お向かいさんのその後(8)

昨年末にお向かいさんと電話でお話しした。何よりそのことをブログに綴りたかった。でも、慌ただしい中でチョイチョイと書いちゃうのが嫌で、今日まで来てしまった。

勝手な私の思いなのだけれど、お向かいさんが元気にならなきゃ私も元気になったことにならない、なんだかそんな気がして仕方なかった。

そのお向かいさんのとても元気な声を聞けたのだ。驚くくらい声が軽く、気持ちが晴れ晴れしているのが手に取るようにわかった。やった〜〜〜!

お向かいさんは術後の合併症で、1年3か月くらい入院生活を送った。合併症がなかなか治らず、全部で4回も開腹手術を受けたという。

合併症に苦しむ日々が続き、そのときはお向かいさんも娘さんも果たして手術を受けて良かったのかと悩んでいらっしゃった。本当に辛い日々だったと思う。そんな日々を克服して勝ち取った元気である。

私は今なら聞けるかもと思って、失礼とは思いつつお向かいさんに聞いてみた。「手術して良かったですか?」

答えはYesだった。

「結局のところ粘液腫を取らなくてはいけなかったのだから、米村先生の手術を選ぶしかなかったと思うわ。」

道のりは本当に険しかった。合併症になって後、再発も見つかった。また、栄養点滴のためのポートを埋め込んだり、小腸ストーマ、大腸ストーマも経験された。大腸ストーマでは貼り付ける皮膚がただれてしまい、とてもとても大変だったらしい。

あれこれいろいろあったけれど、数度にわたる合併症の手術時に再発した腫瘍を同時に完全切除、小腸ストーマも大腸ストーマも閉鎖された。大腸ストーマのほうは皮膚のただれでやむなくだったようだが、今は外出時には薬を使うなどしてなんとかコントロールしているとのことで、かえって吉と出たようだ。栄養点滴もやめて、すっかり自力で栄養を摂取されている。「美味しい物が好きだから栄養が足りてるみたい」と屈託なく笑うお向かいさんを想像するに、きっとお肌もツヤツヤに違いない。

長きにわたる入院生活を終えるときには、お向かいさんは思わず米村先生に「ありがとうございました」と心の底から声が出たという。

「あの先生を見るとね、ふわーっと明るくなってしまうのよ。入院中も気軽に『さっき娘さん見たでー』なんて声かけてくれてね。」

ズバリ、米村先生はマダムキラーである。厳しい手術にも関わらず不安な思いを抱かせないユルい受け答えと、まるで偉ぶらず患者に気安く話しかけてくるのが米村先生の魅力なのだろう。

さて、お向かいさんが手術、入院を振り返って話されていたのは病院の体制である。岸和田のような急性期型病院では合併症になっても退院せざるを得ず、一時、病院難民になってしまったのだ。退院したもののとても通常の生活を送れるはずもなく、やっとのことで大きな病院に入院、のち草津総合病院に転院された。最初の手術は岸和田だったけれど、あとの手術はすべて草津でされたわけである。

というわけで大変な思いをしたお向かいさんは、追い出しを食らわない草津がオススメと仰っている。

私の意見としては、比較的体力のある年齢の人、とっとと手術したい人は岸和田で良いと思う。草津より早い手術日を押さえられるし、合併症のことはわからないけれど、とりあえず早い退院を目指せるからだ。私も膿が出たまま退院したし〜〜。

また、遠方の人も岸和田でも良いかもと思ったりする。というのは、関西に長逗留するよりも地元病院に転院するほうが本人も家族も楽ではないかと思うからだ。私は入院しているときにオール関西弁に辟易してしまい、関東に戻って来てとてもホッとしたのをよく覚えている。家族だって遠い病院ではそうそう行っていられない。ただし、合併症の手術のついでに再発した腫瘍を切除、というわけにはいかない。それは米村先生のいらっしゃる草津ならではだろう。

本当に大変な思いをされたお向かいさんだったが、結果としてはすっきり何もかも取れて、粘り勝ちである。これは先生方のおかげは勿論だけれど、ご本人と娘さんたち家族の性格によるところも大きい気がする。

前向き。明るい。(そのうえジョークが面白い。笑)

笑う門には福来る。

お向かいさんは本当に元気そうなんだってさ。草津に定期検診に行ったHIMEさんが、ちょうど検診に来たお向かいさんに会って言ってたし。良かったね!良かったよ!

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