呂先生の思い出

岸和田の腹膜播種センターのサイトについて記事にしながら、入院していたときに、米村先生、石橋先生とともに私を診てくださった、呂(ルー)先生のことを思い出した。

回診はいつも、廊下の遠いところから先生方の話し声が聞こえてくるので、そろそろいらっしゃるなと身構える。我が先生チームはオール英語で喋りながら来るので、すぐに分かった。

ガタイの良いオッサンたち(米村先生&石橋先生。す、すみませんオッサン呼ばわりで〜〜)の回診は嵐のようである。狭いベッドをひょいとずらし、ものすごい早さで「ドドドドーっ」と処置して嵐のように去って行く。そんななか一緒にやってくる呂先生は日本語が話せないのだけれど、その分、優しい微笑みをもって私たち患者に接していた。

オッサンではない呂先生の微笑みは、実にステキである(カワイイ系)。と思うと気になるもので、長く入院している同室の人に、どこの国の人か聞いてみると、韓国人だという。韓国人で呂という姓の人、いるだろうか? それで、今度は看護師さんに聞いてみると中国人だという。

どうもはっきりしない。だったら本人に聞いてみよう。だが、米村先生がいらっしゃる時は嵐状態で、どーでもよいことを話すのは憚られた。それで確か、胃の通りを検査するときに行ったレントゲン室でだったと思うが、とにかく米村先生がいらっしゃらない時に伺ったのである。

呂先生は台湾からいらっしゃった先生だった。

私が台湾に行った事があると言うと、どうだった?と聞いてくださった。それで、良かった、食べ物も美味しかったし、と言うと、呂先生はますます優しく微笑んだのだった。。。

退院日が決まってから、私は記念に先生方の写真を撮らせていただいた。カメラを持って来ていないから、iPadで写すことにした。

iPadを先生方に向けたとき、いつもは話さない呂先生が

「あ、iPad2!」

と小さく叫んだ。さすが若い人はiPad、それも「2」が分かるなあ。なんて思いながら、一度だけだけれど話したからこそ、気さくに反応してくださったのだと思い、嬉しかった。

「ドクター・ルーは国に帰ったらプロフェッサーになるんや。」

一緒にいらっしゃった石橋先生がそう仰った。

私の退院日よりほんの少し早く、呂先生は研修を終えて病院を去られた。最近、先生を検索したら、、、いらっしゃいました、台湾の病院に!(出して良いのかどうかわからないけれど、いっか〜。呂先生の微笑みを見たい方はコチラ!)

呂先生、お元気で、台湾の患者さんたちのために頑張ってください! 日本から応援しています。

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