ゆく河の

いろいろブログに綴りたいことは多いのだけれど、「ぐわ〜」とか「ひえ〜」とか「・・・」なことが自分を取り巻く周囲に起きると、私の思いの揺れが大きく、投稿内容の結論めいた部分が日によって180度変わってしまったり、元に戻ったり、と、全然FIXしない。

ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。

うすぼんやりと、そんなフレーズが頭の中を巡ってるんだよなあ。

再び、りーさんからのメール

りーさんに、ブログUPをお伝えしたら、お返事を頂戴した。先のメールより詳細なので、こちらも載せさせていただくことにした(ところどころ、省略させていただいている)。今まさしく、腹膜播種でかなり厳しい宣告を受けている方やご家族に、また、腹腔内温熱化学療法の署名のときにも、治療についての理解の助けになるのではと思う。

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亡くなる直前まで意思のやりとりをしていたので、いまでもそのショックは大きく、時々当時の状況を思い出してしまっては泣いてしまう日々ですが…

母は2度手術をうけ、温熱化学療法を受けました。

1度目の手術は緊急手術だったのですが、とにかくすごく難しかった状態だったのに術後の回復が早く、術後2か月後には自宅に帰り、元気な姿をみせて周囲のみんなをおどろかせていました。
(皆さん、術前は最後のお別れに会いに来ていたほどかなり衰弱していましたから…)

肝臓に再発がわかるまでは普通の生活を送っていました。(再発がわかってからは抗がん剤治療が再び始まったので…)
腹膜にも再発がわかり、腹膜の腫瘍を再び切除する手術を行い、1ヶ月半後には体調不良ではありましたが、姪っ子の結婚式を見に行くこともできました。

それから1ヶ月たたずに亡くなりました。

正直な話、手術で元気になった母もみてきて、抗がん剤で苦しむ母も見てきて、これで本当によかったのか、本当は辛かったんじゃないかとか、悩む事もあります…

でも、都内の病院で、××(りーさんの住むところ)の病院で、散々死ぬ死ぬとひどいことを言われ続け、米村先生の治療を受けるなら2度と来るな!というお医者さまもいました。
その中で、米村先生だけは、大丈夫や、前向きに考えようと母を励ましてくださり、その一言で母も元気を取り戻しました。
言葉ひとつで人間て死なせることも生かすこともできるんだなと、米村先生の人柄に感動して、先生のもとで治療することになったんです。

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あと数週間と言われた方が、回復され、肝臓への再発がわかるまで普通に生活されたのだ。奇跡じゃなくて、人の力で、医療の力で。

りーさんからのメール

3日前に、りーさんからメールを頂戴した。りーさんはお母様が患者さんで、時々こちらにコメントをくださっている。

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おひさしぶりです。
去年、母の肝臓が悪くなって容態が急変し、一時的に岸和田の病院で処置してもらってましたが、本人の切なる希望により、私の家にひきとり、1日ゆっくり私との時間を過ごしたあと、闘病生活から抜けてホッとしたのか、そのまま眠るように息を引き取りました。
朝もお粥を食べたり、お茶を飲んだり、普通に会話していて、夜眠るときも薬を飲んだりと、それなりに頑張って生きてました。
母を目の前で最後を看とり、ショックがひどく、どうしていいかわからず、なかなかまわりの方々に言い出せなくて申し訳ありませんでした。今月納骨も済ませました。
母は余命数週間と、都内の病院で余命宣告されてから約3年、頑張って生きました。

米村先生にも感謝です。

pomさんのblogもたまに拝見させていただいているのですが、また時々書き込みさせて頂いてもいいですか?
私も母が亡くなっても、先生や、治療中で頑張ってるみなさんの少しでもお力になりたいと、これからもこつこつ地道に署名活動していきたいとおもってます。

pomさんのラジオききたかったなぁ…とおもって…。

突然の報告ですみません。

りー
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最初このメールを見たとき、目と鼻から水がポタポタ落ちてきてしまったが、いろいろ考えてりーさんにお願いしてここに転載させていただくことにした。

りーさんのお母様は、虫垂がんで余命数週間の宣告を受け、その後、米村先生の患者さんとなられた。そして3年。。。治療で得られた3年を短いというのか長いというか、私にはわからない。ただ、数週間と言われた命がはるかに延びたことには違いなく、辛いながらも差し迫った緊張から少しばかり解き放たれた穏やかな日もあったことだろう。そして最期は最愛の娘さんと過ごされ、61歳で旅立たれた。

りーさん、署名活動を続けようと思ってくださるお気持ちに、私たち皆も応援されている気分になります。ありがとね。これからも、気が向いた時にコメント入れてくださいね。・・・なんか、うまく伝えられなくて、、、ごめんなさい。。。

エフエム戸塚

年末年始は海外旅行で、というのは大ウソで、実家に行ったり買い物に行ったほかは、ほぼ家にいた。その間には、HIMEさん夫妻とM.Hさんファミリーを狭いこの拙宅にお招きし、豪華な新年会もしたりして(皆さん、いろいろと美味しいものをお持ちくださったため、質素な新年会が超ゴージャスになったのだった)、結構楽しいお正月休みを過ごした。

仕事はじめとなってからは、昨年末があんな調子だったこともあり、仕事も人並みにたまって何がなんだかな今日に至るという。

そんななか!

初めてのお使いならぬ、初めてのラジオ! 略して「はじラジ」。って、「恥かき放題ラジオ」ってことかも。それにしても、先に腹膜偽粘液腫患者支援の会のHPのほうで告知されていて、こちらが後手に回ってますゼ。

さて、ラジオと言っても、地域のコミュニティラジオである。

実は、神奈川県横浜市のエフエム戸塚でパーソナリティをしている方とお知り合いで、その方を通じて、HIPECについて、ラジオで説明させていただく機会を頂戴したのである。以前、HIPECの署名もたくさん集めてくださった方なので、もう何度もありがとう!って感じなのであ〜る。

HIPECについて私が話すということは、自分が病気であるということもとりあえず話さないと、なわけで、なんだか自分で自分をさらし者にするのはどーなのよ?という思いもないではなく、せっかく機会をいただきながら、ビミョーに憂鬱にもなってしまったりした。

だが。私は心の中でリトルpomに聞いたね。そうしたら、チャンスがあったら逃しちゃいけないって言ったわけyo。

というわけで。

エフエム戸塚で本日、13時30分過ぎ(正確には35分?)からほんのちょっと、話すことになった。LIVEっす。どうせうまく喋れるわけないけれど、腹膜播種に腹腔内温熱化学療法という治療法があるということ(それからそれが保険適用になっていないからなってほしいな、ということも少し)を、聞いてくださる方々に拙いながらもお伝えしたい。

地域のラジオだけれど、その気になれば聞けるyo! 私はAndroidでもiPadでも「tunein」ラジオというアプリで聞いているが、エフエム戸塚のHP(http://www.fm-totsuka.com)にPCで聞く方法やスマホで聞く方法(私が入れているアプリとは別の)も出ている。もし、うっかり間に合う時間にこのブログを読んじゃった方は、冷やかしながら聞いていただければ。

そしてそして。腹膜播種治療支援機構のHPで出ている署名活動もよろしくお願いしまっす!

2度目の岸和田入院(米村先生編)

米村先生は神出鬼没だ。日曜だっていらっしゃる。とてもありがたい。が、ベッドでオッサンくさく寛いでいるところにいきなり先生が現れるので、私のようなお行儀の悪いご婦人は要注意である。

という冗談というか本気の忠告はさておき。手術の翌朝、先生が回診にいらっしゃった。その日は月に一度の池田病院外来の日。他の先生が見えるのかと思っていたので、先生がいらっしゃってくださりとても嬉しかった。

ということは、先生は岸和田で一仕事してから静岡の池田病院に向かわれたわけである。大変なことである。もし、池田病院で先生の到着が遅くなったとしたら、それは岸和田の患者さんの処置に時間がかかっていたのかもしれない。だから、待っている患者さんのほうはイライラしないでほしい。それで待ち時間が伸びてたとしても、手術後にしっかり診ていただくほうがはるかに良いと、身をもって思う。

SNさんも仰っていたが、入院時は米村先生がしょちゅう見えるから安心だ。時には、先生は夜中にも呼び出されることがあるらしい。患者さんの容態が悪くなればそういうこともあるだろう。が、そんなでよく体が持つなあ、先生は大丈夫だろうかと誰もが心配するところでもある。

ある朝、いらっしゃった先生のお顔をじーっと見つめてしまったことがある。

「先生、、、お顔が、、、赤くかさかさしてます。」

そんなこと失礼かなとは思ったけれど、つい言ってしまった。

先生はちょっと間をおいて、「寝不足だから」と仰った。

先生は複数の病院に行き、手術はを週に何度もし、外来日は夜まで診察が続き、、、忙しすぎである。なのに私なんか、保険金や傷病手当金の請求書の記入もお願いしちゃってるもんね。申し訳ない。

先生が外来時にムニャムニャと、それも言葉少なに話されるのは、省エネモードになっているからに違いない。エネルギーは手術のために貯めておかないといけないもん。(それに、知識不足な私たち患者に長々説明しても、無駄に時間を費やすだけだし。)ちなみに、手術の朝に先生を拝見したときは、先生は従来比200%増で颯爽としていらっしゃった。ヤルぞ〜という雰囲気に満ち満ちていた。

先生の仕事はほかに、研究やそれをまとめること、学会で発表することなどがある。私たちが気づかない他の仕事もあるだろう。

そこまでスゴいのに気難しいところはなく、たとえば気軽に写真に収まってくださる。それで、皆もしているというナースステーションの前で2ショットで撮らせていただいたりした。

図々しい私は今回、先生にサインももらっちゃったyo! シンポジウムのときに手に入れた、例の「腹膜偽粘液腫の本邦における発生頻度・病態の解明・治療法の開発に関する研究」に書いていただいたのである。へっへっへ〜。

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(↑「恵存……」と書いてくださっている、の図。)

先生は書き終わると、

「これは半年でまとめたんだ。遺伝子の同定は、研究で見つかるとは期待してなかったんだけれど、、、えっと、どのページだったかな、あーー。」

って、そんなこと一患者に言っちゃっていいのか?な気軽さで、ページを繰っておられるのだった。

今、私たち患者は先生から十分に恩恵を受けている。そして先生方のご苦労で、さらに未来が開けつつある。いつか、本当にすっかり治る研究の第一歩が踏み出されているのだ。本当にありがたい!!

もっと、先生についての面白いエピソードとか書きたいんだけど、今、すぐに思い出せない。とりあえずこれをUPして、また思い出したときに書こうと思う。

米村先生、今年もありがとうございました。来年もよろしくお願いしまっす!(正月は少しは休めるのかな。元旦でも病院来ちゃったりするんだろうなあ。。。)

2013大晦日に

「2度目の岸和田入院」についてあと3つくらい書こうとしていたのに、大晦日である。今、入院しているお仲間たちはどんどん回復しているかな。私はもうすっかりシャバ生活で、しなければならないことと、したいことをして、義理はそこそこ果たして、忘年会はパスして、掃除も後回しにして、ブログは時間ができたらと思っていたら、あと2時間弱で2014年。

入院の話をいつまでも引っ張るみたいでダサいけど、越年決定しそう。でも1つは「今年」のうちに書いておく。

その前に。今年、たくさんの方々にお世話になった。勇気や力ももらった。たくさんの人と友達になったし、励ましてももらった。

みんな、どうもありがとう〜〜!! 来年もよろしくお願いするっすyo!

2度目の岸和田入院(グッズ編)

入院用パンフレットに出ている基本的な持ち物のほかに、入院生活を快適にするには何を持って行くか。ずっと前なら「こだわりの」、ちょっと前なら「マイ・フェイバリットな」、今なら「俺の」グッズは、以前も話が盛り上がったけれど、人それぞれで面白い。

私も、皆さんのコメントを参考に各種持って行ったのだけれど、その他というか「オラの」グッズはコレ!

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折り畳み座椅子(緑と青のヤツ)、デジタル時計(PCの横の)、保温できるマグ(白いヤツ)、大判ストール(赤いヤツ)。

折り畳み座椅子。何でこんなものを?と思うかもしれないけれど、これは前回辛かった経験を元に、アウトドア用で折り畳める座椅子をわ〜ざわざネットで購入し、持って行ったのである。でも今回は個室で入院期間も短かったので、ありがたみが薄かった。これが相部屋で数週間となると、威力を発揮する。なぜなら、相部屋には椅子がないから。これならベッドから足を下ろして背中は寄りかかることもできる。ベッドで食事をするあのどこかだらしない気分も、ちょっと軽減できる。

個室には椅子があるから昼間は使わなかったけれど、今回、消灯時間後にこんな感じで使っていた。9時消灯で部屋の明かりはとりあえず消さないといけない。それで、読書灯みたいなの(岸和田はあるyo!)をベッド側に向けて、座ってあれこれやっていたという。もちろんベッドは電動なので座椅子状になるけれど、ぼんやり座っているぶんには良いが、作業するには全然良くないわけっす。

次。デジタル時計。目覚ましは必要なくて、必要なのは、日にち、曜日。さらに暗いところでも電気がついて見えるヤツ。日にち、曜日はとくにHCUではわからなくなる気がするので、必要だと思う。あと、ちなみにこの時計は湿度計もついているんだけれど、湿度が30パーセントになっていたから、バスタオルを濡らして室内に干すことにした。そうすると40%を超える。握力のない私が絞ったバスタオルでも1日経たないうちに乾いてしまうので、寝る前には必ず濡らして寝た。

保温できるマグ。女子はやっぱ冬は温かいのがいいからねー。割れないコップの他にこんなのもあると良いかなと。で、これもわ〜ざわざ買った。保温できて、口がちゃんとしまって、中まで洗えて、持ち手が付いてる、、、と思ってたら、たまたまセブンイレブンでこの「drop」なるものが売っていたので、買ってみた。一緒にいくつものポーション(飲み物のリキッド)も買って持って行った(ズバリ、美味しいのとそうでないのがある)。

ポーションをひっかける口が邪魔くさいというか洗いにくいのと、香りが残る感じが嫌な人は駄目だとは思うが、その他の点で優れているとは思う。でもいずれ、サーモスには持ち手の付いたシンプルなマグを売り出してほしいにゃ〜。んで、サントリーには手で普通に開封できるポーションをいっぱい作ってほしいわん。

写真の最後、大判ストール。病院の廊下は大丈夫だったけれど、1階は病衣だけでは寒い。とくに売店付近は寒い。なので、羽織れるものが必要。点滴やら何やらあって袖を通すのが難しいので、ポンチョのようなものが最適かも。私はそういうのを持っていなかったので(なぜかこれは買おうとは思わず)、このストールを持って行った。たまたま、みの虫みたいにグルグルくるまって昼寝してたとき、米村先生が現れてちょっと恥ずかしかったyo。

とまあ、そんな感じ。

さて、これらのものは、手術後すぐに入るHCUでは時計以外必要としない。ということは、HCUにいる間、2階のロッカーに入れておくか、付き添いに預けておくかということになる。これがとても困ったことなのである。

HCUには必要最低限のものしか駄目と言われているが、脱衣場にあるバスケットみたいなのに入る分は持ち込み可だ。よって、HCU脱出後、すぐに使いたいものはバスケットに入るサイズのバッグに入れて、持ち込んだほうが良いという結論に今回達した。持ち込むときに、ついでに飴、ガム、OS-1(経口補水液)も入れておくと良いかも(売店で売っている)。HCUにいるときに、飴を食べろなんて言われる可能性もあるから。

HCUを脱出し、やっと一般病棟の部屋に行けても、寛ぎグッズはロッカーだったりする。2階のロッカーまで行けるかどーか。なんとか行けても、荷物を持つまでの体力はないとなると、どーする!?って感じなわけ。私の場合は甥に預けていたから、甥に連絡して持ってきてもらったのだけれど、彼だって仕事もあり、すぐというわけにはいかない。前回は「明日でいい?」と言われて、かーなーり凹んだ記憶があり、今回はしつこくHCU脱出予定日やら予想される脱出予定時間を彼が見舞ったときに伝え、うまいこと持ってきてもらった。

付き添いの家族も帰ってしまって、自分一人の場合、ロッカーに取りに行くにはどうしたらいいか、はまだ解決策がない。かなり回復した患者仲間がいれば、お願いするのも良いだろう(今回、りんごさんやHappyさんのお役に立てず、ごめんよ〜〜)。が、その前に、病院側もスタッフが取りに行ってくれるとか、してくれると助かる。そう思って、退院前のアンケートにそう書いといたワ。

・・・話が脱線するのだけれど、変なことを思い出したので、ついでに。

手術室に向かうとき、術着だけでパンツを履いていないかどうか、なんだけど、岸和田の場合、履いて行く。歩いて行くから、もちろん履き物も履いている。

HCU脱出のとき、「そういえば履き物は?」と言うと、看護師さんが「だいたいここに、、、ほら、あったでしょ?」と左足側のベッドのマットレスをめくり、挟まっていた私のスリッパが現れたのだった。そしてバスケットの中から、見知らぬ紙袋を発見し、開けると私のパンツが入っていましたとさ。

2度目の岸和田入院(トピックス編)

今年の岸和田手術組は(私も含めて)、大丈夫だろうと思いつつも、気にかかることが2つあったと思う。

一つは、徳州会事件の影響。もう一つは、 草津総合病院との関係だ。細かいことは知らないけれど、短い入院生活での実感は、

問題なし。むしろ以前より良かった。

・・・病棟の「5やま」の廊下に、ポツンと1つ「虎雄カレンダー」が貼ってあった。「生命だけは平等だ云々」の言葉とともにドアップ写真の1枚もの。これは写真に撮っておくべきダショ〜と思って、退院する前日に撮りに行ったら、なくなっていた。まだ12月も初旬というのに。

そんなこと程度が事件を感じさせるくらいで、あとは全くなし。それどころか前回の入院に比べ、総じていろいろな点が良くなっていた。

米村先生とは以前の入院時よりもよく「遭遇」した。自分がちょろちょろ動けていたからかもしれないけれど。米村先生の岸和田の滞留時間が長く感じた。

また、先生とスタッフの皆さんとのチームワークが良好な印象も受けた。

例えばHCUで、PC画面を見る先生を看護師さんたちが囲んでミーティングをしているのが、何とも面白く微笑ましかったし、安心感もあった。看護師さんは先生に時々ツッコミを入れたりする。と、同時に尊敬しているのも感じられ、ヨネサン先生もイジられながら(?)進めておられるようだった。とても良い雰囲気だった。

米村先生が回診にいらっしゃらない日は、草津に異動された石橋先生か、宮田先生が来られた(何で外科医は皆デカいんっすか?)。

麻酔科の先生ほか、薬剤部、栄養科やリハビリ科、、、今回も私のところに来てフォローしてくださった。前もお世話になった薬剤部の先生は、今回は私の容態(便秘でお腹がキンキン!)から、大建中湯を先生に処方してもらえるようしてくださったりした。

看護師さんについては、前にお世話になった方はほとんどいらっしゃらなかったが、以前よりもマンパワーが増えたかも? というのは、前は担当の看護師さんが少人数でローテーションを組んでたような記憶があるのだけれど、今回はもう少し人数がいてローテーションしていたから。今回、ナースコールもすぐに来てくれたし(でも今回はあまりナースコールしていないので、比較まではできない?)。

総合して、以前よりもチーム医療的で、かつ患者にとってもメリットが多い気がした。いっときは手術は草津だけになる、なんて話も聞いた気もするが、先日のシンポジウムで勝谷さんが仰っていたように岸和田、草津、池田の3病院で包括的に活動、ってことで、岸和田でも安心して手術、入院生活が送れるってことで〜〜。

さて、モノの変化はどうか? SNさんから聞いていたとおり売店がローソンになって、飴だって選べる余地ができた。ほかには、、、

有料(1日50円)で貸してくれる病衣(パジャマ)。検査着や作務衣のように、前を打ち合わせるタイプなんだけれど、胸元にも結び紐が付いて、はだけなくなった。「改良されたのは最近なんですよ。以前はこっちも困ってたんです、お婆ちゃんなんか『ワタシは気にしないから』なんて言うけど、はだけて平気でいられてもねえ。」と、笑いながらリハビリの療法士さんが教えてくださった。

冷蔵庫(無料)。入院用パンフレットで、相部屋にもあることが判明(今回、相部屋希望だったけど空かず、個室だったので)。夏の入院だった前回は1日5食だったりして、朝食や昼食とともに持ってこられる間食が冷やせず、とても困った。いろいろ栄養分が添加してある飲み物はぬるいとマズく、ほとんど捨ててた。。。

氷枕の氷。これ結構重要! 前回、氷枕が嫌だった。だから1つしかないアイスノンをいかに確保するかに心血を注いだのだけれど、ちょっとしたタイミングで氷枕になると、バスタオルを巻いても氷のキューブが頭にゴツゴツ当たり、ほどほどに溶けてくれるまで寝られないのである。だから安眠タイムがすごく短い。その後、あっという間にぬるくなるし。今回は、水枕の氷がもっと細かくなっていた! 最初から「キモチいい〜〜」って感じで眠れた。

思い出すのはこんなものかな。不便になった点は、デイコーナーにあった給湯器が廃止されて、ナースステーションにもらいに行くようになったこと(食事前には日本茶か水は配ってくれるけど)。デイコーナーにあって不都合なことでも何かあったのだろうか。

最近の体調

次は「2度目の岸和田入院(トピックス編)」なるものを投稿予定。その前に退院後1週間経っての状況を。

かなりラクな術後を送っている。だが。律儀にも「アナタ、開腹手術シマシタネ?」とばかりにチョー・ヘイソク氏が私を訪ねて来たのである。それも2度も。

病院に行くほどではなかったけれど、1度目は半日ほどベッドの上で唸り続け、2度目は苦い胃液をガボガボ吐きながら夜中を過ごした。

食事の量はまだ少ないし、消化がすごく悪そうなものは食べていないと思う。ただ、さして気にせずいろいろ食べてはいる。

胃液を吐いた前夜の食事はトマト鍋だった。その前の手術からトマトソースのパスタなどを食べると、かなりの頻度で数時間後に吐き気を催すしお腹が張るのだけれど、そのことをうっかり忘れていた。ちなみに、トマトソースが消化に悪いとか、ネットでそんな記述に出合ったことがないが、私だけなのだろうか。

と、こんな感じで、やはり便秘がち。退院時に下剤のほかに、大建中湯と胃薬も3か月分出してもらったので飲んではいる。

まだ仕事に復帰しておらず、外出は近所に買い物がてら散歩に出る程度。体力的には問題ない感じなのに、少し歩くと腰の右側が痛くなってしまい、座るところを見つけるたびに休んでしまう。

お腹は時々、おへそがあったあたりの右側がチクチクするが、それより困っているのが、お腹の出っ張りである。

お腹全体がぷっくりしていて、さらに!元おへそ付近がモッコリしているのである! せせり出てるんだよ〜。で、ちょっと痩せたはずなのに、今まで履いていたジーパンやらスカートやらが履けない。とても困る。

このモッコリはいつ平坦になるのだろう。。。このまんまだったりして?

サーバメンテナンス

2013年12月15日(日) 00時00分 〜 09時00分

上記の間、サーバメンテナンスでこのブログも見られないらしいっす。