なにしろ私は気が早い。手術日が決まってもないのに退院後のことをもう考えているっス。
前回手術の復帰時、しばらくはヨロヨロしながら会社に行った。あのときのことを思い出すと、今度はそこまでひどくないかもしれないけれど、外出時のキョーフ軽減のために、バッジを用意しておこうと思った。
「見えない障害バッジ(当事者用)」(「わたしのフクシ。」)か、
「うさポン缶バッジ」(「術後・治療中マーク うさポン製作委員会」)か。
幸いにして私は通勤ラッシュ時を避けて通勤できるけれど、それでも立っているのが信じられないくらい辛く(座っていると何ともなかったりするので、自分でもそのギャップが未だに信じられない)、電車では座りたいなあと切に思った。人生で電車に座れる回数が決まっているのなら、「座れます回数券」をすべてこの時期に使ってもいい、とまで思った。
優先席に座っても、今度はなんとなく居心地が悪い。見た目がなんともないので、どー見てもただの図々しいオバサンだよなと、気が気でなかった。
それで今度は復帰後の辛い期間だけ、うさポン缶バッジのお世話になろうと。
考え方については「見えない障害バッジ」に、より共感している。が、いかんせん目立たないし(目立たせることはこのバッジの本意ではなかろう。差別的になる可能性だってあるし、第一に、このバッジは助けてほしい目印である前に、啓発的な意味がある)、それを付けて優先席に座っても分からない人には何のことか分からない。
「うさポン」は術後・通院中限定なところが、良くもあり悪くも感じられる。だが、今回の自分の用途を思うとこちらであろうと思った。
ちなみに、障害というと大袈裟に受け取られそうだが、
「わたしのフクシ。」>「見えない障害バッジ」>「わたしは当事者ですか?」
へ進んで、そのページを最後まで読むとわかるように、必要なときだけ当事者用バッジを付けるのでも良い。永久的な障害でなく、術後の一時的なものであっても差し支えないはずだ、だって困ってるんだもん。
・・・いろいろ思うことがありながらも「うさポン」を注文したところ、届くのに3週間くらいかかるらしい。タイミングとして決して早すぎなかったかも。
ただ、「うさポン」を黄門様の印籠にするのは嫌である。当然な顔して座るのでなく、「座らせてもらって、ありがとう」の気持ちを持つべきだと私は思う。他の人だって疲れて座りたいだろうし。疲れているのだって、座りたい理由に何の違いがあるだろう?
それから、以前、優先席には座っても良い、自分が座ってその席をキープすれば、お年寄りや体の不自由な方が来たら譲れるし、みたいなことを言っていた人がいたけれど、目に見えない不自由な人は外見から判別できないので、そういう人のことを考えると、常に空けておくべきではなかろうか。
理想は、優先席もバッジも必要ない世界だ。そして、立っていて辛かったら座っている人に「すみませんが、辛いので譲ってもらえませんか?」と意思表示でき、相手が理解してくれたら問題なんて起きない。
私たちは相手に気持ちを伝える能力がありながら、なぜか使えてなかったりする。空気を読む練習はしてきたけれど、発信する(意思表示)練習ができていないし、受信する(「譲ってもらえませんか?」と言われて何言ってるの?と思わず、冷静に判断する)練習もできていない。おかしなことだ、私も含めて。