春といえば確定申告(だった)

副業があるので確定申告は毎年やっている。で、今年もやっぱり最終日に提出した確定申告。

久しぶりに医療費控除はなし! 夫のもかき集めたけど。医療費が少なくてすんだのだから、めでたいことではある。

あの、提出時の面倒くささもなくてよろしい。医療費の請求書をその場で返却してもらいたい時、係の人がその場で電卓で検算するのである。すごい枚数の領収書を1枚1枚めくりながら。こっちが早くして〜っとジっと見てるものだから、係の人も焦ったりして。

さてさて、平成29年からは電子証明書とICカードリーダライタを使わなくても、携帯電話などを利用して個人認証してオンライン申請できるという。これまで、まず電子証明書を取得するのにお金と時間がかかるのがイヤだぴょ〜んと思ってひたすらアナログだったけれど、2年後はオンライン申請で楽に済みそう〜。

その前に、来年は歯の自費のインレーで医療費控除確実。あの面倒なのをするってことか〜。

第10回 指定難病検討委員会

急に思い立っちゃって、厚生科学審議会疾病対策部会指定難病検討委員会(第10回)を個人的に傍聴してみたYO!

傍聴

頭撮り可だったから撮ってみたっス。だらっと広い部屋の彼方にロの字に委員が着席して、ややおいてスクール形式に傍聴エリアとなっている。会が始まって、傍聴エリアから見ると誰がどんな顔付きで喋ってるかなどまるでわかんな〜い。「傍観」でなく「傍聴」だから良いってことかな。

と、そんなことはどーでもいいんだった。本題っす。

この委員会は対象疾患の選定等を行う第三者的委員会である。昨年5月に腹膜偽粘液腫はがん対策の範疇だから指定難病の選定を行う第三者委員会で取り上げることはない、みたいなことを言われていたけれど、(その後、がんのようなものも場合によっては難病で扱っても良いのでは的な話もあった。)難治性疾患克服研究事業で研究されていた疾患をこの委員会で検討することになったので、腹膜偽粘液腫も当然、検討対象となったのである。

会の第7回めから第二次実施分の個別の検討が行われており、腹膜偽粘液腫は502番めに名が挙がっていたからもう少し先だなと、今回は他人事気分で出かけたのだけれど。

今回で個別検討はほぼ終了してしまった。ひ〜〜〜。

個別の検討は「指定難病(第二次実施分)として 検討を行う疾病の一覧」のすべてではなく、指定難病の要件を満たさないものは外されていた。

で、腹膜偽粘液腫は要件を満たさないとされていた。
現時点で指定難病の要件を満たすことが明らかでない疾病
のうちの「「発病の機構が明らかでない」ことについて要件を満たすことが明らかでない疾病 ※他の施策体系が樹立している疾病を含む」にある、A-111。

・・・がっくり。。。結局そこかっ。やっぱり、がん対策に行けってか。

しかししかししかし!

すでに米村先生が厚労省に出向いてご説明くださっていた。お忙しいのにホントありがたいっっ。というわけで腹膜偽粘液腫については、今後、さらに議論されることになる。

ということは、秋以降に検討される第三次実施分で議論されることになるのかな。おや、第三次分なんてあったのね〜。

これから委員会はとりあえずまとめの部に入るわけだけれど、3月末にはパブリックコメントを募集予定である。私もしっかりパブコメを送るぞ〜。

3/6 第1回希少がんの医療・支援のあり方に関する検討会

3月6日、厚生労働省健康局で「第1回希少がんの医療・支援のあり方に関する検討会」がある。希少がんについて、やっと動きが出てきた。

今、腹膜偽粘液腫は指定難病のほうで審議されることになっている。難病で決まってほしいわけだけれど、希少がんもどのような方向へ話が進むのか、気になるところである。

食いしばり人生から華麗なる変身?

このところ結構調子良く過ごしている。ではあるが、舌のできものが「きっかけ」で口腔外科に通うことになった。

舌のできものは確か昨年末くらいからあったが気にしていなかった。ところが1月後半に舌を鏡で見てギョエ〜〜〜ッ! な、なんですかこれはっっ。舌の真ん中あたりが小さく丘状に2つ盛り上がっていて、右の丘からさらに白くニョロっと出っぱりがあり、そのニョロ部分と丘部分の境界に傷ができて見るからに痛そう。

痛そうって、バカじゃないのワタシ。痛いんだよう。痛かったんだよう。出っ張っているから、食事中うっかり噛んですっごく痛かったこともあった。これはヤバい。。。

舌の病気って歯医者さん? ネットで調べたら、耳鼻科か口腔外科か。煎餅顔の耳鼻科の先生を思い浮かべたけど違〜うと思って、銀座で口腔外科を探したら会社から数分のところにクリニックがあった。

翌日だったか雪が降った金曜の夕方、そのクリニックに行った。

メインストリートに面したビルの上階で、エレベータで上がって行くと、、、照明が暗く人がいない。「ん? こ、こんにち、は?」

すると奥の部屋から新聞を握りしめた男性が出て来た。「すみません、今日はスタッフの研修で臨時休診なんです。」

それはクリニックのウェブサイトに笑顔で写っている院長先生だった。

「お休みだったんですか。。。」

物憂げに溜め息をついたら、気の毒に思ってくれたのか「今日はどうしましたか?」と聞いてくださった。

「舌にできものが。」

先生はウーンと唸ってから、「ちょっと診ようか」。

ウォ〜〜、てなワケで休診にも関わらず診ていただいたのである。

診察室で舌を診ていただき、「がんじゃないから。安心して週末が過ごせるね」と言われた。そして次回、もう治っているかもしれないけれど一応、細胞診検査をすることになった。

「今日は人がいなくてカルテも作れないから、次回が初診ってことでいいですよ。ええっと、お名前は? それでは来月12日に。」

先生は予約表に私の名前と舌の絵を書き付けながら、「認知症はまだ始まってないだろうから、この絵見たらアナタだとわかるからね」と仰った。

休診だったのに診てもらっちゃって、だから待ち時間も当然ゼロで、さらにお金も取らず。先生ありがとう! 私はいつもお医者さんには恵まれている。

ってことで2月12日に再診な初診に行ったのである。んで、先生は見事に私を忘れてましたけど〜〜〜。

「あのー、休診の日に診ていただいた者ですが。」

「はっ! イヤ〜あの時と雰囲気違うからわかんなかったァ。認知症始まっちゃったかな。」

って認知症が出て来たのは合っている。

舌のほうはその後、白ニョキが引っ込んで丘2つはそのまま。今回さらによ〜く診てもらったところ、舌に縦皺があり(しゅうへき舌とか言うらしい)その皺に細菌が溜まることもある、また下唇や頬の裏側も荒れていて、半年か1年に1回は口腔内のがん検診をしたほうが良いとのことだった。(その日細胞診検査をした結果は、とりあえずクラスIIで陰性。)

舌の話は以上なのだけれど、表題の件である。

「顎関節症ですね?」

ドキっ。すぐわかっちゃうんですかね。

「寝ている時に歯ぎしりするとか?」

「してないと思います。」まったく自覚なし。家族からも言われたことなし。

「食いしばってませんか?」

食いしばる? いや? でも、へそ手術の前に地元の歯科に行ったら「食いしばる人は歯茎との境に溝ができる」と指摘され、その溝を治療したのだ。知らぬ間に、食いしばっていたのかなあ。

私の顎関節症歴は長い。口が開かなくなった20代後半のとき、さすがに病院に行ったけれど特に処置はされず、今に至る。

「マウスピースをはめて寝るとか、顎にボトックス打って筋肉を緩める方法もあります。」

ボトックスなら眉間に打ってほしーわ。

「顎が凝ってますね。ぐりぐり。こんなに凝ってる人も珍しいなあ。」

「いだだだっ!」

「自分でここをマッサージすると良いですよ。あと、大きな口を開けたり。上司に怒られても食いしばらないで、『ア〜〜!』って大口開けて発散するとか。それから猪木みたいにね、こう、こうね。」

と、先生は顎を突き出して猪木フェイスをするのだった。

ひどくならないように、とりあえずマウスピースを試してみることにし、大口開け&猪木フェイスを時々こっそりやることにした。

表題の件は以上なのだけれど、さらに。この際、銀の詰め物も白いのに変えることにした。

私は腕時計をどうしても必要でない限りしないし、アクセサリーもほとんど身につけない。それは、面倒くさいから! だけど、もっと大きな理由がある。どうも金属アレルギーらしくて。腕時計をすると湿疹ができて赤くただれるのである。ってまさしく金属アレルギーか。

金属アレルギーの元凶がもしかしたら歯の詰め物かも?という知識は前からあったものの、不確実ゆえ今じゃないでしょ、と、そのうち機会あればと思っていた。

そのうち、が今なのかも。えーい、もう一気にやっちゃえ。てなことで舌、顎、歯の豪華3点盛りで面倒みていただくことになった。相互作用できっとワタシは健康セレブに変身するのよ〜。

退院祝い

母は先週月曜には膿もおさまって、木曜に退院した。

ほっとしたのなんの。何がほっとしたかって、母のことではなく父のことでである。

父はまあまあ元気で、買い物など一人で行けるし簡単な料理も作れる。だから問題ないと思っていたが、掃除、洗濯をしないどころか、寒いから面倒だからとお風呂も入ろうとしなかった。それに飼い猫のトイレや食器を清潔にしておくのもイマイチ! 猫を可愛がってはいるんだけれど。

なので病院に行ったついでに実家に寄り、日持ちするお惣菜を置いていったり、人間サマと猫サマのトイレ掃除をしたり、人間サマを説得してお風呂に入ってもらったり、洗濯物を預かっていったり。弟たちが行く時には部屋の掃除機かけをしてもらった。

ところが年寄りってよくわからないところで頑固なうえ、意味不明な言い訳も多かったり(ちょっと認知症っぽい)、なんだか疲れてしまった。

1か月ぶりに母が家に戻り、父は嬉しそうだった。このところやさぐれていた猫も母を見るや、口を半開きにし、ヒゲが生えているところをぷっくり膨らませて嬉しさ満開。猫も1か月しても家の人をちゃんと覚えているんだね。

今日は弟夫婦と実家に行き、軽〜く退院のお祝い。両親とも家がいいというので外食せず、あれやこれや持って行った。母は手術や入院したのが夢のようだと言っていた。以前とまったく変わらない日常で、父も母も楽しそうだった。だけれど猫は私がまた母を連れて行ってしまうと思ったのか、私にウーウー唸っていた。

雨の中の帰り、車を走らせながら走行距離が伸びたな〜と思った。この2〜3か月で2000キロくらい。日頃あまり乗らないから、私にしては結構走ったほう。病院と実家に行ってから夕方のこのこ会社に行く日も度々あった。さすがにちょっと疲れたっス。この程度で疲れたなんて言っていては、親の介護をずっとしている人たちから笑われるだろうけど。

それにしても、自分自身が調子良い時で良かったと思う。

指定難病(第二次実施分)として 検討を行う疾病の一覧

腹膜偽粘液腫患者支援の会のサイトの「ご意見」[1611]にも出ているが、腹膜偽粘液腫が厚生科学審議会疾病対策部会指定難病検討委員会で、指定難病(第二次実施分)として検討を行う疾病の一覧に挙がっている。

ということは、とりあえず審議されるということである!

さかのぼること昨年の5月に、難病に指定してくださいと署名用紙を引っさげて陳情した際、厚労省の担当課長から、難病対策でなくがん対策へ行ってくれ、第三者委員会の俎上にも挙がらないから的なムードで、シャットアウトされた雰囲気があった。(「難病対策 or がん対策(陳情報告編)」)

もうショックったらなかった。支援の会の代表の藤井さんなど体調を崩しちゃうくらいだった。

あれほどまでハッキリ言われちゃもう難病の線はないわ〜と気を取り直し、会ではがん対策の担当の方にお会いし、希少がんとして扱っていただけるよう働きかけていくこととしたのである。

ところが、である。なんと審議されるわけで。

検討を行う疾病の一覧の前フリに、「これまで難治性疾患克服研究事業において研究されてきた疾病(中略)について、研究班や関係学会に情報提供を求め、平成27年1月時点で要件に関する情報が得られている610疾病+包括病名を検討の対象とする。」とある。そうよ、腹膜偽粘液腫は難治性疾患克服研究事業で研究されていた。米村先生が代表で。

腹膜偽粘液腫は一覧の502番めに連なっている。

そこには当然、難治性疾患克服研究事業において研究されてきたのだから、というのがあるのと、平成27年1月23日付「指定難病の要件について(追記の案)」を見るに、「指定難病の要件について 追記2 がんについて」で、私には今ひとつ理解できないながら、ざっくり感じたこととしては、がんか難病か微妙でそのはざまに落っこちそうな疾病はとりあえず指定難病として検討していこうっていう感じなのかなと。

となると、腹膜偽粘液腫は単純には「がん対策に回ってちょーだい」的なこととはならないのではないか。

米村先生からは今後の検討に必要な資料がすでに提出されている。先生への資料依頼時は昨年秋のことで、その時はがんかどうかが特に問題という雰囲気であったはずである。ちょっとでもがんなら難病にならないからね〜、みたいな?

がんであってもがん対策に入らなければ、指定難病でその他の要件を満たせば「取り扱うこととしてはどうか」と、「どうか」レベルだが掬い上げてくれそうになってきたのである。

ということで。

米村先生が提出された資料には、腹膜偽粘液腫は難病だと。

心配なのは、審議前によくよく資料を読みこまず流れ作業されないかなと。でないと、要件に当てはまらないと言われそうで。

確立した治療法があれば要件に当てはまらなくなる。でも、先生は確立した治療法がある、としている。うん、あるある、腹膜切除術+腹腔内温熱化学療法が。だがそれは2つの困難を抱えていると思う。

一つはその確立した治療法を行っても治癒とならない場合もあるということ。もう一つはその治療法が日本ではやっと先進医療Bというところで、標準治療としての保険診療には至っていないということ。

このへんを考えながら、ご審議願いたい。するとまずはこの治療法を保険適用にするというのも同時に必要になってくると、シロートながらに思うのである。

やっぱり来ました合併症

順調すぎだった母にも、術後1週間めにして合併症がやって来た。

母曰く、白い巨塔的回診時、教授先生から

「ママぽんさん、今日は元気がないねえ。」

と声をかけられ(ってことは、いつもハッちゃけてるんだろ〜な〜)

「便秘でムカムカして調子が悪いんです。浣腸でもしてください。」

と答えたとか〜〜。で、ご希望どおり看護師さんに浣腸してもらってスッキリしたと思っている。実際は膵液漏と腹腔内膿瘍で微熱が出て、その処置もしてもらっているのだけれど。

主治医の先生からは合併症について説明を受けていて、テーブルの上には主治医の几帳面な文字と手慣れて上手い内臓の絵が書かれた説明書が置いてあった。

処置内容は、説明書によれば「膿の形がハート形になっているので、効率よく膿を出すために、2本チューブが入っている」「抗生物質も点滴で使用している」。

膵液が漏れたとか膿が出るなんて、全然普通だもんね。お仲間の皆さんの合併症との長い戦いを知っているから、まるでどってことないっス。

てな具合で、術前から私は始終「どってことないね」的態度なので、ママぽんもこれまでそんなに不安は感じていないはずだ。と思いたいところだが。

能天気な母でも不安がよぎる時があるらしく。手術前までは、引き出しを整理した、だとか、遺影は60代の写真がいいのよ、とか口走る時があったんだな〜。

そして術後、じわじわ調子が出てきて本人はもう安心と思ったところで悪くなったものだから(便秘で、だと本気で思ってたのかな、どうもあの人は本気なのかそうでないのかワカラナイ)落ち込んだのだろう、不思議な夢を見たらしい。

「退院した夢を見たのよ。」

「ふーん。」

母が見た夢は、退院して家に戻るとそこは母の実家で、母の母、兄、姉たちがいてとても楽しかったと。

「皆、亡くなった人ばかりじゃん。そっち行っちゃダメだって。」

「何ごちゃごちゃ言ってるの? 聞こえない。」

「死んだ人ばかり出てきてる夢見て、そっちの世界はまだ早いよ。」

「え? 聞こえない。」

相部屋で変なことを大声で言うのも憚られて、耳元で言っているのだけれど、耳がやや遠い母は「もー聞こえない!」と怒り出し、こちらも腹が立ってしまって、

「こんなにしょっちゅう来てあげてるのに、何その態度はっっ。もう帰る!」

「おー、コワっ。」

ったく、どこかなんだかな〜になってしまう私たちだった。

83歳の女子力

母が胆管がんの手術をしてそろそろ1週間。6時間くらいかかったがうまくいった方だと思う。残念だったのは、切ってつないだ断面にがん細胞が残ってしまったことだが、非浸潤性のものとのことで、もはや高齢だし残ったとしてもそれは大したことではないようだ。

今のところ合併症らしい症状も出ておらず、母を見ている限りでは、腹膜切除に比べれば膵頭十二指腸切除術のほうが断然楽チンと言える。(やはり腹膜切除のほうが大変だよね。)

ちょっぴり胃も切って食べ物が辛いかと思いきや、流動食を完食したりして。寝てばかりいるわりには「お腹空いたな〜早くご飯食べたい」と、もうスゴい回復力で、私が手術したときのヘロヘロ具合とは雲泥の差である。

そんな母の女子力がまたスゴいというか、私以上に身だしなみに気を配るのを知り驚いてしまった。

ICUに1泊してから病室に戻った日の翌日だったか、洗顔を手伝った後で、母は化粧ポーチを取ってほしいと言った。「眉毛描かないと。消えちゃったから。」

私も眉毛が薄いので、その気持ちわかるわ〜と思って眺めていたら、、、眉毛を描いた後になんと口紅も付け出したのである。せん妄だったのか、どこかぼんやりしたところがあった時のことだ。いつもの癖で付けてしまったのだろうか。

「ちょっとちょっと! 口紅はダメ。お化粧しちゃいけないんだし。」

すると母は言った。「リップクリームだってば。」

私は母に手鏡を向けた。「口紅でしょ?」

「リップクリーム。」

「まったくも〜」と私がティッシュで拭う手を振り払わないところを見ると、口紅だったと判ったようだった。

「はい、リップクリームどうぞ。」

手渡されたリップクリームを、母は黙って付けていた。。。

手術前の母も驚きの女子力で、まず入院前に美容院に行ってきた。そして手術前日にシャンプーして髪を乾かすのを手伝ってあげたのだけれど、整髪スプレーを持って来ていて自分でセットしていたっす!

2、3日前の母はがぜん頭がしっかりして、私に対して指示出しも激しいのなんの。それはなぜかというと、なんとなく看護師さんや見舞いに来た弟夫婦には頼みにくいことを娘が来た時に一気に頼むからである。

例えば頼まれたことの一つとして下着の洗濯とか。で、どうせだったら今履いてるのも新しいのに替えたらと、持って来ていた白いパンツを手渡すと、

「これじゃなくて、それを取って。」

と、母は指差した。

「この白いパンツのほうが、楽でいいんじゃないの? 管がひっかかりにくそうだし。」

と私が言うも、聞かない。「何でそっちがいいの?」

すると母は言った。

「だって、ゴージャスだから。」

ぷひ〜〜〜。まあそうね、薄紫のそのパンツには刺繍がついていてデカパン系でないしね。。。

そして昨日は義妹が行ってくれたのだけれど、報告メールにはこうあった。

「午後行きました。午前に介護シューズを購入したとのこと。靴は売店の人が幾つか持参してくれて選んだそうです。可愛いピンク色です。」

ピンク色ですって。83歳の女子力おそるべし。まだまだイケる予感。

勇敢じゃなくて、度胸のある

先日は雑な投稿になってしまった。読み返してみるとタイトルからして変。こういう場合、「勇敢」は当たらないだろう。「度胸のある」といったところか。なので、こっそりタイトル変えちゃったっす。

間違えちゃいましたついでに、「勇敢」の意味を考えると、自らの危険をかえりみず他者を助けたり、周囲に非難されようとも正義を貫く様子、か。

と思ったのだけれど、そもそも正義って何? 絶対的な善なの? ずっと前に書いた SEKAI NO OWARIの「ドラゴンナイト」の歌詞に

人はそれぞれ「正義」があって、争い合うのは仕方ないのかも知れない
だけど僕の「正義」がきっと彼を傷付けていたんだね

とあるけれど、自分の正義に嵌らなければ悪とみなしてお互い傷付け合ってきたのが世界の歴史で、飽きもせず繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し繰り返し、、、あ〜〜バカだね人間は。Love & Peace でいこうよもう。

病気の人が一所懸命生きようとしたり、病気の人を一所懸命助けようとしている人がいる一方、自分の正義のために他人の命を奪うって? 正義のために自分の命を捨てるのもあるし。。。命を祖末にするのはやめましょう! と、またもや意味不明な投稿になっちゃった。

度胸のある、あるいは能天気な家族

今朝、母を手術室に送り出し、今は弟夫婦といっしょに待っている。母は亜全胃温存膵頭十二指腸切除なる手術をただいま受けている。

ここに至るまで、母には逐次、自分の手術体験を伝えている。くだらない小さなことから大きなことまで。人間、経験のないことはむやみに不安に思うものだけれど、「こういうものだ」と知っていれば、恐れずに済むことも多い。以下、ちょっと面白かった会話を。

母「胆嚢も取るんでしょ?」

私「うん、取っても全然問題ないから。いいじゃん、私とお揃いで。」

母「そう言えば、お父さんも取ったよね。」

私「取ってないでしょ?」

母「何言ってるのよ、S字結腸が、、、あ、がんってお父さんには今も内緒よ、お父さんはあれで結構落ち込むタイプだから。で、あの時、膿盆に大腸と一緒に小さいのが載ってたじゃない。」

私「の、膿盆!」

S字結腸とはかなり遠いところにありそうな胆嚢を取った理由が、確かあの時あったのだ。それはともあれ、あの豆みたいな形したゲロ吐き皿を膿盆というのか!

実は母は結婚前に、病院で働いていたのである。認知症ではないけれど正統派の天然ボケをいつもかましているから、突如出てくるそんな単語にはビックリしてしまうのだけど。

私「じゃ、家族3人が胆嚢なくてタンノウタリン家族ってことで〜。」

母は「ぶひ〜〜!!」と私をバンバン叩くのであった。

先ほどなどは、

私「ここの病院ではね、弾性ストッキング履いて術着に着替えたらパンツ履かないで手術室に行くんだよ。」(私がまだ腹膜偽粘液腫とはわからず卵巣腫瘍の手術をした病院でもあるので、ここのシステムはよ〜く知っているのだ。)

母「え〜!? ノーパンで? やっだ〜、スースーしちゃう。」

(ちなみに岸和田は履いて手術台に上がるんだけど、履いたまま手術するわけじゃないので、眠ったら脱がされるんだyo!)

術後しばらくが結構辛いこと、入院が長引くこともあること、退院してもなかなか食事が思うようにできないし、思うように歩けなかったりすることなども母に伝えた。

そうそう、執刀医の先生の事前説明のときのこと。

「あれよあれよと言う間に手術ということになって不安だと思うのですが」と、先生は「手術」「抗がん剤」「放射線治療」のそれぞれのメリット・デメリットを説明しようとした。先生が説明される前に、母が言った。

「私はまだまだ生きたいんです! キリッ。」

私も言った、「私たちは根治を目指した手術を望みます! キリッ。」

隣で弟が無言でうなずく。キリッ。

先生は手術が最適かどうか悩んでいるだろう家族と本人に手術の有利さを伝えるつもりだったろうから、私たちの態度に拍子抜けしたかもしれない。または、この家族はこの手術を舐めてるのかと思ったかも? でも、そうとなったら話は早いわけで、手術方法や合併症のことなどをかなり丁寧に説明された。

83歳という高齢ながら難しい手術を選択した理由は、すでにネットで調べて最近では先生方のレベルも上がり高齢者も手術できるし、想定される合併症は断然容認できるものだと思ったからだ。

合併症については、お向かいさんのことを思い出していた。お向かいさんはなんだかんだと1年以上入院した。その後もあれこれあった。本当に大変なことを乗り越えていらっしゃった。お向かいさんのほうがお若いけれど、ウチもなんとかやっていけるかも!(だいたい腹膜切除より楽だと思うし〜〜。)

先生には、術後合併症で入院が長引いた場合、転院を迫られることはあるのか伺った。それはないとのこと。

ウチらはやる気十分、あとは先生の腕にかかっている! で、つい先生のご経験を質問したりしちゃって、納得したのである。

母「神様、先生、どうぞ上手くいきますようにお願いします。。。」

普通、神様と先生は別々にお願いするものだと思うが。先生は面食らったかも。でもなかなかに良い先生で、「前向きな人のほうが術後の経過も良い傾向にありますよ」と仰ったのだった。

・・・まだお昼か〜。9時からで、5〜6時間かかるというからあと2時間くらいかな。