退院後、初の受診

一昨日、昨日と下痢で、ついに体重がピッタリ39kgになってしまった。先週の土曜日、頑張りすぎたかも。退院後、初めて米村先生に診ていただく日でもあり、中学校の同窓会でもあったから。

土曜の朝、弟に教えてもらった時間よりはるかに遅く、家を出た。途中、トイレ休憩でのんびりしたり小さな事故渋滞もあったが、問題なく10時前に池田病院に着いた。先に来て待っていた弟夫婦が、雨が降りしきる中を誘導してくれたので助かった。病院の駐車場がいっぱいで、停めるのに苦労したのだ。

受付をすませてしばし待つと、別の待合室に誘導される。誘導してくださったスタッフの方に、私の診察は41番目だと告げられた。ちなみにその日は60人もの患者さんが、米村先生の診察してもらうために来ているとのこと。

血液検査がすんで、後は先生の診察待ち。途中、弟たちがコンビニにお昼ごはんを買いに行ってくれた。他の患者さんたちは待ち時間も慣れているのか、おしゃべりしたり、眠っていたり、持ってきたお弁当を食べたりしていた。

病院で受付をしてから5時間。やっと私の番が来た。弟夫婦にも一緒に入ってもらった。

「どうですか、調子は。」

「はあ、まあまあヨイです。」

受け身的な患者のままでいると受診後の満足感?が得られない、というのは学習済み。失礼な言い方で恐縮だが、目の前の先生はへらへら笑ってしまっている。「あなたはヨネムラ的に問題なし」の合図だ。私もつられてへらへら笑ってしまう。が、このままではなんだかピンと来ないで終わってしまう。

今日も聞きたいことは紙に書いて来た。それを手に質問する。「右脚の付け根一帯の皮膚が手術後から感覚がなくて、最近はビリビリ痛いことがあるんですけど、治りますか? それとも諦めろ、ですか?」

「それは神経が切れたんだ。諦めたころに治ります。」

「あき、ら、めた、ころに、治る、、、と。えっと、次の質問は。。。」

という調子で伺ったことは、再発の可能性は4%(前に伺ったのより下がっている!)で(ちなみに悪性の場合の再発率は40%とのこと)、再発した場合でも完全切除できているからまた手術すれば良く、20年生存率が下がるわけではない。下腹部がちくちく痛むのは開腹手術後によくあることなので気にするな。インフルエンザの予防接種は「OK。してください」。集団検診などでバリウム飲んでも大丈夫。。。

だいたいがいつも「OK大丈夫」な返事である。米村先生との会話は、どこかいつも低反発クッションにグーを突っ込んでいる感触だ。

引き続き抗がん剤治療はしなくて良い、次回は3か月後でMRIをと言われ、退院後初の外来受診はほんの数分で終わった。

今思えば、腫瘍マーカーの値でも聞いておけばさらに満足度がアップしたかなという気もあるが、問題なしなんだから、ま、いっかとも思う。なにしろその日も先生の患者さんであふれていた。OK系患者の私よりも、そうでない患者さんに時間は費やされるべきである。あまりにユルいムードでの診察で、弟たちもぽかんとしていたが、「あの」米村先生が間近に見られたのは興味深かったらしい。

あとで弟が私に言った。

「待っている時、なんとかエスワンを何mgに増やして、、、って話している人たちがいたよ。」

「TS−1。抗がん剤の名前だね。」

「おねえちゃんは軽いってことなんだね。」

「まあね。」

弟が嬉しそうな顔をした。そこで初めて、結構心配してくれていたのだと知った。今さら遅すぎか。。。もしかすると、自分より周囲が深刻に受け止めているかもしれない。その日ののち、実家にちょっと寄ったとき、親に診察の報告をしなかったのだが、後で弟から「池田病院の診察の結果を聞いていないと言われたので、経過はすこぶる良好と報告しておきました」というメールが来てしまった。そっかー、父も母も私には何も聞かなかったけど、気になっていたんだわ。。。

次回のMRIの時間を予約し、会計をした。待合室には11月20日にある腹膜偽粘液腫のシンポジウムのポスターが貼られていた。衝撃的な写真付きだ。。。写真の患者さんはさぞ苦しかったことだろう。私なんか「太ったな」程度のお腹の出具合だったけれど、それでも結構苦しかったもの。

病院を出てから、3人で近くにあるキャンディカフェという店に入った。お昼は少ししか食べなかったので食事も頼んだが、このあと車で移動することや同窓会の2次会に出ることを考えて、皆でシェアにしてもらってほんの少しだけにする。

カフェを出て、義妹の実家に戻る弟夫婦と別れた。予想通り!の良好な結果を胸に、霧深い東名を次の予定を気にしながら走った。

 

 

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