2度目の岸和田入院(HCU編)

2年半前、もう来ないぞ!と思っていた岸和田徳州会病院に再び入院したら、ほんの2年半の間でもちょっとしたことが変わっていた。売店がローソンに変わっただけではなかった。

今回は術後、そのままHCUに運ばれ、夫と甥が側にやってきた。以前のようにICUではなく、HCU。物々しさがなくていい。

「たいしたことなかったって。お腹の中を調べたけど、お臍以外なかったって。」

嬉しそうな顔で夫が私に伝えた。私も、前回に比べると体の自由度が高い気がした。そのときすぐには気づかなかったが、しばらくしてからドレーンがないことと、首からの栄養点滴もないことに気づいた。緑色の胃液を時々吐いていたけれど、米村先生は、「鼻の管がちゃんと入っていないんじゃないか?」と仰っていた。要するになんてことはないらしかった。

なんてことないなら余計に、仰向けにじっとしていられない。起き上がっても良いか看護師さんに聞くと、

「左右に寝返りを打つのはいいですけど、起き上がるのはダメです。」

とのこと。あ〜、早く1日過ぎないかな、と思った。HCUは1泊と聞いていたからだ。ところが。

「あのー、ここから出られるのは明日の何時頃になりますか?」

「明日は無理ですね。土日は病室がほとんど空かないし。月曜になれば手術があるから、空くかもしれません。」

なんだとぉおお〜〜? その後、何度か「月曜になったら出られますか」「たぶん」「月曜になったら出られますか」「月曜にならないとわかりません」「月曜になったら、、、」としつこく看護師さんに言っていた。金曜手術の場合はそういうパターンが多いとのことだ。HCUを出てから米村先生の患者さんは何人くらいいるのか看護師さんに伺ったところ、十数人とのことだったのだけれど、いずれにしても土日は退院があっても月曜手術の人が日曜に入院してくるから、空かないのだろう。(ということは、月曜手術の人だって、金曜までHCUってことなのかな?)

持ち込んだラジオを聴いたり(FMも聴けた)、時計をにらんだり、決められた面会時間の合間に散髪してきたという夫に文句を言ったりしながら(術後は心がオレサマ状態なので、時間をなんとかつぶそうとして夫は散髪したにもかかわらず、それを「いい身分だね」とかって思っちゃうという)、時間を過ごした。私についていたいろいろなものがどんどん外され(元々少なかったけど)、手首からの点滴と尿道カテーテルくらいになり、私は体をもたげてはきょろきょろしたりした。

自分が体をもたげると、すぐ前にはPCがあり、先生方がデータのチェックなどをされていた。あまりに暇なので、先生の横顔をじ〜〜っと眺めたりしていた。先生もやりにくかったに違いない。あるとき目が覚めると、見覚えある白衣姿をそこに発見し、ベッドから「石橋先生!」とお声をかけさせていただいたりもした。

あまりにやることがないから、来た甥に「頭使わなくて読める女性週刊誌、買ってきて」と頼んだ。読んでいたら、米村先生が「週刊誌が読めるくらいなら、もうここ(たぶん病院のことだと思う)を出られる」と呆れていたわー。

そんなのんきなHCU生活を送っていた私のすぐ横では、カーテンを隔ててりんごさんが大変な状況だった。

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