ice cream castles in the sky

00010

実感できるものをひっくるめて半歩向こうで閉じた。室の真ん中(抽象的にしろ「ここ」では「真ん中」と臆面も無く言える)に繭を作っている風景。繭の外には物理的に今感じるもの。糸には記憶にしろ想像にしろ一回り変還して来たもの。内には「夢」のような誘う、想い。
僕の実験室だと思う。欲しいザイリョウはパンと揃う色付きの。とどのつまり何を実験しているのかと言えば、実験室さえも澄ますことだから、僕は両方にいるだろう。ソコで実験していて「僕」も澄まそうとするものと、向こうで見ているモノと(そうしないと意味も何も消えてしまう)。白い壁の実験室はある変還によって現れる。その場を知り澄明に実験ははじまります。
       ここでは目的地に着くことくらい割合簡単にできるんだ
       ポカンと電車に乗っかったりしてさ
(二つの実験室)
先ずワタシを放り込み室内を感じて疑わず、その中に時などをくるくるとまるめて放り込めば、ぜんまいが戻るようにガシャッと部屋中にひろがる「ワタシノモノ」に変還してワタシも時も何でも放り込み我を無くしたりカチの無いものにまで成る。
       コトバにならないもの
       エにならないもの
       オンガクにならないもの
実験しているものを見ているものの身悶えや震え
             Working DNA. This is my DNA.
       線と線分
       空と空間
       線や空が先ずあった

00011

あたたかい風の粒子
今までコワシテきたものすべて
私モ言葉ヲモッテイテ
宇宙のようにひたすら繰り返し変還された
この朝をコワス
この今をコワス
この時をコワス
夜をコワス 夢をコワス
澄んだ海も風もコワシテ行く
可能性を追うこと
その言葉の次は何
コトバは手段でしかなく
それからコトバは書かなくてはいられなく
コワシタコトバは
好き嫌い澄む澱む
画板のこの部分を澄ませてこの部分を澱ませるように願うこと
そのひとつひとつの向こう
澄んだ向こうに
澱んだ向こうに
ある日のなかで
澄み通った時の向こうにも
澱み沈んだ時の向こうにも
いま止まってみればすっぽりとモノの影に隠れている
動くことは条件のひとつでいつも同じかぜを知る
息を吸えばそのなかに含まれている成分
ミントのようにはじける微粒子
ジブンのかぜの成分表による画面分割(コワシテ飛ばそう)
かぜが吹いてくるところ立つところ
かぜが澄むところ澱むところ
半歩向こうまで押し澄まし映す雲
空にそれからたちまち もう

00012

兎に角現れたものならすべてベンキョウなのだからみんな変還して向こうの割り振り済みの整理棚か引き出し
位置とか場 空に雲
そこへ行けば風を感じる半歩向こうの厚み 奥行き
画面に定着する色の配分
そういう処へ還そう
光を選びたい
大きなちからに引かれるのではなく
向かっていけばそれだけは過不足ないチカラになるようだ
チカラとは言いたくなくても確かに取引しているモノがある
ワタシから半歩向こうで変還し映してRNAをタナに還しても
立体のように生き生きして息づいているもの
映されたDNAは息づいて生き生きしてくること
それは際限なく繰り返すので
今のモノサシを越えていた
もう消えることはないと思うことができたけれども
今還っていく 風 激しい風を
       風の日 木の時

00013

このくにはうつくしい
このうまれたとちのこと
ここのことばはてんにもひびくおんがく
そこでわたしがまもるのはわたしかそれとも
それにかわるものでしかなく

00014

半歩向こうのとこなら
今のワタシのいとをつかう
ワタシが見た分だけ映して吐き出される糸は全て使い
編んでもとのいとを還したあとのこと
それからはじめて生き生きしてくるかどうかは見ることができるけれども
ほんとうは丁寧に全てのいとをうつしたかどうか
それを過不足なくきちんと適当に使って編んだかどうかということで
それはもう振るいにかけられた向こうのことなら
もうそれは呼びかけるか呼びかけないか
それだけのことだしそうするしかなくそうしても
必ず応えてくれるとは限らずしかしある意味ではいつも確実な
こたえが吐き出されて空を舞うとも言える
まだ感じられるモノとして受け取ったことはないけれども
まだどのくらいのモノに呼びかけるかという言い方は多分違うだろう
54なら54に向こうから吸い上げてくる54の空間
せんをひくのはそのせんなら
せんの向こうからワタシの向こうの空が
そのせんのそれだけの空としてそこに来ていたように
思えるし、その線を見たひとも
そのひとの向こうでもって そこにはやはり
そのせんのそれだけの空が覗いていることを
識り憶えていた
引き上げられるせんならせんの空
澄んで浮かび上がる画面の向こう

00015

兎に角見てその刺激で吐き出されるRNA
うつくしいものを残すため何にもしないことのために向こうを空にする
うつくしいものほどに向こうは空になる
生か死
向こうとこちらを合わせれば普遍
こちらに吐き出した全てで伝えられるもの(情報)を造る時だけ空にする
こちらの方を空にするのは違うような気がして来て確信になりそうに
こちらの宇宙を識るほどにそう
それをうつくしくなるようにするのではなくて
それがそういう風にあることをうつくしいと呼ぶのだろう

00016

唯一 ひとつになれるところ
このからだを守ること 誠実さで
からだは動くものでしょう 少なくとも生理的なものや
細胞は生まれ変わるし
いつもあのひとはあたらしいかぜを取り込むことで血も生まれ流れ
それを守ること 静かに
ピアノは音を出すこと
色を出すモノ 日に影
どこか外国の小さな街の片隅にて あおいうみとそらへつづくのか
子供の通う道は澄んでくる
一歩向こうを目を伏せたりしては見失わないように
はじめてわたしに出会うところへ
    A Day in January, Forever Young.

00017

ペンが在りつづけている しばらく前から今まである瞬間瞬間(ときどき)の記憶 また記憶に映されるような瞬間があったといえる いまがその瞬間だとしたら
変わることを知らないものを知っているようなその記憶 それは在る狭間を通ると回り舞台のように唐突に現出するような向こうの日 向こうの日へは連続してはいないのだから半歩向こうなんてそういう意味ではあり得なかった ここからつづいていればそこもこちらの日々なのだった
だから見栄を張るような格好でも付けるような遠くの中途半端なところを夢見ても そこはいま視界にないのだからいくら目をこじ開けてぐるぐる見回しても意味はなく 森を抜ければ海 草原からそうしたらそこへ行くのなら目の前の鬱蒼たる木や草や蔦を手で分ける迷い込んだ森
夢に両手を伸ばしてみても見えてこない森の向こうの日 繋がっていないシーソーの両端は震えもしないのだろう
できることはこの場でモチーフを見つけることと ワタシをここから続く路を見続け 向こうの日を感じ続けられる丘の上に出てみることだ そこに吹く風に羽衣を着けて混ざるもの者
はじめてワタシタチが出会う場所
ここでは花も石も変わりつづけるから 変わることはないのかもしれない向こうの日を画面に呼びおこしたい 向こうの日のつかいとあそぶこの丘を描きたい fools on the hill
この小道から丘の上まで目を伏せないでツギツギに風景は変わるけれども ここではないそこに行こうと決めた そこが丘の上だと信じたfool 歩くだろうし何かしら業という手段で辿り着いた岩場に立てば 少なくともここが一面の草原になって人々が歩きはじめ街ができるまでは それがほんの一瞬のことだとしても存在が完成する喜びを 眠ることなく追いかけてある形骸に転がり込めた瞬間は
この賑やかな広場に誰かしらがいたとしても ふたりだけで会える場所へ 目さえふたりはなさなければそこで会うのは友人か恋人か 知らない人と一晩過ごすのならワタシは街娼 それともある集合形を連れて行く
いろいろと風景は変わり 胸の奥を通してここの空を見つめ風を調べて やはりいつかひとりで歩いていた
いま手に取り出した魔法ノホウキに乗ってあたらしい星へ降り立つまで 半歩向こうまでがワタシでその場での細胞のひとつひとつ さらにその中の宇宙のひとつひとつが ひとつの完成された画面の一点一点から目を離さずにいる様は美しく ひとつの画面の広さ大きさあるモノの形骸(ワタシ)がワタシの白い形骸に映される いつも街を歩くようにその辺りから選ばれたモチーフが刻まれる
人でも絵でもそのとき物質が形成される辺りに目の高さを移せば「ヒト」も「イシコロ」もそれだけでは美しいのに ここでは傷つけ壊し形成することを繰り返すから 半歩向こうのコトバで呼びかけたり 半歩向こうを消費することで形骸(ワタシ)が少し軽くなる
半歩向こうに丘 半歩向こうの狭間 半歩向こうはスクリーン(画面)
たとえば軽くなったワタシは丘の上にいる 狭間に滑り込む 目を開けていると自然に落ちてゆける狭間が在る
 《851231》

00018

誰でも 繋がっていないシーソーの向こう側とことら側をもっている
意識していても無意識にでもそれはもっていて上手にシーソーを漕いでいた
ここは破壊と形成とで変わりつづけ
変わることを知らない自由や夢への思いは向こうの日へ呼びかけて橋をつくろうとし
ひとつの形骸のうえに数に限りなく破壊 形成 記憶 忘却が刻まれ
その深い森の狭間に滑り込めば
瞬間的にPhaseが変わるのかもしれず またふと次のPhaseへ移ると
そこはここにとてもよく似たところということもあった
狭間でもあり 丘で その向こうの日
とにかくそこへ行こうと
そこへ行くにはどうしたらよいかということ
いくつもの形骸(ワタシ)の調和を見ている
シーソーの向こうとこちらが同時に丘としてあることがあり
どちらも狭間でもあるような
丘から丘へ歩いてみるような
橋をわたる間の音楽
橋をわたるときの絵
橋の上でワタシは可能性を見つけるような気がするから
狭間を抜けて丘を登り 行ってみようかな。
狭間に呼びかけたり丘へと向いてしまうのはここでの大きさや力強さとは関係なく
小さなことを切り捨てるのではなく
地味なものに深い狭間を見るときもあれば
些細なことのなかに静かな丘を感じる日もあるから
目覚めているときは眠らないように
向こうの日の目
 《860101》

00019

019.gif

2.「形骸」はひびく街角 ふわり 丘
生物とは 母をもつもの
                 3  4 橋 3
               M メヴィウスの空間 F
                      霧

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