一つ終わり、新しい次へ(2)

【3月11日】

会社で流れているJ-WAVEから「黙祷」とジョン・カビラさんの声がして、しばらく音が途絶えた。私も手を止めて、目を閉じ祈った。

あれから2年、「『もう』なのか『まだ』なのか」とラジオは言っていた。

2か月前に、知り合いからこんな話を聞いた。

東北にボランティアで出かけてみると、そこの仮設住宅は結露がひどく、眠るベッドさえグショグショになってしまうというのである。ほかにも、現地に行かなければ分からないこと、当事者でないと理解しにくいことなどは山ほどあるだろう。

「復興」と言えば言うほど、個人が置き去りにされている気もしないでもない。言葉の置き換えで解決するものではないが、一人一人の体温を感じる「再起」のほうが良くない? いや、「復興&再起」か。。。

それにしても「復興」しなければならないのは、何も東北に限ったことではない。日本中だと思う。もう、ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜っと、景気が悪かったんだよ? もう、ヒーヒーだ。景気が良くならないことには税収だって少ないわけだから。へっぽこながらも会社やっていると、いい加減、負のスパイラルから解き放たれたいものだと切実に思う。

・・・どんどん話がとっ散らかってきた。。。

今日のブログは景気の話ではない。今年の3月11日、私は何をしていたか、なのであった。

その日、私は会社を早めに出た。来月、個展めいたものをするので、そのDMハガキに使う写真を撮影するためである。

いや〜、生きてて良かったなー。2年前には想像もできなかったことだ。ええ〜いと思いきってカメラマンさんにお願いして、撮ってもらったもんね。

ついでに顔写真も撮ってもらった。以前は遺影用に、、、なんて考えたけれど、今は違う。今、この時の記念にだ。

せっかくカメラマンさんに撮ってもらうのだから、髪を調えたりお化粧し直したりしたかったのだれど、他にも関係者がいたりして、いかにも身繕いするのがやや恥ずかしく、結局、鏡をまったく見ずに化粧は崩れたまんま、髪はボサボサ〜で撮ってしまったのだった。。。ま、ある意味、いつもの私である。でも、レフ版立てたから、シミソバカスぶつぶつは消えてまひた。

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