市立岸和田市民病院

先日の投稿(「第51回 日本癌治療学会学術集会」の話)に岸和田市民病院について触れたが、ここには鍛利幸先生がおられ、腹膜切除を伴う減量手術と腹腔内温熱化学療法をしている。すなわち、米村豊先生と同じ方法。根治を目指せる治療が受けられる。

市立岸和田市民病院の診療科紹介の外科(http://www.kishiwada-hospital.com/specialty/department06.html)のページには、「腹膜播種性悪性腫瘍に対する治療プログラム」が掲載されている。

それによれば、2012年7月より、腹膜播種性悪性腫瘍に対して、腹膜切除と腹腔内温熱化学療法の治療プログラムを開始し、特に、腹膜偽粘液腫は過去の治療実績(5年生存率80%)を基に症例を広く受け入れている。とのこと。

さらにその下の、腹膜偽粘液腫を含む腹膜播種性悪性腫瘍の治療方法の説明は、とても分かりやすい。もうちょっと改行しろ〜みたいな些細なことは置いておいて、患者さんに向けて書かれているため、一読オススメっす。

過去記事を補足・訂正してみる

先月末の池田病院での米村外来は今日になったそうだ。予定がいろいろ変わって、患者さんや付き添いの家族は相当慌てただろうが、池田病院のスタッフの方は休日出勤になっちゃって、頭の下がる思い。代休、しっかり取れるんですよね?

米村先生もご苦労なことだ。海外の学会から帰ってきてすぐだろうし。体調、大丈夫なんだろーか???

そんなことを思いつつ、楽天が日本一になって今年の野球も終わり、もう来月は「師走」ってやつですよ?な今日この頃。7月に受診したとき、手術は草津が4か月待ち、岸和田なら2か月待ちとのことだったが、、、

只今の状況では、草津はこのブログに来てくださったお仲間の状況からみると2か月待っていない。岸和田は3か月以上待ち。今現在は草津のほうが早い!?
(2013年11月9日追記:なちゅらるさんからの情報で、草津はただいま3か月待ちくらいとのこと。〈コメント参照〉)

と、ナニげに過去記事を訂正してみる。
で、急に思いついて、「あの時はああ思ったが、後になってみるとこうだったのでは?」な自分のことについて、ついでに挙げてみようかと。

【手術後、ICUにいる時、先生が回診にいらっしゃって「おいっ」と私を突っついた件】

先生の私への突っつき方が尋常ではなかったのである。突っついて揺さぶって、、、みたいな。その時は、そんなにしなくても先生がみえたことくらいわかるよ、と思った。

時々コメントしてくださる、ぺぺろみあさんのブログを拝見して、ハッと気づいた。私はたぶん、うつろな目をしていてICUシンドロームになりかかっていたのではないだろうか。
現在は術後ICUでなく、すぐHCUに入るとか。そのほうが絶対に精神的に良いと思う。

【手術後、背中が痛かった件】

背中が痛かったのは、胃など上腹部の切除が多かったからだと思う。お仲間から腰が痛くなるとは聞いていたが背中が痛い話は出ていなかったことと、自分自身がその時点では胃を切った事実をわかってなかった、というのがあって、ひたすら枕のせいにしていたのだけど。

【発症(再発でなくて初発)はいつだったのか?】

今もってわからないが、7〜8年前、いや10年以上前だったか、、、ある一時期、右下腹部がピンポイントで痛い時があった。ズキンズキンとする痛みが来て我慢しているうちに消える。それがしょっちゅう起きた。痛みはひどいものでもなかったから、家では「盲腸かなあ」なんて話しながらも病院に行くでもなく過ごしていた。

そのことを覚えているのは、ズキンズキンする時、突然にして「ワタシ早く死ぬかも」と思ってしまったのが我ながら衝撃的だったから。夫にも言ったので、彼もそれを覚えている。だが何かの病気を予感したって訳でもないので、「んな大袈裟な」と自分でツッコんで、気にも留めなかった。

あの、ズキンズキンしていた痛みを、実は1週間くらい前からときどき体感中。なので、もしや関係があるかもと。癒着が痛いだけかもしれないけど〜。

このところのワタクシ

まだ入院してないよ〜ん。

19日の時点でやっと2番目ということが判明。牛歩ながらも進んではいる模様。関係各位にはご迷惑をおかけいたしておりますが、引き続きご理解ご協力をこっそりひっそりお願い申し上げやす。。。

私の当初予定ではもう退院しているはずだったので、仕事の段取りがまたヘンになってきていて、今、気持ちが慌て始めている。

体調的には、良いのか悪いのかわからず。一昨日、嘔吐したけれど、ある意味いつもと変わりないし。(トマトソース系のスパゲッティは必ず吐く。なんで? もう食べるのやめる、好きなのに。)トイレに入ると長く居座ってゲリゲリしちゃうのも毎度のことか。

おへそ具合は、でべそになったかも。側面から見ると、お腹よりほんの1mmくらいだが、出てる。。。前に見たときには、おへその皺がなくなってぷっくりしていたものの、まだお腹より引っ込んでいた。このまま放置したらビョコーンと出てしまうのか? はたまた破裂するのか?

まぶたの腫れはかなり治ってきた。良かった〜、あのままだったらどうしようかと思った。

さて、2〜3数週間くらい前から気になっているのが、朝、起きると喉が少しイガイガすること。全然、治らないし、風邪というわけでもなさそうだ。乾燥が原因だろうか。

そんななんてことない体調で、だらしなさも手伝って、結構ゆっくりした時間に会社に行っている。

昨日はぽよよ〜んとしている私に、大忙しで働いている社員サマが、チョコレートとコレをくださいまひた〜。びっくり。

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先週末に私が欲しいと騒いでいたガチャポンの「くいとめるニャー」。好物をありがとん。私もちゃんと働かねばなあ。

第51回 日本癌治療学会学術集会

先週とその前の台風のことを書こうかな〜と思ったんだけど、どーも「命の儚さ」に話が向かってしまってやたら悟りの境地になるので、や〜めた! で、表題。

日本癌治療学会学術集会」なるものがあったらしい。随分前に、なんとな〜くネットサーフィンして見つけたんだけど。

ポスター会場で、NPO法人腹膜播種機構支援機構・癌局所療法部の先生方が「大腸がん腹膜播種に対する腹膜切除」というタイトルで発表されている。

私が気になったのは、同じくポスター会場での、「腹膜偽粘液腫再発に対し再切除術施行した病理組織型の異なる2症例の治療経験」。市立岸和田市民病院・外科の先生方の発表だ。ちなみに演者に名を連ねている先生方は宮内雄也先生、鍛利幸先生など。どんな内容なのか知りたい。(市立岸和田市民病院って、岸和田徳洲会病院の近くじゃない? 岸和田はPMP治療の聖地か???)

また、臓器別シンポジウム「大腸がん治療の最前線:進行・再発大腸がんの治療戦略」では、「大腸がん腹膜播種に対する新たな治療戦略」(国立国際医療研究センター・下部消化管外科の矢野秀朗先生、合田良政先生、須田竜一郎先生)が。

TVドラマの「ドクターX」では主人公の女医も腹膜切除の手術をしたらしい(見てなかった〜、再放送を見よーっと)が、本物の先生方もいろいろ発表されており、難しい手術ながら「腹膜切除はアリ」な方向に、少しずつ世の中は向かっている。

「がんサポート」2013年11月号

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雑誌「がんサポート」11月号(10月16日発売)の、「連載11 聞いて!私たち患者の声」コーナーに、腹膜偽粘液腫患者支援の会が取り上げられた〜〜!

今回のコーナーのタイトルは

「腹膜偽粘液腫」に難病認定と温熱化学療法の保険適用を!

である。いろいろな方々に知ってもらえる機会があるのは、一患者としてありがたい。

で、大変僭越ながらワタクシも患者として取材に参加させていたいた。当日、都内の取材場所に行けて、患者(またはその家族)歴がそこそこ(?)な人ということでの会の人選だろうが、お仲間を代表して、というよりは自身の体験を述べた。患者全体の代弁をするには勉強不足だし、そもそも少ないページでご紹介いただくには無理があるし。。。

詳細は実際に「がんサポート」をご覧いただきたく。

・・・そしてちょっとだけ、取材の時の様子を回想。。。

あの日、某喫茶店で、編集部の方々と会の代表の藤井さん、男性患者の坂口さん(仮名ね)、患者家族の奥谷さん(仮名ね)、そして私が集まった。

坂口さんは初対面、奥谷さんは病院で何度かお会いしている人。最初に坂口さん、次に私、そして奥谷さん、最後に藤井さんの順で話した。

誌面では藤井さんの話が最初になっているけれど、会の成り立ちから紹介した方が話がわかりやすいからだろう。冒頭に来たことで、藤井さんの亡き息子さんへの思いが際立ってる感もないではないが、実際はそうではなく、今、病気と立ち向かっている患者さんのために、藤井さんが尽力されているのをひしひしと感じた。

原稿が上がって来てから、一度、目を通させていただいた。誌面3ページという制約上、仕方ないのだが、藤井さんは、手術後の困難さまで伝えられなかったことを残念がっておられた。たぶん、家族として参加された奥谷さんも同じ思いだったろう。これ以上の手術は不可能となり、今は自宅から程近い病院に入院し、そこにずっとお世話にならねばならない患者と、それを支える家族。。。精神的に辛いだけでなく、支出だってバカにならない。

帰り道、奥谷さんが話してくれた言葉が忘れられない。

「あの人は、痛いって言わないんですよ、本当は痛いし辛いのにね。優しいんだ。あの人は病人だけど、こっちが明るくしてもらえるんだ。」

社会の制度で、少しでも、辛さが軽減できるようになればと思う。。。

***

ま、そんなワケですが、「がんサポート」11月号はお近くの書店またはネットでドーゾ。

手を洗いましょう!

トイレ話続きで、外出先での度重なる公共トイレ利用で分かったことがある。世の中の女性たちが、いかにきちんと手を洗っていないかを。。。

ワタシ的にはあり得なさすぎ、である。手をちょいちょいと濡らしただけで洗ったことにしている人もいる。なんで? ちゃんと洗おーよ?

その手でつり革につかまり、スマホやるんですよね。。。スマホやりながらドーナツとか食べちゃったりするのかな。会社のPCも触るしさ。最近のトイレは自動洗浄が多いけれど、ペーパー使うのは自動では拭いてくれないよね?

気にし過ぎかも、というのは分かっている。小さい頃から親に手を洗えとすごーく言われ続けて育っちゃったため、手を洗うことだけはアライグマ並みだから(あとはまるで汚い。部屋とか、机の上とか)。一時は人が使ったペンやキーボードを触るのも嫌なこともあったくらいだから。

それから。いつもお世話になっているJR東日本のトイレは最近、きれいになって快適、ありがたいことなのだけれど、石けんがない。ので困る。

なので私は紙石けんを持ち歩いている。

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そして時々、紙石けんの箱をエタコットでフキフキしたりする。石けんにたどり着くまでの手が汚いと思うと、そうしないではいられない(やっぱり過剰反応か?)。

車両トイレ

先日は、私のたいしたことない通勤史上初、車両トイレを利用。

飛行機や新幹線のトイレは躊躇なく入れるのに、通勤で使う電車ではトイレが付いていてもまず入らない、たとえ行きたくても。

混んでいると車両内を移動しにくいってのはあるが、混んでいない時でも、なんか恥ずかしいからである。

ただいま仕事を整理しちゃって、半分遊んでいるようなものだから(ここだけのハナシ。退院後のしわ寄せが怖いのと、ご迷惑をおかけしている関係各位には心より秘かにお詫び申し上げます)のんびり出社しており、行きの電車は空いている。当然、席に座れる。

なのに、時々、思わず立ってしまう。トイレ下車したい!ときだ。その日もそうだった。

ふらふらとドアの前に進んだけれど、いや待てよ、この電車はトイレが付いているんだし、と、車両内を移動。初めて利用させていただいた。

おかげさまで下車せず乗換駅にたどり着いた(また駅でトイレに行ったけれど)。

車内で化粧するより時間の節約をしたような気分になった(車内で化粧はしないヨ)。

 

ヘルプマーク

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コメント欄でぺぺろみあさんが紹介してくださった「ヘルプマーク」。都営地下鉄の構内にポスターが貼ってあった。「ヘルプマーク」は前回投稿(「見えない障害バッジ」か「うさポン缶バッジ」か)のバッジと同じようなもの。

東京都福祉保険局のヘルプマークの記事↓
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/shougai/shougai_shisaku/helpmark.html

このマークを付けている人がいたら、外見ではわからないけれど援助を必要としているので、思いやりのある行動よろしく〜、と。

認知度が高まればわかりやすく、ヘルプする側もされる側も気兼ねなくて良いと思う。なのに、どこか、デリケートさに欠けるような、、、うーん、難しい。

そういえば。

いつだったかの帰り道、電車で座っていたら私の前にカジュアルかつ知的センス抜群なファッションの30代後半くらいの男性が立った。彼はついていた杖を肘にぶら下げて、バッグから本を取り出して開き、そしてつり革につかまった。

譲った方が良いのだろうか?

譲るのは失礼なのだろうか?

声をかける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、かける、かけない、、、

かけないで寝たふりしながら悩むより、かけて場合によってはショボーンとなってもスッキリする!

「あのう、、、良かったら座ります?」

「あ、、、そうしていただけると助かります。」

ほっ。無事、譲れたのであった。でも、彼が本当に助かると思ってくれたか余計なお世話と思ったかは、正直わからない。

こういうこともあるので、分かりやすいほうが譲るほうもラクってのはあるんだけど。

「見えない障害バッジ」か「うさポン缶バッジ」か

なにしろ私は気が早い。手術日が決まってもないのに退院後のことをもう考えているっス。

前回手術の復帰時、しばらくはヨロヨロしながら会社に行った。あのときのことを思い出すと、今度はそこまでひどくないかもしれないけれど、外出時のキョーフ軽減のために、バッジを用意しておこうと思った。

「見えない障害バッジ(当事者用)」(「わたしのフクシ。」)か、

見えない障害バッジ当事者用

「うさポン缶バッジ」(「術後・治療中マーク うさポン製作委員会」)か。

うさポン

幸いにして私は通勤ラッシュ時を避けて通勤できるけれど、それでも立っているのが信じられないくらい辛く(座っていると何ともなかったりするので、自分でもそのギャップが未だに信じられない)、電車では座りたいなあと切に思った。人生で電車に座れる回数が決まっているのなら、「座れます回数券」をすべてこの時期に使ってもいい、とまで思った。

優先席に座っても、今度はなんとなく居心地が悪い。見た目がなんともないので、どー見てもただの図々しいオバサンだよなと、気が気でなかった。

それで今度は復帰後の辛い期間だけ、うさポン缶バッジのお世話になろうと。

考え方については「見えない障害バッジ」に、より共感している。が、いかんせん目立たないし(目立たせることはこのバッジの本意ではなかろう。差別的になる可能性だってあるし、第一に、このバッジは助けてほしい目印である前に、啓発的な意味がある)、それを付けて優先席に座っても分からない人には何のことか分からない。

「うさポン」は術後・通院中限定なところが、良くもあり悪くも感じられる。だが、今回の自分の用途を思うとこちらであろうと思った。

ちなみに、障害というと大袈裟に受け取られそうだが、
「わたしのフクシ。」>「見えない障害バッジ」>「わたしは当事者ですか?」
へ進んで、そのページを最後まで読むとわかるように、必要なときだけ当事者用バッジを付けるのでも良い。永久的な障害でなく、術後の一時的なものであっても差し支えないはずだ、だって困ってるんだもん。

・・・いろいろ思うことがありながらも「うさポン」を注文したところ、届くのに3週間くらいかかるらしい。タイミングとして決して早すぎなかったかも。

ただ、「うさポン」を黄門様の印籠にするのは嫌である。当然な顔して座るのでなく、「座らせてもらって、ありがとう」の気持ちを持つべきだと私は思う。他の人だって疲れて座りたいだろうし。疲れているのだって、座りたい理由に何の違いがあるだろう?

それから、以前、優先席には座っても良い、自分が座ってその席をキープすれば、お年寄りや体の不自由な方が来たら譲れるし、みたいなことを言っていた人がいたけれど、目に見えない不自由な人は外見から判別できないので、そういう人のことを考えると、常に空けておくべきではなかろうか。

理想は、優先席もバッジも必要ない世界だ。そして、立っていて辛かったら座っている人に「すみませんが、辛いので譲ってもらえませんか?」と意思表示でき、相手が理解してくれたら問題なんて起きない。
 
私たちは相手に気持ちを伝える能力がありながら、なぜか使えてなかったりする。空気を読む練習はしてきたけれど、発信する(意思表示)練習ができていないし、受信する(「譲ってもらえませんか?」と言われて何言ってるの?と思わず、冷静に判断する)練習もできていない。おかしなことだ、私も含めて。

まぶたがハロウィン

昨日、気づいたらまぶたがやや赤く腫れて、二重の部分に微妙に垂れて覆いかぶさる感じになっていた!

どちらのまぶたもで、左目はあまりわからないのだけれど、右目は人相がちょっと変わるレベル。顔が変装してしまったよう。微妙に険しい顔つきだ。ぐわわわ〜〜〜。

まぶたは、数ヶ月前からなぜか皮膚がかさかさと剥けてきて変ではあった。乾燥する冬ならともかく、夏になんて。そのうち治るだろうと放置していたんだけれど、だんだん寒くなることだし、とナイトクリームを塗ったのがいけなかった気がする。炎症を起こしてしまったらしい。で、とりあえず、白色ワセリンをうす〜く塗って様子を見ることにした。

そもそも、なんでまぶたの皮膚がかさかさ剥けたのかも謎。いきなりいつもの化粧品が合わなくなったとか? それとも内臓疾患と関係あるとか?

因果関係があるか分からないけれど、前回の手術の頃は、手首が赤くかさかさになっていた。今年になってから、腕時計をしないことにしたらすっかり治ったけど(そのときまで、赤くなると、処方されたステロイド剤を塗って腕時計はもう一方の腕に付け、、、また付けた腕になるから反対に、、、を繰り返していた)。

それにしても、まぶたの腫れ、早く治ってほしいわー。