Archive for 2012年09月09日(日)

手術とICUの数日(その3)

【ICUにいる間】
体が動かせない、予想していた腰の痛みより背中がもーっと痛い、そしてまるで時間が止まっているのではと錯覚しそうなくらい、ゆっくりとしか進んでくれない時間に辟易した。

4泊もしているうちには、隣のベッドに面会者がどやどやとやって来たかと思うと、しばらくしてから死亡宣告が出され、「お婆ちゃん。。。」と言いながらすすり泣く若い女性の声が聞こえたりもした。

以前の病院のICUは広くて静かすぎるのが逆に耐えられなかったけれど、ここはやや雑然とした感じだった。それでも、じーっと寝ているのはツラい。それで、持ち込んだラジオを(もちろんイヤフォンも持ち込んで)ずーっと聴いたりして気を紛らわせた。

手が自由にならず寝たままだから、チューニングは難しいと思ったので、事前に甥に面白そうなAMに合わせてもらい、間違って触っても変わらないようテープでがっちり固定しておいた。本当はFMが良かったのだけれど、電波が入らないかもしれないからAMにした。

甥が合わせてくれたのはMBSで、「こんちわコンちゃん」を聴いて「ノムラでノムラだ」って何だよ?と思いながら聴いて、それから阪神戦を聴いて、、、あっという間に家に帰りたくなった。TBSでいいから、いや、この際、ニッポン放送でもいい! 関東のラジオが聴きたい! 戸惑いと少々の飽きを感じながらも、時間の経過がわかりにくいICUでは、それでもないより遥かにマシだった。

そんな私にとって最も優れていると思われたコーナー、それはCMの「スジャータが○時をお知らせします」である。スジャータ、ありがとう!

とにかく、どうやって出られるまでの時間を消化していくか。当然、絶飲食ながら、氷水でうがいをするのはOKなので、何度となく氷水をお願いして両手でベッドサイドを握り、反動を付けて上半身をちょっとだけもたげつつ、ブクブクペッを繰り返した。

歩く練習をするのもベッドにいる時間から解放されて良かった。なんとICUにいても歩く練習をするのである。ただ、とにかく体にはいろいろなものがつながっているので、立つまでにそれを整理整頓するのが大変。やってもらっていてイライラするくらい。まず最初に車椅子に移動し、それから立つのだけれど、リハビリの先生はそれは大変なご苦労なのだった。

そんなご苦労をかけている割には、私は「1時半という話だったのに、遅かったですね。すごーい待っちゃった」とか言っていた。1日に1回のそれが、とにかく待ち遠しかった。

「遅くなってすみません。」

「早く来ないかなーって思ってました。」

「珍しい人ですね。皆、痛くてやりたがらないのに。」

私は痛さに疎いのか???

「はい、今日はこのくらいにしましょう。」

「もう終わり? えーーー?」

「そんなこと言う人、初めてだなあ。普通、早く終わりにしてって言いますよ。」

「もっと歩きたいなあ。」

痛みよりも、ベッドに戻ってまた時間が流れなくなるのが、たまらなく嫌だったのだ。

まあそんなだから、何か違うことがあるのは嬉しかった。先生の回診も。その割には、米村先生が私の名前を呼びながらいらっしゃっても、すぐに気付かなかったりした。

米村先生は私をすごくぼーっとしている人間だと判断されたようだった。以来、「おいっ」とか「よおっ」とか言いながら私を突っついた。先生、呼ばれるという構えがないときに、いきなり関西弁のイントネーションで名前を呼ばれても〜。なかなか自分が呼ばれているとは思わないんだってば、関東人には。

2013年11月4日追記:
時々コメントしてくださる、ぺぺろみあさんのブログを拝見して、ハッと気づいた。私はたぶん、うつろな目をしていてICUシンドロームになりかかっていたのではないだろうか。だから先生は私を突っついて現実世界に引き戻そうとされたのだろう。
現在は術後ICUでなく、すぐHCUに入るとか。そのほうが絶対に精神的に良いと思う。

手術とICUの数日(その2)

【2011年6月27日(月)手術】
朝、夫と甥が病室に来てくれた。ベッドを明け渡すために荷物はすっかりまとめ、さらにICUに持ち込みたいものを別にして、甥に託す。自分の考えを優先するかもしれない夫より、言った事を確実にしてくれる甥に、「ICUですぐに私に眼鏡をかけさせてね」とお願いしておく。

担当看護師さんもやって来て、いよいよ手術室へ。2か月前の婦人科での手術より、気持ちに余裕があった。手術慣れ?したのと、術着が前開きだったこと(婦人科手術では硬膜外麻酔をしたせいか、後ろ開きだった)&弾性ストッキングがハイソックス型だったこと(太ももまでのタイプは履き口がめくれると痛く、丸1日履いたら痕がついて、2か月たったその時もミミズのような赤い痕があったのだ)、自分の足で歩いて行くことも前回より気持ちを楽にさせてくれた。そして最大の理由は、前回は病名を確定できずに挑む手術だったが、今回はわかってるということだろう。

手術室の前室の扉のところで夫たちを残し、看護師さんと私は扉の向こうへ入った。振り返り、扉の窓越しに夫たちに手を振った。

同じ時間に手術する、私より年上の女性がすでにいた。私はその人の左横に並んで立った。それぞれ一緒に来た看護師さんの鞄(それはまるで、アニメの「アルプスの少女ハイジ」に出てくるペーターが持っているような肩掛け袋で、およそ看護師さんのウエアとマッチしないのだが、看護師さんの両手も空くし機能的。大学病院では資料のファイルは車椅子に載せて運んだけれど。病院によっていろいろだ。)から、資料が出て来て、それぞれ本人確認がなされ、私たち患者は手術室に引き継がれた。

手術室にも自分の足で行った。台に乗ったら、よくTVの手術風景で出てくる、照明の目がいっぱい付いてるヤツが目に入り、緊張してきた。

麻酔科のくだんの先生が、私にマスクを付ける。上唇の右側がちょっとめくれて気持ち悪かったけど、ま、いっか、と思って、数を数えただろうか、覚えていない。

***

気付いたらICUだった。私の体は、前回を上回る重装備な様相を呈している感。夫と甥がやって来た。甥にすぐさま眼鏡をつけてもらう。眼鏡はICUを出るまでほとんど外すことなく、眠っているときもつけたままで!過ごした。だって、知らぬ間に寝ちゃうしすぐ目が覚めるし、目が覚めた時、外した眼鏡を探せるか、またかけられるか不安だったから。体があまり動かせず、手も右手しか動かせないわけだから。

ICUにはほかにもいくつか持ち込んだ。ティッシュなど当たり前なもののほか、時計、ラジオ、腰枕を持ち込んだ。ラジオはダメと言われるかと思ったけれど、機械があるから電波が入らない可能性もあるけどそれで良いならとOKが出た。

手術はどうだったのか、夫に聞いた。思い返すと、かなりとんちんかんな事を言っていた。夫は、先生の術後説明時、目の前に出された摘出臓器を見て、すでにあんなに臓器を取ったのに、またこんなに取ってしまってと驚き、頭が真っ白になってしまったのだそうだ。

ま、いっか。。。重要なことは、人づてに聞くより、先生に直接聞く方が良い。ICUを出たら先生に伺おう。それに前回の手術時は弟に頼んだことを、今回は甥に頼んでおいた。先生の説明をビデオに撮ることだ。退院してビデオを見れば、その場でどんなことが話されたのかわかるというわけ。

退院後にビデオを見たけれど、パニックになっている夫の受け答えには笑えたわー。

そんな夫であるが、手術中はどうしていたか。甥が一旦仕事に戻り、一人で家族が待つところで待っていたそうだ。昼食は、病院1階の売店でサンドイッチを買って食べたらしい。思った以上に手術が長いので、帰りの飛行機便を変更したとのこと(それも気持ちが焦ってるから自分でせず、姪に電話で頼んだらしい〜〜)。その日に帰るのはいいけど、最初からもっと遅い時間を予約してほしーわ。もっと手術時間が短いと思ったとか、手術を簡単に捉え過ぎるからパニクるんだわ。

夫と甥はICUに30分もいなかったと思う。話すこともなかったしなあ。その後だったか翌日だったか、夫の妹家族が見舞ってくれた。私のICU感あふれるビジュアルに、かなりの衝撃を受けたらしい。何しろ重装備だもんね。機械もあるし、いろんなのが上からも下にもぶら下がってるし、酸素マスクとかしてるし。今思うと、なかなかなれないそんな姿を写真に撮っておかなかったことが悔やまれる。

時間の流れが止まっているかのようなICUなので訪問者大歓迎だったが、でもその時は、ひと言ふた言話すのもやっとな体調でもあった。

  • HIME

    2012年09月11日(火)13:05

    返信

    確かにICU4泊は厳しいですね。よくがんばりました。
    それにしてもいつもゆかいな文章なので読んで笑ってしまい、また想像も……。旦那さんを知っているだけに…….ムフムフプッ(笑) ゴメンナサイ!
    来週、岸和田で手術する人がいるのでその方にこのブログをご紹介しようかな~って思っています。

    そうそう、術後説明のビデオ見てみたいわ~。

  • pom

    2012年09月11日(火)15:27

    返信

    ウイ、マダ〜ム! よろしくー。
    ビデオ、今度ウチ来たらご鑑賞くださいませ。
    米村編は2〜3分で終わっちゃうんだけどね。
    東海大編のほうがもうちょっと説明が長い。こっちは主治医が取り出した粘液をビョイ〜〜ンと伸ばすところと、父のボケ発言が見どころかと思われます。

  • リーナ

    2014年12月19日(金)14:00

    返信

    始めまして。
    私、大阪在住のリーナと言います。
    今年の4月に家の近く(八尾市)の徳洲会病院でドックを受け右卵巣の腫れが手術対象の大きさと言うことで市民病院への紹介状を書いてもらい(八尾徳洲会では婦人科手術はしていないのです)そちらに移りMRIを撮ったところ境界悪性腫瘍の疑いってことで8月初旬に(小5の娘が夏休み中にと思い8月になりました)子宮、左右卵巣の摘出手術をしたところ…
    虫垂が異常に腫れて腹膜播種を起していることが開腹してわかりました。

    外科の先生を急遽呼んで大網、虫垂(原発)の切除もしたのです。

    『腹膜播種』そしてガン細胞の種類はいんかん細胞と(後に石橋先生が言うところの『顔つきが悪い細胞』)
    ゆう言葉を聞いたのは退院後数週間経ってからです。

    その間に胃カメ、腸カメなどの検査を受け異常なしでした。

    そしてネットで調べた私や周りは『米村先生』に!!と満場一致でした。

    市民病院から紹介状を書いてもらう際、
    『米村先生は通常の治療をしないんですよ?』とあまりいい顔してなかったという印象です。

    どんな治療が通常でないのかも全くわからないけど
    ここで治療しても化学治療だけで完治はないよね?と思い
    気持ちはもぅ絶対米村先生に会いに行きたい
    そして私の事診てもらいたいってだけでした。

    それから9月11日。
    岸和田徳洲会で初めて米村先生にお会いし市立病院の経過資料とその後慌てて受けたPETの資料(PETでは何も写らなかった)

    米村先生は
    綺麗にとれますと言ってくれて
    ここに来て良かった!流石名医なんやわって喜び束の間。

    話してるうちに『僕の今までの治療なら4分の1しか治せないねん…』(いんかん細胞の事ですね…)

    血の気一気に引き、頭かかえ付き添いの父や妹たちも
    変なため息ような声を出してた。

    『でも』と先生。

    『新しい治療方が効きますそれでやってゆけばいい』
    とおっしゃいました。
    新しい治療…
    どんな治療なんだろ?
    手術のやり方?
    全くわからないけど
    腹腔内温熱療法を同月末に受け同時にお腹のポートが埋められました。

    新しい治療とは
    抗癌剤ローテーションや二種類ミックスのかなり辛いものでした。

    3クール受けたら相当辛くなり4クール目の先週はお休みしてしまいました。

    罪悪感と焦りで次の診察が怖いなぁー
    見放されてしまわないかなって思ってたら今週の月曜の朝8時過ぎに米村先生から電話あって

    『元気になった?』って一声に鼻の奥ツンときました。
    そしてもぅ3クールしたし腹水も細胞診も毎回正常やし
    手術しようか?って
    26日手術に決まったのです。

    年末年始みんなをバタバタさせてしまうけど
    今年中に手術ならいいなって思ってのが急に叶ってしまってドキドキと不安で気持ちは逃避してるけど…

    だからこそponさんやちありんさんのブログ見ると
    とても励みになるのです。

    ほんとは病気ブログなんてよー書かんわって思ってたけど自分の記録、そして繋がりを持ちたい!
    それが一気に沸いてきたのです。

    長い文章、誤字脱字、話の前後を許して下さいね、

    偽粘液腫…とは違いますが米村先生にお世話になってる仲間としてよろしくお願いします。

  • リーナ

    2014年12月19日(金)14:01

    返信

    まだ、よくわかってなくてコメント
    重複させてしまいました。m(_ _)m

    • pom

      2014年12月20日(土)12:38

      返信

      リーナさん、はじめまして。
      コメントの編集機能がなくてごめんなさい。重複部分をただいまこちらで消しました〜〜。

      リーナさんは行動派だね! すばらしい!! きっとうまく事が運びますよ。抗がん剤治療は辛かっただろうけれど、気持ちが前向きだから良い方向にいきそう。

      米村先生は名医の中の名医だと思います。腫瘍だけでなく患者の心もわしづかみですっ。

      石橋先生も良い先生で面白いyo。石橋先生作、秋の俳句「ステテコを干して一息 月眺む」に続く冬の一句、聞いといてください〜。もちろん患者として心配なことなど、米村先生がいなくても気軽に聞けます。

      お仲間同士でもいろいろ情報交換してますので、なんかあったらコメント入れてくださいね。

      これからよろしくお願いします! ともに前進ですよ〜〜〜。

  • HIME

    9月 11th, 2012

    返信

    確かにICU4泊は厳しいですね。よくがんばりました。
    それにしてもいつもゆかいな文章なので読んで笑ってしまい、また想像も……。旦那さんを知っているだけに…….ムフムフプッ(笑) ゴメンナサイ!
    来週、岸和田で手術する人がいるのでその方にこのブログをご紹介しようかな~って思っています。

    そうそう、術後説明のビデオ見てみたいわ~。

  • pom

    9月 11th, 2012

    返信

    ウイ、マダ〜ム! よろしくー。
    ビデオ、今度ウチ来たらご鑑賞くださいませ。
    米村編は2〜3分で終わっちゃうんだけどね。
    東海大編のほうがもうちょっと説明が長い。こっちは主治医が取り出した粘液をビョイ〜〜ンと伸ばすところと、父のボケ発言が見どころかと思われます。

  • リーナ

    12月 19th, 2014

    返信

    始めまして。
    私、大阪在住のリーナと言います。
    今年の4月に家の近く(八尾市)の徳洲会病院でドックを受け右卵巣の腫れが手術対象の大きさと言うことで市民病院への紹介状を書いてもらい(八尾徳洲会では婦人科手術はしていないのです)そちらに移りMRIを撮ったところ境界悪性腫瘍の疑いってことで8月初旬に(小5の娘が夏休み中にと思い8月になりました)子宮、左右卵巣の摘出手術をしたところ…
    虫垂が異常に腫れて腹膜播種を起していることが開腹してわかりました。

    外科の先生を急遽呼んで大網、虫垂(原発)の切除もしたのです。

    『腹膜播種』そしてガン細胞の種類はいんかん細胞と(後に石橋先生が言うところの『顔つきが悪い細胞』)
    ゆう言葉を聞いたのは退院後数週間経ってからです。

    その間に胃カメ、腸カメなどの検査を受け異常なしでした。

    そしてネットで調べた私や周りは『米村先生』に!!と満場一致でした。

    市民病院から紹介状を書いてもらう際、
    『米村先生は通常の治療をしないんですよ?』とあまりいい顔してなかったという印象です。

    どんな治療が通常でないのかも全くわからないけど
    ここで治療しても化学治療だけで完治はないよね?と思い
    気持ちはもぅ絶対米村先生に会いに行きたい
    そして私の事診てもらいたいってだけでした。

    それから9月11日。
    岸和田徳洲会で初めて米村先生にお会いし市立病院の経過資料とその後慌てて受けたPETの資料(PETでは何も写らなかった)

    米村先生は
    綺麗にとれますと言ってくれて
    ここに来て良かった!流石名医なんやわって喜び束の間。

    話してるうちに『僕の今までの治療なら4分の1しか治せないねん…』(いんかん細胞の事ですね…)

    血の気一気に引き、頭かかえ付き添いの父や妹たちも
    変なため息ような声を出してた。

    『でも』と先生。

    『新しい治療方が効きますそれでやってゆけばいい』
    とおっしゃいました。
    新しい治療…
    どんな治療なんだろ?
    手術のやり方?
    全くわからないけど
    腹腔内温熱療法を同月末に受け同時にお腹のポートが埋められました。

    新しい治療とは
    抗癌剤ローテーションや二種類ミックスのかなり辛いものでした。

    3クール受けたら相当辛くなり4クール目の先週はお休みしてしまいました。

    罪悪感と焦りで次の診察が怖いなぁー
    見放されてしまわないかなって思ってたら今週の月曜の朝8時過ぎに米村先生から電話あって

    『元気になった?』って一声に鼻の奥ツンときました。
    そしてもぅ3クールしたし腹水も細胞診も毎回正常やし
    手術しようか?って
    26日手術に決まったのです。

    年末年始みんなをバタバタさせてしまうけど
    今年中に手術ならいいなって思ってのが急に叶ってしまってドキドキと不安で気持ちは逃避してるけど…

    だからこそponさんやちありんさんのブログ見ると
    とても励みになるのです。

    ほんとは病気ブログなんてよー書かんわって思ってたけど自分の記録、そして繋がりを持ちたい!
    それが一気に沸いてきたのです。

    長い文章、誤字脱字、話の前後を許して下さいね、

    偽粘液腫…とは違いますが米村先生にお世話になってる仲間としてよろしくお願いします。

  • リーナ

    12月 19th, 2014

    返信

    まだ、よくわかってなくてコメント
    重複させてしまいました。m(_ _)m

    • pom

      12月 20th, 2014

      返信

      リーナさん、はじめまして。
      コメントの編集機能がなくてごめんなさい。重複部分をただいまこちらで消しました〜〜。

      リーナさんは行動派だね! すばらしい!! きっとうまく事が運びますよ。抗がん剤治療は辛かっただろうけれど、気持ちが前向きだから良い方向にいきそう。

      米村先生は名医の中の名医だと思います。腫瘍だけでなく患者の心もわしづかみですっ。

      石橋先生も良い先生で面白いyo。石橋先生作、秋の俳句「ステテコを干して一息 月眺む」に続く冬の一句、聞いといてください〜。もちろん患者として心配なことなど、米村先生がいなくても気軽に聞けます。

      お仲間同士でもいろいろ情報交換してますので、なんかあったらコメント入れてくださいね。

      これからよろしくお願いします! ともに前進ですよ〜〜〜。

手術とICUの数日(その2の前に)

入院した日曜日のことはリアルタイムで書いたから飛ばす。手術当日の話に行くその前に、「入院診療計画書」という紙に書いてあった内容(全部ではありません)を転記しておく。

【入院診療計画書】
病棟(病室) 5やま
主治医以外の担当者 看護師 ○○○○  薬剤師 ××
病名(他に考え得る病名) PMP
症状 腹満
治療計画 切除
手術内容及び日程 腹膜切除、温熱化学療法
推定される入院期間 3weeks
その他 ・術前の検査から、手術を安心してスムーズに受けられるように援助し、術前後の異常の早期発見につとめます。
・術後の痛みを軽減する薬などについて説明を行い、服用方法、副作用の確認をします。

注1)病名等は、現時点で考えられるものであり、今後検査等を進めて行くにしたがって変わり得るものである。
注2)入院期間については、現時点で予想されるものである。

*****
すごい早さで書く米村先生の、崩し字を超えてもはや謎解きの域に達した文字と、看護師さんの小さめな文字で記入されており、最後に先生のサイン、私のサインで完成される、プロジェクトの計画書だった。(お医者さんの字って、なんかそーゆーの多いよね?)

「5やま」は5階山側病棟のこと。
「PMP」は腹膜偽粘液腫のこと。
入院期間は実際にはさらに1週間延びた。