署名もお願いしやすい。彼女は快く署名してくれた。

尾籠な話

相変わらず食事が思うように摂れない。今日食べたものは、朝は食パン1/2枚にチーズとジュース、昼は食べず、夕方に水ようかん、夜は冷凍食品のパスタをたった2口といんげんのごま和え少々、鶏のレバーの甘露煮2口、温泉卵1個、そして先ほど小さめのデラウェア1房。もう少し食べられる気もするのだが、食べた後に襲ってくるかもしれない胃腸の痛みを考えると恐ろしくて、ほどほどにしてしまう。

水ようかんやデラウェアくらいは食休み20〜30分で大丈夫だが、そうでないものは食休み&ゲップタイム30分、プラス1時間くらい横にならないと動けない。いつまでこんなことが続くのだろうか。

食べるという行為だけで必要な時間が多すぎ、ゆったりした気分になれないと思っているところへ、ここ2日ばかり、「排便問題」でさらに時間が取られる。1日のほとんどの時間を睡眠、食事、排泄で占められた気がして、なんだかむなしい。

排便問題とは、便意があってトイレに行けども出ないので、ひたすらトイレに籠ってしまうという。。。尾籠な話だが、肛門まで来ているのにいくら力んでも出ないだ。そういう状態だから、諦めてトイレから出ることもできない。もう下着を汚してもいいやと思って無理矢理トイレから出たりもするが、すぐに「あ、出そう!」と感じてトイレに戻る。なのにやっぱり出ないのである。食後には消化剤と便を軟らかくする薬を飲んでいるのに。

昨日はそんなこんなで1時間くらい格闘して、ビー玉2個分くらいがやっと出た。まだ残っている感じはしたが、夏のトイレはドアを開け放していても暑く、汗だく。便座に座り続けるのもお尻の骨が痛く、もはや限界だったのでそれで良しとした。

で、今日の話。昼間、2時間弱くらい格闘してしまった(だから昼ご飯が食べられなかった)。今日こそきちんと出さなければと思い、奥の手としてビニール手袋をして果敢に掻き出し作戦も試みるが失敗。浣腸もしてみたが、便が出口をふさいでいるため腸の中に入ってくれず、ぎゅっと入れたら薬剤が漏れ出てトイレの床に流れてしまった。

しばらく呆然としながら便座に座りつつ、トイレの床をペーパーで拭いたりする。そして再度、浣腸に挑戦。やはり同じことになったけれど、先ほどと今ので少しは薬剤が腸に入ってくれたみたい。その後、難なく出てくれた。ホッとした。

トイレ掃除をし、自分もシャワーでも浴びようと思うが、なぜかお腹の具合が変なので、一旦ベッドで横になる。どれ位経っただろう、また便意でトイレへ。今度は力まずとも軟らかいのが少々出た。

やっと落ち着き、シャワーを浴びた。暑いはずなのに体が冷えていて、シャワーのお湯の温かさが心地良かった。

食べる→寝る→食べる→寝る→

もう無理に食べないことにしよう。そう思った。

食事を摂り、しばらく椅子に座ったまま食休みをするが、そのうち痛みが襲ってくるのでベッドで右を下にして横になる。結局そのまま寝てしまう。そして目が覚め、また食べなきゃと思って少量何かを口にし、、、同じことの繰り返し。今日は寝てばかりだ。

病院での栄養指導は、1日5食だか6食だかに分けて食べろということだったか、今の私にはとんでもない話。少量しか食べなくても、食事と食事の間隔が狭すぎてお腹もすかないし痛いし、とても食べられたものではない。

このままではもっと痩せちゃうなとは思うが、学生時代の私は今の私よりまだ2キロ痩せていた。だから2キロ分は痩せても大丈夫と、勝手に思うことにする。食べて痛いよりマシだ。

そんなわけで本日の夕飯は、フルーツジュースとダノンのbioと、半熟卵、ビタミン剤のサプリという、夕飯とは言えないメニュー。

自宅へ戻る

昨日、関空から飛行機で戻ってきた。大阪には1か月ほど滞在したことになる。またまた甥夫婦が空港まで車で送ってくれた。

どうも体調が不安だったので、乗るANAには事前に介助のお願いをしておいた。しかし関空では搭乗口がすぐそばだったので問題なさそうだから、羽田での介助だけをお願いし直した。

甥夫婦にお礼の挨拶をして手を振りながら搭乗口へ向かう。涙が出てしまう。本当に良くしてもらった。

台風が去った後で、天候は良好。機上では富士山が見えた。関西から関東に戻るんだな、、、なんだか入院生活が不思議な夢だったように思えてくる。関西弁しか聞けない(関東の言葉は誰も話さない)入院生活だったので、なおさら「帰って来る」感があった。

飛行機が羽田に着く。え?タラップ&バス移動? 今回それが嫌だったからスターフライヤー共同運行便にしなかったのに〜(でもスターフライヤーは乗り心地がとても良いので、こういう非常事態以外は積極的に乗っている)。介助をお願いしておいて良かった! バスも優先席に座らせてもらった。見た目は普通のオバちゃんなので「なんでこの人が?」と周囲は思ったかもしれないけど。

バスを降り、車椅子で到着ロビーまで介助していただく。ちょっと大袈裟だよな、とりあえずゆっくりなら歩けるし、と思いながらもこのほうが手っ取り早そうなので、そのまま車椅子を利用させていただいた。

介助の方に預け荷物をピックアップしていただき、振り向くとガラス越しに大きく手を振っている3人組がいた。迎えに来てくれた夫と弟夫婦だ。

「お帰りなさい!」

「帰ってきました。」

彼らを見たら安心してしまい、ちょっとお腹に入れたいという感覚がわいた。機内で腹痛や嘔吐を起こさないよう昼食は抜いていたので、少し食べてもいいかなと。それで空港内のあまり歩かないところにあるレストランに入ることにした。

彼らは食事を済ませていたので、私が食べたいものを2~3品選ばせてもらい、それを皆でシェアすることにした。飲み物は、夫と義妹はビール、運転手の弟はノンアルコールビール、そして私はトマトジュースで乾杯した。これまでになく(と言っても少量だが)食べられ、結構大丈夫じゃん!と自信がわいてしまった。

その自信が裏目に出る。家に送ってもらい、しばらくしてから夫とお菓子を食べたら、胃と腸が痛いのなんの。結局、夕食の時間になっても調子が悪く、夕飯はまぐろの握りが1個だけ食べられたという、情けないことになった。

さて、久しぶりの我が家に帰ってみると、いつもの家でないような錯覚に。でもやはり落ち着く。ベッドもトイレもリビングの椅子もすごーく落ち着く。あー、帰って来たんだな、自分の家へ。

岸和田の病院を退院!

ついに退院日。朝からなんとなく落ち着かない。
朝の回診は、米村先生、石橋先生、呂先生の豪華フルメンバー。「今日、退院だね」と軽く一言で終わる。もう、初回外来は3か月後に池田病院で診ていただけると聞いているし、まあ、特に何というものもないわけで。それより、お向かいさんが今つらい状況で、先生方はそちらに注力しなければならないのだった。

ふと、先生にお伺いしておきたいことがあるのを思い出し、お向かいさんの回診後、3つの質問をする。池田病院には事前予約をすべきか、受けておいた抗がん剤感受性試験の結果はどうだったか、カレーやコーヒー、抹茶など口にしても良いか(栄養部からいただいたパンフレットはダメってことだったけど)。

事前予約は1週間くらい前でOK、抗がん剤感受性試験の結果は出ている、何でも食べたらええよ~、とのことだった。やった!

その後、会計など退院の手続きをしに1階へ。迎えの甥夫婦もやって来た。再び病棟に上がり、入院中ずっと右手首についていたネームタグを切ってもらう。まるで儀式のよう。これで晴れて退院だ。お友達になったお向かいさん、お世話になった看護師さんたちに挨拶をし、まとめた荷物を甥夫婦が持ってくれ、車で病院を後にした。

今日は夫の実家に1泊させてもらう。家に着く前に、ドラッグストアとスーパーに寄ってもらう。膿が出ているところのケアをするものを買わねばならなかったし、お腹が空かないながらも食べたいものがあったのだ。ブドウ、納豆、それから食べたいというわけではないが、気軽に摂取できるシリアル。

家に着くと早速昼だったので、私は勝手にシリアルに豆乳をかけて食べることにする。やはりほんの少しでお腹いっぱいになってしまった。しかし、しばらくして、私を心配してくれた義母がドリンク剤をもってきてくれたので、ありがたくいただいた。

ふと気づくと、病院からの着信履歴があるではないか。慌てて電話すると、病院が石橋先生に回してくれる。抗がん剤感受性試験結果を私はもらい忘れて帰ってしまったのだ。説明を伺え、さらに郵送していただけるとのこと。あー、うっかりしてしまった。

夜、退院おめでとうということで、一口だけビールを飲んだ。美味しかった!
納豆やらなにやら、少しだけたべたつもりが、またまた苦しくなり、横にならせてもらう。あーあ。。。

それにしても、今回の入院では、夫の親戚が入れ替わり立ち替わり見舞いに来てくれたし、甥のお嫁さんが洗濯物を引き受けてくれた。本当に世話になった。また、彼らは難病指定の嘆願書の署名を自分たちだけでなく、知り合いにも声をかけて集めてくれたのだった。

術後24日目

いよいよ明日が退院で、待ち遠しい反面、こんな状況で退院してしまって大丈夫なのだろうかとも思う。

食事の量は若干増えたとはいえ、通常の2割程度。こんなでは確実に痩せてしまう。その上、食べた後、小1時間ほど寝転がるというか、体をもたげるというか、とても人様にはお見せできないような格好で、じっとしていなければ、苦しくてならない。変なゲップを何度も出しながら、ひたすら食べた物が無事、落ちていくのを待つのだ。

お腹のドレーン跡からの膿も、一向に止まる様子がない。看護師さんからは、今お腹に貼っているサージットPというのを薬局で買って、自分でケアできると教えてもらう。1週間くらいで止まってくれればよいけど、傷口を絞るたび結構出てくるので、なんだか不安だ。

普通、退院後、2週間めくらいで外来で診てもらったりするものだが、私の場合、遠方なので、もうこの病院に来ることはない。3か月後に、今度は静岡にある池田病院で術後フォローをしてもらうことになっている。すでに先生からは、池田病院に行くための資料もいただいた。

その間、万一何かあったらどうなるんだろうと思っていたところに、米村先生がいらっしゃって(いつも神出鬼没、いきなりやって来る!)、「退院後、何かあったら電話して」とおっしゃってくださった。それで安心した。

お向かいさんは未だつらい状況。それでも、少し調子が良い時に、娘さんと共に一緒にいろいろお話しした。

「今度会う時には、ちゃんとお化粧した顔で会いましょうね。」

そう、私たちはパジャマを着て頭はボサボサ、スッピンの、それも闘病顏しか、お互いを知らないのだ。いつもハツラツとしているであろう本来の姿で、また会いたい。再会を約束し、住所を交換しあった。

術後23日目

今朝の回診で、お腹の調子も良いと言われ嬉しくなる。

首の点滴も取れたことだし、髪と体を洗いにシャワー室へ行く。髪も体もいっぺんに洗うというごく当たり前のことが今までできていなかったので、すごく気持ちが良かった。

シャワーから出て髪を乾かそうとすると、先客がいた。頑張りましょうね、と声を掛け合った、あの、年上の女性だ。

手術をする時、手術室の前の部屋に入ったら、その人が先にいた。私と同じ時間にオペをする患者さんだった。

「頑張りましょうね。」

お互いの名前も病名も知らないけれど、笑顔を交わし合ったのだった。

「もうすぐ退院なのよ。」
「私も金曜日に退院なんです!」
「おめでとう。良かったね。」
二人してやっと退院できることを喜びあった。

シャワー後、体重を計ってみる。入院前より3キロ減。ま、こんなもんかな。

食事は昨日より数口は多く食べられた。調子を良くして牛乳を3口飲んだら、急に肺のあたりが苦しくなり、ほどなくして飲んだ牛乳をそのまま戻してしまった。でも、お向かいの患者さんのお嬢さんから差し入れしていただいた凍らせた桃はペロリと平らげられるのだから、なんだか不思議。どうやら冷んやりした果物はいくらでも食べられるようだ。

お向かいさんは依然、つらい状態が続いている。見舞いに来てくれた私の親戚が、「痛いの痛いの、葛城山に飛んでけー」と言っていたのを思い出して、
「お向かいさんのつらいのつらいの、葛城山に飛んでけー!」
真剣に念じた。

術後22日目

相変わらず食べられない。これではどんどん痩せてしまうだろうなと心配になる。ほんの数か月前まで、カロリーの低いものを選んで食べていたのに、まさかこんなことになろうとは。

今日は回診時に首についていた管を外していただいた。スッキリした。気持ちはもう退院に向かっている。もはや思い出作り体制になっているので、回診に見えた先生方の写真なんか撮っちゃったりして。。。

母にも金曜退院のことを電話で伝える。気丈な母だが、やはりかなり心配していたようだ。

夕方、リハビリの先生がいらっしゃって、廃用症候群についての説明を受けた。以前、指導いただいたことを守り、私は廊下をウロウロ歩くようにはしていたが、それでもいろいろな機能が衰えてしまっているらしい。退院後は有酸素運動として20〜30分程度のウォーキングをするよう指導される。

そう言えば、仕事への復帰については8月お盆明けくらいからが良いだろうと、医師から言われていたなあ。電車に乗っての通勤がやはり大変らしい。お盆明けかあ。。。

と、すっかり退院モードな自分だが、もはや同志とも言えるお向かいの患者さんは、今、苦戦中で、はたで見ていても辛い。少しでも早く、体が楽になれますように。

術後21日目

ついに退院日が決まる。遠方なので、迎えなどのことを考慮してもらい金曜日に決定。嬉しい。

病理の結果も米村先生から伺う。
良性と悪性の中間で、20年生存率は95%とのこと! もう死に怯える必要はない。抗がん剤治療も必要なし! なんて素晴らしいことだ。
ただし、このようなタイプでも、まれに再発するという。再発するとしたら、だいたい2年以内に再発するのだそうだ。ということは、2年間、問題なければ、ほぼ完治と思って良いのだろう。

また、ずっと首から栄養点滴をしていたが、これも今日で終わりとなった。どこにいくにもお供についてきた点滴をぶら下げるスタンドともお別れした。ただ、首に縫い付けてある?管は、明日の回診で取ってもらうことになった。

点滴をしているときは昼夜関係なく、尿意で1〜2時間置きにトイレに行っていた。これからも解放されるのは本当に楽だ。

食事は普通の食事になったものの、相変わらずあまり食べられない。すぐゲップが出てお腹がいっぱいになってしまう。だいたい、お腹が空かないのだ。それと、どうやら食事が自分の好みに合ってないのではと感じている。案外シッカリした味付けで、牛肉の薄切りメニューがやたら多い。
豚は今までお目にかかったことがない。鶏は一度、茶碗蒸しの中に入っていた。関西なので当然、朝食に納豆なんて出ないし、ハンペンも出ない。要するに、この地域で好まれる献立なわけで、若くて食欲旺盛な関東人なら問題ないだろうが、私くらいになるともはや辛いのだった。

退院日は夫の実家に泊めてもらい、翌日、飛行機で帰ることにしたので、土曜日の席を取った。

術後19日目

食欲がない。あまり食べられないし、食べると吐きそうになる。
そんな状態だから、ビーフリードという点滴も加わってしまう。

お隣の年配の方は、美味しい美味しいと言って召し上がっている。羨ましいな、さぞ簡単な病気なのだろうなと思っていたらそうではなかった。
数年前から人工肛門、胸にも転移し(たぶん、がん)、今回は腎臓に直接管を付けて尿を出す手術をしたのだという。これまで食べられなくて辛く、また、命を繋いでもらったことに感謝しているという。この方も、米村先生の患者さんだった。

とても明るく前向きな方だ。自分の病気なんて、大したことないなと思った。

今日はお向かいのベッドに方とも、いろいろお話しする。同じ病気で手術した方だが、切除部位などが違うためか、お互いの術後の症状は異なるのを感じる。

就寝時間。新たに貰った眠剤で、なんとか眠ることができるだろうか。