3月も半ば。だんだん春になっていく感じ。
寒い間、実は悲しい知らせが続いていた。奥谷さんの奥さん(I子さん)が天に旅立った。その前には若葉さんも。
「奥谷」という姓は「がんサポート」での仮名で(「がんサポート」の話はこちら)、池田組に「I子さん」と言えばピンと来る人も多いだろう。
I子さんは米村先生の患者さんとしては古参のほうらしい。米村先生にたどり着いたときには、2度の姑息手術を受けてから随分経ってのことで、粘液がガチガチに固まっていたという。それでも米村先生の手術を受け、ご夫婦で前向きに、過ごされていた。
私は確か、腹膜偽粘液腫患者支援の会でのお集い会で初めてご夫婦にお会いし、I子さんがコーラスやら何やらたくさん趣味があって、ご主人が「それに付き合わされているんですよ〜」と迷惑なのか嬉しいのかわからない表情なものだから、仲の良いご夫婦だなと思った。
I子さんは明るくて、活動的だった。「気の置けない友達と温泉も行くのよ」と話してくれた(I子さんはその時、ストマ着用だった)。
そんなI子さんに池田病院での受診で会ったりすると、やっぱりニコニコしているものだから、こっちもなんだか元気百倍になっちゃうのだった。そしてHappyさんも私も、I子さんのことを尊敬していた。
夏に「がんサポート」の取材のことから、I子さんが地元の病院に入院されていると知った。少しばかり厳しい状況なのだろうと推測できた。
周囲への気遣いを忘れないI子さんは、いつも皆から好かれ、ある意味、幸せなまま天へ旅立った人なんだと思う(上手く言えないけど)。。。
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若葉さんは一度お会いした事があり、Facebookでも友達になっていた。
今、彼女のFacebookの投稿を見返し、、、あまり自分の顔を出すタイプじゃなかったなあと気づく。プロフィール写真でさえ顔出ししていない。彼女の顔見たさに過去にさかのぼったら、米村先生とのツーショット写真が出てきた。あの頃、お仲間の間で受診時にツーショット写真を撮って内輪に投稿するのがちょっとしたブーム(?)だったんだよね。その写真の彼女は痩せているもののそこそこ元気だった。
彼女の投稿はその後、辛いのをオブラートに包んで飲み込んでいる感じがした。また、息子さんの成長を見守る母の姿を感じる投稿も多かった。深読みしすぎかもしれないけれど、どこか、万一のことも頭によぎっているふうに見えた。
いずれ彼女のFacebookは、息子さんの手によって追悼アカウントになるのではと思う。友達の私は、これからも彼女の投稿を見て偲ぶことができるだろう。
ただ、一度しか会ったことがない彼女の、趣味や家族のことや、闘病生活を私が垣間見てしまったこと、またこれからも見られることは、いけないことのような気もしてしまう。私は彼女の辛い期間の友達なわけで、いったいそれってどういうことなのだろう。彼女が残したかった彼女像は、もっともっと元気な姿だろうに、でも私はその姿を知らない。