最近気づいたこと。それは、満腹感がない、ということ。
満腹感がないから食べ続けてしまうと下腹が重だるくなってきて、突如苦しさが襲ってくる。胃の膨満感とはまた明らかに違う痛みだ。そんなことで、食べ過ぎと知る。
食べるたびに苦しいのは困るので、たとえば一人前の料理だったら、残すべき分を先に取り分けてしまったりする。とくにお腹が空いているとキャパシティ以上に食べてしまい、痛い目に遭うから。かつて食べていた量なのだし、そろそろこれくらい食べられるだろうとつい思ってしまうのだ。
最近気づいたこと。それは、満腹感がない、ということ。
満腹感がないから食べ続けてしまうと下腹が重だるくなってきて、突如苦しさが襲ってくる。胃の膨満感とはまた明らかに違う痛みだ。そんなことで、食べ過ぎと知る。
食べるたびに苦しいのは困るので、たとえば一人前の料理だったら、残すべき分を先に取り分けてしまったりする。とくにお腹が空いているとキャパシティ以上に食べてしまい、痛い目に遭うから。かつて食べていた量なのだし、そろそろこれくらい食べられるだろうとつい思ってしまうのだ。
江戸前天丼をいつか食べるんだ!と思って、日々、鍛えて?いるワタクシであるが、ついに、お昼に地味めな天重(らしき)お弁当を食べた。
量は少なめ。海老など甘エビか?と思う大きさ。以前の私だったら文句爆発だけれど、今はこの程度がちょうど良いみたい。
確実にお腹の機能が回復してきているなあ。
久しぶりに会う人は皆、私がやたら元気なので肩すかしを食らう。闘病してるのかと思ったら、なに、その顔色の良さは!というふうだ。
入院時は少しは闘病的?な気分にもなったけれど、とくに闘病してるわけでもないし。今は胃腸を切った人が困ることを、私も少し経験中なだけだ。
もし、セカンドオピニオンを受けることなく、全身化学療法で様子を見ながら生活していたら、話は違っていただろうけれど。
腹膜偽粘液腫になる確率が100万人に1人とすると(先日のシンポジウムでは、日本はもっと多いのではという話もあったが)、日本では年間120人程度の発生が推測されるという。稀な病気には違いないが年間発症率でこの数字だから、今、日本にはそれなりの数の患者または病気経験者がいるはずで、めちゃめちゃ珍しいものでもないとは思う。
だがそんな病気になり、さらに因縁めいた偶然に何度も遭遇してみると、これほどのことが度重なる確率は一体どれくらいなのかと考えてしまう。不毛な計算である。
人はこれを運命と言う(と思う)。
たとえ確率が低くても遭遇するときには遭遇する。遭遇しないときには遭遇しない。1か0かだ。
そんな中にあっても、人生が自分の意思や行動で変わるのは当然だ。病気を治すために医師を選ぶことだってそう。
偶然イコール運命ではなく、運命と意思・行動のコラボレーションによってこそ、あれほど不思議な偶然が生み出されるのだろう。
婦人科でディビゲルと当帰芍薬散を処方してもらってから、1か月以上が過ぎた。薬を使ってみての感想は、
「なんとなく良いかも。」
ディビゲルをつけた翌日、おりものに気づいた。卵巣を摘出してからまったくなかったので、その変化に驚いた。気になっていた起床時の指のこわばりは、気づいてみたらいつの間にか「指が板」状態から、第一関節が変かなあという程度になっているから、もしかしたら良いかもしれない。
汗っかきとか、手足が冷たいとか、微妙に疲れるとか、下痢や便秘になるといった、更年期なのか体質なのか、気がたるんでいるだけか、はたまた術後の何かなのかまるでわからない症状については、今のところ改善の実感はなし。先日は下痢と便秘が治ったかもと喜んだが、一時的だった。
ひとつ、実感しているのは「気持ちが元気になってきた」。本当。これは期待外というか、これ以上ハイになってどーするよ?と思うけれど、血の気が多くなったか、しばらく忘れていた「腹を立てる」という感情も戻ってきたようだ。すっかり煩悩がよみがえってしまった。
薬は1か月分の処方だったので、先週末に婦人科にまたもらいに行った。
前回と同じ先生が「その後どうですか」と、マスクをもごもご動かしながら私に聞かれた。
「はい、なんとなく良い感じがします。」
「そうでしょう、そうでしょう。漢方と併用するのが良いのです。」
またマスクをもごもごさせながら、そう仰った。漢方がすぐに効果があるとは私には思えないが、もしや先生はそう仰って私を暗示にかけることで「病は気から」を実践しているのだろうか。
「塗り薬でかぶれたりしませんでしたか。」
「しませんでした。あの、先生、漢方のほうなんですけど。」
前回聞き忘れた、胃を切っているけれど当帰芍薬散は大丈夫か、また、よく飲み忘れて1週間分くらい残っていることを話した。大丈夫でしょう、飲み忘れのほうは1日1回になった日があっても構わないと仰った。
1か月後に来院するのは面倒なので、多めにくださいと言うと、
「では2か月分出しましょう。」
ということで2か月分をもらうことになった。漢方もしっかり2か月分あり、次は少なめにもらったほうが良いかも。
ひたすら便通報告になっているので、たまには違う話題を。話は去年の4月後半に遡る。
腹膜偽粘液腫がわかった婦人科手術を終えて退院し、家に戻ると、すぐそばに美容院がオープンしていた。
髪については思うことがあった。退院前に婦人科の先生から、今後は外科でポートを埋め込んでの抗がん剤治療となると聞き、言われた治療方法についてネットで調べ、脱毛は免れないと思った。(後に外科の先生から実際に示された服薬による抗がん剤治療は、それほど抜けないというのがわかったが。)
私のいた病室では、抗がん剤治療をしている人もいた。長く入院しているであろう彼女はとても明るく感じの良い人で、いつもお兄さんだか彼らしき人がお見舞いに来ていた。ときどきカーテンの向こうで嘔吐しているようだった。大変だろうに病室でもそういうそぶりを見せず、看護師さんを思いやる人で、かわいいスリッパと帽子がチャーミングだった。
私もあんなふうにニコニコしていられるだろうか、いや、ニコニコしなくちゃ。帽子かぶってニコニコしよう。イケイケなカツラかぶってガッツリつけまつげするのもいいかも? 病院内に置いてある、カツラや帽子のパンフレットを集めたりした。
毎日お掃除にきてくださる係の方が、「あまり患者さんと話してはいけないのだけれど」と前置きしながら教えてくれた。「私も抗がん剤治療したことがあるんですよ。治療前にベリーショートにしておいたほうが楽よ。そうでないと、落武者みたいになっちゃうからね。大丈夫、髪はまた生えるし、きっと元気になりますよ。」
髪はまた生える。でも、治療中は生えない。自分の長髪がいとおしかった。それで、しばしの間でもきれいにしておこうと、美容院に行くことにした。いつも会社帰りに銀座の美容院に行くのだけれど、退院したばかりでそこまでは行けない。そこで、新しくできたその美容院を予約したのだった。
「いらっしゃいま、あわわ〜〜〜!」
「うわわわ〜〜〜!」
私たちの叫び声に、店内にいる人全員が何があったのかと振り向いた。な、なんと、銀座の美容院で私を担当してくれていた美容師クンが私を迎えたのである。彼も私も本当に驚いてしまった。
「マジ?」
「なんでここにいるのよ。」
「先輩が作ったこの店に変わったんだ。ちょっと待って、、、オレ、担当するから。」
銀座に行かずして、いつもの人にお願いできるとは。ワタシの運はなんだかすごい。
あまりの偶然から、自分のそのときの状況を彼に包み隠さず話した。配慮してもらえて良かった。というのも、洗髪台で仰向けになって顔にお湯がかからないよう布をかけられたとき、突如パニックを起こしてしまったのである。1秒でも早く出たかったICUを思い出し、恐怖が襲って来たのだ。あのときは自分でもそうなるなんてと驚いた。
「髪ってさ、1か月にどれくらい伸びるの?」
「1.2cm。」
「ふーん。そんなワケで、次に来たときにはベリーショート、頼む。」
「わかった。カッコ良くするよ。」
*
次に美容院に行ったのは、岸和田の病院に入院する前。米村先生の治療法はベリーショートにする必要がない。前の入院では髪が長過ぎて不便だったので、雰囲気は変えずに少し切ることにした。
「ベリーショートにはしなくても良くなったから。切りたかったかもしれないけど。」
「よかったー。オレ、pomさん来たら、どんな会話すればいいんだろうってずっと悩んでいたんだよ。」
彼がホッとした顔を見せた。
「一応ロングと呼べるギリギリまで切ってください。」
ロングにこだわってのへんてこオーダーをする。私はあれから、ロングヘアが似合わなくなる歳まで長いままでいようと決めたのだ。
彼とは親子ほど歳が違うのが良いのか、かえって気楽に話せる。私ばかりが話すのでなく、彼が彼女の話題をすることもあるし、話題は広い。
「髪は1か月に1.2cm伸びるって言ってたじゃん? 手術で剃毛するでしょ。それでわかったんだけど、下も同じなんだよね。」
「ぶひひ!」
「美容師さんとして知っていても悪くない知識じゃない?」
「どうかなー。接客で使うには、ソレ、お客さんを選ばないとセクハラになっちゃうなあ。」
「そーかもねー。」
そんな会話もありーので、髪をやってもらうのである。
*
カットだけでなくカラーもお願いしているので、1か月に1度は行くようにしている。岸和田の病院を退院してから美容院に行ったときは、彼に「小さくなっちゃったなあ」と言われた。本当に小さくなってしまった。昨年末に言われたのは、
「白髪増えたよなあ。ま、仕方ないよな、今年はいろいろあったから。」
うんうん。「でも可愛く仕上げてよね。」
「はい、あなたを素敵にするのが美容師だからね。」
2月になってから便通が毎日あるいは1日おきになったと大喜び。BT(ベンツー)diaryをかかさず付けているので(と言っても手帳にマークを記入しているだけ)、以前との変化がわかって面白い。
少なめなのと、なぜか出してからトイレに行きたいような腹痛がしばらく続くのが気がかりながら、下痢もしないし、ゲップも人前で目立たない術を身につけたことだしと友人に「ちょー元気!」と延ばし延ばしにしていた会食OKの連絡をした矢先。
2日間出ず、出たかと思ったらまた下痢に。でもスッキリしたのでまんざらでもなく。そして翌日の2月14日。
家に帰って来て、夕食の支度前に一息つこうとコーヒーを飲みながらパンを食べたところ、なんだか変になってきた。パンはほんの少ししか食べていない。なのに膨満感が襲って来たのだ。
うずくまったり、横になったり、何しろ苦しい。こんなときに大地震が来たら絶対助からないと思う。そして気持ち悪くないのに、何度も嘔吐した。さきほどのパンらしきものが出て来るのは理解できるが、その後にいっぱい出て来たものは一体いつのものなのか?
3時間くらい苦しみ、すっかり吐き出しましたと、潮干狩りのアサリみたいに口半開きでしゃがみ込んでいると、腸が右から左に向かってぐるんと動き、ややあってガスが出た。そして痛みが消えていくのがわかった。
腸閉塞の一歩手前? 何か詰まっていたのかな。まったくもって意味不明なお腹。
そんなこんなで、バレンタインデーの夜は更けて。どうでもいいけどVT dayなんて略し方はないよなあ。
5日に夫の実家で法事があり、前日から大阪へ。関空から行くと便利なところなので、いつものように飛行機で行ったのだが、困ったことが。
便秘で飛行機に乗ると、お腹が張ってガスが〜〜〜!
トイレで心おきなく、と思うけれど、自分は窓際のA席。短いフライトで、B席の夫はともあれ通路席の知らない人を立たせるのは申し訳ない。機内ビデオのタイムマシーン3号のコントで気を紛らわせつつ、がんばれお腹、負けるなワタシなのだが、我慢できずにこ〜っそり。。。
C席や前後に及ばないくらい飛行機の換気が優れていると信じているから!!
そんなわけで関空に着くや、トイレに直行しましたとさ。
落ち着いてみれば、思い出深い関空。入院するために一人やって来て、しばらく食べられないだろうとカツカレーを食べたこと。退院して甥夫婦が見送ってくれたこと。。。あれから半年、元気で家の用事で来られるようになったのだから、すごいものだ!
もこもこ
2012年02月29日(水)09:51
おはようーご無沙汰してました。久し振りに、のぞいてみましたら・・・・凄いー江戸前天丼のアップでしたよ(笑)
よかったですね☆ どんどん食べてゆっくりでも回復してください。
pom
2012年02月29日(水)22:02
もこもこさん、お久しぶりです! ありがとうございます。
これは江戸前天丼ではなく、フツーの小さい天丼弁当なんですよぉ。
まだ江戸前天丼までいってませんが、確実に進歩しているので、もうすぐです!!